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第二章 信頼編

本日6月9日は、バランサーズのシーズン初日だ。対戦相手は茶色のユニフォームが勇猛な掛川ブレイカーズであり、男連中はヤンキー気質のわりに全員が黒髪で統一されていたが、マネージャーが茶髪にするのは許したりもしていた。

髪の毛が、頭頂部だけ黒くなってしまっている、所謂プリンの状態になっていたり、連れてきている子供たちもその状態になっていて、現代社会の問題点を象徴するかのようであった。義理堅い選手が多く同じ所に住み続け、なぜかマンションの高層階に住んでいることを自慢している選手が多かった。

その殆どが土木作業の現場で働いており、不況の煽りを受けて仕事が厳しく、そんな綱渡りの生活で、いつも少しイライラしているのであった。そのため一見おとなしそうに見えるが気性が荒く、独身の選手は複数の女を連れていたりもした。

試合前にエースの(つつみ)と、ピヴォの坪倉が話をしている。

「いよいよ今日は初戦だ。今年の運命を占う大事な一戦だ。気合い入れて行くぞ」

「はいよー。毎回熱いよね、堤」

「当然だろ。本気でやってんだからよ」

「そうだね。ははは」

 そしてホイッスルが鳴りブレイカーズボールでの試合開始となった。鷹揚にボールをキープしたアラの城崎からフィクソの堤にパスが通り、一気に走り出す。マッチアップしている(すばる)はあまりのことに度肝を抜かれる。

“はっや、流石は堤。県内最速は伊達じゃねえな”

 ブレイカーズのエース、堤 疾走(しっそう)(じゃ)()は100m10秒台の韋駄天(いだてん)であった。

11秒台前半で走れる昴でも、横に並べばこの堤を止められるかは微妙であった。

“エグいな今の。左右に振れるだけで、それがもうフェイントになるんだよな”

このチームはロングパスが多く、堤を始めとしたイケイケのオフェンスで速い展開に持ち込み、速攻を仕掛けて来るのであった。堤はいわゆる『リベロ』と呼ばれるタイプのフィクソで、守備を起点に攻撃にも積極的に参加するようなスタイルであった。

双方速い展開で攻防を繰り返しての試合開始8分、堤と、アラの垣谷のスクリーンに反応した甘利が咄嗟に足を掛けてしまい、この試合初めてのPKとなった。これを堤が落ち着き払って決めた。ガンバ大阪所属、元日本代表の遠藤 保仁氏を彷彿とさせる、コロコロPKで1点をもぎ取った。

これは『パネンカ』と呼ばれるもので、UEFA欧州選手権1976決勝で、チェコスロバキア代表のアントニーン・パネンカがドイツ代表のキーパーゼップ・マイヤーにチップキックでPKを決め、チェコスロバキアを優勝に導いた時のものと同じだ。

そして試合開始13分、辛損がつま先で上げたコーナーキックに昴が合わせて、強烈なダイレクトボレーシュートが炸裂した。ここへ来て1対1の同点。

「おおっ!ナイッシュー昴さん」連は場を盛り上げようとする。

そして試合開始17分、ブレイカーズは陣形が崩れ、バランサーズのプレスを受けて攻めあぐねていた。

「坪倉、お前ボール持ちすぎだって」堤は少々イラッとしたようだ。

 ボールキープが苦手なピヴォの坪倉は、別記からのプレッシャーであっけなくボールを取られてしまった。攻勢から一気に形勢逆転してのバランサーズ側のカウンターで、酸堂からの長めのパスを、昴がヒールで華麗に流し込んだ。それを見た堤が、悔しそうに顔を歪める。ブレイカーズのレベルは全国的に見て決して低いわけではない。だが、堤が求めている水準に、チームが達していないということは否めなかった。

再開後、堤が蹴ったロングボールを城崎がダイレクトで流して、坪倉がシュートしてチャンスを演出するが、これは惜しくも外れてしまった。

そこから(たもつ)が別記にパスを出したところでホイッスルが鳴り、前半が終了した。

ハーフタイムに入り、ブレイカーズ陣営はなにやら話をしているようだ。

「なんか、今朝食べたフルーツグラノーラが歯に挟まっててさ。気になるんだよな」

「しっかりして下さいよ土屋さん」

「それより聞いてくれよ。うちの子、昨日雲梯(うんてい)で初めて向こう側まで行けてさ」

「おい、試合中に関係ない話すんなや」苛立った堤が思わず釘をさす。

「いいじゃねえかちょっとくらい。どうせ勝っても金になるわけでもねえんだしよ」

「それは、そうだけど――」

「だったら楽しんだ方がいいだろ?どうせ遊びなんだしよ」

高校2年生まで海外遠征に行くほど真剣に陸上をやっていた堤にとって、この発言は相当に面白くないものであった。だが社会人であるため、垣谷の言うことも一理あるという思いがあった。きっとどちらが正しいということはないのだろう。ただ同じチームで『勝ちに拘らない選手が居る』ということに、どうしても納得が行かないのであった。

一方のバランサーズは、堤の猛攻に対して失点が1ということもあり、わりと余裕を持って会話をしていた。昴と保は前半を振り返る。

「フットサルでは全員が攻撃に参加するってのはあるんだけど、流石にあそこまでホイホイ上がって来られるとしんどいものがあるよな」

「そうだな。マッチアップしてるのが昴じゃなかったら、ボコボコにやられてるかもしれないよ。後半も頼んだぞ」

「任せろよ、保さん。楽勝だろ?」

「ははっ。それは頼もしい限りだな」

 保を始めこのチームの選手は皆、エースである昴に大きな信頼を寄せているのであった。



 後半はキックオフでバランサーズボールからの開始となり、少々余裕があるためゆっくりとパス回しをした。だが、試合に対する不安があったのか、蓮がキープしきれず

垣谷にボールを取られてしまったが、放たれたシュートは枠を捉えきれなかった。

 バランサーズボールとなり、味蕾が危なげなくボールをスローし、アラの二人でパスを回し合い、隙を見てマイナス方向に下がった昴に対しフィードを出す。それを昴が、足を後ろに折り曲げてのシュートで押込み、鮮やかに得点を重ねた。これで、3対1。試合時間残り7分となり、実力差から考えてもほぼ試合は決まったように見えた。

 ブレイカーズボールでの再開で隙を伺いながら攻めるが、バランサーズのマークマンを決めて守る『マンツーマンディフェンス』は徹底しており、誰もマークマンから目を切ったり、守れないほど離したりはしていなかった。

 堤は苦肉の策で本来得意ではないミドルシュートを撃たされる形となり、これに味蕾が反応し、ボールが手を掠ったことでコーナーキックとなった。だが、ここでの攻めも城崎の上げたセンタリングを坪倉が苦し紛れにヘディングで合わせて、浮き球を味蕾ががっしりと両手で受け止める形となった。それを見た昴は、思う所があったようだ。

“あ~あ。フットサルはヘディングで点取るのめちゃくちゃ難しいんだよな。スペース狭いしゴール小さいし。このチームならショートコーナーにすればいいのに”

そうは思ったものの、試合中にそんなことを助言する訳もないので、昴はただ心の中でそう思っただけであった。『ショートコーナー』とは、センタリングを上げず味方にゴロでのパスを送り、ゴールを狙うことである。

ブレイカーズが体制を立て直す前に急な攻撃を仕掛け、体重移動でのフェイクで垣谷を抜き去った蓮のシュートを、土屋が右足を大きく出してのファインセーブで辛うじて止めた。それに対し保が拍手して場を盛り立てる。

だいぶ冷っとするような場面であったため、ゴレイロの土屋はボールボーイが出した新しいボールを不機嫌そうに()ねさせて具合を確認した。そして、あろうことかそれを(だる)そうに前衛に放り投げ、坪倉は愛のないパスに反応しきれず、保がトラップして縦に出したパスに蓮が合わせ、飛び出した昴にパスを通す。

そしてそのまま堤に対し左に反転する形で前に向き直り、左足でシュートを決めた。この追加点で4対1となる。

「上出来じゃねえか、蓮。いいパスだったよ」

「ありがとうございます。いい流れだったので連動できました」

 これで昴はこの試合3得点で『ハットトリック』を達成したこととなり、そのことで上機嫌となった。だが、ブレイカーズもこのままむざむざとやられる訳にはいかない。 

坂本のスルーパスを皮切りに堤が強烈なシュートを放ち、これまで俄然劣勢であったブレイカーズが息を吹き返す。カウンターに失敗したバランサーズからボールを奪取し、逆にチャンスとなった所へ瞬時に堤が抜け出し、手を挙げてフリーだということをアピールするが、垣谷はそれに合わせず城崎にパスを回してしまった。

明らかに不満を募らせた堤はふーっとため息を吐く。後衛まで戻った堤に城崎がパスを回すと、堤は一瞬立ち止まると2秒ほど目を閉じて怒りを爆発させた。

「やる気ねえのつまんねえんだよ!!」

そう言い放つと勢いよく走りだし、昴、蓮、保を一気に抜き去ってから弾丸シュートを放ってきた。恐らく10秒台前半は出ていただろう。味蕾が慌てて手を伸ばしたが、その勢いに乗ったシュートを止めることができなかった。キーパーは利き手と逆の隅は苦手とはいえ、完璧な形での得点と言えるプレーだった。

