悪人
* * *
シルバーというのがグレイの本当の名前なんだろうか。
院長と違って、こちらはしっかりと偽名を使っていたらしい。
クロッカス殿下にその名を呼ばれた途端、グレイはくしゃりと顔を歪ませた。
「それも、ありますが……。兄上に嫌われたくなかったんです。俺は自分勝手な理由で、大切な人を無くして苦しんでる兄上に黙って傍に居ました。罰を受けろというなら受けますし、償えるならどんなことをしてでも償います」
「シルバーも苦しんだんだろう。それで相殺だ。それに大切な人を奪ったというなら、オレたちはここ10年、国の為に犠牲にしたきた者たちがいる。それも誰かの大切な人だ。そういう意味ではオレたちは全員悪人だ。裁かれるなら全員一緒だとも。シルバーだけ罰せられるのは間違っている」
グレイの肩を掴んでクロッカス殿下が穏やかに諭す。
そして殿下は私に静かに目線を向けた。
「―――そういうわけだから、サクラ。黙っていてくれるか?」
あれ? これひょっとして脅されてる?
確かにグレイの事を公表すれば、クロッカス殿下の評判が地に落ちる。なんせ奥さんのリリーさんが10年前の反乱の首謀者だったのだ。権勢を維持することは出来ないだろう。
アイリスがしっかりしてきたとはいえ、まだまだ子どもだ。後ろ盾のクロッカス殿下がいないと、権力争いが勃発して国がまた大変なことになる。
そうでなくても、グレイだけ罰を与えようとすれば殿下が自ら公表しそうだ。なんせ『裁かれるなら全員一緒』って言ってるもん。
死ねばもろともって言っているようなものだ。
兄弟想いが過ぎる。殿下もグレイもブラコンか?
なんの権力もない私はただ頷くしかない。
「はい……。殿下がそうおっしゃるなら」
「ありがとう、サクラ。お前は物わかりのいい子で助かる」
優しい声根で、そっと頭を撫でられる。
怖い怖い。流石ラスボスだ。優しいだけじゃない。
私がクロッカス殿下にビビっている間に、院長がグレイに近づいていった。
「まぁ殿下はそういうよね。昔からグレイには甘いし」
「―――そういうお前はどうなんだよ」
グレイが未だ沈鬱な表情でやさぐれたように院長を見る。
―――なぜか、クロッカス殿下が私を連れて二人から2.3歩距離を取った。
「え? 許してないけど」
院長がすん、と真顔になる。
次の瞬間、グレイが壁まで吹っ飛んだ。
院長は拳を振るった後である。全く動作が見えなかった。
「でも姉さんが悪いところもあったし、グレイはスノウを守ってくれたから、これで許してあげる。友達だからね」
院長はにっこりと晴れやかな笑顔をグレイに向けるが、当のグレイは壁際に叩きつけられて呻いている。
私が『本気で一発殴ってスッキリしようぜ!』って言ったせいか。
つまり私のせいである。
私が想定していたのはクロッカス殿下だったから、院長に殴られても死なないと踏んでたんだけど、グレイは大丈夫だろうか。
私の心配を余所に、グレイは咳き込みながら立ち上がった。
「随分大人しいじゃねーか。姐さんの事バラしたら、ピーピー泣いて喚いて暴れると思ってたのによ」
「だってグレイってば、ボクに嫌われたくなくて黙ってたんでしょう? 可愛いところあるじゃん。だから許してあげようと思って。もちろん、友達だから特別に、だよ?」
ドヤ顔の上から目線で肩を竦めて言われて、グレイはツカツカと院長に歩み寄る。
「だれが友達だよ。お前は友達じゃねーって何回言えばわかるんだ! それにな、嫌われたくなかったのは兄上だけで、お前は暴れて兄上に迷惑かけるから黙ってただけだよ!!」
「はー? サクラと喋ってた時に言ってたくせに嘘つくんだ。傷ついちゃった。心の器物損壊罪でもう一発殴りまーす」
「ぐっ!? てめぇ、その一発は余計だろうが!」
言い合いから手が出て、そのまま殴り合いに発展している。
オロオロする私とは違って、クロッカス殿下は相変わらず穏やかな―――子犬同士がじゃれ合っているのを見守っているくらいに微笑ましそうな笑顔だ。
「大丈夫だ。気が済めば止めるさ。あいつらも大人だからな」
「大人でこんな殴り合いするのもどうかと思います」
それとも男同士ってそういうものなのだろうか。まったくわからない。
困惑しながら二人の喧嘩を眺めていると、クロッカス殿下に名前を呼ばれた。
「サクラ。―――ありがとう。オレだけだったら、アンバーとグレイの仲が修復不可能になっていた」
「え?」
思わずクロッカス殿下を見上げると、殿下は相変わらず二人の喧嘩に目線を向けたままだった。
「グレイがリリーを殺したと知ったら、アンバーは許さないだろうと思っていた。だが、サクラがアンバーに向き合ってくれたおかげで、あいつはリリー以外にも心を向ける余裕ができた。他人の気持ちを少なからず考えられるようになった。サクラのおかげだ。スノウの事も、アンバーの事も、本当に、本当に感謝しているよ」
そうしてクロッカス殿下はようやく私に目線を向けた。
藍色の瞳がキラキラと光って、今にも涙が溢れそうで溢れない。それは悲しみではなく喜びの涙だろうに、それでも泣けないのか。
大人になると泣けなくなるもんね。
成人済みの私はあえてクロッカス殿下から目を逸らして、二人の喧嘩に目を向けた。
「私は殿下だけでも十分だったと思いますけど」
ひょっとしたら殿下は、リリーさんの事件の犯人に気づいていたのかもしれない。頭の良い人だ。ありうる。
それでも黙っていたのだとしたら、それは自分の為でもあり、二人の為だったのだろう。
でも一先ず、過去の事件に片が付いて、今までと変わらない関係を維持できるならそれが一番なのかもしれない。
殴り合う二人もなんだかんだ笑顔だし、喧嘩が終わればいつも通りになるだろう。
「ゲームではどうだったのかな……」
この事件がイレギュラーだったのか、イレギュラーじゃなかったとしてもどうなったのか、私にはわからない。
思わず口に出てしまった言葉に、クロッカス殿下が首を傾げた。
「げーむ……とはなんだ? 知らない単語だな」
「え? あ! なんでもないです! 妖精語みたいなものです!」
「我も知らんぞ」
慌てて誤魔化したが、腕の中のモグラにすら突っ込まれてしまった。
殿下にモグラの声が聞こえなくて良かった。
……あれ? でも前に、『ゲーム』って単語で通じた人がいたような……