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第四章 懐疑編

10月に入ると、昴と瑞希は以前から参加することが決まっていた、AFC(アジア・フットサル・チャンピオンシップ)に出場する運びとなった。練習会場は、都内にあることが殆どで、この大会には昴と同じく全国でも有数のプレーヤーが招集されいた。

神戸ストイックスの(やぶ) (とし)()、難波レクリエーションズの笑原(えばら) (たく)()、立川アルバトロスの(しつけ) ()(なり)、ズンダブロッカ仙台の馳川(はせがわ) (とめる)、ベトナムのホーチミンサイゴンズでプレーする京都出身の(あらし)(やま) 大乗(だいじょう)、5月に行われた練習試合で共に死闘を演じた、アルフレッド新潟の(はかま)() (えい)(すけ)と、名古屋アレンジャーズの(つづり) (ただし)(ほころび) (けん)だ。

代表候補が複数いたため全員を知っている訳ではなかったが、今回の練習に呼ばれた選手が正規メンバーとなるようであった。これまで何度か練習に参加していた昴でも、初の全員参加とあっては緊張の色を隠しきれない。

出発を三週間後に控えた練習を前に、監督の猿渡(さるわたり) (おさむ)が檄を飛ばす。

「今回の目標はもちろん優勝だ。その意識のない者は去ってもらう」

「ポジションと背番号を発表するぞ。ピヴォは9番の金、6番の焔、12番の室井。

アラは7番の藪、8番の笑原、10番の林、11番の袴田、13番の綴、14番の綻。フィクソは2番の嵐山、3番の港、4番の躾。ゴレイロは1番の硯、5番の馳川だ。

アイツの居ないチームなんだ。状況に応じて違うポジションでの出場もあり得るから、各自気を抜かないように」話が終わってから昴は、金に気になった質問をぶつけてみる。

「金さん、アイツって誰のことですか?」

「前の大会まで居た雷句(らいく)って奴が、チームの中心選手の一人でさ。ソイツのことだよ」

「大会に来れなくなったって人ですよね?」

「そうそう、凄い選手だったんだけど、怪我でね」

それを聞いたキャプテンの林が、俄かに顔を(しか)める。

「怪我というには、あまりに無理がありますけどね」

「それってどういうことですか?」

「それは今に分かるよ」

そんな話をしていると、向こうで何やらモメているようだ。

(しつけ)――」

「おう、笑原。お前も来てたのか」

「来てたのかや、あらへんやろ。俺はアイツと、この大会に出るのが夢やったんや。

それを台無しにしくさってからに――」

「アイツが弱いから悪いんだよ。弱肉強食のこの世の中で、勝ち続けるのは常に強い者だけなんだ」

「黙れ!!アイツは俺の親友やった。ガキの頃から、来る日も来る日も一緒にサッカーやって来たんや。お前だけは絶対に許さん」

「はっ、お前に何ができるんってんだよ?この腰抜けが」

この二人のやりとりは、これから同じチームで共闘するのが不安になる程であった。今回の代表には9月の段階で代表として出場予定であった、先程の会話にあった雷句(らいく)、日程の都合により試合に参加できないHeY!Yo帯広の灰原(はいばら)、宮古スープレックス

ゴレイロの虹絵(にじえ)の代わりとして、昴と躾、ゴレイロの馳川(はせがわ)が招集されていた。

結局この日は、笑原と仲のいい藪、嵐山が彼を(なだ)めて、なんとか練習を終えることができた。そして、その後は月に3回東京で汗を流した。

それから迎えた移動日は東京国際空港、通称『羽田空港』から飛行機で、会場があるインドネシアまで向かうこととなっている。今回は昴と瑞希のために、保が車を出して送ってくれた。空港に到着し、他の選手たちと合流する前、保が昴を呼び止めた。

「友助はさ、ホントは代表に入りたかったんじゃないのか?5月の練習試合の時から、袴田のやつに勝ちたいって、そう言ってたんだろ」

「そうなのかな?最近よく分かんないんだよね。アイツの考え」

「それは理解しようとしてないからじゃないのか?分かり合おうとしてないだろ」

「う~ん、そうかもね。俺、そういうの苦手な(たち)だし」

「なあ昴――これだけは覚えといてくれ。『人は変われる』昨日ダメだったからって、今日もそうだとは限らないんだよ。諦めたらできるもんもそうでなくなっちまうんだ。お前の一番もったいないのは、そこなんだよ」

「――ありがとう保さん。覚えとくよ」

 気持ちの(こも)った保の言葉に、昴は痛く感銘を受けたのであった。

その後、10分ほどお喋りた後、他のメンバーと合流し、保から「お土産忘れるなよ」などと冗談めかして言われながら、他にも来ていた十数名と共に、暖かく見送られた。飛行機に乗り、インドネシアのスカルノ・ハッタ国際空港に着くと、ホテルに移動してチェックインした。昴は同室の金と硯と部屋に入る。

「金さんって凄く綺麗に服たたむんですね」

「ん、そうだな。昔からのクセで、こうしないと気が済まないんだ」

「几帳面なんですね」

「いや、この方が楽だからだね。この方が場所よく分かるんだ」

勿論コレは謙遜であり、金にはキッチリと整理整頓するだけの知性が備わっていた。そんな話をしながら一晩明かし、それから更に調整のため1日練習日を挟み、いよいよ開会式を迎えた。会場となる『ケオン・マス(金のカタツムリ)スタジアム』は金の外装で、その荘厳華麗な佇まいは、見るものを圧倒するだけの迫力があった。

厳かに開会式を終えると、幸運にも開幕一戦目は日本代表の試合である。

『パーパパパーパー、パーパパパパー』

聞きなれた曲が流れて日本代表は勢いよくピッチに(おど)り出た。この曲は『フィファ・アンセム』というタイトルでドイツ人の作曲家フランツ・ランベルトによって作曲され、94年のWCアメリカ大会で初めて使用された曲である。

子供の手を引きながら入場し、横に並んで開始の時を待った。この『エスコート・

キッズ』はフェアプレー・チルドレンとも呼ばれ、今や当たり前となった彼らの存在は、恥ずべき行為を見せない、児童虐待防止の観点からも重要な存在である。

初戦の相手はオーストラリアであり、黄色のユニフォームは力強いイメージと合致して威圧感があった。一方日本代表はイタリアのアズーリ思わせる青のユニフォームで、見るものを(とりこ)にするだけの魅力があった。今回は、決勝トーナメントに向けてと言うことでベストメンバーではなく試合に当たって人数が多く、互いに慣れているからと、様子見とばかりに静岡代表と名古屋代表の東海組で編成を組むこととなった。

焼津スコアラーズの焔、名古屋アレンジャーズの綴、綻、浜松テクニシャンズの港、磐田ブロッカーズの硯を据えるという布陣でレギュラーメンバーは様子見ということで温存となった。するとここで、同じ静岡の選手ということもあり、キャプテンの林が昴の緊張を和らげようと話し掛けてくれた。

「国際試合ともなると、俺たちにもファンがついてくれたりするから嬉しいよな」

「そうですね。これだけの人数が居ると、なんだかプレッシャー感じちゃいます」

「気にしなくても大丈夫さ。普段通りに、延び延びやったらいいんだよ」

「はい。そうさせてもらいます!」

 昴は多少内弁慶なところがあるため、慣れない場面では借りて来た猫のように大人しいのであった。果たして日本代表は、どのような活躍を見せてくれるのか?期待と不安に胸膨が膨らむ中、サポーターたちはメガホンを握りしめていた。

2002年10月22日、ジャパン・ハプロリーニス、いざ始動!!



 試合は日本代表ボールでのキックオフとなり、港が鷹揚(おうよう)にボールをキープすると、

前線の焔へとパスを通した。普段共にプレーしているかと思えるほどの見事な連携で、焔が瞬時に見せたペダラータに、フィクソのロナルド・マクドナルドが戸惑っている

間に強烈なシュートが放たれた。これは惜しくもポストの横を通過したが、ゴレイロのポール・ダイポールは、危機感を感じたのか鋭く声を荒げた。

 そしてオーストラリア代表は、『ケブラ』と呼ばれる特殊な戦術を取ってきており、これは折れるという意味で、パスを貰い易いように一度別の方向に動いてから、マークマンを外すプレーのことである。彼らはこれを得意とし、十八番として多用していた。

日本代表は、この戦術に肝を冷やしたが、名古屋アレンジャーズ綴、綻の糸偏コンビのブロック&コンティニューによってチャンスを演出し、前線の焔まで繋いで行くと、再びペダラータからのシュートでの得点によって1対0とすることができた。

対して、オーストラリアボールとなり、ゴールキックから前線へと綺麗にパスが回り、アラのリッキー・トリッキーが巧みにディフェンスの間を縫って攻める。繰り出されたこの『カットイン』は、元オランダ代表で10年のWCスペイン大会で活躍を見せた、フライング・ダッチマンの愛称があるアリエン・ロッベンも得意としていた技だ。

