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第一章 紹介編

もう殆ど何もかもが嫌だった。陰鬱な生活も、長すぎる労働も、抑圧された人生も何もかも。何のためにここに居るのか、何が正しくて何が悪いのか、それを何度考えたのかも分からない。夢とは何なのか、勝利とは一体どこにあるのか。大切なことはいつも自分で決めなくてはならない。行動には常に責任が伴う。

「はあ、はあ、うあああああ」

「また、『あの夢か』――」

あの夢とは、彼がまだ高校生であった頃、彼にとって忘れられない『ある出来事』があった日の夢だ。6月から始まる静岡県フットサルリーグに向けての合宿が開始されるのを2時間後に控えた日の朝は、(すばる)にとって最悪の寝覚めとなった。

5人部屋で寝ていた彼は、自分の声で起こしてしまった周りの4人に謝罪しつつも、あと少し寝ようか、それとも起きようかと迷っていた。すると、ドンドンドンとドアを叩く音がして、鍵を開けるとチームメートが二人なだれ込んで来た。

「おい昴、大丈夫か?俺らの部屋まで声が響いてたぞ」

「そうですよ。今日から合宿が始まるっていうのに、どうしちゃったんですか?」

 そう言って声を掛けてきたのは同じチームのキャプテンである(たもつ)と、少し頼りないが前向きで明るい後輩である(れん)だ。

「ああ、大丈夫。ちょっと嫌な夢見ちゃってさ」

そうは言ったものの、確実に不安が残るような内容ではあった。

「それならいいんだけどよ。大事な大会前なんだし、あまり思い詰めんなよ」

「そうですよ!昴さんに何かあったら、僕らもうやって行けないんだから」

「悪りい悪りい。初日からこれじゃ、幸先悪すぎだよね」

皆はそれから朝食を食べ、すぐに準備をし、昴はいつものように怪我の予防のためのシンガードを着用すると、コートに出て軽くストレッチをした。

昴の所属している沼津バランサーズは、現在プレーヤー11名、マネージャー3名の総勢14名で、フットサルチームとしては比較的少なめの人数であった。

全員が社会人であるため試合の日と休みが合わないこともあり、毎日のお勤めが大変ではあるのだが、比較的休みが取りやすい公務員として勤務している面々が主力となっていた。

「おはよう、昴くん」

「ああ(みず)()!おはよう」

 声を掛けて来たのは昴の彼女で、付き合って8年になる瑞希である。瑞希は静岡市内のセレクトショップに勤めており、少し長めで綺麗な茶色い髪が自慢であった。

「マネージャーどうしたの?朝食の時に三人とも居なかったけど」

「ああ、()()が昨日の夜遅かったから起きなくてーー」

「ははは、集合時間早かったもんね」

「そうそう。私と()()で揺すっても爆睡してるんだもん」

「入部1週間で寝坊って大物だな」

「ほんとそうだよね。あれっ、そう言えば(あたり)くんは?」

「ああ、今回は仕事があるからパスだってさ」

「そっかー。仕事大変だもんね」

「偉いよな。障碍者枠でも働けるってのに」

「まああの知能を無駄にするのは勿体ないからね」

「そうだよね。よくやってるよ本当に。まあ人数少ないから助かるんだけど」

 それから瑞希と談笑していると、選手たちがちらほらと出て来たようだ。



 本作の主役である沼津バランサーズは、白と黒の縦縞のユニフォームが秀逸なチームで既婚者が多く、夕方に練習を行い、試合に出ているのはほとんどが固定のメンバーであり、技術のバラつきが顕著であるのを補うため、レギュラーメンバーに補欠の選手を一人加えて出場させるといったスタイルのチームである。

本日2002年5月3日から4日の間、名古屋市常滑市にある『りんくうビーチ』で合宿を行うことになっており、初日の今日は10時からの2部練となっている。全員がビーチに出揃ってストレッチをしている中、キャプテンである保が皆に(げき)を飛ばす。

「皆知っての通り、今日から静岡リーグに向けての合宿だ。初日は個人戦術、2日目は連携戦術、3日目は対人戦術、最終日はレクリエーションとビーチサッカーをやるから気合い入れて行くぞ!」

「おっしゃー!!」

勢い余って一人だけ声を発した蓮は、少しバツが悪そうに周りを見渡した。それからアップとして5分間のランニングをし、入念に20分間のストレッチを行った。

「あれっ、今日は長ランやんないの?」

「ああ、今回は特別なんだよ」

昴の問いかけにそう答えると、保は選手たちに向かって呼びかけた。

「それじゃあチーム分けするぞ」

「チーム分け?今回はそういう感じなの?」

「時間と道具の数の都合だ。効率よくやった方が皆のためだろ?」

「それはそうだね。じゃあソレで行こう。で、どう分けんの?」

「もう決めてあるんだ。昨日の部屋割り、アレが今回のチームだ」

「ああ、そういうことか。なんか変な分け方だなと思ったら」

「同じ部屋の方が話し合いがしやすくて都合がいいだろ?」

「それはそうだね。いろいろ考えてくれてんだね、保さん」

そしてこのチーム分けの結果、A班は(しお)(かわ)、保、(あま)()(から)(そん)()(らい)、B班は昴、蓮、(にが)()(べっ)()(さん)(どう)となっており、レギュラーと補欠が半々というような状況であった。

「よっしゃ、それじゃラントレやるぞ!!」

 保は今回の合宿では、午前中は徹底的に走力を鍛えることにしていた。

「ボールを持ったまま50mを25本、100mを15本走るぞ。それぞれ最初と最後のタイムに一番開きがあったヤツがペナルティとしてもう3本追加だ。それを知ってるからって手を抜いてるヤツは、俺が自主的に走らせるからな」

それから一同は、早速50mダッシュのトレーニングに移った。いつも楽しむことを念頭に練習しているためか、味蕾はすぐに辛く感じ始めたようだ。

「うえーしんどいなーコレ。なんか高校生みたいだ」

「体が痛くなるくらいでちょうどいい。日頃たるんでる自分への罰だよ」

普段は練習中に甘さがある保だが、今回は厳しく当たるようにしたようだ。そうは言ったものの、結局味蕾は昴に次いで全体としては2番で走破できており、結局2つとも蓮がビリとなってペナルティダッシュを行った。