「くっ――」昴は悔しそうに顔を歪める。

「ドンマイ、昴」保は少し気を遣って声を掛ける。

「わりい、気い抜いてたよ」

「今のは仕方ないな。まだ2点も勝ってるし、大丈夫だろ」

「ありがとう。けど、もう絶対抜かれないようにするよ」

一瞬の隙を突かれたとはいえ、完全に止められなかったことに対して昴は意気消沈の様子であった。そして、“もし堤と互いのチームが逆だったら、自分にはブレイカーズを勝たせることができるだけの実力があっただろうか“とも考えた。

自分が上手いんじゃない、ただチームにタレントが揃っているだけなのでは?そう思うと、急にちっぽけな自尊心にひびが入ってしまうのであった。そして、その4分後、ホイッスルが鳴り響いて試合が終了した。快勝だが、バランサーズにとって少々後味の悪い終わり方となってしまった。

試合後、気になることがあったのか、昴が保に話し掛ける。

「保さん、凄い入念にストレッチするよね。プロの選手みたいじゃん」

「キング・カズみたいに長くやりてえからな。試合後のケアは大事なんだよ」

「社会人は時間との戦いもあるもんね。職場でだってしんどいしこと多いし」

「社会ってのは厳しいもんなんだよ。人に馬鹿にされるのも仕事のうちさ」

「保さん、仕事やめたくなる時ってないの?」

「やめねえよ。一人でいるうちには気付かなかったんだけど、子供ができると働き続ける理由ってのができるんだ。家族の顔を見たら疲れなんかふっとんじまうよ」

「そういうもんなのかな。まあ、転職のチャンスなんて精々30歳までだろうし」

「チャンスなら死ぬまであんだろうがよ。年齢にかこつけて諦めんなら、それくらいの気持ちだったってこった」

「けど、もしダメだったら――頑張ったことが無駄になったらどうすんの?」

「ダメだったらなんて考えてもしょうがねーよ。必死で喰らいついて行くんだろ?最初から上手くいくことなんてねーんだよ」

「俺、自信ないな――。堤みたいに絶対的な武器があるわけじゃないし」

「全部持ってるヤツってのが居ないように、何も持ってないヤツってのもまた居ないもんなんだよ。自分の持ってるモンを活かしきれよ」

「自分の持ってるモンか~」

「まあ考え込んでも仕方ねえよ。やってみなけりゃ0のまんまだろ。やったら何か少しくらいは変わるもんなのさ。そういうのを成長って言うんだよ」

「保さん、やっぱいいこと言うね。流石は教師」

「そうだろ?結局は何を取るかってことなんだよ。夢のために頑張るのか、目先の本当は大切でないことに時間を盗られてしまうのか。人から何と言われようと努力し続けるヤツがプロになれるんだ」

「俺でも――そうなれるのかな?」

「そりゃそうさ。きっと頑張ってるヤツってのは、神様が見捨てずに助けてくれるもんなんだよ。それを信じて頑張るしかない。暗闇を歩くのは怖いことだけど、手探りでもいい、前に進んだヤツだけがその栄光を勝ち取れるんだ」

「身に染みたよ――今の言葉」

「背伸びしてんなよ。等身大で、ありのままの自分でいいんだよ。人間できることなんて限られてるんだ。どんなに頑張ったって空は飛べねえよ。けどな、ジャンプして届くくらいのところなら、それは高望みでもなんでもねえだろ?」

「そうだよな。俺、なんでいつもこんなにビビってたんだろ」

「やるだけやってみろや。悩んでんのバレバレなんだよ。受けるかどうか迷ってんだろ?トライアウト。高く跳ぶためには一度深くしゃがまないといけないんだ。今まではその時期だったってことだよ。夢――掴み取ってみせろよ」

「夢――か」

“夢って、どうやったら叶うんだろう?”

昴はこの時から、それが頭から離れないのであった。



2002年6月17日。この日は珍しく二人とも2日間の休みが取れたので、(みず)()の家の前で待ち合わせて、静岡市清水区の静岡近代美術館に行くことになっていた。

家の前に到着すると瑞希が「会いたかった~」と駆け寄ってきた。フンワリした淡いパステルカラーのワンピースは、普段から瑞希を見慣れているとはいえ、かわいらしいと思えるのであった。車を飛ばし、パーキングに停めて美術館まで移動する。入場料を払って館内入り口の絵を見た所で、昴が何かを思いついたように提案した。

「そうだ!最後に一番気に入った作品を発表し合おうよ」

「それいいね、面白そう!お互いの趣向が分かるし――」

 不意に思いついたような発言だが、事前に友達からこのアイデアは教えてもらっていて折り込み済みであった。ゆっくりと館内を見て回り、落ち着いた所で話し始める。

「一周しちゃったね。どうだった?昴くん的にはどれが一番よかったと思う?」

「俺は荻須 高徳のグラン・カナルかな。なんかこのぼんやりとした感じが好きかも。水面の淡い色彩の光がずっと見てられるような良さがあるね。瑞希はどうだった?」

 荻須 高徳は『リトグラフ』と呼ばれる手法を得意としており、これは、平らな版に水と油を垂らしてその反発作用で絵を描く手法で、画家のタッチをそのまま反映させることができ複製も可能なものであった。

「う~ん、私は小磯 良平の踊り子がよかったかな。構成が知的で人物と背景の境界が明確なのと、清楚な色調なのに力強さがあるから。女の子なら、一度はこんな風に絵に描いてほしいかなって」

 小磯 良平はフランスで新進美術家の展覧会であるサロン・ドーヌに出品し卓抜したデッサンを根底に油絵技術の伝統を追求し、『文化勲章を受章した』人物である。昴はこういう時にお互いの趣向にケチを付けてはいけないということは分かっていたので、普段なら「何がいいの?」と言ってしまう所、グッと堪えて褒めることにした。

「そっかー、なんていうか上品な感じするよね」

「そうそう。親しみやすいんだけど、気品があるんだよね!」

 瑞希が嬉しそうにしていたのでなんだか昴も楽しい気持ちになった。美術館など一人では来ないようなところだが、こういうことなら(たま)には来てみてもいいなと感じた。 

だが、無料で読める美術雑誌を手に取って語らっても、すぐに時間が経ってしまう。

“思ったよりも早く終わっちゃったな。近くのカフェを調べといてよかった”

 美術館デートは早ければ30分ほどで終わってしまうこともあり、その後のプランを練っておくことが必須であると考えられる。その後近くにあったカフェでリラックスし、二人の今後についての話をした。真剣な話題とあり、多少ツンケンしながらも話は進んでいた。すると会話に割って入るように、昴の携帯にメールが来て着メロが流れた。