 そのまま加速したリッキー・トリッキーは、難しい角度からだが、ループシュートを決め切り、自らの幸運を喜んで目の前で十字を切り、神への感謝を示した。

 これに対し、日本代表のマネージャーがそれぞれ感想を述べる。今大会で招集されたマネージャーは、髪色がグラデーションでアルフレッド新潟の東洋 瑠偉(るい)、ハイライトで立川アルバトロスの大橋 璃華(りか)、バレイヤージュの山端 瑞希にモノトーンでズンダブロッカ仙台の河合 瑚奈(こな)を加えた4名で、遠巻きにもわりと分かりやすかった。

「それにしても見事な個人技ね。動きが徹底していて、惚れ惚れするわ」

「それ思いました!あの感じだと、すっごい足に負担掛かりそう」

「なんかめっちゃキレがありますもんね、カックカク」

「あ、チョウチョ!!」

そして、性格的にも、解説好きの瑠偉、イエスウーマンの璃華、しっかり者の瑞希、天然の瑚奈で、何気に調和が取れているのであった。

オーストラリア代表は『ドリブルアット』と呼ばれる、味方に向かって近づく戦術で戦況を打開しようと試みるも、港が繰り出したクライフターンに惑わされた、ピヴォのアレク・アレックスが引き離された隙を突かれて、手痛い追加点を奪われた。

 ここで、2対1と状況的に少し余裕が出て来たため、猿渡監督は好調の焔に代えて、昴を出場させることにした。交代で出た昴は、颯爽とピッチを駆け巡ると、早速必殺のふらふらフェイントを見せつけシュートを放って見せた。マークマンとして着いていたロナルド・マクドナルドは、そのあまりの速さに対応することができなかった。

それから勢いに乗った昴は、後半18分に2点目の得点を上げた。

「オー ヒー イズ スシボンバー!!」

 アラのオットー・パトリオットは、感嘆のあまり大きな声を上げた。

 それから、リッキー・トリッキーのゴールから、控えのオルス・オスマンを含めてのロボットダンス、アイーン、両手のグーを体の前で回す、一時停止、左右対称でダンスというパフォーマンスには押され気味であったものの、そのまま時間は流れて行って、日本代表は大事な初戦で見事勝ち星を上げることができた。

試合が終わると、昴は先程の疑問を解消しようと金に聞いてみる。

「金さん、スシボンバーって何ですか?」

「ああ、日本人が大量得点すると、そう言われるんだよ。ドイツ人選手が爆撃機、デア・ボンバーって呼ばれるから、そこから来てる言葉だな。ミュラーなんかがそうだよ」

ゲルト・ミュラーは元西ドイツの選手で、どんな体勢からでもゴールネットを揺らせるというスタープレーヤーであった。

日本代表は続く24日、キルギス代表との試合で『ピサーダ』と呼ばれるヒールパスに千辛万苦しながらも攻めの一手で打開して2対0で勝利し、迎えた25日の中国戦で『デスカルガ』と呼ばれるサイドへ開く戦術に悪戦苦闘しながらも堅実に守備を固め、5対2でまたしても白星を上げることができた。昴は試合後、林と感想を述べあう。

「中国ってわりと強いイメージがありましたけど、そうでもなかったですね」

「ああ、なんでも中国は、大エースが居なかったみたいだぞ。王なんとかってヤツ」

「あ、そう言えばなんだか統率する選手が居なくて、連携が取れてませんでしたね」

「そうそう。その大エースがパーフェクトなんだってさ」

“完璧ってどんななんだろ?”昴は気にはなったが、今は確かめる術はなかった。

それから日本代表は26日パキスタンとの試合で、あわや引き分けかと思われたが、ズンダブロッカ仙台、馳川のパワープレーでの得点により、予選リーグをトップで通過することができた。



10月27日は、疲れが溜まっているということを考慮して、林の提案で一日オフということになった。昴と瑞希は、朝8時すぎに目を覚まして一緒に朝食を取っていた。眠い目を(こす)っていた昴に、瑞希が何か思いついたように話し掛ける。

「ねえバンドン行こうよ。せっかくインドネシアに来たんだし観光しに行きたい!」

「観光か~ちょっと疲れそうだよな」

「ねえ、ちょっとくらいいいじゃん。31日にはもう帰っちゃうんだし」

「う~ん。それもそうだね、そうしよっか」

「やったー。やっぱ分かってんじゃん、昴くん!」

「まあね。ただし夕方までだよ。試合に影響が出ない程度にね」

 10月は日本では秋ごろだが、インドネシアは南半球にあって夏であるため、半袖半ズボンの服に着替えた。準備が整うとさっそくホテルを出て、昴がタクシーを拾おうとすると瑞希が少し慌てて声を掛けた。

「あっ、そっちじゃなくてこっちにしよう」

「えっ!?うん、いいよ。こっちの方が好きなの?」

「ブルーバードタクシーって言って、他のより安全なんだって。ローカルタクシーだとドアを開かないようにされて脅されたり、かなり高くついたりするみたいだから」

「そっかー。ちゃんと調べてくれてんだね。それなら断然こっちの方がいいな」

本物の『ブルーバードタクシー』はまがい物のローカルタクシーとは違って青い鳥のロゴとIVやVVのナンバーがあるのが特徴だ。近年であれば、マイ・ブルーバード・タクシーのアプリを使って呼ぶことができたりもする。

「トロン・ク・スタシウン(駅までお願いします)」

「サヤ・メン・ゲーティ(かしこまりました)」

「おおっ!凄いじゃん、インドネシア語」

「でしょ?この日のために、ちょっとだけ覚えといたの」

タクシーが走り出して、目的地であるガンビル駅まで15分ほどで到着した。金額を見て昴がお金を支払った後、瑞希が何か思い出したように言葉を発した。

「ミンタ ストラクニャ(レシートください)」

「サヤ スダ メンガクイ(承知しました)」

「すっげえ。きっちりしてんな」

「うん、一応ね」

料金の誤魔化(ごまか)しを防ぐことや、書いてある番号に電話を掛けたら、落とし物が帰って来るかもしれないことを考えると、レシートは必ず貰っておいた方がいいと言える。

そして二人は、ジャカルタにあるガルビン駅から、バンドン駅まで電車で移動することにした。バスでも約3時間と同じ所要時間だが、延滞によって6時間ほど掛かる場合もあるため、正確を期すためにも電車を利用する方が良い。

「ちょっと高いけど、エグゼクティブシートにしよう」

「別にいいけど、お金掛け過ぎじゃない?」

「こっちじゃないとシートが固いから体が痛くなるんだって。240円の違いだし」

「そっかー。それなら、そっちの方が助かるな」

 それから約3時間、楽しくおしゃべりしながら電車に揺られて旅をしてバンドン駅に到着した。バンドンはインドネシア第3の都市であり、ジャカルタからは電車で9時間かかる第2の都市スラバヤより近いため、ついでに観光することが可能だ。

到着すると12時を回っていてお腹が空いてきたため、その辺の屋台に入ってご飯を食べることにした。メニューを開いてアレコレ悩んでいく。

「サピバリ。バリ島牛か――」

「せっかく来たしコレにしようよ!」

「う~ん、そうだね。なんか美味そうだし」

「あとはナシゴレン(米炒め)とガドガド(温野菜の詰め合わせ)も」

「おっ、いいね。じゃあサテ・アヤム(串焼き鳥)も」

 インドネシアは皿に盛ってバイキング形式でご飯を食べることが多く、これは彼らが家族を何より大切にすることを象徴するスタンスだ。2億4千万人が、恵まれた肥沃(ひよく)な大地をベースに暮らしているため、東南アジアらしい平和で穏やかな空気感がある。

「あとビールも」

「ああ、俺はいいよ。明日試合だし」

「ええ~、いいじゃんちょっとくらい」

「よくないよ。大事な試合なんだし、いい加減な調子では出られないよ」

「そっか~。ごめん、そうだよね。私もやめとこっと」

「悪いな。ってか、これだけ頼んで二人で1200円って結構安いね」

「うん。物価が日本の3分の1くらいだもんね」

 この時の物価は125ルピアが1円で、算式としては千円単位で8を掛ければよく、

15万ルピアなら150千ルピア×8で1200円となる。地ビールは25千ルピアで約200円、輸入ビールは35千ルピアで約280円ほどで飲むことができる。

現地でよく飲まれている、バリハイビールは、フルーティな味わいであり、ビンタンビールは、コクがあるのだがプリン体が多く太りやすい。店員を呼んで料理を注文し、ゆっくりと30分ほどで食べた終えた後で、昴が会計を済ませて店を出た。

それから、瑞希の提案でちょうど隣にあった売店で、お土産を買うことにした。

「ワインとかいいんじゃない?日持ちするから持って帰るのに丁度良さそうだし」

「いいかもね。そうしよう」

「う~ん、どっちがいいかな~。ハッテンワインとプラガワイン」

「インドネシアと言えばハッテンワインだよね、こっちがいいんじゃない?」

「そうだね、そうしよっか」

「あ~あ~、どうせなら飲んで帰りたかったな」

「試合前だもんね。こういう時、スポーツ選手は辛いよね」

お酒はわりと高価であり、グラス1杯3万ルピア、屋台の料理が約240円であるのと同額であったりする。ワインについては粗悪なものが出回っていることがあったり、アラックと呼ばれる現地の酒はメタノールが入っていることがある。