「ああーキツい。けど、これなら体力付きそうですね」

「そうだろ?蓮のその前向きなのは凄く良いところだ。明日からは皆に勝てよ」

「はい、勝てるように気合い入れて走ります!」

 けど結局、その後の3日間で蓮はこの練習において勝つことはできなかった。だが、彼のその直向きな姿勢を見ていたからこそ、保はただの一度も蓮を叱ることはなかった。

日頃の行いというものは、軽いことのようで案外みんな見てくれているものであり、頑張っていれば、思わぬチャンスが舞い込んできたりもするものなのである。

そして選手たちは浜辺に移り、間髪を入れずに手押し車の練習を行った。これは浜を50m往復で10本行い、最下位のペアが腕立てを50回行うというものであった。

人数がちょうど10人で各ポジション二人ということで、すんなりペアを組むことができた。細身で筋力に乏しい蓮と甘利ペアも苦戦したが、これは体重が重い保と辛損のペアが、毎回ビリになった。

「あ~、30回にしときゃよかったな。更に腕が太くなっちまうよ」

「ははっ、残念だったね保さん。自分で決めたんだからしっかりやんなきゃね」

この練習も一位でこなした昴は、揶揄うようにそう言った。

「蓮くんが休まず頑張ってくれたお陰で最下位を免れたよ」

「えっ、そうですか?ありがとうございます!甘利さん」

 あまり褒められ慣れていない蓮は、正直に嬉しそうだった。

「保さん、ちんたらやってっからだよ」

「ははっ。相変わらず辛辣だな、辛損」

この二人はポジションは同じでも甘利は薬舌、辛損は毒舌と言った所であった。

そして一同は、昼食のカレーを食べた後ビーチに戻って練習を再開した。

「午後は個人練だ。主にやることはボールフィーリングとキック練だ」

ボールフィーリングは、ボールを上に上げながら後ろへ下がるドリブル、足裏で横に流して止める、流して止めるを繰り替えして往復するドリブル、ボールを引いて押して、引いて押してを繰り返して進むドリブルをやった。

次に二人組で、ドジングと呼ばれるオフェンスがドリブルをしながらディフェンスのポジションを確認する練習と、足裏でパスをし合って、縦に移動する練習を行った。

キック練はゴールポストに対しインステップキック、トーキック、スコップでゴール上部のクロスバーと、横部のゴールポストにそれぞれ1回当てるというルールで行い、最後まで残った人は、その場でスクワット50回のペナルティを課された。

「おっし、楽勝だな」

昴が全て1発で決めると、続く選手たちも多少苦戦したものの、全てのキックを当て終えた。だがここでキーパーもやっておくことになって参加した味蕾が、予想外に時間が掛かってしまった。

「おい、何やってんだよ、早くしろよ」

「あ、すません。おかしいな?なんで当たんないんだろ?」

昴からプレッシャーを受けた味蕾は焦ってはいるものの、そのコントロールは一向によくなる気配はなかった。ここでコツの一つでも教えてあげれば、すんなり事が運ぶのかもしれないが、この時の昴にはそんな気概はないのであった。

対策としてはバーに当たらないのは蹴ったボールが浮き球になっているため、もっと直線的なライナーのシュートを蹴らなくてはならないということ、体が開いていて角度がおかしいので、それを直すということであった。

ゴレイロである味蕾は普段動く人に向かって蹴ることが多いため、逆に止まっているものに対するアプローチは不十分なのであった。彼が漸くポストに当て終わり、急いでスクワットをすると、保が持ちわびたように号令を掛けた。

「おっしゃあ、締めの練習で『ロンド』やるぞ!!」

ロンドとはいわゆる鳥籠のことで、5人でボール回しをしている中に二人プレーヤーが入ってボールを奪おうとするといった練習である。試合でのボールキープを想定したものであり、かなり実践的な練習法である。

「これから3日間、毎日これだけはやるからな」

それからダウンを済ませ、皆はロッジに戻ってシャワーを浴びようとしたが、そこを保が呼び止めて、またなにやら始めるようだ。

「よ~し、それじゃあ筋トレするぞ」

「え~まだやんの~」

保の言葉を聞いた蓮は、わりと不満そうに声を上げる。

「当たり前だ。遊びに来たんじゃないんだぞ」

「う~ん、まあそうなんですけどーー」

「メニューはこれで終わりだから我慢しろ」

「は~い。これも勝つためですもんね」

「そうだ!艱難辛苦だけど、邪道な俺たちにしかできないことってのがあると思うんだ。正義の味方よりも悪役の主人公の方が俺たちにはお似合いだろ?勝ち取ろうぜ、優勝」

「大会までにできる限りのことはやっておきたいですもんね」

「その通りだ!それで、今回やるのは、補助器具を使った筋トレだ。サスペンション・トレーニングは瑞希と美奈、バランスボールは莉子に見てもらうからな」

サスペンション・トレーニングは、両端に輪っかを作ったぶら下がりヒモを用いて、各種目20回を腕立て、腹筋、背筋、腕引き、座り上がり、持つ腕の幅が広い狭いの

2パターン10種目で3セットをペアで交互に繰り返す。

バランスボールは、各種目45秒と休憩15秒間使用して、体幹、大腿筋、腹斜筋、上腕二頭筋、腹直筋、広背筋、腹直筋、大殿筋、大腿筋、手足開閉の10種目3セットを二人がセットごとに入れ替わりながら行う。

10分やって10分休憩という具合なのでやっている間は苦痛なのだが、休息はしっかり取れる練習となっている。昴、保、別記はそれぞれのトレーニングをわりと余裕を持って熟しているのに対し、筋力に乏しいのか蓮は意気も絶え絶え、とても苦しそうに行っているのであった。

「˝あ˝あ~。もうダメ、もうダメ、ギブギブ!!」

「おい、お前そんなんじゃリーグ中もたないぞ。気合い入れろよ」

「う~っ。はい、頑張ります!」

昴に少々怠そうに発破を掛けられながらも、蓮は常に素直に頑張っていた。そして、サスペンションチューブとバランスボールは予算の都合上2つづつしかなかったため、あぶれたゴレイロの苦氏と味蕾の二人は、なわとびを用いたジャンプ練を行っていた。