昴は、それを横目で確認するが、わざわざ携帯を開いて確認しようとまではしない。別に不自然という程ではなかったのだが、それを見て瑞希は思うところがあったようだ。

「ねえ、携帯見せてよ」

「嫌だよ」

「なんで?やましいことないんでしょ?私のこと好きなんでしょ?」

「そうだけど、いろいろ見せたくないものとかあってさ」

「何?見せたくないものって?」

「うるさいな、何だっていいだろ」

「良くないよ、また浮気してるんじゃないの?」

「そんなことないよ。俺が好きなのは瑞希だけだって」

「じゃあ証拠は?」

「だから、俺が好きなのは瑞希だけだなんだって」

「携帯見せてよ」

「――。そんなこと言うんだったらもう別れる」

「――ごめん」

「瑞希は心配しすぎなんだよ。彼女なんだからもっと信用しろよな」

「――分かった」

会えば喧嘩かセックスか。そんな付き合いに、お互い嫌気が差し始めていた。

 だが、重たい雰囲気から明るい話題に変えようと、瑞希が努めて元気に話し始める。

「同棲するんだったら犬飼おうよ!私、ミニチュアダックスがいい♡」

「え~俺は柴犬がいいな~」

「それじゃ、近くのペットショップ見に行かない?せっかく清水まで来たんだし」

「それもそうだな。実際に見てみないと分かないもんだし」

「やったー。行こう行こう!!」

それから商店街の中にあるペットショップで候補の犬を見て回ることになった。元来動物好きの昴は、好きなものを目の前にしてテンションが上がっているようだ。

「あ~イヌイヌ、柴犬!!」

「チワワ!チワワ~!!」

「ダックス~」

昴の仔犬を見て喜ぶ『姿』を見て、瑞希は思わずキュンとしてしまった。

「もう~、子供じゃん」

「だってさー、かわいいんだもん」

「あっ、見て見て!ビーグル!!」

テンションが上がった昴を見て、店員が声を掛けてきた。

「よかったら遊んでみます?遊んでみないと分からないことってありますし」

「いいんですか?お願いします!!」

ゲージから出たビーグルは嬉しそうにシッポを振っており、それを見て瑞希も喜ぶ。

「ああ~可愛い!」

「だろ!やっぱいいよな~小型犬は」

それを聞いて、店員がすかさず畳み掛ける。

「男の子なんですけど、すっごい甘えん坊なんですよ」

「そうなんですね!いいなあ、かわいいなあ」

「もう~気が早いんだから~」

「この子がいいなー。なあ、飼っちゃおうよ」

「え~。いろいろ考えないといけないし、すぐには決められないな~」

「適当でいいんじゃない?飼っちゃえばなんとかなるって」

「そんなこと言うけど、トリミングだってシャンプーだって予防接種するのだって大変なんだよ。その子の一生面倒見るんだし、飼うのには責任が伴うものなんだよ」

「心配性だなー、もうちょっと気楽に生きようぜ」

「とにかく今日はまだダメ。同棲し始めて、よく考えてから決めよう」

「いいじゃん。飼うなら早い方がいいよ」

「自分たちのことも出来てないのに、犬の面倒なんか見られないよ!!」

「う~ん、それもそうだよね。分かった、また今度にしようーー」

昴は納得いかない様子だったが、瑞希の『自分たちのことも出来てないのに』という言葉には一定の理解を示すだけの根拠があった。



その後二人は、昴の家へ行って泊まることにしたのだが、彼は少々お疲れのようだ。

「眠い、腕枕して~」

「重たいよー」

「いいじゃん、ちょっとだけ~」

「もう~腕しびれちゃうよ」

「あ、そっか。ごめん」

そう言って頭を()く昴を見て、瑞希はこれくらいの失敗ならまあいいかと思った。

それから一通り盛り上がると、昴は疲れて子供のように寝入ってしまった。

「可愛いんだよな~寝顔。起きてる時はあんなに憎たらしいのに。なんでなんだろ~?このままずっと寝ててくれたらいいのに。でもそれじゃ、つまんないか」

 そんな独り言を言うのも楽しいくらい、瑞希の生活は充実していた。それから化粧を落として歯磨きをした後、昴の隣で眠りについた。そしてそのまま朝を迎える。

「おはよう――なんかまだ眠い」

「え!?大丈夫?なんか声ちがくない?」

 そう言った昴の声は少し枯れてしまっており、夜中に布団を蹴ってお腹を出して寝ていたため、風邪を引いてしまったようだ。普段聞いたことのない声というのは新鮮味がありなんだか面白みがあった。

「ん?そう言えばちょっと喉がイガイガするかもーー」

「そうだよね!ちょっと待ててね」

 そう言うと瑞希はハチミツに生姜をスライスしたものを加えた『はちみつジンジャー』を作って昴に飲ませてくれた。これは味が良く、美容にも効果がある飲み物である。

「昴くん、風邪はどう?」

「うん。もうだいぶよくなったみたい。瑞希が看病してくれたお陰だね」

「そっかー、よかった~」

 子供のように燥ぐ瑞希を見て、昴はなんだか愛おしいと感じた。

「ありがとう、これはお礼しないとだよね。なんか欲しいものあったら言ってよ」

「欲しいもの?いいよそんなの。こんなの大したことじゃないんだしーー」

「いいからいいから。言うだけならタダなんだし、言うだけ言っとけよ」

「う~ん、ティファニーのオープンハートのネックレスとかかな~」

「ああ、あの真ん中に穴が空いてるヤツ?」

「そうそう。あれすっごく可愛いんだよね!」

 20代後半ともなればTスマイルを好む者も居るのだが、瑞希は少々感覚が若かったため、オープンハートの方がお気に召しているようだ。それから昴が元気を取り戻せたことで、背中合わせでくっつきながら、お互いに部屋の中で好きな事をしていた。瑞希はポッキーを咥えながら本を読んでいる昴を見て興味津々である。

「ねえ~なに読んでんの?」

「ん?サルトルだよ。存在と無」

「へえ~難しいの読んでんじゃん」

「そうでもないよ。慣れれば簡単だし」

そう言って昴は、眼鏡を外して目を(こす)った。暫くすると昴は本を読み切ったようで、少し退屈そうにした後、瑞希に話し掛けた。

「瑞希、瑞希~、――瑞希ってば!」

「うわっ、びっくりした!!」

瑞希は漫画を読んで集中していたため、昴が呼んでいたのに気づいていないようだ。昴がいきなり目の前に現れたので、かなりドキっとしてしまった。

「もう、ビックリするじゃん!」

「さっきから話し掛けてたよ。ねえ、ドリキャスやろうよ」

 『ドリームキャスト』とは今はなき平成のゲームハードであり、平成初期にはこういった名機が数多く存在していた。だがその過渡期を越えられたのはプレーステーションくらいのもので、だいたいはその荒波の中で駆逐されて行った。二人は少し迷った挙句レースゲームで対決することにした。

「負けたら罰としてダンスな」

「え~、何それ、キモ」

 そうは言ったものの特に嫌な気はしていないのであった。3レースほど行ったのだが、昴は手加減などしないため、慣れていない瑞希が3回とも負けることとなった。

「全然ダメじゃん。ほんと下手くそだな」

「はいはい、そうですね。昴くんは上手いですね」

「ははっ、負け惜しみじゃん。鈍いっていうか、センスがないんだよな~」

「しょうがないじゃん!こんなのやったことなかったんだし!」

「まあ、そう怒るなよ。たかがゲームだろ?」

 実際はたかがゲームなどということはない。こういった勝負事は喧嘩に発展する場合が多く、負けた方の感情に配慮することが大切である。瑞希が不機嫌になったことで、昴はもう少しやりたかったが、ゲームを終えてテレビの画面を戻すようにした。

すると偶然にもプロサッカーの試合をやっていた。

「おっ。高野出てんじゃん。すげえなぁ。上手かったもんな~アイツ」

「なに言ってんの?高野くんは後輩だよね?昴くんの方が上手かったじゃん」

「そうだったっけ?もう忘れちゃったな~『そんなこと』」

「そんなこと――?」それを聞いて瑞希はかなり不機嫌になったようだ。

「そんなことって、勝ってたはずの後輩に負けちゃってるんだよ。悔しくないの?」

「なんだよソレ。俺が高野より格下だって言いたいのかよ」

「そうだよ、だって高野くんはプロに――」

そこまで言って、瑞希は思わず言葉を詰まらせた。

「なんだよ、言えよ!その続き」

「ううん、いい。ごめん」

「謝んなよ、なんか惨めになるじゃんか」

 この頃の昴には感謝という概念が不足していたため、看病してもらったことや相手を煽っていたことなどを棚に上げてしまっていた。人間は持ちつ持たれつ生きて行くものであり、その埋め合わせがないと、いつかは相手に愛想をつかされることになる。

その後、二人して出掛けることになり身支度をして行った。瑞希は昴が真面目な顔で髭を剃っている横顔や、袖をまくり上げた腕から血管が浮き出ているのを見てドキっとしていた。昴は早々にシャワーを浴びて服を着替えると、髪をセットし始めた。それを見て瑞希はふと思ったことを言う。

「昴くんが家で髪セットしてるのって、全然見たことないかも」

「そう言えばそうだよな、俺らって瑞希の家に行ってばっかだったし」

「それってどうやんの?」

「これか?ワックスを髪を洗うみたいにして全体になじませる。この時に頭の後ろ側を中心にフワっとさせるのがコツかな」

「おー。様になったね」

「だろ?後は指で軽く流れを作ってスプレーで固定してお終い。慣れれば簡単だよ」

「すごーい。勉強になります!」

「まあ女の子はこんなセットはしないだろうけどね。参考までにね」

 (こだわ)れば拘るほどに時間が掛かるものなのだが、昴は一度決めたらそのままであった。



本日6月23日は橙色のユニフォームが絢爛(けんらん)な藤枝フェインターズとの試合である。

フェインターズは早朝の練習で大声を出すので近所迷惑だと言われ、疲れが残らないようにしっかりマッサージを行うのだが、仕事が忙しいためなかなか練習の日程が取れていないのが悩みであった。

チームのエースであるアラの(いとま) 弘志は高校時代に全国優勝チームの3番手であり、今の仕事がやりたいがために、プロからのスカウトを断ったという経歴がある。また、もう一方のアラ明神は身長の高い選手ではあるが俊敏で、走り幅跳びで6m20の記録を出したこともある身体能力の持ち主だ。試合開始5分前、その二人が話をしている。

「暇くんいつもフェイントの練習に余念ないよね」

「そうなんだよ。なんかいつまで経っても自分の技に自身が持てなくってさ」

「なんていうか、上手い人ほど謙虚なもんだよね。そんなに不安なの?」

「うん。俺、足の小指の第二関節ないんだよな――その所為かな?」

「いや、それは関係ないと思うよ」

「そうかな~まあでも大丈夫、俺には偉大な古代の武人の守護霊が憑いてるから」

「路肩の占いで言われた事まだ信じてんの?暇くんってちょっと天然入ってるよね」

「けど、憑いてないって証拠もないだろ。ハッキリと言い切れんの?」

「う~ん。まあそれはそうだけど――」

 そんな会話をしているとあっという間に時間が経ってしまい、フェインターズボールでのキックオフで、さっそく暇が小手調べとばかりに攻勢を掛けて来た。

フェインターズはショートパスで細かく繋いで、相手にプレッシャーを与えさせないスタイルでのオフェンスである。

“やっぱ上手いなイトマン”

いつも昴は人のプレーを見ては、自分にないものを感じて羨ましくなるのであった。

「おっ、ヒールリフトか――」

暇のこの『ヒールリフト』は、その名の通り踵でボールを引っ掛けて宙に浮かせて、その隙に相手を抜き去るという技である。

「うわっ!?こっちもか」

そして、フェインターズの2番手であるアラの明神も、俊足を活かしてヒールリフトを繰り出してきた。フェインターズは全員がこのヒールリフトを使い熟すという器用なチームである。一方のバランサーズは、今日は保が仕事で来られないため、フィクソとして代わりに別記が出場しており、キャプテンマークは昴が付けていた。