失明してしまったり、最悪の場合死に至ることもあるので、信頼のおける店舗でしか飲むべきではないと言える。昴はワインをレジに持って行って代金を払おうとするが、さっき出してもらったからと瑞希が払った。売店を出て町を歩いて行く。

「重いだろ?持つよ」

「いいよ、これくらい」

「いいから、貸して」

“ちょっと強引だけど嬉しいんだよな、こういうところが好きになったのかも”

「ねえ、せっかくだからアジアアフリカ会議博物館行こうよ」

「ああ、バンドン会議の?いいね、行こう!」

 ハーグ協定で独立し、連邦制を廃したインドネシアで1955年に行われた、アジアアフリカ会議、通称『バンドン会議』は、29ヶ国が参加して平和十原則が採択され、冷戦下での米ソ2ヶ国に、第三世界の結束を示す意味合いがあった。

博物館に着くと、ちょうど開館時刻の2時になった所で、タイミングよく入館でき、バンドン・グランドモスクや地質博物館を見学して回った。その後、黄昏時(たそがれどき)になって、市場を見たらそろそろ帰ろうかという話になった。

「おお、パパイヤあんじゃん!!」

「美味しそうだね。私、実は食べたことないかも」

「そう言えば俺もないな。よし、食べてみるか」

「ごめん私、お腹いっぱいかも」

「そうなの?じゃあ一人で食べとくよ」

それから昴はパパイヤを買って黙々と食べ始めた。

「これほんと美味い!けど、なんかちょっとお腹の調子が――」

果物の王様といわれるドリアンをアルコールやコーヒーなどと一緒に食べてはいけないというのはよく聞く話だが、現地のパパイヤは日本のスーパーに並んでいるものと比べてとても大きく、味に癖がなくとても美味しい。ただ、便秘の薬のかわりに食べることもあり、食べ過ぎると下痢になってしまうこともあるので注意が必要だ。

それから、15分ほどトイレを探して回ることにし、やっとのことで探し当てた。

「ああ、紙ないじゃん!!」

「大丈夫?ポケットティッシュあるよ」

「マジで!?ありがとう助かる」

この国に限らず、海外旅行に行く際には、トイレットペーパーがそもそもないことが多いため、トイレ用にポケットティッシュを持参しておくことをオススメする。インド、インドネシアでは、左手で尻を処理した後に水で洗い流すことが一般的であり、左手は不浄の手と呼ばれ、握手を求める際は、必ず右手を差し出すようにすべきだ。

「おっ、なんかやってるな」

 見ると女の子が三人で輪になっており、そのうちの一人が煙草を吹かしていた。

インドネシアの煙草には『クローブ』というものが含まれており、これはコショウ、シナモン、ナツメグと共に四大香辛料と呼ばれるものである。その効果で火をつけると周囲に甘い香りが漂い、口の中がとても甘くなる。昔から喘息(ぜんそく)に効く薬として使用されており、吸うと喉が滑らかになるという。

「そうだね、あの楽器なんかもオシャレだね」

 さらに、もう一人は楽器を弾いており、これはアンクルンと呼ばれるものであった。竹製の打楽器であり、太鼓、ゴング、オーボエなどの管楽器、もしくは竹笛の加わったガムラン(合奏)が一般的で、奏者が同時に熱狂的で滑稽(こっけい)な仕草で踊ることがある。

煙草を吸っていたノフィと、アンクルンを弾いていたアグスが何やら話をしている。

「来月からラマダンね。なんだか少し憂鬱だわ。このバナナで最後ね――」

「ほんと、イフタールが今から待ち遠しいわ」

インドネシアでは約88パーセントの人がムスリムであり、『ラマダン』と呼ばれる断食を終えると、『イフタール』という朝食を食べるのである。彼女らが弾いている

楽器を珍しがって昴と瑞希が近づいていくと、最年少のフェビィが話しかけてきた。

「セラマト マラム(こんばんは)」

和やかに笑う彼女らを見て、瑞希はなんだかは微笑ましい気持ちになった。

「なんかいいよね、こういう人たちって。穏やかで優しくて」

「え~俺はなんか嫌だな」

「なんで?可愛らしいじゃん」

「東南アジアってなんかダサいし、古臭いじゃん」

「そんなことないと思う。文化が違う人をそういう風に見ちゃダメだよ」

「なんだよ、俺より知らない人の味方するってのかよ」

「そういうつもりじゃないけどさ」

「だったらどういうつもりなんだよ?」

昴は不貞腐れて、側にあったココナッツを蹴るフリをした。女の子たちはその動作をまじまじと見つめていた。瑞希が気を使って「セラマト ティンガル(さようなら)」と言ってその場を離れようとした。だが、二人が立ち去ろうとすると、突然アグスが楽器を弾くのを止めて昴たちを呼び止め、隣に居るノフィ、フェビィと話し始めた。

「ヘイ トゥング ノフィ アダ アパ イニ(ねえ、待って。ノフィ、これって)――」

「イニ スリット! ブカン イルム ヒタム(大変だわ!黒魔術じゃない)」

「アク ハルス メンバーリタフ ナタリア(ナタリア姉さんに知らせなきゃ)!!」

そう言ってフェビィは走ってどこかへ行ってしまった。

近づいてきたノフィが先ほど食べようとしていたバナナを差し出してきた。

「イツ アダラ ピサン ジマト ヤン ディセト ピサン マス。マカン

(これ、ピサン・マスっていう魔よけのバナナなの。食べて) 」

「ごめんなさい、何て言っているか分からない」

ある程度は勉強した瑞希でも、ネイティブレベルの口語は難しかった。

「マカン、マカン!」

「食べろってことかな?」

昴が恐る恐る手を伸ばすとノフィは笑顔を作りながら首を縦に振った。差し出されたバナナの皮を剥いて食べると、意外にも特に何の変哲もないものであった。昴と瑞希は、バナナに何の意味があったのか不思議に思っていたのだが、不意に脚の方に目をやると、右脚のくるぶし辺りが大きなクギの形に膨らんできているように見えた。

暫くして知らせを受けてやってきたナタリアは、昴の脚を見るとすぐに血相を変え、屋台の人に話し掛けて何かを調達し始めた。それは『ジャムウ』と呼ばれる主に根茎、木の皮、果実といった自然素材から作られるインドネシア発祥の伝統医薬品であった。

ナタリアは綺麗に日に焼けた端正な顔をしており、長い髪を振り乱して、眉間に皺を寄せながら火を起こし、フェビィがどこからか持ってきた鍋で、その材料を煮始めた。

「なんか、科学の実験みたいだな――コレ、俺のためにやってくれてんの?」

「そうなんじゃない?イルム・ヒタムって、確か黒魔術って意味だったと思うけど」

「えっ、そうなの!?なんか怖いな」

「薬なんじゃない?とりあえず待ってみようよ」

10分ほど経って、ナタリアは煮終わった鍋にバケツで汲んだ水を加えると、昴の前で拝むように手を合わせた。昴と瑞希はこれから何が行われるのか不安に感じ、固唾を飲んでその様子を眺めていた。

すると次の瞬間、ナタリアが勢いよく鍋の中身を昴にぶっかけた。

「うわっ、えっ、なに!?」

ナタリアの不意打ちにかなり驚いた昴は、思わず大きな声を上げてしまった。だが、ムッとしたものの、昴の脚を確認してホッとしている彼女らに悪意がなさそうなので、文句を言うに言えない状況であった。

「ティダク アパアパ クリシス スダ ベラクヒ(もう大丈夫よ、危機は脱したから)」

そう言うとナタリアは笑顔で昴の手を握った。

「ごめんなさいね。お()びに明日の雨を晴れに変えておくから――」

インドネシア語で言われているため、二人には当然なんのことだか分らなかったが、悪意を持って罵られているわけではないことは明らかであった。瑞希が片言でテリマ カシイ(ありがとう)と言った後、昴が作り笑顔で手を振って岐路についた。

「さっきのってインチキだったんじゃねえの?魔術なんて非科学的だろ」

「そんなことないと思う。人を疑うのは良くないことだよ」

「けど証拠なんかないだろ。とんだ災難だよ」

「善意でやってくれてる人たちに対して失礼だよ」

「そうかもしんないけどさ。何を根拠にそう言うんだよ」

「だってお金取らなかったじゃん。それは偉いことだよ」

「けど、なんか寒いし、風邪ひいたらどうしてくれんだよ。ったく」

「どうして善意に感謝できないの?」

「ありがた迷惑なんだよ、頼んでもないのに。瑞希が言えばいいだろ」

「なんで人の気持ちを考えようとしないの?分かり合おうとしないの?」

「俺は常に人のことを思って生きてるよ。相手のこと分かってるよ」

「さっき私はワインを遠慮したのに、自分だけパパイヤ食べたりしたじゃん」

「!?。なんだよソレ?それならその時に言えよ!!」

「だって言える雰囲気じゃなかったから――」

「俺が間違ってるっての?自分で勝手にそうしたんじゃん!!」

「そんなこと、言わなくたって普通は分かるよね!?ああ、もう腹立つ~」

「誰だって言われなきゃ分かんないだろ?独りよがりなんだよ、瑞希は」

「それじゃ、やっぱり人の気持ちわかってないじゃん!!」

「――」

 瑞希の正論に一言も返すことができないでいた。それからバスに乗り、電車に乗り、タクシーに乗り、ホテルまで遂に無言で帰ってきてしまった。

「ごめん、俺たちもう――」

「やめてよ!!」

「瑞希――」

「なんで?どうして、いつもそうやって、勝手に決めるの?私の気持ちはどうなるの?変わってくれるの信じてるのに、待ってるのに、なんでなの!!」

「――」

「なんとか言ってよ!!私が悪いの?ねえ!?ねえ!!」

「もう嫌だ――」

「私だってそうだよ!!」

「俺たちなんでいつもこうなんだよ。お互い好きだと思ってるのに――」

「本当に?ホントに私のことが好き?」

「そうだよ。なんで分かってくれないんだよ」

恋人や夫婦などは、互いに向かい合うのではなく『同じ方向を向いて歩んで行く』ということが大切なのだが、若い二人にはどうしてもそのことが理解できなかった。目標を持って挑んだり、共通の問題を解決したりすることが、その仲を保つためには大切なことなのである。