「苦氏さんってすっごい器用ですよね」

「ああ、まあこういうのは得意だね。たぶん昔ダンスやってたからだよ」

「ああ、なるほど。それでなんですね」

「ソレほんとに思ってる?実は関係ないんだけど。適当に合わせない方がいいよ」

「ははっ、手厳しいですね。気を付けます!」

「そうそう。味蕾はしっかりしてるんだから、自分の意見はちゃんと主張しろよな」

 苦氏はいつもこうやって人の悪い癖を指摘しているのであった。そしてただ指摘するだけでは嫌味に聞こえるのだが、一言フォローを入れることで嫌われるのを防げていた。

それから一同は今日は特に夜は予定がないからと、マネージャーも合わせてウノをやった。ただ、保だけは明日からのメニューの調節があるからと参加せず、12人で2時間の長丁場でのゲームとなった。



 2日目、バランサーズの面々は昨日と同じように走トレを終え、昼食のカレーを食べビーチに戻った。少し目の下に隈がある保は、それでも意気揚々と話し始める。

「おっし、今日の午後練は連携戦術だな。ミスなく確実に行くぞ」

「オッケー、みんな大事に行こうぜ」

昴は昨日の保の頑張りを酌むことにしたのだろう。疲れが見え始める前に、率先してチームを引っ張ろうとしていた。この日はまず各ポジション間での連携とゴレイロからフィールダーへのパス出しをA・Bチーム分かれて行い、10分間の休憩を挟んだ。

それからコートの四つ角に立ち、走り込んでパスを貰った選手が対角に出して受けた選手はボールを間に出し、最初の選手がシュートするという『パス&コントロール』、左右非対称になるようにエンドラインに立ったDFが、センターラインに立ったOFにパスを出し、追い掛けて守備を行う『コントロールドリブルシュート』を練習した。

 そして、ロンドと筋トレをこなして2日目の練習が終わってシャワーを浴び、夕飯のクリームシチューを食べ終わった頃、保がデッキに集まった皆に声を掛けた。

「みんなもっと走り回りたいだろうが、練習は2時間まで、オーバーワークは禁物だ。6月からの大会本番に備えて、ネットの動画見てモチベーションアップするぞ」

「すっげえ為になるなコレ。こんなの開示しちゃっていいかな?」昴は感心している。

「いいんだよ。トレーニングが凄いんじゃない、選手が凄いんだ。心血注いで練習するからこそ、ロナウジーニョで居られるんだよ」

「ふ~ん、そういうもんなのかね」

保の話を聞いた昴は、さほど疲れも見せずにそう言った。

3日目、走トレと3回目のカレーに少々うんざりしながら、一同はビーチへ戻った。最後の基礎練とあって保の弁にも力が入り、昴もそれに応えようとする。

「今日はいよいよ対人戦術だ。練習ももう佳境に入るし、気を抜かないようにな」

「当然だろ、俺ら今年は優勝目指するんだぜ。これくらいで根を上げてらんねえよな」

「頼もしいな。5月5日のフットサルの日に気合いが入らないわけないしな」

「ああ。けど俺らくらい練習してたら、毎日がフットサルの日みたいなもんだよ」

「ははは、それもそうだな。じゃあ皆、ここからがキツいところだが頑張って行くぞ」

「「「「おー!!」」」」

 ここではもう気合いが空回りするようなことはなく、蓮以外のメンバーも一斉に声を上げてチームを鼓舞した。それから1on1、カウンターケアの2on1、ブレイク、菱形の陣形で斜めに走り込むと勝ちという2on2、DFがセンターラインで待ち構えOFが走り込む練習、逆にDFがOFを抜き去ってゴールする練習、二人のプレーヤーが半円を描くようにして交差し、置かれたボールを互いに取り合って取った方がゴールに向かってシュートするサークリング練を行った。

そして最後に例日の通り20分間のロンドと2種類の筋トレを行い、この日の練習を締め(くく)った。夕食後、一同は今シーズンの戦術についてのミーティングを行った。

「今年も従来通り、ディフェンス主体のチームで行く。90年代イタリアのカテナチオみたいに1点取って最後まで守り切るようなイメージだ。勿論フットサルは、サッカーより点が入りやすいから、追加点ならいくらでも入れてくれて構わないがな」

保は尚も話し続ける。

「基本的にスタメン5人でガッチリ固めて、後は体力に応じて個々で入れ替え。マークはマンツーマンで着いて、スクリーン掛けられたら入れ替え。毎度のことだがな」

 ここで昴が、何かを思いついたように声を発した。

「保さん、そのスタメン5人ってのもだけど、今回せっかくビーチサッカーやるんだし、入れ替えてみてもいいんじゃない?」

「ん!それもそうだな。よし、それじゃあ結果次第で入れ替えてみることにするか」

「おおーっ。俄然やる気出て来た!」

万年補欠の蓮は、この提案にかなり乗り気になって興味を示した。



合宿は遂に最終日となり、それぞれ明日から仕事があることを考慮し、午前中は特別メニューとしてレクリエーションを行うことになっていた。

「おしっ、皆さん張り切って行きましょう!」

「おおっ、別記さん」

「いいですね」

「珍しいな」

「ははっ。僕だってやる時はやりますよ」

その言葉通り、別記は最初のリフティング練を唯一ノーミスで乗り切った。

そしてパンツに挟んだタオルを取り合うしっぽ鬼、コーンの端と端を掴んで引っ張り合うバランスゲーム、三つのマーカーの間で2つのボールを取り合う挟み鬼、向かい合って手で押し合う手押しゲーム、鳥籠の5対2の陣形でボールの代わりに、一人の人が手を上げる手上げゲームを行った。

 別記は終始完璧にこなせていたのだが、最後の手上げゲームで勢い余ってズッツコケてしまい、皆にイジられていた。また、ゴレイロにとっても体躯は必要ということで、これらの練習にも酸堂と味蕾は参加していた。

それから午後になり、初夏を感じさせる暑さで一同は更に日焼けして行った。

「あっち~」

昴はそう言って上半身裸で頭にタオルを巻きながら、腕で額の汗を拭っていた。

“かっこいい~”

その逞しい『姿』を見て、瑞希は思わず目がハートになっていた。そしてこれから、バランサーズの面々は保の号令で最後に5対5の試合形式でミニゲームを行う。

「午後の練習はお待ちかねのビーチサッカーだ。みんな本戦のつもりで行けよ」

「おっしゃーやったるぞー」

味蕾は昨日の話しもあってか、好機到来とばかりに意気込んでいた。ビーチサッカーは基本的にフットサルと同じようなものなのだが、その醍醐味としてはなんと言ってもオーバーヘッドシュートがし易いことである。