「うおっ!?眩しい」

「ははっ。すまんなトレードマークなんだ、コレ」

ピヴォの曙野は身長190cm体重100kgの巨漢で、時折スキンヘッドに日光が当たって相手の選手の目眩ましになっているのであった。慣れない相手に、別記は終始マッチアップしにくそうにしていた。

「調子はどうですか、大将?」

「う~ん、今は気分が乗ってるな!!」

「そりゃよかったホント気分屋ですもんね、曜日さん」

「まあそう言うなよ、今日は神セーブ連発できる気がするんだ」

ゴレイロの曜日はセーブごとに気分が変わり、フィクソの日立は日頃からそんな彼を気遣っているのであった。

「おっしゃ!!こんから、いっちょやったろうぜ!!」

「「「「おう!!」」」」

仲間を奮い立たせるように暇の掛け声に共鳴するように、他の選手たちも調子を上げていくのであった。双方1点を取ろうと努めている中、暇のプレッシャーに、蓮が倒れそうになるが必死で踏ん張ってボールをキープしていた。そしてそれを前線へ送ると、昴はあっけなく倒れ込んでしまった。

 だが、これを見た審判が即座に笛を鳴らし若干シミュレーション気味ではあったが、かなりいい位置でのPKをもぎ取ることができた。昴は内側にスピンを掛けた、速さのあるシュートで難なくこれを決め、チームは1対0で前半を折り返すことができた。

 ハーフタイムに入り、少々ヒートアップした昴が、蓮に話し掛ける。

「おい、なに真面(まとも)にやってんだよ。正直者は馬鹿を見るってな。マリーシア(駆け引き)くらいは(こな)せるようになれよ」

「今のってシミュレーションじゃないですか?僕の位置からはそう見えました」

「いいんだよ。ピッチでは相手を出し抜くくらいの気概が必要なんだ」

「そんなのズルいじゃないですか!楽してるだけですよ」

「だりーこと言ってんなよ。お前そんなんじゃ点なんか取れないぞ」

「けど、それじゃ何の成長もないですよね」

「いいんだよ。楽してできるならそれに越したことなんかないだろ?どうせアマチュアの試合なんだしよ。適当でいいんだよ、こんなの」

「昴さん、いつも斜に構えてて、本気出さないのがカッコイイみたいな。そんなの全然カッコよくないですよ。失敗しても、泣いても、乗り越えて行くのが人間なんだと思います。プロになりたかったって、そう言ったら免罪符になるとでも思ってるんですか?将来のことに、本気で挑んできましたか?」

「お説教かよ。偉くなったもんだな、蓮」

「ボーッとしてたって時間は経ってしまうんです。時間は有限です。だからこそ自分にとって本当に大切なものを選んで行かないといけないんだと思います。昴さんにとって本当に大切なものって――何なんですか?」

「うっ――」

 それきり会話はなくなってしまったが、この一言は昴にとってその価値観を揺るがすようなものであり、(ほお)を叩かれたような一言であった。



 後半が開始されるとフェインターズは少々パターンを変えて来たようだ。暇、明神のフェイントコンビの波状攻撃から、曙野を使ったピヴォ当てにシフトし、後衛の日立も加えた3点からのロングシュートでのオフェンスとなった。

これが功を奏し、速い展開からの本数を重ねたシュートが、ついに3本目で実を結ぶこととなった。後半9分、1対1の同点である。

フィクソの日立は本来ガンガン点を取るようなプレーヤーではないのだが、それでもこの状況では見ざるをえず、昴の苦氏へのケアが間に合わなくて、明神の変態トラップからのビハインドのロールキックでの得点に、会場からは歓声が湧き起こった。

苦氏は相手との距離が空き過ぎており、上手くプレッシャーが掛けられていなかった。

 ここを修正するのは思いのほか難しく、そのままジリ貧となってしまった。普段なら保が諸葛孔明のように解決してくれるのだが、居ないとあってはそれにも頼れない。

 後半14分、暇がヒールリフトからのボレーシュートを勢いよく決め、遂に1対2と逆転されてしまった。勝っていた試合で逆転されると、勝ちに対する喪失感と焦りから歯車が狂ってしまいがちで、若い選手が多いバランサーズはここから一気に勢いがなくなってしまった。

 だが、後半の正念場であるラスト2分、コーナーキックでのフィードに合わせて別記が苦し紛れに撃ったシュートを、ゴレイロ曜日がファインセーブしたが、運悪く弾いたボールがパウ(ゴールポスト)に当たって昴の方へ行ってしまった。

これを昴が流し込んで2点目を追加ーーしたかと思われたが、惜しくもこれは枠を外してしまった。だが、シュートが外れた後に第二審が頻りに笛を吹いていた。審判団の協議の結果、ゴール前で日立のハンドがあったことが発覚し、バランサーズ側がゴール前でのPKを獲得することとなった。

昴はお零れを押し込むことができなかった汚名を返上しようと試みたが、狙いすぎてまたもや枠を捉えることはできず、名誉を挽回する好機を逸してしまった。技術的には十分に得点できるものの、精神的な面で不安定であったことは否めず、気分の波に勝てないでいるのであった。

 それからバランサーズは、決定的な機会を演出することができず、攻撃の芽が出ないまま試合が終わってしまった。試合後昴は如何にも悔いが残ったという風であった。

「さっきのがカウントされてたら同点だったのにな――」

「PKを外すことができるのは、PKを蹴る勇気を持った者だけだ」

「別記さん――」

「元イタリア代表、ロベルト・バッジョの有名な言葉です。逃げずに蹴った者だけが、得点をものにできるんですよ」

「そんな大層なもんじゃないよ。外しといて偉そうにできるのはスター選手だけだ」

「そんなことはないですよ。勝負は時の運ですから」

「別記さんは凄い大人なんだね。俺だったらちょっとは文句言うけどな」

「昴くんが点を取ってくれているお陰で同点になっていたんですから、当然ですよ」

「そういうもんなのかな。その考え方、見習うようにするよ」

「今日の僕はみんなとプレーできただけで幸せでしたよ」

「すまねえな、別記さん。最後だってのによ」

「え!?別記さん、辞めないですよね」

側で聞いていた蓮と味蕾が会話に割って入る。

「辞めるんじゃないよ、休部。本店からお声が掛かったんだって。栄転ってやつだ」

「おお、凄いじゃないっすか!!メガバンクの本店勤務なんて」

「ホントだよ別記さん、スーパーエリートじゃん!!」

「ありがとうみんな。けど、またいつか戻ってきたいですね。僕にはこのチームしかないですから。ここで得た経験が、本店に行っても役に立つと思ってますし」

 普段なら負け試合の後は飲みに行ったりはしないのだが、この日は送別会ということで保も加わって居酒屋で飲んだ。閉会後、保と別記は帰り道が同じだったようだ。

「保くん。今日は本当にありがとう」

「当然ですよ。お世話になった別記さんの送別会なんですから」

「そのこともなんですが、本当は今日、休日出勤なんて必要なかったんですよね?」

「そ、それは――」

「僕が最後だからって、試合に出すための口実として、そういうことにしてくれたんでしょう?だから、最後に一つお願いがあるんです」

「お願い――ですか?」

「今日の試合で昴くんの心に大きな傷を残してしまった。彼はあの時、蓮くんにキツく言われて精神的に蹴れる状態じゃなかった。それでも彼を止めなかったのは彼のプライドを傷つけたくなかったからです。結果、彼はチームのために勇敢に挑戦してくれた。だから彼を――甘やかさないでほしいんです」

「傷つけないようにしてくれ――じゃなくてですか」

「我々は彼に頼るあまり、彼の成長の機会を奪ってしまっていたのかもしれない。彼が自分の頭で考え、その殻を破ろうとしている今、優しさはかえって邪魔なものだと感じたんです」

「確かにそうだ。あいつは人から怒られることに全然慣れてない。自分では我慢強いと思ってはいるが、基礎練なんかはすぐに投げ出すし、全くその通りですね」

「よろしくお願いしますね」

「もちろんだ!そこまで考えていてくれたとは。ありがとうございます、別記さん」

「これでも僕もバランサーズの一員ですから」

 大人になると友達ができにくいとはよく言うが、スポーツを通じて育まれた友情というのは大きなもので、この二人は歳は違えど友人と言えるような間柄であった。この日、保は自分がどんなに嫌われようとも、昴のために鬼になろうと心に誓った。



フェインターズとの試合が終わった翌週の6月30日、予てから瑞希にせがまれていた富士宮交響吹奏楽団のコンサートを鑑賞することとなった。昴は、市にあるホールへ向かうために車で瑞希を迎えに行ったのだが、ここで少々トラブルがあった。

