44話
早朝から慌ただしく家を飛び出していくヤツらを確認し、オレは家屋に侵入した。
夜までまだ時間がある。
くつろぎながら金目の物でもないかと物色していたオレは予期せぬ展開に焦った。
──ガチャリと玄関の扉が開いた。
──誰だ? ヤツらは夕方まで戻らないはずだ。
帰ってくるにはまだ早い。完全に油断していた。
身を隠す時間もなかった──。
──扉の前に立つ女と目が合う。
──誰だこいつ? ──見知らぬ女だった。
金髪女と同じ蒼白眼の女。
事前情報にはない女だ。
タイミングの悪い訪問者か? いや、下調べでは、この家に訪問者がくる確率は極めて低い。
身体が固まるのも束の間、瞬時にオレの思考が動き出す。このままではまずい。顔を見られた。殺すか? いや、今ことを起こすのは得策ではない。脳内で思索が目まぐるしく駆けずり回る。
女が口を開こうとしたと同時に、オレは条件反射でデュランダルを斬りつけていた。
パキン! 氷属性の魔力を宿した一太刀が蒼白眼の女を凍りつかせる。これが主から預かった氷剣デュランダルの能力。目の前に人型の氷塊が出来上がった。
不測の事態を凌いだオレは、ひとまず額の汗を拭い、深呼吸をして気持ちを落ち着かせた。
こいつは何者だ?
まあ、いい。とりあえず難は逃れた。
──さて、これをどうするか?
手っ取り早く、人目のつかない所に葬りたい。オレは氷漬けにした女を引きずり、棚の中へと押し込んだ。
任務を遂行するまでの辛抱だ。一晩くらいならこの状態で乗り切れるだろう。
念入りに調査をしたにもかかわらず迂闊だった。
金髪女の他にもう一人、蒼白眼の女がいたとは。デュランダルがなければ、計画を台無しにするところだった。
由々しき事態を切り抜けたオレは一息つくと、予定通り寝室のクローゼットに身を潜めて夜を待った。
しばらく眠ったオレは帰宅したヤツらの声で目が覚めた。後は寝静まるのを待つだけだ。しかし何やら騒がしい。
──何かが変だ。
オレは恐る恐るクローゼットから身を乗り出し、寝室の扉を少しだけ開けて、外の様子を伺った。
金髪女が部屋中の棚を開けて回っている。
何をやっている? このままでは隠蔽した氷漬けの女が見つかってしまう。嫌な汗が流れる。
案の定、閉じ込めておいた氷塊がゴロンと音を立てて転がり落ちた。ヤバい。女の意識が戻ればオレの存在がバレる。このままここにいては危険だ。
ヤツらが武器を身構え警戒している。鋭く漂う眼光がオレへの退避勧告だった。──計画は中止だ。息を殺して逃げ出そうと窓に視線を移した、──その時、
「ご主人様っ! 遅くなって申し訳ありませんでしたっ!」
「エ、エクス!! お前どこに行ってたんだっ!?」
外の部屋で歓喜の声が上がった。唐突に湧いた歓声に、もう一度、怯えと困惑の混じった目を向ける。扉の隙間から差し込む光の中に──、見知らぬ人物。
金髪女と同じ顔をした銀髪の女がいた。
突如として玄関から現れた銀髪女。
誰だ? こいつ?
またもや、蒼白眼の女?
金髪女と銀髪女。それと氷漬けにした女。
蒼白眼の女が三人!?
な、なんなんだ? 事前におこなった調査と全然違うじゃねえかよ……。
妖魔につままれたかのような光景に何度も目を擦って確かめる。オレの下調べにぬかりはないはず……。
取り乱したオレだったが、すぐに冷静になり、機転が働いた。予想だにしなかった展開も、今となっては逆に好都合。ヤツらが銀髪女の登場に気を取られている隙に逃げられる。天啓を得たオレは足音を忍ばせ、窓から脱出することに成功した。
芝を踏み締め、外の空気を吸ったオレは胸を撫で下ろした。銀髪女が現れていなければ殺されていたかもしれない。不幸中の幸いだった。
されど一体、ヤツらの身内に蒼白眼の女は何人いるんだ?
錯乱する頭を整理しながら、しかし、オレはしてやったりと口元を緩める。
転んでもただでは起きないのがオレ様だ。
暗殺計画は失敗に終わった。
──が、想定外の収穫を得た。
オレは本来、盗人であって殺し屋ではない。手クセの悪さと嗅覚の鋭さだけが取り柄だ。
──盗みに適した物は公にできない代物。
寝室のクローゼットの中に、三本のダイヤモンドがあった。
売れば盗んだ金を全額返済できるほどの大金が作れる。すべてが解決する。
このダイヤモンドは、おそらくディルドだろう。こんな恥ずかしい物を盗まれたって持ち主は誰にも言えないはずだ。まさにすべてを帳消しにするお宝だった。
後ろを歩くデュランダルが目を細めていたが、オレは呪縛から解放される喜びに三本のダイヤモンドを強く握りしめる。
金を返せば晴れて自由の身。あとはデュランダルをオレの物にできれば。オレには多少の自信があった。あれから幾度となく肌を合わせた男女。気持ちが移り変わるのも時間の問題だろう。このままデュランダルと愛の逃避行を企てる。
「なあ、デュランダル……」
──ひっと鋭く息を飲んだ。
オレが彼女に気持ちを伝えようと振り返った刹那、彼女の手刀はオレの胸を貫いていた。
「……な、なんで……」
「盗人風情が笑止千万!」
簡潔な答えだった。
貫通したデュランダルの腕を全身の筋肉が無意識に締め上げる。
この手刀は抜かせない。筋肉の繊維、一本一本に力がこもった。この期に及んでもまだ、──オレは彼女に縋り付いていた。
少しでも繋がっていたい。お前との関係を終わらせたくはない。
デュランダルの口角がニッと吊り上がる。
すべてを理解した。
オレの抵抗も虚しく、真っ赤に染められた手刀が音もなく抜かれる。彼女の眼を見据えたままオレは両膝から崩れ落ちた。
霞んでゆく視界の中で、最後に見た光景は、転がるダイヤモンドを拾い上げて去りゆく彼女の姿だった。
胸にぽっかりと開いた風穴が灼けるように疼く。
愛してもいない男に何度も抱かれるなよ。
勘違いしちまうだろーが……。
氷剣デュランダル。彼女は双剣の暗殺者、スバールバル・グランデの所有物だ。彼女らの心は永遠に──所有者にある。
溶け出した氷色眼が目尻から溢れ、オレの頬を濡らしていた。