「ホントはビーチサッカーもサッカーと一緒で5号球なんだがな」

「まあそこはご愛敬ってことでいいじゃないですか」

「フットサルだけですもんんね、4号球なのって」

フットサルではサッカーでは小学生が使用する大きさの4号球が使われており、直径で言うと20.5cm。サッカーボールが22cmなので、たった1.5cmの違いではあるが、見た目にはやはりそれなりに違って見える。サッカーボールのように大きくバウンドすることがない空気圧だが、軽いため弾丸のようなシュートが繰り出される。

 午後練はそれなりに時間があったため、まずはコテ調べにと20分オールで1軍白、2軍黒でビブスを付けて試合を行った。早速マネージャーが準備をする。

このチームにはマネージャーが三人おり、茶髪セミロングでA型の社交的な瑞希、黒髪ショートでO型のしっかり者の莉子、金髪ロングでB型のどこか抜けた雰囲気のある美奈とが居り、見た目にも性格的にも分かりやすくバランスが取れているのであった。

瑞希が聞いたところでは美奈はサッカーについてはある程度のルールを把握できているようだ。

「ねえ莉子ちゃん、フットサルってサッカーとどう違うの?」

「そっか、美奈ちゃん入ったばっかだもんね。フットサルっていうのは5人制サッカーのことで、攻撃主体のピヴォ、攻守両方ともこなすアラが二人、守備主体のフィクソ、キーパーのゴレイロが居て、他にスーパーサブ的ポジションのポニョが居るの」

「ふんふん、それでそれで」

「試合時間は前半、後半20分ずつで、試合中は時計を止めてプレーするの。コートの大きさは約40×20mくらいで、試合時間もコートの大きさもサッカーの半分って訳。まあ、日本では25×15mのコートとかでやってる所もあるけどね」

「おおーさすが莉子ちゃん!なんか説明が理系っぽい」

「でしょ。マネージャーは練習以外のデータ管理とかも仕事のうちだからね」

見ると選手たちがなんだか少し変わった動きをしている。

「ねえ、あれは何?なんかみんなエビみたいに後ろに下がってるけど」

「あれは『ドラッグバック』って言って、ボールの上をつま先で引っ掛けて(かわ)すテクニックなの。サッカーではやらないみたいで、フットサル特有のスキルなんだって」

「知らなかった~フットサルならではなんだね」

「そゆこと。フットサルにはフットサルの文化みたいなものがあるのよね」

見ると選手たちが頻りに何か叫んでいた。

「パウ!!」

「パウ!!」

それを聞いた美奈は不思議そうに莉子に尋ねる。

「ねえ、莉子ちゃん。『パウ』って何?」

「ああ、あれはゴールポストって意味ね。なんかちょっと変だもんね」

「チーラしっかり!!」

「これは?」

「『チーラ』って言うのはサッカーで言うクリアのことで、自陣で相手ボールになった時にコートの外とか危険なエリアから出すことを言うの」

 見ると、昴がピッチから出たボールを足早に蹴り込んでいた。

「ねえ、なんであんなに急いで蹴ってるの?もっと落ち着いて蹴ればいいのに」

「ああ、あれは『4秒ルール』って言ってね。プレーが止まってから蹴る時には、必ず4秒以内に蹴らないといけないって決まりになってるの」

「へ~そうなんだ!フットサルって時間短いから、早くしないとだもんね」

「そうそう、その割に時計止めながらだから、結局はサッカーと同じくらい掛かっちゃうことが多いんだけどね。あと『5mルール』って言って、フリーキックを行う時に、相手選手は5m以上離れないといけないことになってたりもするの」

「おお~。いろいろ気を付けないといけないことが多いんだね」

「うん。人も社会も、逃れられないことが多いもんなんだよね」

 そう言うと莉子は何か思い出したのか、口を尖らせて思いを巡らせた。これに瑞希は、思うところがあったようで、練習後に詳しく聞いてみようと考えた。

そして、『アラ・コルタ』と呼ばれる、パサーに近い側の足でボールを受ける戦術を用いて得点を決めた昴が、小休止の際に蓮に要望を出していた。

「おい蓮、フィードはガンショで出してくれ。あと、バックパスにも気を付けろよ」

「はい!気を付けます、ありがとうございます」

 美奈はこの用語が気になったようで、透かさず聞きに掛かる。

「ねえ、これはこれは?」

「『フィード』は得点に繋がる可能性のあるパスで、『ガンショ』は浮き球って意味」

「うんうん」

「『バックパス』は相手にボールが渡る前に、ゴレイロがボールに触れることだね」

「お~、そうなんだ。わりと覚えることあるんだね」

「そうだね。まあ、最初に覚えさえすれば簡単なんだけどね」

 ここまで説明を受けて、美奈はふと気付いたことがあったようだ。

「瑞希!思ったんだけど、このチームって10番居ないんだね」

「ああ、ちょっとワケありでね」

サッカーではエースが10番、2番手が11番、点取り屋が9番なことが多いのだが、このチームでは1番上手い昴、キャプテンの保と両人とも10番をつけていなかった。

「ふ~ん、そっか~」

 美奈は理由が気になったようだが、空気を読んで聞かないことにしたようだった。

 ここで蓮がプレーに関して気になったことがあったようで、昴に改善を要求する。

「昴さん。今の場面、ピヴォ当てやってもらえると、助かるんですけどーー」

「やんないよピヴォ当てなんて。そんなのはザコのやることだろ?」

「でもこれってチームに必要なプレーですよね?」

「いいんだよ。所詮は遊びなんだから、楽しくやれさえすれば」

「う~ん、そうなのかな?」

「なんだよ、どうプレーしようと俺の勝手だろ。文句あんのかよ?」

「そういうわけじゃないんですけどーー」

「だったら別に気にすることないだろ」

 蓮は思うところがあったのだが、年下といったことで昴に強く言えなかったようだ。この『ピヴォ当て』はサッカーではレイオフと呼ばれ、自らを布石として使うことで、後ろのプレーヤーが前を向いた状態でプレーできるという連携である。

 試合は結果的に1軍が7対0で圧勝し、休憩を挟んでAチームBチームに分かれての紅白戦となった。だが開始早々、勢いよく飛び出した蓮が蹴ったボールがクロスバーに当たって跳ね返り、運悪くBチーム側の無人のゴールに吸い込まれてしまった。