昴は事前に言われてはいたのだが適当に聞いていたため留意できておらず、スーツの用意を怠ってしまっていた。運転席を見た瑞希の表情が一瞬にして曇る。

「前に散々言ったじゃん。なんでよりによってジャージなの?」

「うっせーな。付いて来ただけマシだと思えよ」

「こういうのホント嫌なのに、ギリギリだからもう着替える時間ないよ」

「このまま行きゃいいじゃん。別に裸で行くわけでもないんだし」

「ねえ、また徹夜で麻雀やってたんでしょ?だからこんなにギリギリなんだよね?」

「職場の先輩たちとだからさ。こっちにも付き合いってもんがあんだよ」

そう言って車を走らせたものの、昴は会場に着いて早々に後悔した。周囲はその殆どが正装で真っ黒に埋め尽くされており、まるで鴉の群れのようであった。隣にいる瑞希も、もちろんスーツ着用だ。

「なんだよスーツばっかじゃん。なんでもっと強く言ってくれなかったんだよ」

「私が悪いわけ?4月から3回も念を推したじゃん」

「お前の言い方が悪いんだよ。俺が聞いてる時に言わないから」

「昴くんが分かったフリするからでしょ!!他のこと考えながら返事しないでよ」

「――」

「もういいよ。どうせ興味ないんだよね、こういうの」

確かにその通りだと思って悪い癖なのだがつい無言になってしまった。普段ならこのことに文句を言う瑞希も、もういい加減うんざりした様子だった。一方昴は、予想通りになるのがなんだか癪に障るので、コンサートが終わるまで意地でも寝ないことにした。

トランペットやホルン、チェロやヴィオラの奏でる音は確かに綺麗ではあるのだが、教養のない自分には縁遠い世界のように思えた。コンサートが終わって車に乗り帰路に就いたはいいのだが、瑞希の機嫌が直っているはずもない。

その様子に、昴は徐々にイライラし始めていた。

「思い出ってのは財産なんだよ。今日も一緒に居られたって、それだけじゃダメ?」

「そんなこと言ったって限度があるじゃん。こういうのホント良くないと思うよ」

「じゃあもういいよ!!どうせ俺が悪いんだろ」

「なんで開き直るの?そっちがちゃんとしてなかったのに、被害者ぶるの止めてよ!」

「――」

「私のこと嫌いなの?」

「そんなことないよ」

「私たち価値観あわないよね」

「そんなことないって」

「私たち、喧嘩ばっかだよね、付き合ってても意味ないよね」

「――」

「ねえ、ねえったら!!」

「悪かったと思う。今度から直すよ」

この言葉が『本心からのものだったら』どれだけよかったか、昴は後になって何度かそう思ったのであった。その後、先ほど怒りを露わにして少しガス抜きできたからか、瑞希の機嫌は多少マシになったようであった。帰りの車の中でこれからの話をする。

「どっか寄って、食べて帰ろうぜ」

「いいね、そうしよう」

「ギョウザの楽勝は?」

「う~ん、こってり系はちょっとーー」

「パス太郎は?」

「あ~、イタリアンの気分でもないな」

「スシ放題は?」

「え~、回転ずしはカロリー高めだし」

「なんだよ、結局どうしたいんだよ」

「女の子は優柔不断なものなの!!」

「じゃあもういいよ。家で食べることにしよう」

「そうだね、早くしないと間に合わなくなるもんね。ワールドカップ」

「そう!なんてったって決勝だし。あ、そうそう。今日、友助と美奈も来るから」

「えっ!?なにソレ?そういうことは先に言っといてよ!」

「いいじゃん別に、適当になんか作ってよ」

「適当にって、作るのは私なんですけど!そんなのいい加減すぎるよ」

「まあまあ。もう呼んじゃったんだし、頼むよ~」

それから沼津駅のロータリーで1時間ほど待っていると、先に来たのは友助の方であった。

「お久ぶりっす、昴さん」

「おお、久しぶり!ちょっと待ってな、もう一人来るからさ」

「そうなんですか?分かりました」

「あ、来た来た!お~い、こっちこっち」

「あ、昴くん。瑞希ちゃんも~こんばんは!」

「こんばんは」

瑞希は明るく振る舞ってはいたが、よく知っている人から見れば、明らかに作り笑顔であった。それから30分ほどで瑞希の家に到着し、昴と瑞希は台所で話をしている。テレビの前に陣取った美奈と友助は、さっそく電源をオンにして特番を見始めた。

02年のWCは例年に比べて少し特殊で、日韓共同開催となっていた。二つのゾーンで大会を行い、決勝は日本ゾーンのブラジルと韓国ゾーンのドイツの一騎打ちとなった。横浜国際総合競技場で行われたその試合は、例回に准ずる白熱したものとなる。

「前に優勝したのってどこだっけ?忘れちゃった」

「フランスですね」美奈の言葉にすかさず友助が反応する。

「ああ、ジダンの!!」

「そうです。僕なんかジダンを見てルーレットやり始めたんですよ。憧れなんです」

近年のW杯は8年ごとに大別でき、82年のイタリアを起点とし、90年にドイツ、98年にフランスがそれぞれ優勝している。これは843年、ヴェルダン条約によってフランク王国が分裂した際に、長男ロータル、三男ルードヴィヒ、妾の子シャルルで、国を分割したことを知っておくと更に思い出しやすくなる。

そして、イタリア優勝年前後の大会である78年と86年にアルゼンチン、フランス優勝年前後の大会である94年と02年にブラジルが優勝していることが分かると、

おおよその優勝国は諳んじることができるだろう。ただ、確実なのは実際に見ることであり、決勝だけはリアルタイムで見ておきたいところだとは思う。

瑞希との話を終えた昴がテレビの前に座り込み、友助と会話を始める。

「おっ来た来た!ブラジル!!」

「テンション高いっすね、昴さん」

「そりゃそうだよ、なんたって決勝だぜ!!」

当時のブラジル代表は優秀な『クラッキ(名手)』が(そろ)っており、5人のナンバー10と言われ、史上最強と(うた)われたセレソン70を(しの)ぐと言われるレベルであった。

フォワードのロナウド、ミッドフィルダーのリバウド、ウイングバックのロベルト・カルロス、ディフェンスのエジミウソン、ゴールキーパーのマルコスなど、錚々(そうそう)たる顔ぶれは豪華としか言いようがなかった。だが、そんな中でも一際(ひときわ)輝きを放っていたのは、やはりロナウジーニョだろう。サンバのリズムと華麗なテクニックでファンを魅了する様は、今も人々の記憶に鮮明に焼き付いている。

「やっぱブラジルだよなーカッコイイよなー」

「この黄色のユニフォームって、膨張色だからなんか圧迫感ありますよね」

「そうそう。見るからに強そうなんだよな、カナリア軍団」

「昔から上手い人ばっかですもんね、ブラジル」

20世紀最高のフットボーラーと言われたペレ率いるブラジルは、58年、62年、70年に三度の優勝を果たして、初代ワールドカップである『ジュールリメ・カップ』を持ち帰った。ジュールリメとはFIFA3代目会長の名であり、13年後の83年に警備員を配置していないような杜撰な管理下にあったため盗難に遭い、金塊に変えられてしまったという悲しい逸話もある。

前半は得点に動きがなく、平行線を辿る試合に、昴は思う所があったようだ。

「あーあ、ロマーリオが居いればなー」

「誰?ロマーリオって」美奈は耳慣れない人物に興味津々だ。

「めちゃくちゃ上手いフォワードの人だよ。ロマーリオのお陰で本戦に出られたようなもんなのに、あんなスターが出てないなんて勿体(もったい)ないよなー」

「へ~、なんでロマーリオは試合に出てないの?」

「チームメイトと仲が悪くなっちゃったみたいでさ。特に監督のスコラーリと」

「ふ~ん。けど、それじゃ仕方ないんじゃない?チームなんだし」

「そうとも言い切れないよ。パスが来るのは点を取ろうとしてる選手だけ。仲良しこよしで勝てるチームなんてないんだ。海外クラブでは点が取れない選手はパスが来なくなって居づらくなって移籍するなんてことはよくある。コミュニケーションなんて取れて当たり前なんだけど、勝つ為にやってんだから意見が違って当然だと思うんだ」

「う~ん、スターも大変なんだね」

80年準決勝ブラジル戦でハットトリックの活躍を見せた元イタリア代表のパオロ・ロッシ、86年メキシコ大会準決勝イングランド戦で神の手から僅か4分後に5人抜きまでやってのけた元アルゼンチン代表のディエゴ・マラドーナ、06年にキャプテン翼の日向小次郎が放つ雷獣シュートを練習して右足を骨折し、出場が危ぶまれたものの、その後の大活躍でチームを優勝に導いたフランチェスコ・トッティなどワールドカップには、常にスター選手の活躍があった。

そしてその陰で、93年にFIFA最優秀選手のバロンドールを受賞したロベルト・バッジョ、94年ワールドカップで活躍しMVPを獲得したロマーリオ、海外リーグで日本人初のMVPを獲得した中村 俊輔氏など代表から漏れ、涙を飲んだ選手も多い。

後半が始まった頃、瑞希が少々自信なさげに料理を運んできて、皆の側に座った。

それを見て、不思議に感じた友助が気を遣って話し掛ける。

「どうしたんですか瑞希さん?なんかあんま喋んないですけど」

「えっ!?ああ、大丈夫、集中して見たてだけだから」

「瑞希、熱中する方だもんね」

「う、うん。そうだね」

 試合は均衡を保ち、このまま延長に突入かと思われた後半22分、遂に試合に動きがあった。ブラジルのミッドフィルダー、リバウドの無回転ミドルシュートを、ドイツのキーパーであるカーンが防ぐも、ボールをキャッチしきれずに取り溢し、これを見逃さなかったロナウドがゴールに押し込み先制点となった。

