会心の一撃
院長の強固な反対に困っていると、私の耳に声が響いた。
『お姉さま、私に任せて』
スノウのやたら自信ありげな声に、一歩譲る。
体の使用権を得たスノウは、立ち上がって院長の傍に歩いて行った。
「アンバー」
「スノウ? どうしたの? 大きな声出したから、びっくりしちゃった?」
スノウが出てきたことに院長もすぐに気づいたのか、焦ったように表情を和らげる。
そんな院長を見上げて、スノウは両手で院長の手を取った。
「私、お外が見たいの。大きくなったらいいって言ったでしょ? ……ダメ?」
愛らしく小首を傾げて尋ねたスノウに、院長が空いていた手で自分の胸を押さえる。
幼女のお願い。会心の一撃である。
更にスノウはトドメとばかりに院長の手をきゅっと握る。
「お姉さまが守って下さるもの。怖い物なんてないわ。ね、アンバー。いいでしょう?」
スノウにここまで言われて、断れる院長ではない。
案の定、院長は今までの反対が嘘のように、素直に頷いた。
「……いいよ」
「ありがとう、アンバー」
花のような笑顔を浮かべるスノウ。
凄い。私には出来ない作戦だ。幼女、恐るべし。
心の中で戦慄していたら、院長がスノウをぎゅっと抱きしめてきた。
「心配だから、ボクも一緒に行く……」
「お前は仕事しろよ」
グレイから遠慮のないツッコミが飛ぶ。
結局、院長は心配なだけなんだろうな。今も涙声……というか、えぐえぐ泣きながらスノウに縋りついている。
過保護なんだから。
心の中で呆れていたら、クロッカス殿下のため息が耳に届いた。
「そんなに心配か。仕方ないな。行ってこい、アンバー」
「え!?」
これにはここにいる全員、驚愕である。
そんな私たちを置いて、クロッカス殿下は院長に穏やかな笑みを向ける。
「『影』のことは心配するな。いつも通り、オレがやっておく」
「いつも通り!?」
余りの衝撃に、思わず私が前に出てきてしまった。
いまだにスノウ……というか、私を抱きしめている院長に疑惑の視線を向けると、院長の目が泳ぐ。
「昔は殿下も暇だったし……。一応仮にも義理の兄なんだから、手伝ってもらってもいいかなって……」
ジェードが『アンバーがクロッカス殿下に、王の影の情報を横流ししている』って噂があるのは聞いてたけど、情報の横流しどころじゃなかった。ガッツリ関わってた。
クロッカス殿下は腕を組んで、困ったような顔で院長を見やる。
「オレも最初は注意したぞ。オレがその情報を悪用して、国家転覆でも企んだらどうするんだって」
「貴方がそんな事するわけないでしょ」
院長がジト目でクロッカス殿下を睨む。
なんだかんだ、院長の信頼度がカンストしてるんだよね。クロッカス殿下って。
そんな殿下が姉を殺したかもしれないなんて状況になったせいで、院長のメンタルがめちゃくちゃになってたんだろうけど。
一方の院長は、開き直った顔で胸を張る。
「ボクも殿下の仕事手伝ってるし、殿下もボクの仕事を手伝ってくれてもいいじゃん。情報共有の手間が省けるし」
「お前が『影』の方の仕事したくないだけだろうが」
グレイがツッコミを入れつつ、溜息をつく。
「兄上、アンバーを甘やかさないで下さい。そもそもアンバーも俺も休んだら、兄上はどうするんですか?」
「オレの事は心配するな。今はフラックスもいるし、グレイの部下で信用できるものもいる。……お前たちは今まで10年、働き通しだろう。満足に休みも与えられなかった。たまにはゆっくり休め」
穏やかな声でクロッカス殿下が笑う。
一方で側近二人は何とも言えない顔でクロッカス殿下を見ている。
二人の表情に疑問を覚えつつ、私は小声で質問した。
「でも院長って、私に会いに来てたりしましたよね」
「ああ、俺とアンバーを休ませる分、兄上は10年休んでない」
グレイが死んだ目で答えてくれた。
ああ、上が休まず働いてると、休みづらいよね……。
しかも二人にとっては兄。余計に気を遣う。
私は明らかに働きすぎな殿下に苦言を呈することにした。
「殿下、殿下が休まないと二人も休まりませんよ。いっそ、体調を崩したことにして、休んだらどうですか?」
「そうか? だがな……」
困った顔で苦笑いを浮かべる殿下の言葉に被せるように、院長が声を上げる。
「いいね! 殿下、今すぐ療養しに行きましょう! 王家の直轄地とかどうですか?」
「お前な……」
「爆発物が二か所にあるより、一か所にある方が俺も安心するんで」
さらっとグレイが失礼な事を言った。
誰が爆発物だ。私と殿下の事じゃないだろうな。
殿下も同じことを思ったようで、ムッとした顔になった。
「気持ちはありがたいが、オレは―――」
しかしその言葉は、いつの間にか殿下の背後に回ったアンバーに止められた。物理的に。
恐ろしく早い手刀だった。
「ああっと、大変。殿下ってば倒れちゃった~。そういうわけだから、仕方ないよね!」
主の意識を刈り取っておいて、ウインクをかます院長。
こんなのが部下とか、絶対に胃がいくつあっても足りないよな……。