ロビーに戻って皆と合流してからも、終始気まずい雰囲気が(ただよ)ってしまっていた。

10月28日、日本代表はウズベキスタン代表との準々決勝の日を迎え、昨日の雨空とは打って変わって清々しい天気であり、嘘のような快晴であった。

スタメンは焔、金、林、港、硯と静岡代表で固めており東海ベスト5と言っても過言ではない編成であった。見るとウズベキスタン代表が、それぞれ1メートル程その場でジャンプしながらアップしていた。それを見ていた焔が、港に話し掛ける。

「どうでもいいけど、あっちのチームズボンの(たけ)短くね?」

「あんなもんだろ」

「あんな高くジャンプしたら、なんかはみ出て来そうじゃね?」

「大丈夫だろ」

「それになんかオッサン多くね?」

「人は歳を取るものだろ」

「若いマネージャーに先越されて水飲まれちゃってね?」

「レディーファーストなんだろ」

「っていうか、全体的に雰囲気暗くね?」

「それは俺もだろ」

 息が合っているのかいないのか。一抹の不安を抱ながらの試合開始となった。3分後、日本代表側のスタンドで、マナーの良いファンを中心に熱心な応援が繰り広げている中ウズベキスタンボールでのキックオフとなり、キレのあるパス回しから、特徴的な陣形を組んできた。

ウズベキスタン代表の、この『クワトロ』は、フィールドプレーヤーが横一線に並ぶシステムで、ゼロトップシステムはスペースの使い方が難しいため珍しい。ほかに使用しているチームはなかったが、彼らはこの攻めに相当な自信があるようであった。

そして、フェイントから抜け出した一人の選手をベンチから見ていた昴は、その動きに思わず目が釘づけになった。

“うわっ、ナイトメアじゃん。珍しい”

バティルのこの『ナイトメア』はボールに逆サイドの回転を掛け自らはディフェンスの反対側を通り、三日月のように(かわ)す技であった。結構な難易度であり、成功させるには実力差が必要であったりと、相当に高度な技である。

バティルはこの高等技術を難なく熟しており、繰り出された浮きあがるシュートは、(はた)から見ている以上に軌道が読みにくく、あの硯が弾いて対応する程のものであった。

結果コーナーキックになり、アラのナルクルが正確に蹴るセンタリングに合わせて、ヘディングで押し込もうとするが失敗。続いて、『サリーダ・デ・バロン』と呼ばれる、ボールの出口を作ってピヴォをドフリーにする戦術を用いて決定機を逃さなかった。

得点したバティルは人差し指と親指でL字を作り、機関銃のパフォーマンスを見せる。

そこから何度か危ういシーンがあったものの、失点については問題なさそうであった。それよりも気になったのは、それほど危険でもないようなプレーでも、前半開始わずか8分でPKが5回も出ていることであり、これはかなり異様なことであった。それは、恐らくある一人の審判の所以であり、この人物が矢鱈(やたら)と笛を吹きまくっていた。

だが、両チームとも堅守のゴレイロを中心としたディフェンスで互いにゴールを割る気配がない。ここでいよいよ、満を持してといった感じで、キャプテン林がフェイクを掛けてウズベキスタンゴールを(おびや)かそうとする。

「おっしゃ、行くぜウズベキスタン!」

林のこの『ダブルタッチ』は、両足で素早くボールを弾いて左右に振り、どちらかに抜き去るというもので、利き足に関わらず左右どちらにも抜けるため予測し難く、守り難いという技だ。林はアラのバティルを瞬時に抜き去り、シュートを放つ。

だが、これはゴレイロのウルマスが弾いて、跳ね返って来たボールをキープしている際に、後ろにいたナルクルに、ボールを取られてしまった。普段ならそんなミスを犯すことはなかったのだが、どうやら味方から出ている声が聞こえなかったようだ。

ウズベキスタンの観客はマナーは良いが、応援グッズとして鳴らしていたカルナイのチャルメラのような音が(うるさ)く、日本代表はこの音で味方の声が聞こえず何度かボールを奪われてしまっていた。そして、前半14分、ナルクルの飛び出しに反応した焔が、少しやり過ぎかと思われる程のスライディングをお見舞いしてしまった。

これに対し、審判の目が光る。即座に歩み寄ると、高らかにレッドカードを(かか)げた。

「な、なにィ!?レッドカードだと!!」

焔は予想外の一発退場に、動揺を禁じえなかった。実はこの審判は、レッドカード・アナコンダと呼ばれ、大げさな裁定や誤審が目立つ人物であり、選手たちから蛇蠍(へびさそり)のように疎まれ畏怖されているのであった。これには猿渡監督も納得が行かず抗議するが、審判団の裁定が覆ることはなかった。

ナルクルは顔にできた大きめの(あざ)(さす)りながら、自らの幸運にほくそ笑んでいた。

ここで日本代表のタイムアウト、キャプテン林が皆に語り掛けて鼓舞(こぶ)する。

「沈むなよ!まだ前半、これからって時だろ?」

「今までだってトラブルなんていくらでもあったさ。俺たちなら乗り越えられる!」

「6月の選抜を思い出せよ!俺ら東海エイパースの底力を見せてやろうぜ!!」

 こういった場面での林の言葉には、場を(まと)めてしまうような不思議な力があった。

彼の人望と求心力には監督の猿渡も大きな信頼を寄せており、林はこのメンバーだと実力的にレギュラーではないのだが、その熱意に満ちた『キャプテンシー』を買われ、主将としてチームを(ひき)いているのであった。

そして試合が再開され、ピヴォの位置に金、アラとして袴田が出場することとなった。不満が募りそうな展開ではあるが、日本代表の観客席では熱狂的なファンが、基本的に過激な行いはせず、マナーを守って観戦できていた。

よくサッカーはラグビーに比べファンのマナーが悪いなどと言われるが、品行方正なファンも居るんだということを知ってほしいと思う。それから前半終了までの8分間、試合は荒れることなく進行して行き、ハーフタイムに移行した。

これまでの試合を振り返り、ピヴォのブリは少々悲観的に試合を(とら)えていた。

「ああ、このままでは俺は役立たずのオンボロだ。国へ帰って卵をぶつけられても仕方がないくらいだ。誇り高きオオカミの意思を守り通さねば」

「大丈夫よ、ブリ。きっと神のご加護があるはずだわ」

「そう言ってくれると助かるよ。君はいつだって優しいんだね」

「当然よ。私はあなたのフィアンセですもの。さあブリ、チームに勝ちを(もたら)して!」

そう言うとマネージャーのニサは、温和に微笑んだ。この二人は小さい頃から許婚(いいなずけ)として育てられており、7歳年は離れていたが兄妹よりも深い仲であった。



 後半に入ってからも、ウズベキスタン代表の選手たちはチーム全体の纏まりがよく、それぞれ個性を活かしたプレーができていた。そして彼らはここで速い展開でのクロスを使ってきた。この『ジャゴナウ』は斜線の意であり、ピヴォが作成したスペースに、フィクソが走り込むプレーである。ここで瑠偉、璃華、瑞希、瑚奈が感想を述べる。

「それにしても凄い『アジリティ』ね。常にこちらが後手に回っているわ」

「そうですよね。この俊敏性は相当に窮屈なものだと思います」

「土壇場って感じですよね。この攻撃、わりと怖いですもん」

「あっ、カナブン!!」

ここでフィクソのサリベクが、黄色の髪を振り乱してシュートを撃ち込み、惜しくも外れたが、このチームは良いシューターばかりで、まるで全員が点取り屋のようだった。

弾かれたボールを続けざまにブリがシュートに変え、クロスバーへと当たり、それから地面へと叩きつけられた。これはゴールラインを割っており、あわや勝ち越しゴールかと思われるものであったが、硯が素早く蹴り出してチーラしたボールがサイドラインから出ると審判たちは何事もなかったように試合を続行した。

 これにウズベキスタン代表が怒り、ベンチの選手たちも一緒になって審判たちに詰め寄った。すると、暫くモメていたのだが、興奮してにじり寄ったナルクルにアナコンダが手をクロスして体当たりしてしまった。これにアナコンダは苦い気持ちで顔を(しか)め、(おもむろ)にポケットに手を突っ込んで、自らレッドカードを出して退場した。