「「うおー!!!!」」

「すげえ、見たか?見たよな、今の!!」

「見ました!!やっぱ凄いや、ロナウド」

大きく叫び猛り狂う男子二人を尻目に、女子二人は至って冷静であった。

「入ったね」

「うん、決まったね」

 温度差が凄いことになっていたのだが、こういう時の男は周りが見えていないことが多く、完全に頭に血が上っていた。そして後半34分、クレベルソンのパスを、ゴール正面で受けたロナウドが2点目として叩き込み、更に得点を加えた。

「「ロナウドーー!!」」

 男子二人は熱くなり過ぎて、そのまま倒れるのではないかというほどの熱狂ぶりであった。そうこうしているうちに時間が経過し、試合も終盤へと差し掛かった。

「ああ、もうロスタイムかー。ずっと見てたいな~」友助は少し名残(なごり)惜しそうだ。

この2002年頃はまだアディショナルタイムをロスタイムと言っていたり、VAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)判定なども行われておらず、FIFAランキングも強い国が不当に下位に位置していたりと、何かと過渡期であった。

暫くして試合が終わり、皆はそれぞれ感想を言い合った。

「いや~良かったですね~やっぱロナウドがエースですよ」

「ロナウジーニョも上手かったよ。やっぱ一番はロナウジーニョだな」

「ねえ、なんでロナウジーニョが一番うまいのにエースじゃないの?」

「上手いだけじゃダメなんだよ。チームを勝たせるヤツがスターなんだ。エースってのはそういうもんだろ?」

「ふ~ん。そうなんだぁ」

「彼はまだ若いですからね。将来はきっとチームを背負う存在になりますよ」

「いいなあ、カッコイイなあブラジル。最高だよ」

「瑞希ちゃんはどうだった?」

「え、あ、うん。面白かったよ」

 その後、各賞が発表となり、MVPも発表された。

「ヤシン賞はカーンか~まあMVPだから当然だなー」

「ねえ、ヤシン賞って何?」

「ああ、1963年にFIFA最優秀選手賞のバロンドールを、ゴールキーパーで唯一受賞した、ソ連のレフ・ヤシンって人に因んで名付けられたんだ。GKのMVPだね」

「ふ~ん。なんで2位なのにMVP取れてるの?負けたんじゃないの?」

「MVPのアディダスゴールデンボールは、96年までは1位のチームから選ばれてたんだけど、前回のロナウドだとか、今年のカーンとか2位のチームから選ばれることも多くなってるみたいなんだ。たぶん、負けた方にも輝いてる選手が居たことを忘れないようにするためなんだと思う」

「みんなが輝けるのがいい所ですよね。サッカーって」友助は小さく頷いた。

 そして談義に花が咲く中、テレビでこれまでの大会の結果について振り返っていた。

「いやーそれにしても残念でしたねー、日本代表のプレーはー」

「急にボールが来たからって、ボールは急に来るものですからねー」

「あーうぜー」コメンテーターの暴言に昴は思わず顔を顰める。

「どうしたの?」美奈は少し心配そうに聞いた。

「外野はさ、口では何とでも言えるよ。けど、お前同じ所に立って同じパフォーマンスできんのかよって思うワケじゃん。そこに立つまでだって、全国大会やプロやアンダー世代の中で勝ちまくって、A代表まで上がったんだよな。体調や心調が悪い時だって、あるわけだよな。腹立つんだよな。こういうの」

「それすっごい分かる。居るよね、口だけの人」これに瑞希が同調する。

「だろ?無責任なんだよな。こういう発言」

「自分もだよね」

「えっ!?」

「何でもない」

瑞希のこの発言から少しだけ気まずい空気が流れた。ここで嫌な空気を変えようと、昴が今日の本題を話し出す。

「あと、みんなに重大発表がありま~す」

「えっ、何なに~?」昴の発言に美奈は興味津々だ。

「なんと次節のスコアラーズ戦から友助くんがバランサーズに加入しちゃいまーす」

「おお~そうなの?凄いじゃん!!」これには瑞希も素直に驚いたようだ。

「そう。だから今日はその前祝いってことで」

「あの~僕、今日はやっぱり帰ります」

「え、なんで?遠慮することないよ」

「僕、実は若干人見知りなとこがあって、初対面の人多いから緊張しちゃって――」

「それなら私も帰ろっかな。実は、明日朝ちょっと早いんだよね」

「そ、そう。みんな帰っちゃうの?」

「今日はもういいんじゃない?みんなまた会えるんだし」

結局は瑞希の鶴の一声で、その場はお開きとなった。それから車で二人を駅まで送ってから、昴と瑞希は車内で話をした。

「勝手に友達呼ばないでよ」

「いいじゃんかよ、ちょっとくらい」

「私の都合はどうなるの?あれ作ってこれ作ってって。私は家政婦じゃありません」

「これから同棲するんだし、夫婦みたいなもんだろ?」

「そんなの無責任すぎるよ!!まだ結婚してないんだし、それならちゃんと責任取ってよね!!」

「うっ――ごめん」

 それから瑞希は同棲ブルーになってしまった。将来を考えると不安になり、9月が近づくにつれて憂鬱な気分になるのであった。

「まだ結婚したわけでもないのに何考えてんだろ。大丈夫なのかな、こんなんで」

仕方がないこととはいえ、人生にはその時々での悩みがあるものであった。



 第3戦の強豪、焼津スコアラーズとの対戦を目前に、昴から紹介があって、いよいよ正式に友助がチームに加わることとなった。

「今日からこちらでお世話になります、本郷 友助です。今年24歳で、ポジションはアラ。先日の練習試合で対戦しているので知ってる人が殆どだと思いますが、よろしくお願いします」ここで保がスムーズに話を進める。

「それじゃ一通り名前とポジションと、あと一言だけ言っとくか。知ってると思うが、キャプテンの福祖(ふくそ) 保だ。ポジションはフィクソ。趣味は植物のタネ集め」

「室井 昴、ポジションはピヴォ。プロフィールはイヌロフで言った通りね」

「ぼ「後藤 蓮です。ポジションはアラ。今年3年目です」

それから一通り皆が自己紹介を終えたところで、保が話を閉めに掛かる。

「それじゃ最後に目標を言ってもらおうか」

「はい。今年の目標は、怪我をしないことです」

友助の話が終わった後、蓮が保に話し掛ける。

「なんかやる気ない感じでしたね。怪我をしないなんて偉く消極的な目標ですし」

「バーカ。ああいうヤツは裏を返せばもう目標にするようなことがないってことなんだよ。上手い奴ほどあれを言うんだ。よく覚えとけよ」

「ふ~ん。そういうもんなんですね」

保の言葉に蓮は納得したようだった。一方、友助は昴に改めて挨拶していた。

「昴さん、なんだか新鮮な感じですよ。今日からよろしくお願いします!」

「ああ、そうだな。嬉しいよ、俺が居るからってバランサーズを選んでくれて」

「兄貴に一生ついて行くって約束しましたからね。それより残念です。次の試合、一緒に出られなくて」

「ん?出るよ、次の試合」

「え、出ないんですか?選抜」

「ああ、打診はしてもらったんだけどさ。なんか気乗りしなくて――」

「そんな理由で出ないんですか?僕は転居したから仕方なかったんですけど、それじゃ勿体ないような――」

「いいんだよ。望めば来年も出られるんだし、いくらでもチャンスはあるんだから」

「――そうですか」

その後にアップが終わると、保が友助を連れて練習場を案内して回った。サッカーを長年続けているとはいえ、他所のグランドは勝手が違うものであった。見るとコートの脇でひたすらボールを蹴っている人物が居た。それを見て友助が保に話し掛ける。

「あの人って、選手なんですよね?」

「ああ、(あたり)か。足が悪いんだが技術は確かでよ。ちょくちょく練習に参加してんだ。

言いたいことは分かるよ。けど、『落ちこぼれを作らない』がこのチームのスローガンなんだ」

「へえ~そうなんですね。それはいいスローガンだーー」

“走れないんじゃ、試合に出られないんじゃねーの?参加してる意味あんのかな?”