「馬鹿野郎!オウンゴールになってんじゃねえか」

「あ!やっちゃった。すません」

 いきなり昴に怒られながらも、その後の蓮は堅実に試合を熟して行った。結局試合は蓮のオウンゴールと別記の得点で、Aチームに2点が入ったものの、昴が2点、甘利、辛損、蓮が1点ずつで5点を獲得したBチームの勝利で幕を閉じた。



そこから砂浜に土俵を書いての相撲大会に発展し、負けた二人が整地することになった。特にルールなどなく、それぞれが目についた相手と対戦して、バトルロワイアルで勝ち抜けのような形を取っていたのだが、ここで瑞希が思いもよらぬ提案をした。

「私、蓮くんだったら勝てる気がする」

「えっ!?僕けっこう強いですよ。負けないですからね」

「おい、やめとけ。瑞希は――」

昴が言い終わるより前に二人は取り組みを始め、蓮はあっけなく投げ飛ばされてしまった。無残に海に沈む蓮を見て、すかさず保が小言を言う。

「あーあ。だからもっとメシ食っとけって言っただろ。体重軽いままじゃ、次の試合でもまた吹っ飛ばされるぞ」

陸に上がった蓮がバツが悪そうに頭を掻いているのを見て、昴も一言つけ加える。

「瑞希は親が合気道の道場やっててさ。ついでに柔道と剣道もやってっから、格闘技はだいたい黒帯級なんだよ」

「それを早く言ってくださいよ」

「お前らが勝手に始めるからだろ。あと、整地よろしくな」

 結局もう一人は同じく体重が軽い味蕾が負ける形となり、二人して整地を行った。

そして、バランサーズの選手たちは、最終日のもう一つの楽しみであるBBQを行うことにした。帰りのバスは22時に手配していたため、まだ少し時間に余裕があって、ビーチの側にあるBBQ場で予め買ってあった肉や野菜、魚介類に舌鼓を打った。

「食べ始める前に皆に報告がある。来月の21日と25日に地域チャンピオンズリーグに出た2チームと練習試合が決まった。沼津に帰ってからも張り切って練習するぞ!」

「おお、いいじゃん保さん。流石に顔が広いね!」

 昴がそう言うと、保は嬉しそうに声を弾ませた。

「だろ?名古屋アレンジャーズとアルフレッド新潟って言ってな。両方相当な強豪だ」

 それから皆でテーブルを囲んで食事を楽しんでいた所、急に蓮が保に話し掛けた。

「今回の対戦相手って2チームとも相当強いんですよね。名古屋アレンジャーズとーーなんでしたっけ新潟のヤツ?」

「ああ、アルフレッドだろ。あのチームはやべえよ」

「やばいって、どうやばいんですか?」

「なんたって今回のチイチャンで2位になったらしい。強力な選手が二人居てな」

「へ~、どんな選手なんですか?」

「まずはキャプテンの(はかま)()だな。日本代表としてプレーしてる程の選手だ」

「ああ!聞いたことあります。なんだか凄い技を使うっていう人」

「そうそう。あとは、(ほん)(ごう)ってヤツが居て、ソイツがとんでもなく上手いらしいんだ。アーリークロスが抜群でよ。ウチには居ねえようなタイプだな」

「へえ、そんな凄いんですね」

「なんでも日本代表候補だそうだ。まあ奴には要注意だな」

 保は妙に警戒しているようだ。そして、蓮は終始気になっていたことを聞いてみた。

「で、結局どこが優勝したんですか?」

「ああ、神戸ストイックスってとこだよ」

「へ~っ、神戸か~。今度、試合してみたいですね」

「やめとけ、あそこはマジで気性が荒いからな。ボコボコにされるぞ」

「保さん、そこのチームのこと知ってるんですか?」

肉と野菜を選手たちの取り皿にキレイに取り分けながら、莉子が聞く。

「ああ、昔まだみんなが入る前に試合したことがあってよ。散々だったよ。鳥居さん共々ズタボロにされて」

「そう言えば今回ニワトレやらなかったですね」

すると別記が、莉子に注がれたタレの量が多いことを気にしながらも、思い出したように言葉を発した。

「あ、そう言えばそうだな。なんだか鳥居さんに悪い気がするし、みんなアップの時にやったことにしといてくれよな」

「ラジャー!!」

ビールを5缶ほど空けて完全に酔っぱらった美奈は、ニワトレが何なのかも分からないまま敬礼のポーズを取っていた。

「もう、美奈ったらーー」

瑞希は、そんな美奈をさほど心配もせずにそう言った。

本日5月11日の土曜、昴と瑞希は予定を合わせられたため、一緒に練習に参加していた。二人は土日に休みが取り難いため、練習にはなるべく日程を揃えて参加することにしている。ピッチに到着すると、気になったことがあった昴は、先に来ていた瑞希に疑問をぶつけた。

「あれっ、莉子と美奈は?」

「ああ。莉子は出張で、美奈は従妹が泊まりに来るからそのための買い出しだって」

「そっか~。試合前だってのに、相変わらず人数少ないよな」

「用事があるならしょうがないよね。絶対に来なくちゃいけないってわけじゃないし」

「そうだよな。どうしてもプライベート優先になっちゃうよな。所詮遊びだし」

「私は違うよ。真剣だもん」

「俺だってそうだよ」

「嘘だ~すぐサボるくせに」

「まあね。だって、真剣にやっても仕方ないんだもん」

「――。そうだよね」

「そう暗くなんなって。もう終わったことだろ?」

「やっぱり本当にーー本当にもう終わりなの?」

「ああ、そうだよ。何度も言わせんなよ」

「――分かった。昴くんがそう言うなら、そうだよね」

「そうそう、所詮は遊び。俺にとってサッカーは趣味なんだよ」

 それから練習が終わり帰ろうとした所、瑞希はふと思いついて昴に話し掛ける。

「そうだ!パブ行ってみない?せっかく合宿が終わってちょっと時間あるんだし」

「え~。俺、明日の朝ちょっと早いんだよな~」

「いいじゃん、ちょっとだけ。せっかく一緒に居るんだし」

「う~ん、それもそうだな。仕事に響かないように、1杯だけならいいよ」

「やった~。流石は昴くん!」

それから二人は静岡まで電車で出て『イヌロフ』という名のパブで飲むことにした。

パブに入るとカウンターに着き一杯ずつ酒を注文した。昴が愛想よくそのドリンクを受け取ると、瑞希はカクテルを持ってきたウェイターに嫉妬してしまったようだ。

昴は(おもむろ)に携帯を開くとメールを打ち始めてしまった。瑞希はそんな昴の気を惹こうと寄りかかるように体を寄せて少し大げさに甘えてみせた。

「ねえ~え~。昴く~ん」

「ん、んん~」

 昴は瑞希がベタベタしてくるのを少し鬱陶しそうにあしらった。愛情を表現するためにはしつこく甘えると逆効果となり、過度なスキンシップをしないこと、人前では甘え過ぎないことが大切である。