「お前が退場するんかーい」

藪が小声で言った独り言に、瑞希は思わず笑いが止まらなくなってしまった。

協議の結果、このゴールはノーゴール扱いとなり、それから、13分間、互いに狙い続けてはいたが、双方ゴールを割ることはできず、2対2の同点のまま後半が終了し、互いに苦しい中での延長戦となった。

フットサルでは延長戦は(わず)か5分間とサッカーに比べて短く、前後半合わせて10分しかないという1ゴールの価値がとても高いものとなっている。そして、休憩を挟んで迎えた延長前半、これまで奮闘していたものの、何かの不調を感じてはいたサリベクは頭痛を訴えてピッチを退き、交代でポニョのアルティカリが出場した。

 延長後半に入って時間は残り5分となり、日本代表としては、なんとかここで決着を付けたいところであったが、粘りを見せるウズベキスタン代表に苦心惨憺(さんたん)していた。

そしてここで、優位に立ったウズベキスタン代表は、露骨に時間稼ぎを行って来た。

これは『セラ』と呼ばれるもので、自分たちに有利に働かせるために行う牛歩戦術であった。そしてここでも試合は動かず、結局はPKへと縺れ込んだ。審判がコイントスを行い、日本代表からのキックとなった。会場全体が固唾を飲んで見守る。ニサも花のように美しい二人のマネージャー、グル、アイムと共に肩を組んで応援していた。

 キッカーは港。丁寧にボールを置き、タイミングをずらし引っ張るようにしてゴール左横の良い位置に蹴り込んだが、これは惜しくもパウ(ゴールポスト)に当たってしまう。

あと(わず)かで得点と言うところではあったが、ウルマスのプレッシャーは強大なものであった。続くバティルの強烈なシュートがあわや得点かと思われたが、硯はゴール右隅の難しい位置でのシュートを左手を、使い片手で弾くという形で止め切ってみせた。

「うほおおおお」

吠えている硯に対し、チームメイトたちはその働きに見合った激しいリアクションを見せる。次のキッカーへと移り、藪、ブリ、林、ナルクル、袴田、サリベクの順にPKを行うが、シュートは全てゴレイロに阻まれてしまった。

そしていよいよ最終キッカーとなる。キッカーは金であり、彼はPKに絶対の自信を持っていた。そして大きく深呼吸すると、意外にも何の小細工もなしにシュートした。シュートは、そのままウズベキスタンゴールへと突き刺さり、日本の選手たちは歓喜に打ち震えた。値千金の一撃に、ウズベキスタンサイドは意気消沈の様子であった。

5人目に向かって上手くなっていた日本代表に対して、上手い選手から蹴って行ったウズベキスタン代表は、ポニョのアルティカリが緊張した面持ちでシュートを放つも、これが浮き球となってしまいクロスバーの上を通過した。PKまでも延長戦に(もつ)れ込むかと思われたが、これは日本代表に運があったということだろう。昴は出番がなかったことに悔しさを感じつつも、チームの勝利を素直に喜ぶことができていた。

本日10月29日はAFC準決勝の当日である。この試合では決勝戦に向けて戦力を使用することになり、出場機会の少なかった藪、笑原、昴、躾、とサブゴレイロの馳川が出場することとなった。試合前に昴と笑原、藪が話をしている。

「韓国ってどんなチームなんですか」

「韓国か――上手そうな選手ばっかなんよな。体デカいし、体力あるし」

「フィジカル強そうですよね。藪さんはどう思いますか?」

「ラフプレーが多いイメージやな。気性が荒いチームやわ」

「ラフプレーかー。苦手なんすよね、俺。そういうの」

「悪勝善敗のこの世の中で勝つのは常に悪い人間や。フェアプレーとかカッタルイこと言うとるような甘ちゃんは、この大会には要らんねや」

「おっ、言うねえ。藪ちん」

「せやろ。所詮世の中やったもん勝ちや。けどな俺は仲間に手え出すヤツは、何人たりとも許さへん。来る者拒まず去る者殺すや。笑原――気を付けろよ」

5分経って試合開始。ゴレイロを任せれた馳川は試合外ではさほど喋る印象はなかったのだが、試合中はしっかりとコーチングし卒なくディフェンスを統率できていた。

韓国代表の攻撃を防ぎ切った馳川は、前線へとパスを送り、それを受けた藪はストライカーとしての血が騒いだのだろう、その思いに応えるよう鷹揚にフェイントを掛け、アラの(かん) 砕人(さいじん)を置き去りにし、すぐさまシュートまで持って行った。

藪のこの『ベルカンプターン』は、つま先で引いたボールを、逆足のつま先でバックスピンを掛けながら持ち上げ体を逆方向に回転させるという技で、ディフェンスの虚を突くことができる、センタリングを上げる際にも使われる技であり、元オランダ代表でアイスマンの愛称でも知られるデニス・ベルカンプも得意としていた技である。

 鮮烈な先制点で1対0とした日本代表に対して、韓国代表は跳ねるようにステップを踏みながら均等にきっちりした陣形で攻守を確立していた。2、2で正方形を作るこの『ボックス』と呼ばれるスタイルは、堅実で盤石な韓国の固い結束を象徴していた。

ここで(こがね)が、フィクソの(さい) 凶説(きょうせつ)から言われた一言に一瞬怒りを覚えるが、重ねて言われた言葉に憤慨する事なく冷静に自らを律していた。そして今回の審判はしっかりと崔のこの『カチンバ』を見抜いていた。

これは、相手を怒らせるために審判の見ていない所で挑発行為を働くことで、悪辣な行為とされている。イエローカードを出された崔は不満の様相であったが、退場処分を喰らっては事だと、それ以上の抗議は行わなかった。ここで流れを変えたかったのか、韓国代表のタイムアウトが入る。

この日の両チーム観客席は荒れに荒れており、マナーを守れないサポーターが発煙筒を焚いたり、怒号を響かせたり、時には他のファンといざこざを起こしてしまったりと、迷惑行為を働いてしまっていた。勝ち負けに真剣でありエキサイトするのは分かるが、節度を守って観戦することがファンの務めであると言える。

「なんやガラ悪いな」藪は笑原の方に向き直って、そう言った。

「お前が言うなや。今どき社会人で金髪てイカツ過ぎやろ」

「お前かて茶髪やんけ!それに金さんかて金髪や。それはどうなんや」

「俺のは地毛(じげ)だ」これを聞いた金がベンチから身を乗り出して意見する。

「そうなんすか?やっぱ金さんパねえっす」笑原はこれに得意の太鼓持ちで応じた。

 前半9分、試合が再開され一人の選手にボールが渡ると、会場が大きくどよめいた。

 アラの(かん) 砕人(さいじん)はチュルチュルの愛称で親しまれており、これは楽しむの韓国語であるチュルギダから来ていて、陽気で愛想のよい選手だからであった。スピード感のあるボール(さば)きからのフェイントでリズミカルに藪を躱し、先程のお返しとばかりに放ったシュートが日本ゴールに突き刺さった。

この『オコチャダンス』は斜めに転がしたボールを逆足で跨いで弾くというもので、即座に速い展開に持って行ける技である。喜んだチュルチュルと(ちょう) 特急(とっきゅう)は両掌を上に向けてゆりかごのように揺らし、ゴールパフォーマンスを楽しんだ。

そして、膠着状態が続く中、ホイッスルが鳴らされ、試合は1対1で折り返された。ハーフタイムに入ると、チュルチュルとポニョの(いん) 門破(どあは)が何やら激しく()めている。

「尹、交代についてなんだが――」

「いや、俺はいい」

「お前の力が必要なんだ。今日だけなんとか――」

「俺は死んでも、試合には出ない!!」

「なんなんだよ、その変な信念は!しょうがないな――」

「俺の心は大雨なんだ」

そう言って尹は(うら)めしそうに右脚をさすっていた。



 後半が開始され依然日本代表ペースで試合が運ばれて行った。だが、韓国代表も当然負けてはいられない。ポジショニングを上手く調節して、巧妙にチャンスを伺う。韓国代表のこの『シン・バロン』は、オフ・ザ・ボールの際に敵を引き付ける戦術であり、正確無比、規則正しいフォーメーションが売りの彼らに合った戦術であった。

試合は後半6分、アラの(ちょう) 特急のシュートが馳川の手に当たり、あわや骨折かと思われるほどの危険なシュートだったが、馳川は顔を顰めながらも文句一つ言わず、黙々と前線へパスを送った。このファインセーブを見て確信を得た猿渡監督は、決勝のスタメンを硯から馳川にしようと決心したようだ。