そうは思ったが、新入りである為この意見は胸の内に秘めておくことにした。

それからパス練とキープ練が終わり、保が何やら新しい練習を始めようとしている。

「おい、ニワトレ行くぞ!!」

「「おー!!」」

「「おんどりめんどりにわとりー」」

「「おんどりめんどりにわとりー」」

「なんですかコレ」友助は入部早々、奇妙な練習を見て少々不安になったようだ。

「何って、伝統のシュート練習だよ。前に居た鳥居さんが唯一残していった」

このニワトレは転がってきたボールを蹴ってゴールに叩き込むというもので、にわとりーの部分で勢いよく蹴り込むという練習法であった。

「保さん正直コレ、やりたくないんすけどーー」

「何言ってんだ。変に見えるけどな、タイミングを掴むにはこれが一番いいんだよ」

「う~ん。じゃあ、やってみます」

そして友助は、飛んでくるボールを見極めてタイミング良くシュートを打ち込んだ。

「おんどりめんどりにわとりー」

「声が小さいぞ。恥ずかしがんなよ」

「はい!保さんコレやってみると結構いいですね。実際タイミング取りやすいですし」

「そうだろ?なんでも馬鹿にせずにやってみるもんなんだよ。やってみたら意外と(はま)ったりするんもんなんだ。食わず嫌いっつってな。食べもせずに味なんか分かるかよ」

保は自信を持ってそう言った。練習後、思い立ったように蓮が友助に話し掛ける。

「ねえ、友助くんって1978年生まれ?」

「そうですよ、後藤さん?でしたっけ。後藤さんはおいくつなんですか?」

「僕も78年生まれなんだ。今年24歳」

「そうか!それなら同い年じゃん!よかった~。正直、歳上ばっかで不安だったんだ。昴さんを頼りにこのチームに決めたからさ~」

 日本人は、自分以下の年齢の人には、多少横柄でもよいと考える人が少なからず居るため、同い年と分かると安心する傾向がある。

「そうそう。だから僕なら話しやすいかなと思って」

「ありがとう、助かるよ。後でアドレス教えといてよ。困ったら連絡するし」

「いいよ。もう今日からチームメイトだもんね」

「そうだよね。ワールドカップ見ただろ?凄かったよな、ロナウジーニョ。マジかっこいいよ。いつかフットサルやったりしないかな。まあ、それはないか」

 ロナウジーニョはサッカー選手を引退した後、一時フットサルをやって無双するようになるのだが、この時の状況からは想像もつかないことであった。ふと見ると皆が個人練をしており、中が味蕾に向かって一生懸命にシュートを撃ち込んでいた。

「キーパーなんてつまんねえよな。ただ突っ立ってるだけで誰でもできるんだしさ」

「そんなことないよ。キーパーはヨーロッパでは人気のポジションなんだ。守ることの大切さは日本人には理解され辛いんだよ。太ってる子が嫌々やらされるなんてのは間違ってると思うんだ」

「ふ~ん。そういうもんなのかねー」

 友助はさほど納得は行っていないようだが、話を合わせるようにそう言った。

「なあ、あの中って人、参加してる意味あんのかな?あんな足悪い状態でさ。やってて楽しいのかな?」

「ハンデのない人間なんていないよ。みんな何か抱えて、それでも必死で生きてるんだ。それを乗り越えた時、初めて本当の自分と向き合えるんだよ」

「ふ~ん。ホントの自分ね~」

後に激しく後悔するこの一言を、友助は何気なく発してしまっていた。この時の情けない自分への忸怩たる思いを、あの後友助はなかなか払拭できないのであった。



7月20日、今日は強豪、焼津スコアラーズとの試合の日である。赤のユニフォームが鮮烈なスコアラーズは、オフェンス重視でイケイケ。超攻撃的なチームである。だがただ闇雲に攻めるわけではなく、あまり動かずに頭脳を用いてプレーし、熱中症対策のために涼しい午前中に練習するなど知的な面もあるチームだ。

キャプテンの(ほむら) 寿(じゅ)太郎(たろう)は去年、一昨年の得点王であり、前キャプテンである熱気がいた頃は大人しかったが、彼の引退後にキャプテンとなった後ではデカい顔をするようになり、長く伸ばした髪の毛を編み込んでドレッドヘアーにしていた。

そしてこの焔は、静岡県内に現在5人いる、日本代表のうちの一人でもあった。

試合前、友助が保にこのチームの概況を尋ねる。

「スコアラーズってどんなチームなんですか?」

「完全にオフェンス主体のチームだな。イケイケで後先考えない。そんな感じだ」

「それってただ無謀なだけですよね。投げやりなだけじゃないですか」

「ははは、まあそう言えばそうなのかもな。あいつらにディフェンスなんて概念はない。『攻撃は最大の防御』それがあのチームのコンセプトだ」

「へ~。なんか面白そうだな。点の取り合いになりそうですね」

「ああ、強敵だからな。頼んだぞ、初戦だからって新人扱いはしないからな」

「もちろんです。大船に乗った気でいて下さい」

 友助は信頼を得るため、何か任された際には強気に振る舞うようにしているようだ。

 5分後、スコアラーズボールでの前半開始1分、アラ焼野からのフィードに、同じくアラの燃木が合わせ、いきなり得点を挙げてきた。鮮烈な先制点にスコアラーズの選手たちが大いに沸き立つ。そして0対1での試合再開、バランサーズは速い展開から甘利のシュート。これがクロスバーを叩き、零れ球に友助が詰め寄るが焼野の壁に阻まれてゴレイロの炎田にボールが渡ってしまった。

スコアラーズが速攻を仕掛ける形となり攻守逆転。スコアラーズはパス回しが速く、誰もが一瞬シュートかと勘違いするほどであった。これは『ティキ・タカ』と呼ばれ、速いパス回しで展開して相手を翻弄する連携である。燃木から出された絶妙な浮き(ガンショ)を、焔は肩でのトラップを挟み強烈なミドルシュートを放った。これは惜しくも外れたが、強烈なシュートに、友助を始めバランサーズの選手たちは思わず冷っとしたのであった。

“バイタルエリアからの攻撃が多いな。どのシュートも要注意だ”

『バイタルエリア』とは、得点に直結することが多い場所のことで、スコアラーズはこのエリアからのシュートが多く、意図的にその範囲内から撃ってきていた。

その後、昴と友助で『エル』のスクリーンでのオフェンスから1点を返し、1対1で同点とした。これは文字どおりエル字に展開しての攻めで、アラから出したボールを

ピヴォがサイドで受け、リターンパスをもらったアラがシュートするというものだ。

バランサーズに一点返され形勢同態となるも、スコアラーズの選手たちは全く辛そうにはしていなかった。それは彼らが常にポジティブであり、試合展開を前向きに捉えることができていたからである。

スコアラーズは、またしても速いパスで回し、エース焔へとボールを渡した。そして焔はフェイントを加え、瞬く間に右へ進み、流れながらのシュートで1点をもぎ取った。

焔のこの『ペダラータ』は、ボールの上を素早く足で跨いで、最後に左右どちらかにタップすることで(かわ)すフェイントである。シザースとも呼ばれ元ブラジル代表で02年WC日韓大会を制した、あのロナウドも使用していた技である。

 これには、側で見ていた瑞希、莉子、美奈の三人も驚いていた。

「凄い得点力。FCバルセロナみたい」

「スコアラーズはポゼッションサッカーだからね。本当イケイケよね」

「ねえ、ポゼッションサッカーって何?」

「ああ、オフェンスには2種類のタイプがあって、フェインターズがやってたような、パスワーク型の『ポゼッションサッカー』とブレイカーズがやってたようなカウンター型の『リアクションサッカー』があるの」

「へ~流石は莉子ちゃん!物知りだね」

「そうでしょ。こういうのは知っとくと便利なんだから!」

 莉子はこういう話をすると、決まって得意げにこう言うのであった。バランサーズは不安を抱えながらの応戦となったが、保の撃った慣れないミドルが意外にもあっさりと入ってしまった。一同拍子抜けするも昴、友助と価値ある同点ゴールに湧いた。

「ナイッシュー、保さん」

「ほんと助かります。頼りになりますよ」

「まあ、そう慌てんな。大したことねえよ。攻撃は強烈だが、ディフェンスは案外ザルかもしんねえな。積極的にゴール狙って行こうぜ」

「そうだよね、俺らも負けてらんないな」

 そして両チーム均衡を保ったまま前半が終わり、ハーフタイムへと突入した。

スコアラーズは燃木、焔、焼野がチームを盛り立てる。

「まだまだ俺たちこんなもんじゃねーだろ?気合い入れろよな」

「その通りだ。俺らの焼津魂を見せてやろうぜ!!」

「流石は(ほのお)の人。説得力ありますね」

「だろ?後ろなんて振り返るな、前進あるのみ。それが俺たちスコアラーズだ!!」



 後半に入り、バランサーズボールでの後半開始。すぐ展開を作っていくのだが、大事に繋いだボールを辛損が燃木のプレッシャーに負けてロストし、スコアラーズボールとなってしまった。バランサーズは友助のところは機能しているのだが、もう一人のアラの所がどうしても穴になり、オフェンスが嵌らないことがあるのであった。

 それから、スコアラーズボールとなったところで受け渡しミスが発生し、友助が軽く押したものがファールとなり、PKを与えることとなってしまった。味蕾は焔のミドルを警戒していたが、代わりに燃木が蹴り込んだ。

味蕾が辛うじて弾き返すと、零れ球を火野、焼野が連続してシュートまで持ってくる。スコアラーズは後半、攻めの一手で大量得点を取る算段なのであろう。ここぞとばかりにゴールを狙ってきた。最後のシュートを味蕾が弾き、コーナーキックとなったものを焼野のセンタリングから焔のシュートが炸裂するが、これは左足で撃ったため、精度がいまいちだったのかクロスバーを掠めて終わった。

 後半6分、バランサーズは冷静にオフェンスを組み立て1分半ほどボール回しを行い、友助が出したパスを、塩皮がスルーパスでオシャレに流し、昴が左足で丁寧に狙って

シュートを決めた。保が駆け寄って嬉しそうに二人に声を掛ける。

「いいじゃねえか。翼くんと岬くんばりのゴールデンコンビだったな」

「そうかもね。ずっと相方がいなかったから、これで結構楽になったよ」

「相方だなんて嬉しいですね。お役に立てて光栄です」

 友助はちょっと照れながらも、悪い気はしていないようであった。だが、それに対しスコアラーズも負けてはいない。少し欲を出して前線まで上がって味蕾がシュート撃ったが外したところを、燃木が見透かしたようにロングループで射貫き3対3とした。