どうしても甘えたい場合は男性側の心理に配慮し、二人きりの時や、特別な日に多めにすると負担が少なくて済み、たまに弱音を吐いてみたりするのも効果的である。

「可愛いでしょ!このキーホルダー」

「うん」

「可愛いよね、ね!」

「うん」

「今度の木曜日の予定どうする?」

「え、う~ん。何でもいいよ」

この発言を受けて、瑞希は不機嫌になってしまったようだ。その後もわいもない話をしながら二人でしっぽり飲んでいると、20代前半くらいの三人組の青年が入ってきた。 

そのタイミングで瑞希が立ち上がると、少し酔ってふらついてしまい、その中の一人にカクテルが掛かってしまった。身長170cm程で細身だががっしりしており、髪型は茶髪のマッシュであった。焦った瑞希は(あわ)てて青年に声を掛けた。

「あ!!す、すみません!!」

「ん!?ああーー。大丈夫ですよ。目立ってないですし、すぐ洗えば落ちますよ」

「いえ、そういうわけにはーークリーニング代だけでもお支払いしますので」

「本当に大丈夫です。どうせ安物ですし、それに買ってからだいぶ経ってますし」

 そう言った青年のコートは、言葉とは裏腹にそれなりの値段がしそうであった。

昴はその態度が気に入ったのか、率先して青年に話し掛ける。

「いや、それじゃ俺らの気が済まねえよ。折角なんだし、1杯おごらせてくれよな」

「う~ん、そうですか。それじゃ、お言葉に甘えて1杯だけ」

 そう言った青年はその他の二人と共に席に着くと、注文したカクテルを飲み始めた。暫く話すとその他の二人はナンパ目的で来ていたようで、目当ての女の子を見つけるとそちらに話し掛けて席を移してしまった。

だが、先ほどの青年は、折角だからと昴たちと話を続けるようにしてくれたようだ。酒の席はそれなりに盛り上がり二人とも酒好きのようで身の上話に花が咲いた。そんな昴と青年には、ある共通点があったようだ。

「やあ~後輩だったとはな」

「ホント偶然ですね。二人とも歓応私塾高出身だったなんて」

「そうそう!しかも同じサッカー部」

「そう!それも偶然ですよね」

「コッチに出張がなかったら出会ってなかったわけだもんな」

「そうですね。ほんと一期一会って感じしますよね」

「友助はポジションどこだったんだ?」

「僕はミッドフィルダーでした。昴さんはどこだったんですか?」

「俺はフォワードだよ。バリバリの点取り屋なんだぜ」

「昴さん、イケイケな感じしますもんね。肉食っていうか」

「だろ!ガンガン狙いに行くんだぜ」

「そうですよね。やっぱ男は攻めて行かないと!」

「それより水臭えじゃねえか、俺のことは兄貴と呼べ。なんせお前の先輩だからな」

「わかりました。兄貴に一生ついて行きま~す」

敬礼をした友助は、もうだいぶ酔いが回って来ているようだった。暫く話していると、昴の携帯が光って着メロが鳴り響いた。彼は画面を横目で確認したが、電話に出ようとしなかった。そして、電話はそのまま切れてしまった。

その仕草を見て、瑞希は思うところがあったようだ。

「今の電話、誰から?」

「友達」

「友達って誰?」

「高校の友達」

「だから誰?」

「誰だっていいだろ!」

「良くないよ!!また浮気してるんじゃないの」

「してないって!!なんでいつもそうなんだよ」

「だってあの時も――」

「あの時のことはもう謝っただろ!!」

「私の中ではまだ終わってないの!!」

「――じゃあ、もう別れる」

「――ごめん」

「瑞希は束縛しすぎなんだって。大丈夫だから」

「私、ちょっと外の空気吸って来る」

 瑞希を見て心配になったのだろう。友助は不安そうに声を上げる。

「あっ、瑞希さん――」

「いいんだよ。ほっとけって」

「僕、ちょっと追いかけて来ます」

 そう言うと友助は、すぐ勢いよく出て行った。暫く経つと友助に連れ戻された瑞希が、少し不貞腐れながら戻って来た。それを見た昴は、先程の怒りが再燃したのか少し棘のある言い方で会話を始めた。

「ったく。もういい大人だろ?他人に迷惑かけんなよ」

「ちょっと外に出ただけだもん。私は悪くない」

「あと前にも言ったんだけど、お前なんかあった時にすぐ感情的になるの止めろよな」

「それなら私も前に言ったんですけど。お前呼ばわりされたくないって」

「なんだよ、せっかく仲直りしようと思ってたのに!!」

「こっちだってそうよ!!」

こうなると、もう売り言葉に買い言葉で、殆どどうしようもなかった。必死で宥める友助と少し呆れ気味の周囲を尻目に、それから二人はバチバチと火花を散らしていた。

ナンパ組が失敗して戻って来たタイミングで支払いを済ませて店を出て、友助らとはそこで別れ、無言の瑞希を家まで送ってこの日は解散した。



次の日の夜8時すぎこのまま気まずくならないようにと、瑞希は思い切って昴に電話を掛けた。コール音に緊張しながら待っていると、5回ほどで昴が出たので話し始めた。

「もしもし。今、何してる?」

「ああ、さっき帰ったとこだよ。どうしたの?」

「どうしてるかなって思って」

「テレビ見てたよ。世界ぎもん発見!」

「そっかー。奇遇だね!私も今それ見てるとこ」

「そうなんだ。俺、この番組が好きで毎週見てるんだよね」

「ほんと面白いもんね。世界ぎもん発見!」

 それから暫しの沈黙のあと、瑞希がこの電話の本題を切り出した。

「――この前はごめんね」

「――うん。俺もごめん。ちょっと言い過ぎたよ」

「ううん、私も。今度からは電話が来ても、疑わないように気を付けるね」

現在この二人は、いわゆる倦怠期に突入しており、昴のそっけない態度から、喧嘩に発展することが多かった。だが昴のプライドが高いため、普段から瑞希が謝罪の言葉を口にすることが殆どであった。お互いに激しい感情の起伏を伴わないカップルの場合はこの倦怠期が訪れないものであるが、喧嘩できないカップルの方がストレスを溜め込んでしまうため、突然に別れることがあったりもする。