ここでも瑠偉、璃華、瑞希、瑚奈が感想を述べ合う。

「それにしても凄い『スタビリティ』ね。これを崩すのは相当に骨が折れるわ」

「そうですね。この安定性はこちらとしては相当に厄介な感じがします」

「なんだか悲しいくらいに洗練されてます。まるで軍隊みたい」

「あっ、テントウムシ!!」

 後半4分、試合に動きが見られない中、ここまで大人しかった躾が、何か狙っているように見えた。それに感づいた藪が急いで声を荒げる。

「やめろ、躾!!」

藪の静止も虚しく、躾のスライディングを受けたチュルチュルが、右脚を抱えて倒れ込んでしまった。怒りに震えた藪は躾の胸倉を掴み、吐き捨てるように言い放つ。

「どんな理由があろうと、やってええことと悪いことってあるやろ。最低やお前は」

「試合に勝つためには、手段を選んではいられないだろ。これもまた戦略なんだ」

「あーあーやってくれよったな。国際問題やぞ」笑原が怠そうに怒りを込めて言う。

「俺はどうなってもいい。これが俺なりのチームへの貢献なんだ」

「相手の選手や、チームの評価は二の次なんか?ご立派なこってすな」

 そう言うと藪は拘束を解き、その場を離れた。この間、審判を交えつつ揉みくちゃになりピッチは荒れまくっていたのだが、5分経ち漸く試合ができる状態になると躾には当然レッドカードが出され、韓国ボールでの試合再開となった。ここでチュルチュルは必死に試合に出ようとしたが、痛みに耐えかねてその場に倒れ込んでしまった。

仲間が抱えて起こすが、もう試合に出られるような状態ではない。

「放してくれ、瞬栄(しゅんえい)との約束があるんだ」チュルチュルは悔しさに涙していた。

 そして退場となった躾の代わりに、やってみたいからとフィクソとして金が出た日本代表は後半6分、韓国代表のゴレイロ(てい) 九尾(きゅうび)を警戒しつつ藪が放ったコーナーキックに昴が合わせて、1点追加して2対1とした。これに韓国代表は負けじと奮起する。

韓国代表は崔 凶説と趙 特急、朴 輪具のクロスでディフェンスを惑わせ良い形でオフェンスまで持って行くことができた。これは『パラレラ』と呼ばれる攻めであり、フィクソが斜め前に走り込んで、アラがボールを出してピヴォに繋いでシュートするという高度なプレーである。そしてここでピヴォの(ぱく) 輪具(りんぐ)の放ったシュートが日本代表ゴールへと吸い込まれ、これでも、韓国代表はしぶとく喰らいついて来る。

「やるな、韓国!やっぱ根性あるぜ」

 手痛い失点の場面だが、強敵相手に交代で入った金はなぜだか嬉しそうであった。

「おっしゃ、いっちょやったるか!」

 そう言うと笑原はボールを綺麗にトラップして、フェイクを掛けてアラの趙 特急を華麗に抜き去り、強烈なシュートを放って韓国ゴールを割ることに成功した。

笑原のこの『スプリングターン』はインサイドで転がしたボールを、アウトサイドに弾くことによって逆側に回転して抜くという技で、緩急をつけてコンパクトに動ける為使い勝手が良い。日本代表はこの得点で3対2として再度勝ち越すことができ、焦った韓国代表が2回目のタイムアウトを取ると、上機嫌の笑原が嵐山に話し掛けた。

「あらっしー出んでええんか?なまってまうやろ」

「やめとくわ、もう時間ないし。俺は怪我しとうない」

「試合出てる俺にソレ言う?まあ、誰かさんの所為で荒れてるもんな」

「俺は痛いのは御免やわ」

「慎重派やもんな、あらっしー」

「っていうか、そのあらっしーって言うのやめろ。なんか嫌なんや」

「ほななんて呼んだらええん?」

「それは――思いつかんな」

「じゃあやっぱあらっしーやな」

「ほなもうそれでええわ」

「ええんかい!適当やな」すかさず藪がツッコミを入れる。

この三人は育った環境こそ違えど、それぞれの個性を認め合っており、親友と呼べる仲であった。そして『あのこと』が起こる前はもう一人、梅田大学時代の同級生である雷句を加えて関西カルテットとして活躍していたのであった。そしてその後10分間、韓国代表の渾身のパワープレーも上手く(はま)らず、あえなく敗退という結果となった。

試合後、猿渡監督は何を思ったのか、ダウンをしている日本代表の選手たちの横で、コーチ陣と共にボールを蹴り始めた。その華麗な妙技の前に、全員思わず息を飲んで

見とれる程であった。今、現役復帰しても、十分通用するのではないかと思える程に。

「どうだ上手いだろ?俺はこう見えて全国ベスト4、プロで14シーズン試合に出て、187点も得点を上げてるんだぜ。それに1度、代表としてワールドカップにも出てる」

そう言うと猿渡は、先程と打って変わって少し涙ぐみながら言葉を(つむ)いだ。

「だが俺はもう歳だ。この42歳の体では若い頃みたいに思うようにプレーできない。俺はお前らが羨ましいよ。一度でいい、決勝という最高の舞台に立ってみたかった」

「「監督!?」」

「お前らは日本の全フットサラーの憧れなんだ。俺たちに、大きな夢を見せてくれよ!」

 対する林は恥を忍んで発言した猿渡の思いを汲み、それに藪、袴田が呼応する。

「みんな!明日は優勝して、この泣き虫の監督を胴上げしてやろうぜ!」

「そうや、せっかくここまで来たんや。これはもう優勝するしかないやろ!」

「俺らジャパンハプロリーニスの強さを証明する時が来たようだな」

 この猿渡のパフォーマンスで、日本代表はさらに結束を固めることができたようだ。

準決勝2試合目であるイラン代表VSタイ代表の試合を見るため、日本代表は試合後もスタジアムに残っていた。タイ代表はアップの際にガムを噛みながらリラックスして調整を行っており、大きな目と(とが)った鼻は相手を威圧するような鋭さがある。

マネージャーたちは綺麗に日に焼けて健康的で、東南アジア特有の美しさがあった。日本代表の選手たちは、敵情視察とばかりに目を光らせる。夕方19時とあり、辺りは暗くなり始めていたが、タイ代表は暗い中でもよく目が見えているようであった。

両チーム入念に熟したアップが終わり、5分経って試合開始。

試合はタイ代表ボールで始まり、アラの10番と11番の選手が、着実にボールを回していた。林、焔、港は一人の選手が気になったようだ。

「あの6番、オフボールの時の動きがいいな。ディフェンスを上手く引き付けてる」

「ボール持ってない時にでも、オフェンスはできるもんだからね」

「いい選手ってのは、どうしても目立ってしまうもんなんだよな」

高円宮杯(たかまどのみやはい)の時の港みたいだな。ああいう選手は安定していて頼りになる存在だよ」

「港は本当にサッカー小僧だったもんな。学校から家までボールを蹴って帰って、塀の外から家の庭にあるゴールに蹴り込んでたくらいだからね」

「ここに居る奴らはそれくらいのことはやってるだろ。代表になるくらいなんだ」

「焔はひたすらシュート撃ってたよね」

「そう言えばボール蹴る力強いから、すぐに空気が抜けて大変だったんだよな?」

「そうそう。パンク修理材はよく使ったな」

「新しいの買わないの?どうせ壊れるんだから、次のに行っちゃえばいいじゃん」

「まあ、物を大切にするタイプだからね。そういうのはプレーにも現れると思うし」

「ふ~ん。そんなもんなのかな」

 懐古話というのは知らない人間にとっては入りにくいもので、昴はこういう時は蚊帳の外と言った感じで少し疎外感があり、“監督ってちょっと太ってる人が多いよな “

などと考えていた。6番の選手は『ウンディル』と呼ばれる敵陣奥でボールを受けるプレーでチャンスを演出しており、その場で4回ほど足踏みした。そこから一気にボールを蹴り込んで決めに掛かったシュートは、ゴレイロの股下を通過し得点となった。

また、タイ代表は堅守のチームであるようで、ボールをすぐに押し返そうとしたり、危なくなるとラインを割るようにチーラするのであった。『フラッシュ』と呼ばれる、瞬時に詰め寄るプレーも得意で、これによってイラン代表はスペースを広く取らざるを得なくなっていた。これには袴田、綴、綻も感心したようだ。

「いいディフェンスするな。これはかなり崩しにくいぞ」

「危機察知能力が高いですよね。危ない場面を意図的に避けることができてます」

「個々の理解度の高さがチームの共通理解を高めてる感じですね。手ごわいな」

対するイラン代表は、猛攻のチームであるようで、カウンターを喰らいそうな危うい場面でも構わず攻め込んで行くことを選択するようであった。ディフェンスでも、そのアグレッシブさは発揮されており、タイ代表はその執拗なプレスを、発達した肩甲骨を盾にして押し返していた。

タイ代表はイラン代表の執拗なプレスにも耐え忍んでいたのだが、前半17分、遂にフィクソの位置から陣形が崩れて、フィクソの2番からピヴォの3番へのパスが通り、ヘディングで押し込まれてしまった。金と昴は感心している。

「相当にイケイケなチームだな。1点取られたら2点取り返せばいいみたいな」

「それになんだか生き生きしてますよね。みんな伸び伸びプレーしてるっていうか」

 タイの11番が、切り返しから出したセンタリングを、ディフェンダーが中途半端にカットしてしまい、それをピヴォの選手が押し込む形となった。しかし、イラン代表のゴレイロが辛うじて止め、それをチーラした選手とハイタッチを交わす。