 それから、バランサーズボールでの再開から苦氏のシュートが空を切り、炎田が燃木へと回し、走り込んだ焼野が渾身の力で撃ったシュートを味蕾が辛うじて止め、前衛へとロングスローを出したのを火野が目ざとくカット。

素早く前線へとショートパスを繋ぎ、焼野のシュートがバーに弾かれたのを焔が体勢を大きく傾けながらも、至近距離からアウトサイドキックでのシュートを決めてネットを揺らした。この得点で3対4となり、押しつ押されつのシーソーゲームとなった。

逆転を許し本来なら焦りが見え始める所だが、バランサーズ側も得点が取れる自信があるため、さほど慌ててはいなかった。そしてバランサーズボールでの試合再開。

酸堂からパスを受けた友助は右足でボールを止め、少しの余裕を見せた。

“そろそろいいかな”

後半10分を過ぎたところで友助は焼野をルーレットで急速に躱し、飛び出してきた炎田を尻目に、そのまま緩徐にループシュートを決めた。あと一歩の所まで詰め寄っていた炎田は悔しそうに腕を縦に振った。この試合での活躍に友助のスコアラーズからの評価はかなり高いものになった。

 バランサーズは友助の加入で、一気に戦力がアップしていた。もうその辺のチームでバランサーズを脅かす所はそうはないだろう。そう思われるほどのチーム力であった。試合が再開されスコアラーズがオフェンスに失敗し友助にボールが渡ると、ゴレイロの炎田が大きく声を張る。

「8番、チェック厳しく!ソイツに撃たすな!」

“すげえ響く声だな。コートの端から端まで。これならディフェンスも安心だ”

友助はプレッシャーを警戒して保までパスを回し、そこから昴へとパスを送ったが、これは呼吸が合わず、フィクソの火野に阻まれてしまった。

「そんな弾いてんじゃねーよ、このタコ助が!!」

ゴレイロの炎田は、腕は確かなのだが口が悪いところが玉に(きず)であり、対する火野は髪の毛をワックスでガチガチに逆立たせているわりに気が小さく、普段からこの炎田のお叱りに怯えているのであった。

 バランサーズが攻めあぐねてボールロストすると、スコアラーズはここぞとばかりに『サイ』と呼ばれる攻めに転じた。これはピヴォとアラが入れ替わるフォーメーションで、得点力のある焔を左右のアラの位置に据えて得点する算段であった。

だが如何せん他の選手がショットを撃つこと自体が少ないため、焔を強めにケアしておけば防げるという欠点もあった。焔のオフェンス力、得点力にはやはり特筆すべき点があり、このキツいマークの中でも果敢に攻めまくっているのであった。

残り時間7分のところで、友助が出した絶妙のタイミングのパスを、昴がアラの位置まで下がって受けて火野を躱し、左足で優雅に炎田の脇を通した。これで5対4と勝ち越しに成功し、昴と友助の連携で今日の試合はバランサーズの得点が爆ぜた。

 スコアラーズは、この得点でゴレイロとして登録していた、フィールドプレイヤーの(あせ)()を投入してきた。そして、試合再開後にオフェンスとして加わるパワープレーへと切り替えて来た。バランサーズにとって後半残り5分でのスコアラーズのプレーは相当にしんどいものがあった。

この『パワープレー』とは試合時間が少なくなった際に、得点で負けているチームのゴレイロが前線まで上がってフィールダーとしてプレーするスタイルで、散り際の猛攻という感じの攻めである。

 残り時間をフルに使ってパスを回して、スコアラーズが最後にボールを託したのは、やはりエース焔であった。彼は保をペダラータで難なく躱し、スペースに躍り出たが、それを見越していた友助がスライドしてプレッシャーを掛けた。

焔は果敢に間隙を縫ってシュートを放ったが辛くも外れ、これはクロスバーに強烈に当たって、天井まで達するほどであった。ボールが落下すると同時に審判が笛を吹いて試合終了。バランサーズにとって価値ある一勝となった。

 試合後、選手たちが勝利を喜ぶ反面、瑞希と莉子は以前の事がまだ気になっていた。

「莉子、やっぱりその彼、あんまりいい人じゃないんじゃない?」

「うんーー、ちょっと暴力とかもあってーー」

「え!?それってマズいんじゃない?大丈夫なの?」

「いいの。彼は間違ってないし、私が悪いから」

「莉子はそれでいいの?」

「けど、彼のことは大好きだし。私、もうどうしたらいいのか分かんないよ」

「距離を置くとか、誰かに間に入ってもらうとか、その方が莉子の為だと思うよ」

「好きだから一緒に居たいって、そんなに悪いことなのかな?」

「いっそのこと別れて、酒に流して忘れちゃえばいいんじゃない?」

「そんな簡単に割り切れないよ」

「ごめん、そうだよね。私、別れたことないから想像力足りてないな」

「好きになってはいけない人に限って、そうなったりするもんなのよねー」

「ねえ、美奈ちゃんに聞いてみたら?あの子ならいいアドバイスくれるかもよ?」

「ええ~。あの子はちょっとなぁ。なんか若干頭弱い感じするし~」

「う~ん。そんなことはないんだけどな~」

「そう?バカっぽいじゃん。あの子」

それから莉子は事の顛末を美奈に話してみた。

「う~ん、そうだなぁ」

「ごめん、美奈ちゃんにはちょっと難しかったかな」

「今後の人生の中で今日が一番若いんだから、別れてみるのもアリかもよ」

「ええっ!?」

意に反して美奈が鋭いセリフを口にしたので、莉子はかなり戸惑ってしまった。

「そ、そうね。考えてみるわ」

「うん!その方がいいと思うよ」

美奈は満面の笑みでそう言った。



スコアラーズとの熱戦を終えた7月終盤、バランサーズは次節へ向けて更なるベースアップを計るため、練習に余念がなかった。皆で暫く練習を続けていると、一人の恰幅(かっぷく)のいい男性がピッチに入って来た。

「お~、やっとるか~」

「うわっ、どうしたんですか鳥居さん」

急遽やって来たその男性を見て、思わず保は驚いてしまった。

「いや~現役を引退したら急に太っちゃってさ。まいったよ~」

これは『バーンアウト』と呼ばれる現象であり、現役生活で掛かっていたストレスが一気にハジけてしまうことで生活リズムが狂ったり、暴飲防食に走ってしまったりすることで急激に体重が増加してしまうものである。

対処法としては他にストレス発散できる方法を見つけることや、太り難いものを食べることが有効であると言える。鳥居は現役時代は俊足で体力もあり、筋肉質で成人男性の平均的な体型と言って差し支えなかった。だが、スポーツ選手というのは、普段から過剰なストレスが掛かるものであり、鳥居もまたその例外ではなかったのだろう。

「鳥居さん!久しぶりですね。引退してから全然来てくれないんだから」

そう言った昴は、久方の再会に喜んでいるようだった。

「仕事が忙しくてな。忘れてたわけじゃないいんだぞ」

「それは分かってますよ!鳥居さん、今すっごく楽しそうですもん」

「まあ、ここは庭だからな。懐かしいんだよ」

 それを聞いた保は、気合いを入れて皆に号令を掛ける。

「お~し、気合入れて行くぞ!!」

「「お~!!」」

「「おんどりめんどりにわとりー」」

「「おんどりめんどりにわとりー」」

「はっはっは。楽しくなって来たな!どれいっちょ練習見てやるか」

 そう言った鳥居は、練習と同時に指導を行う『シンクロコーチング』と、止めて指導する『フリーズドコーチング』を巧みに使い分けていた。それから練習を終えた皆は、懐かしさも相まって鳥居と一緒に居酒屋へ飲みに行くことにした。鳥居は、昴、友助、保と席に着くと、出て来た料理を頬張(ほおば)りながら恍惚(こうこつ)の表情を浮かべた。

(うま)す!旨すなーコレ」

「出た、鳥居さんの旨す!」

「好きだったんだよ、この味。ほら保にも一本やるよ」

「ああ、ありがとうございます。うん、美味い!いや~本当、昔に還ったみたいだ。胸刺(むさし)とやり合ってた頃を思い出すな~」

 耳慣れない名前を聞いた友助は、気になって聞いてみることにした。

「保さん、胸刺さんって誰ですか?」

「ああ。昔、熱海ギガンテクスってチームがあってよ、そこの選手だよ」

「あったって、もうないんですか?そのチーム」

「――解散しちまったんだ」

「解散?なんでまたそんなーー」

「わりに嫌な話でな。立川アルバトロスの(しつけ)って奴がいて、ソイツの所為(せい)でなーー」

 するとここで言い難そうにそう言った保の話を、鳥居が遮るようにして制した。

「その話はやめようで。もう過ぎたことだ」

「そうだよ保さん。友助も余計なこと言うなよな」

「え!?あ、はい。――すみません、知らなかったもんで」

 そう言った友助は少し納得が行かなかったが、場を収めるために、謝罪の言葉を口にした。この日はここでお開きとなり、鳥居との別れを惜しみながらも、バランサーズの選手たちはそれぞれの帰路についた。

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