「そうだね。けど、不安に思った時は遠慮せずに言えよ」

「うん。でも、できるかな?私、人に想いを伝えるの苦手なんだよねーー」

「う~ん。確かにそれはそうかもな。なんかいいアイデアはないもんかな~」

「悩みどころだよね。気持ちがオープンになればいいんだけどーー」

「そうだよね。何かいい方法があればいいのになーー」

喧嘩をするのは悪いことばかりではないと言え、小さな喧嘩をしたら決まずい時間をなるべく少なくすること、大きな喧嘩の場合は一日以上は考える時間を設けるということが大切である。

人は優しくされると相手を許せるという心理的な作用がある為、瑞希のこの謝り方は適切な手段であったと言える。喧嘩の後では、仲直りの共同作業なども有効で、一緒に料理をしたり、スポーツ観戦に行ったりすることが望ましい。

「ねえ、今度一緒にコンサート見に行かない?見たい講演があってーー」

「コンサートかー。う~ん、いいよ!」

「やった~♡。流石は昴くん」

「だろ?これくらいならお安い御用だぜ」

「ありがとう~。今度詳細を知らせるから。約束ね!」

「うん、分かった」

「それと、当日はスーツで行かないとダメだからそこだけ気を付けてね!」

「はいはい。スーツね」

生返事をした昴は、既にコンサートとは違うことを考え始めていた。この頃の昴は、ものごとをわりと適当に決める傾向があり、めんどくさいと感じたことは特に考えず、話し合いも持とうとしていなかった。喧嘩というのは価値観の違いから生じるもので、特に見たくもない公演を、安請け合いで見に行くと言うのは完全に悪手であった。



 5月21日の火曜日、本日の対戦相手である名古屋アレンジャーズは、全国出場常連チームであるため、本拠地である名古屋市中村区まで車で乗り合わせての対戦となっていた。ポニョの中は仕事、美奈は従妹が遊びに来るから欠席となっており、6人乗りの車2台で現地に向かってピッチに着いた。

アレンジャーズは白と赤の縦縞が激烈なチームで恋人同士で仲が良く、男衆は黒髪に女衆は茶髪にしており髪の長い子が多かった。そしてこのチームには、『糸偏コンビ』と呼ばれる(つづり)(ほころび)という選手が在籍しており、見事なコンビネーションで、対戦相手を圧倒するのであった。その綴と綻が試合前に話をしていた。

「勝てるかな?今日の試合。強いんだよな~バランサーズ」

「フォースと共にあらんことを」

「聞けよ!それに、映画の見過ぎだろ」

「いいだろ?だって面白かったんだもん、エピソード1」

「そうみたいだな。俺も見ときゃよかったな」

「え~まだ見てないの?遅れてる~。レンタルビデオでいくらでも見れるんだよ」

「社会人は忙しいもんなんだよ。それに『見られる』だろ?ら抜き言葉は良くないぞ」

「そんなの面白ければ関係ないよ。あーあー早く見たいな~エピソード2」

「7月に公開だろ?もうちょい待てば見られるよ」

「う~ん、待ちきれない!」

綴は言葉遣いに凄くうるさく、綻はミスに対して厳しいようだ。

試合が始まると案の定この糸偏コンビが前衛で縦横無尽に活躍し、他のプレーヤーを活かしながら、自分たちも得点を決められるという有能ぶりであった。アレンジャーズのプレーは創意工夫に(あふ)れており、そのインテリジェンスなプレースタイルは見るものを魅了するだけのものがある。

だがこの日この二人に対抗することを想定し、バランサーズはピヴォに塩皮を据え、アラとしてプレーする昴と蓮のコンビネーションで乗り切る作戦にしていた。

特にマッチアップなどは決めていないため、(つづり)(ほころび)の両名と流動的に対峙する。

「つっ、強いーー」

綴は昴の強行ポストプレーに押し切られ、あっさりと点を決められてしまった。昴のボディバランスはプロに匹敵するほどのものであると言え、その体躯は28歳となった今でもさほど衰えてはいない。すぐに試合が再開され、またしても昴にボールが渡る。

「あっ!このっ」

綻は抜かれた後で執拗に追いかけたのだが、昴はこの場面でも冷静にあっさりと得点を決め切った。昴の体躯は他を圧倒できるほどのキレがあり、その技能もやはりプロに匹敵するものがある。

この攻防にアレンジャーズ側が奮起し、精度が高いピヴォの繊細、重心がブレにくいフィクソの網綱(あみづな)、統率力に定評のあるゴレイロの組織など中心となるプレーヤーたちが試合を盛り立てた。だが、それでも昴と蓮にはある程度の余裕があった。

だが、全国常連チームのアレンジャーズがここであっさり勝たせてくれる筈もない。

綴、綻は相当に『抜ける』のが上手く、綴は『フロントカット』いわゆる表抜けで敵の前を通って攻め、綻は『バックドア』いわゆる裏抜けで敵の後ろを通って攻めることで次々にチャンスを演出していた。

そして、二人合わさると更に協力で、『ブッロク&コンティニュー』と呼ばれる技で片方がディフェンスを遮り、もう片方がディフェンスの先に抜けることによってフリーになるという連携技を駆使していた。

ベンチウォーマーたちも元高校応援団で団長の紛糾が全力で大声を出してチームの指揮を高め、そこにマネージャー絹綿(きぬわた)のムードメーカー的な存在が加わり、その絶妙に緩い感じで皆を癒しながらもチームを鼓舞していた。

一方のバランサーズは即席コンビではあったが、レベルの高い昴のオフェンスに対し蓮はしっかり合わせることができていた。だが、蓮の体重が軽すぎて度々吹っ飛ばされることと、時折見せる昴の態度にチームメイトたちは少々思うところがあり、そのことに業を煮やした保は、昴に一言釘を刺した。

「おい、昴。今の追えばまだ防げたんじゃないか?お前なら置いつけただろ?」

「う~ん、まあそうかもね。けど、いいよ。そんなムキになっても仕方ないし」

 それもまた一つの正解なのだが、保は昴に『変わってほしい』と願うのであった。

 その後も試合は粛々と展開され、際どいところではあったが、バランサーズは辛くも勝利することができた。僅差ではあったが全国常連チームのアレンジャーズに勝利したことで勢いに乗れた昴たちは、更なる進化を求めて、25日のアルフレッド戦に向けて気を引き締めるのであった。