そのラインを割ったものを、5番の選手がライナーのパスで通すと、ピヴォの3番がそれを強引に押し込んでしまった。タイ代表ゴレイロは落胆の色を隠しきれない。

 ここで馳川は思うところがあったのか、気になる質問を躾にぶつけてみる。

「躾さんはどっちと当たるのが嫌ですか?」

「俺か?う~ん。どっちもかな」

「なんすかソレ。男らしく決めて下さいよ」

「おう言うね~」

「当然でしょ。結果が出てから答えを決めても遅いんですよ」

 そしてこの2対1の状況のまま、ハーフタイムを挟んで後半へと移行した。



 後半に入り、タイ代表は得意としている『オーバーラップ』と呼ばれる戦術を発動し、これは基本的に守備的な陣形であり、ディフェンスが前の選手を追い越しオフェンスに加わることで、チャンスを演出するものであった。

その直後、タイ代表6番がイラン代表4番の行く手を遮り、タイ代表11番がフリーでボールを受けてシュートを放つ。これが綺麗に決まり得点は2対2となる。昴、金、硯は先程のタイ代表6番が気になったようだ。

「あの6番いい仕事してますね。準決だからって足痛めてでも出てますし」

「多分アイツがエースなんだろうな。怪我で力が発揮できないのは悔しいわな」

「本来どんな選手だか気になりますね。万全の時に対戦してみたいなーー」

「本調子の時に試合することもあるんじゃないか?世界って広いようで狭いからな」

「うほっ、いいシュート!!」

 6番の選手は、この試合までに19点もの得点を上げていたが、準々決勝の中国戦で酷使しすぎたことで足にトラブルを抱え、左ひざにサポーターを付けて出場しており、果敢に挑んではいるのだが、度々こけてしまって係員が床をモップで拭いていた。

イラン代表は、振り出しに戻ったことで危機感を覚えたタイ代表9番の焦りを読み、ファウルを誘って、PKを獲得した。これを2番の選手が蹴って、アラの5番に当て、それをさらにピヴォの9番へ当てるという高等技術で回し、見事に得点とした。

再開後、タイ代表6番は最も得意とする『ピニング』と呼ばれるポジショニングで

ディフェンスを動けなくする戦術を用いながらイラン代表を翻弄すると、今度は抜けると見せかけて逆を突いてボールを受ける『フェインタ』と呼ばれる戦術で相手を攪乱(かくらん)し、十分に引き離すと浮き(ガンショ)でのパスを受け、自らチャンスを演出する。

そして選手がダマになって、ごちゃごちゃになった時に、6番が2対1でキープしてシュートを放つが、これは惜しくもゴレイロに阻まれ、こぼれ球を走り込んだ10番が押し込んで得点となった。それを見ていた藪、笑原、嵐山はそれぞれ感想を述べる。

「あれは実質6番の得点やな。あのアグレッシブなプレー、俺は好きやな」

「アイツが10番でも良さそうなもんなのにな。明らかいっちゃん(一番)上手いやん」

「まあ、いろいろあるんちゃう?年齢とか関係性とか、その番号が好きとか」

「せやろな。あれほどの選手やもん。キャプテンやらしてくれ言うたら、やれるで」

「みんながみんな、お前みたいに言いたいこと全部言えるわけちゃうねん」

「ははは、間違いない。藪はめちゃめちゃ主張が強いからな」

イラン代表の攻撃はもはや圧倒的で、シュートを外した回でも、得点になっていてもおかしくないと思えるような綺麗な形でオフェンスを締めくくれていた。

そしてその2分後、イラン代表3番のピヴォ当てから、4番が豪快にミドルを撃って決めて追加点とし、5対2とすると、タイ代表は慌ててタイムアウトを取った。

国際試合ともなると、真剣勝負であるのは当たり前のことであって、この試合では、両チーム3回ずつ、計6回のタイムアウトを取っていた。またタイ代表のしっかりと手を後ろに組んでハンドを防止する直向きな姿勢は見習いたいものであり、この点差にも関わらず全く気持ちを切っていない、その姿勢が清々しかった。

イラン代表は、完成度の高いチームであると言え、その粗がないプレースタイルは

称賛に値するものであった。サッカー出身の選手も居るのかもしれないが、しっかりとフットサルナイズされており、自分の得意なプレーや特性などをよく理解していた。

イラン代表の5番は、スライディングで体を張ってボールをラインから押し出すと、自分が出しましたとばかりに手を上げて審判に示唆。そのプレースタイルは紳士的で、2010年ワールドカップ決勝でコーナーキックになった際に、偶発的なものだからとキーパーにボールを返したオランダ代表のプレーを彷彿(ほうふつ)とさせるものであった。

 イラン代表は、フィクソの2番から、コート全体を斜めに走る超ロングパスが通り、アラの5番がピタッとボールを足で止めてから、これで止めとばかりに、振り向き様にシュートを叩き込んだ。これには会場から歓声が沸き起こる。

結局はこれがこの試合最後のプレーとなった。準決勝とはいえ、その実力差は歴然としたものであり、如何にタレントが(そろ)っている日本代表といえども、これは一筋縄では行かないと思える程の強さであった。

 ホテルへと戻って風呂に入りミーティングを終えると、みんな今日の疲れを取るため早めに各自の部屋に戻ることになった。だが昴は、決勝戦を前にしてどうしても聞いておきたいことがあったので、宿舎のうちの一室を目指して歩いた。

ふと横を見ると、袴田と東洋 瑠偉が一緒に部屋に入って行ったり、躾と大橋 璃華が人目も(はばか)らず抱き合っていたり、馳川と河合 瑚奈がそそくさと外に出て行ったりするのが見えた。

“やっぱみんな裏ではやることやってんだな”などと思いながら部屋の前まで来ると、なんだか急に緊張して来た。だがここで躊躇していても仕方がないので意を決してドアをノックをすると、林が、硯と共に迎え入れてくれた。そして少しの雑談を交えた後、昴は日頃から気になっていたことを思い切って(たず)ねてみる。

「林さん。俺――どうしたらもっと上手くなれますか?」

「どうしたら上手く?――そうだな。室井に足りてないのは『気持ち』かな」

「気持ちーーですか?俺、まだ皆に技術面で勝ててないですよね?」

「テクニックに頼ったって上手くはなれないよ。ボールを追い続ける気持ち、ゴールを決めたいと思う気持ち、サッカーを続けたいと願う気持ちがないと、上手くなんてなれないんだ。最後には、気持ちの強い人が勝つんだよ」

 この平成の時代に精神論はもう古い。そう考える人も居るかもしれないのだが、昴は短期間ではあるが、自分を見てきた林が真剣に考えてくれた言葉を受け、これは大切なことが聞けたと感じた。

「ありがとうございます。その言葉、忘れないようにします」

「そうだね、いい心掛けだよ。室井は外部の人間にはわりと素直なんだよな」

「ははは、そうかもしれないですね。結構、内弁慶なんですよね」

「まだ若いんだし、何も気負うことなんかないよ。20代だろ?」

「そうですけどーーなんかもう歳かなって」

「俺なんかもう33歳だぜ。これでもまだ何も諦めてないんだから、若い方だよ」

「そうかーー、そうですよね!」

「そうだ!自分さえその気になれれば、何だってできるんだよ」

林のこの言葉に勇気づけられ、昴は漸く決勝へ向けて気持ちが作れたようであった。 

2002年10月30日17時、この日いよいよアジア・フットサル・チャンピオンシップの決勝が行われようとしていた。

先に行われていた3位決定戦の、韓国代表とタイ代表の試合は、4対2で韓国代表が勝利しており、スタジアムには未だその熱気が残っているようであった。普段より少々緊張ぎみの昴は、試合に向かう途中で嵐山が気になる言葉を発するのを耳にした。

「ここのファンはウルトラスやな」

「なんですか、ウルトラスって?」

「呼び方やわ。ウズベキスタン戦で居たようなマナーの良いファンを『ウルトラス』、韓国戦で居たようなマナーの悪いのを『フーリガン』って言うんや」

「へ~、ファンにもいろいろ居るんですね」

「せやな。けど、俺はどっちのファンも大切や思とる。俺らに力をくれる訳やしな」

「声援って力になりますよね。監督とかマネージャーとかのも」

「まあ、勝つには自分らのマインドも大切やけどな」

「嵐山さんは、勝つにはどんな概念が必要だと思いますか?」

「俺か?――優勝劣敗かな」

「優れた者が勝って、劣った者が敗れるってことですか?」

「そうや。それが自然の摂理やろ」

 そんなことを話していると、シューズを履き終えた笑原が話に入って来きた。

「っていうか、大丈夫かいなーあらっしー。予選から全然出てへんけど」

「大丈夫や、練習自体はちゃんと参加してるし。嘗めんなよ、海外プレーヤー」

「自信満々やな。俺ら国内組より格上ってことかいな?」

「そういう意味やないわ、金さんみたいな人も居るし。まあ期待しといてくれや」

 そう言った嵐山は、相当に金を尊敬しているようであった。金はこの大会を通じて、ピヴォとアラ、時にフィクソとして出場していた。その奮闘は役に立つ選手という意の『ユーティリティプレーヤー』と言えるものであり、常にマルチに活躍していた。

