46話
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蒼白眼の勇者が聖剣エクスカリバーをもって魔王を討ち滅ぼした──。
勇者は王女を妃とし、この国の王となって世界を統治した。
──それからおよそ三百年。
風化された追憶は、神話となり御伽話となり、やがて打ち棄てられる。
王が民の主君として君臨するために残された真実を殊更取り上げるとするならば──、
──王家は世界を救った勇者の末裔である。
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俺には『見えない物』が見えた。
いや、俺たち家族にはそれが見えた。
心の動きであったり、物事の本質であったり、はたまた常世の存在といった、そんなたいそうな物ではない。俺たちが見える物は『日常』だった。
通常、枯渇人には視力がない。しかし俺たちは枯渇人でありながらも視力があった。視力のある白眼。それが俺たち家族だった。
この街の地下には神殿がある。正確には神殿があった場所に街が作られたというのが正しいらしい。
英雄の街。今は名を変え、枯渇人の街と呼ばれている。神殿を守るために命をかけて戦った英雄たちの街。俺も含め、ここに住まう者すべてが英雄たちの末裔だと聞かされている。
地下神殿の祭壇には白眼様が祀られていた。
街の住人たちの先祖でもあり、神殿を守護した誇り高き戦士たちの御霊と言い伝えられる。白眼様は魔力と視力を代償にこの街を死守した英雄だ。
俺たちは朝晩のお供えをし、白眼様を信奉した。
そして、俺にはそれが見えた。
──朝晩捧げるお供えとしての食事は、必ず誰かに食されている。
最初は罰当たりな住人の仕業だと思った。困窮した生活。そうだとしても咎めることは出来ない。しかし俺は見てしまったのだ。祭壇の上部にある扉が開き、そこから出てきた手が食事を持っていき、空になった器だけを元あった場所に戻していることを。
──祭壇の奥に誰かが潜んでいる?
視力のない街の人間に話したところで信じて貰えるはずもなかった。このことを知っているのは視力がある俺たち家族だけだ。そしてある日、異変が起きた。
祭壇の扉が開き、白眼様が姿を現したのだ。
やはり、俺の予期した通りだった。
齢60程の男性。漆黒のローブを纏った初老の男性だった。
白眼様が実在していたのも驚きだったが、白眼様の眼は、想像に反して漆黒の眼をしていた。その隣には蒼白眼の青年の姿もあった。
祭壇の奥に身を隠していた、──二人の男性。
俺たちが白眼様として崇めていたのは漆黒眼の男と蒼白眼の青年だった。
「あ、あなたたちは一体?」
あまりの突然の出来事に俺はそう返すのがやっとだった。
「うむ、そなたには我々が見えておるのか?」
俺と妻は互いに顔を見合わせてから、白眼様に向けてコクリと頷いた。集まった人垣は、寄り添うようにただ聞き慣れない白眼様の声に耳を傾けていた。
「我々は三百年前、魔王を討ち滅ぼした時代の人間。蒼白眼の勇者が王となり安寧の時代が訪れたのも束の間。王の死後、即位したのは蒼白眼を受け継ぐ第一王子ではなく、第二王子だった。第二王子は金色眼。先先代の王と同じ魔属性の眼。王の証と呼ばれる金色眼は欲望の極み。金色眼が人間界の王となった時、魔王は産み堕とされる。世界は恐怖によって、再び支配されたのだ」
三百年前の人間?
現実味のない話にすぐ理解が出来なかった。群衆がざわざわと詰め寄り一塊となる。
「我々は命を狙われた第一王子を神殿に匿まい、王国の追手から彼を守った」
蒼白眼の青年がゆっくりと瞼を閉じる。
──ということは、この青年が第一王子?
漆黒眼の男はその時のことを回顧するように言葉を紡いだ。
「新王は魔王を討ち滅ぼす聖なる力、蒼白眼を恐れた。その手はこの街だけに止まらなかった。勇者の血を根絶するために蒼白眼狩りを始めたのだ。未だに続く聖剣の儀はその名残りに過ぎない。魔王を倒せる力を持つ者を炙り出すための手段。王国は世界中の蒼白眼を虐殺した。そこで私は彼だけでも、勇者の一族、蒼白眼を空間軸から消すことにした」
空間軸から消す?
「私は時空魔法を使い、王子とともに別の空間軸に転移した。つまりこの世界だ。この世界では、我々は実在しない人間『観測者』となる。『観測者』になれば、その血族の魔力は一時的に消失する。魔力を失った人間は白眼となる」
たしかに白眼様の眼は漆黒眼。
時間と空間を自由に操ることが出来ると聞く。
「時間移動と、時空移動は違う。時間を遡行すればその時の自分に戻るだけだが、時空移動は並列する世界へと移行する。その世界に存在する自分と『観測者』としての自分。二人の自分が存在することになる。
その事象が魔力原理の人為的歪みを生む。分かりやすく言えば不具合だ。それが血族の魔力を消失させる要因となる。
我々は三百年もの間、『観測者』として祭壇に潜み続けてきた。この世界には二人の私と王子が存在した。本来の私と王子は『観測者』の影響を受け、白眼となって追手を欺むき天寿を全うした。自分たちの死後、それでも我々は『観測者』として居座り続けた。歴史が風化するまでの間、王子の血を引く子孫を隠蔽する目的のためだ」
なるほど。漆黒眼の男が言わんとすることが見えてきた。『観測者』がいる限り、この空間軸では王子の血を引く人間は魔力を失い、白眼であり続ける。
彼らがいる限り、蒼白眼はこの世界では白眼となる。
「時は満ちた。汝らこそが時に選ばれし英雄。蒼白眼の力を持って魔王を討伐せよ!」
聡明な顔立ちをした王子が張りのある声で鼓舞したが、あまりに壮大な話に俺たちはポカンと立ちすくむばかりだった。
「……そ、そうはおっしゃいますが私共は魔力のない枯渇人です。魔王討伐など滅相もございません」
誰かが心許ない声を上げた。
「汝らの中には私の血を受け継ぐ蒼白眼がいるはずだ。我々が元いた世界に戻った時、それは明らかになるだろう」
群衆が互いに肩を寄せ合いヒソヒソと耳打ちを始めた。
「そなたらは我々の姿が見えると言ったな?」
漆黒眼の男の眼が俺たち家族に向けられる。
俺は思わず息をのんだ。
「魔王は空間軸の更に上、高次元に存在する。言うなれば常世の存在、星幽界だ。この世界の魔王を討伐することが出来れば、すべての空間軸から魔王は消える。我々の力をそなたらに託す。頼んだぞ。我々の血を受け継ぐ者よ」
我々の血?
しばしの沈黙が流れ、俺がようやく何かを言いかけようとした時、漆黒眼の男と王子の姿は黒煙の渦に包まれて消えてしまった。
あっ! 思わず声が裏返り、掴みかけた手が空を斬る。それと同時に、妻の眼は蒼白眼に──。俺の眼は漆黒眼に──。息子の眼は蒼白眼と漆黒眼を左右に宿していた。
そして、瞬時に悟る。
古代より伝わる白眼文書にはこう記されていた。
漆黒眼の賢者が導き、蒼白眼の勇者が聖剣エクスカリバーをもって魔王を討ち滅ぼした──。
俺は漆黒眼を持つ賢者の末裔。
妻は勇者の血を受け継ぐ第一王子の末裔。
息子はその両方の血を宿している。
白眼様として三百年もの間、隠し続けた魔王を滅ぼすための力。俺は気の遠くなるような宿命に立ちくらみを起こし、その場に座り込んだ。