続く25日の土曜日、昴は集合時間の30分前ゆっくりと家を出て、試合が行われるテリフィックへと向かっていた。(あたり)はやはりこの日も仕事があるようで、莉子は仕事のための勉強をするからと、練習には参加しないようであった。

いつもの道を歩いていると、偶然にも通りがかった友助と出くわした。

「あっ、昴さんじゃないですか!」

「おおっ、友助!また会ったな。どこ行くんだ?」

「どこって、これからサッカーしに行くんですよ」

「そうなのか?奇遇だな。俺も今日ちょうど練習があるんだよ」

 そして雑談しながら歩いていると、川の向こう側から二人を見つけたマネージャーの美奈と、その従妹(いとこ)澄玲(すみれ)が手を振って来た。

「お~い、本郷く~ん!!」

「室井くんも~。なんだ~友達だったんだ、二人!!」

 それを聞いた昴と友助は、まじまじと顔を見合わせた。

「本郷――?」

「室井――さん?」

 本郷 友助。アルフレッド新潟の、エースプレーヤーである。



持ちあがった衝撃の事実に、二人は動揺を禁じ得なかった。

「本郷ってお前、アルフレッド新潟のか?」

「そうですけど、昴さんってもしかして沼津バランサーズの室井さんですか?」

「そうだよ。まさか、そんなーー」

「僕も驚きましたよ。まさか『敵同士』だったなんて」

それから4人でテリフィックまで向かい、澄玲が現在16歳で、アルフレッド新潟にマネージャーとして所属していること、美奈を起こすのに約1時間かかったことなどを話していた。そんな話をしながら4人が練習場まで辿り着くと、両チームの選手たちは既に半分ほどが到着していた。

 アルフレッド新潟は青と黒の縦縞のユニフォームが豪傑なチームで、攻撃的なチーム構成でありながら、アラの二人とゴレイロでの連携に優れており、このトライアングルディフェンスは鉄壁である。また試合中はイケイケであるにも関わらず、試合の外では皆が草食系男子であるというユニークな面も併せ持っていた。

試合前、友助と昴は互いの意思を伝え合う。

「今日はせっかくの練習試合ですし、手加減なしで行きましょうね」

「ああ、望むところだ。真っ向勝負と行こうぜ!」

それから両チームアップを終え、一通りメニューを熟した後、アルフレッドボールで試合が開始された。友助のドリブルからのパスでスムーズにボールが渡ると、袴田は、その流れのまま一気に攻撃を仕掛けて来た。

マッチアップしていた蓮はかなり警戒して身構える。だが、蓮は全国的に見て実力があると言えるプレーヤーであったが、袴田の妙技の前に為す術もなく一瞬で抜き去られてしまった。

「はっ、速い!!」

 袴田のこの『ロナウドチョップ』はFIFA最優秀選手賞である『バロンドール』に何度も輝いているポルトガル代表のクリスティアーノ・ロナウドが使っている技であり、(かかと)で蹴ったボールを逆側の足の後ろに通すことで相手を(かわ)す技である。

蓮を抜き去った袴田は少しの余裕を見せ、一瞬のうちにゴールを奪い去ってしまった。

 そして、すぐさま試合が再開され、バランサーズのオフェンスとなったが、油断した甘利が友助にボールを奪われてしまった。マッチアップに不安を覚えた蓮がフォローに向かったが、友助の見せた妙技の前にあっけなく抜き去られてしまった。

「うわっ、くっーー」

友助のこの『ルーレット』は、98年FIFAワールドカップを制したフランス代表ジネディーヌ・ジダンも使っていた技で、走りながらボールを操り横に一回転することで相手を躱す技である。

アルフレッドはこの袴田 英輔と本郷 友助の『栄友コンビ』の活躍によって、地域CLにおいてほぼ無敵の活躍を見せていた。友助は更にカバーに走った昴の奮闘虚しく、いとも簡単にゴールを決めてしまった。

“クソっ。おとなしいナリして、激しい技使ってやがんな”

流石の昴も、この二人が一気に攻め込んで来てはどうにも止めようがなかった。

それにピヴォの位置からではディフェンスに間に合わないこともあり、戦況はかなり不利であった。その後も試合が続けられたが、今のバランサーズのディフェンスでは、アルフレッドのオフェンスを止めることは不可能のように思えた。

「ディフェンス、カバーしっかり!!スライド飛ばして!!」

味蕾の声出しも虚しく、この日バランサーズは、あっさりと負けてしまった。挨拶を交わしダウンを済ませて帰ろうとしたところ、昴を見つけた友助が話しかけてくれた。

「昴さん、今日はありがとうございました」

「ああ、強かったよ。アルフレッド」

「ありがとうございます。けど、結局は袴田さんの力ですからね。俺、いつか袴田さんに勝つのが夢なんです。ずっと勝てなくてーー。昴さんは夢ってあるんですか?」

「夢か――。『あった』よ」

「あったって、諦めちゃったんですか?まだ20代なのに」

「そうだよ、だってもう俺28歳だぜ。おっさんだろ?」

「う~ん。そんなことはないと思いますけど――」

「いいんだよ、これで。俺の人生なんてこんなもんだ」

「もう叶わないんですか?その夢」

「ああ、俺には無理だった。到底叶わない、儚いものだったよ」

ここまで話した時、長話に業を煮やした澄玲が友助を呼びに来た。

「分かった、今行くよ!」友助は昴の方に向き直る。

「それじゃ、昴さん。今度気が向いたら聞かせて下さいよ、その話」

「語るほどのもんでもねえよ、こんな『下らない話』」

 強がらないとダメだった。大切だったと認めてしまうと、今の自分の人生を否定してしまうようで耐え難かった。

それからバランサーズの選手たちは、6月に向けて日々厳しい練習を重ねて行った。この年フットサルはその転換期を迎えており、静岡屋内サッカーリーグと呼ばれていたものが刷新(さっしん)され、静岡県フットサルリーグとしてリニューアルされていた。

従ってこの年は記念すべき第一回大会となり、フットサルの歴史に新たな1ページが刻まれた年でもあった。期待と不安が入り混じる中、バランサーズの選手たちは、それぞれの思いを掲げてピッチを踏みしめようとしていた。

2002年6月2日。第一回静岡県フットサルリーグ、いざ開幕!!


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