日本代表は金、藪、袴田、嵐山、馳川と初めて本来のスタメンでの試合開始となる。

その後まもなくイラン代表ボールでのキックオフとなり、その気迫のプレーは決勝に相応しいものであった。不滅の英雄アザール率いるイランは、決勝に向けて快調な滑り出しができていた。アザールはボールをピタッと止め緩徐にフェイントを掛け、悠然と袴田を抜き去ってゴールへと押し込んだ。

アザールのこの『ラボーナエラシコ』は、片方の足でボールを跨いでアウトサイドに振ると見せかけ、そのままインサイドへと振るという技である。フットボールは近年、その才能をフォワードに集める傾向があるが、アラのアザールには間違いなくその素養もあった。開始直後の得点に、日本代表の選手たちは落胆の色を隠しきれずにいる。

だが、日本代表の選手たちにも意地はある。試合再開後に、嵐山、藪、金とボールを繋ぐと、金のピヴォ当てに合わせた嵐山のシュートを、イラン代表ゴレイロのミカエラが弾いてコーナーキックとし、そこから藪が丁寧なフィードを出す。

そのフィードに対して、袴田がダイレクトボレーで合わせ、シュートはゴール右上に吸い込まれるようにして入った。一瞬にして会場のヒーローとなった袴田は、飛行機のように手を広げながら自陣を一周し、大きくガッツポーズをして見せた。

これにはミカエラも歯を食いしばって悔しがった。得点直後は気が緩み易いもので、その隙を突いての得点であった。この得点で1対1の同点となり、日本代表は、不屈の闘志を見せつけた。そして、フィールダーを焔、藪、笑原、港へと交代し更なる得点を期待していた所、イラン代表は一転してルーシェルをワントップとして残して来た。

 試合再開直後、笑原を躱してシュートまで持って行ったアザールを、港が止めようと飛び出した所アザールはまたしてもそれをひらりと躱し、重心を低く保ったままゴール前に居たルーシェルへとリードパスを繰り出した。直ぐ様それに対応したルーシェルはパスにきっちり合わせ、落ちついてシュートを決めた。

 子供のように喜んで、ルーシェルに飛びつくアザール。そこへ駆け寄って、また喜ぶチームメイトたち。日本代表の選手たちは悔しいがいいチームだなと感じ、その実力を認めざるを得なかった。それでも、日本代表も負けてはいられない。笑原の繰り出したフィードがガブロッタの腰に当たって落ち、すかさず詰め寄った焔が目ざとくゴールを決めた。この得点で2対2の同点、日本代表はまたしても底意地を見せた。

 試合が再開されると、ラファエロの正確無比のフィードを、アザールがコート右隅、角度のない所からシュートに変えて来る。これがゴール右上に突き刺さり、一歩も動けなかった馳川は悔しそうに顔を歪めた。右足でスライスして撃ったため、右側にアウトスピンでゴールへと吸い込まれたシュートは、まるでフリスビーのようであった。

 上には上が居る。この日昴は、その事を嫌というほど思い知った。そして、この狡猾かつ見事なゴールを見た、瑠偉、璃華、瑞希、瑚奈はそれぞれ感想を述べあった。

「それにしても凄い総合力ね。他のチームとまるで違う。相当に練習してるわ」

「分かります!アシンメトリーであれだけコントロールできるなんて」

「全体的に個々の能力も高いですよね。これぞ代表って感じ」

「あっ、カマキリ!!」

イラン代表は『アシンメトリー(左右非対称)』でクイックネスのあるアザールを前に、シュート力のあるガブロッタを後ろに配置しており、上手く役割を分担している。

得点を決めたアザールは、逆立たせた髪の毛を少しだけ()まみながら、平然と周囲の選手たちの祝福を受けていた。イラン代表の選手たりは髪の毛をワックスでガチガチに固めており、彫の深い顔と相まって厳つい雰囲気を(かも)し出していた。

 前半終了間際、金は得意のエラシコで、ボールを()でるように転がして、フィクソのラファエロを抜き去りシュートまで持って行った。これは惜しくもバーに阻まれたが、跳ね返って来たボールを再び金が押し込んで得点とした。

 あまりの鮮やかさに両チームの選手たちは驚嘆したものであったが、当の金は最初のシュートを外してしまったことに対して納得が行っていなかったようだった。そして、アザールのラボーナエラシコと比較して、自分の技にどこまで磨きがかかっているかを競いたがっているようでもあった。

白熱の展開にチームのベンチがソワソワしだした頃、猿渡監督が昴に声を掛けてきた。

「室井、後半出すからアップしとけ」

「ウス、ありがとうございます!!」

ここからは正に総力戦といった感じで、使えるプレーヤーは全て使うといった方針であった。予想外の出場ではあったが、自分を認めてくれていると思うと嬉しかった。



 後半が開始されても、イラン代表の快進撃は衰えることを知らず、正に破竹の勢いであった。体力的に相当キツいにも関わらず、ポニョのウルエリを投入しフィールダーのポジションを埋めるだけで、控えの選手との交代はそれしかなかった。

全員が20分の試合に全力で挑めるほどにタフであって、それぞれの鮮やかに(きら)めくスパイクが狂おしいほどに魅力的であった。カラーのスパイクを履いている人は上手いと言われるが、イラン代表の選手たちも、御多分に漏れずそのようで、アザールが赤、ガブロッタが緑、ラファエロが青、ミカエラが黄、ウルエリが桃色、ルーシェルが紫のスパイクを履いており、監督のメタトラもこれが気に入っていた。

昴、綴、綻、嵐山、馳川という布陣で開始された後半は、イラン代表は味方の方へとボールを受け取りに行く『アタカール・エル・バロン』を積極的に行うことで流動的なオフェンスが作れていた。隙ができた所、ウルエリの放った緩いシュートを馳川が器用に片手でキャッチし、防ぎきることができた。

 次に、日本代表のオフェンスに切り替わると、イラン代表はルーシェル、アザール、ガブロッタが透かさず距離を詰めると、ボールホルダーの嵐山は、一気に不利な状況に追い込まれた。だが嵐山は冷静に俯瞰(ふかん)し、危なげなくボールをキープして見せた。

“やっぱ、一流のディフェンスはプレッシャーにも強いんだな。あれだけオフェンスに詰め寄られても落ち着いてキープできるだなんて”

昴が、そんなことを考えていると、嵐山がここぞとばかりにフェイクを見せつける。嵐山のこの『ステップオーバー』は足を大股に振り抜き、シュートをすると見せかけることによって相手を惑わせる技である。

 このフェイクによって、アラの二人を抜き去った嵐山は、数的有利の状況を活かして昴へとパスを通した。最前線でパスを受けた昴は、絶好のチャンスを得られたわけだが、国際試合特有の精神的なプレッシャーからか、シュートが浮き球になってしまった。

 シュートは惜しくもバーの上を通過し、守勢に転じた日本代表は、一気に攻め込んで来るイラン代表に対してチェックが追い付いていなかった。そこでラファエロが出したフィードに対して、ガブロッタがスルーパスのような形でノータッチで受け流したものを即座に近寄ったアザールが受けた。

アザールはこれを豪快なシュートに変え、当然の如く得点に変えてしまった。昴は、俄かに自信をなくしかけていたのだが、林がそれに気づき励ましの声を掛けてくれた。

「ドンマイ、今のは仕方ない」

「すません、イージーミスでした」

「気にすんな。取り返しゃいい」

「はい、気合い入れて行きます!!」

 そこから、共に1点ずつを加えて4対5として迎えた後半10分、嵐山と交代で出場した港が、ルーシェルのスライディングに足を取られてかなり派手に転んでしまった。これに日本代表の選手たちは、猛烈に抗議する。審判に見られている中で、笑顔で指を指し合いながら怒る様は、真剣なのだがどこか滑稽でもあった。

日本代表は獲得したPKを無駄にせず、金がきっちりと決め、5対5の同点とした。だが試合終了2分前、アザールが一瞬の隙を突いてラボーナエラシコを繰り出して昴を躱し、フォローに入った袴田、嵐山ともども抜き去って5対6とした。

パフォーマンスとして、人差し指をゴールに向かって振っている様相は、日本代表にとっては悪魔のようだった。結局そこから得点を(くつがえ)すことができず、相当に健闘したと言える状況ではあったが、日本代表は惜しくも敗れてしまった。

試合後に昴は、そのあまりのショックに茫然と立ち尽くしてしまった。

その『姿』を見たアザールは、何を思ったのか昴に近づいて来た。

「ハブ ファン!」

楽しめよ!。去り際に彼は、たった一言そう言った。その言葉とは裏腹に、昴は頬を冷たく濡らしていた。“1点も取れなかった。今の自分は、まだまだ全然ダメなんだ”そう考えると、落胆の色を隠すことはできなかった。

強さだけではダメだった。人は弱いものだった。折れた心は、そう簡単には元に戻らないものだった。募る焦りと悔しさだけが、じりじりと心を(むしば)んで行くのであった。

この大会の結果、ゴールデンボールが日本代表の金、シルバーボールがイラン代表のアザール、ブロンズボールが韓国代表の姜 砕人、ゴールデンブーツがウズベキスタン代表ゴレイロのウルマス、得点王が21点でタイ代表のモンクットとなった。


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