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友達

 アンバーとの出会いから10年余り、シルバーは『王の影』で過ごしていた。

 シルバーは年相応に背が伸び、声も低くなったのに対して、アンバーの成長は緩やかだった。

 同い年のはずなのに、一緒にいてもシルバーが年上にしか見られない。

 そのせいか、『王の影』からアンバーの世話を任される......いや、押し付けられる事が増えた。

 幼い頃はアンバーが喋れない事を馬鹿にしていたくせに、自分達より強いとわかったら媚びへつらう。どうにか機嫌を取ってアンバーに近づこうとしても、冷たい目で一瞥されるだけだ。

 そんなアンバーが、肉親以外で唯一『友達』と呼んで、親しくしているのがシルバーだった。

 そこまでは良かった。

 ただシルバーは、周りのご機嫌取りに自分が使われているのが気に入らなかった。

 ついでに言えば、アンバーは優秀過ぎた。勉強だろうと魔法の訓練だろうと横から首を突っ込んできて、シルバーより先に出来るようになる。そして『なんで出来ないの?』と不思議そうにシルバーに聞いてくるのだ。

 1回だけならまだしも、10年以上に渡ってそれをされると腹が立つ事この上ない。

 そしてそれを、真正面からアンバーに指摘出来ない自分自身にも苛立った。

 結局怖いのだ、アンバーが。指摘して怒らせたら、加減を間違えたアンバーに殺されるかもしれない。


 そんな考え、アンバーの周りの奴らと何が違うんだ。そんなのは......友達なんかじゃない。


 アンバーに『友達』だと言われるたびにそう思って、自分を嫌いになって、そう思わせるアンバーの事も恨んだ。

 だからと言ってなにかが変わるわけではない。

 シルバーは余程の事が―――ウィスタリアの王族が全滅するような事態にならなければ、外には出られないのだから。

 だから結局は心を殺して、このまま『王の影』で生きていくしかないと思っていた。


「シルバー!」


 ノックもせずに、アンバーが部屋に飛び込んでくる。

 なんだか久しぶりな気がした。

 そういえば、『姉さんを助けてくる』と言って部屋を出て行ってから、暫く姿を見ていなかった。

 一人でいるのは気楽だった。余計な事を考えなくて良い。

 それももうお終いか。きっと姉を連れ帰ってきて、ご機嫌で報告に来たのだろう。

 ため息を押し殺して、シルバーはようやくアンバーの方を向いた。


「せめてノックぐらい......」


 言葉が続く事はなかった。

 予想外の人物が扉の前に立っていたからだ。

 アンバーの後ろに黒づくめの男がいた。背が伸びたシルバーよりも、更に高い。忌むべき黒が、彼の精悍さを際立たせている。唯一、藍色の瞳が睨むようにシルバーを見つめていた。

 驚くシルバーに、アンバーが無邪気な笑顔で駆け寄る。


「ボクが偉くなったら逢わせてあげるって約束したでしょ? ちゃんと連れて来たよ!」

「......は?」


 なんの事かわからず、呆然とアンバーを見つめるシルバーに、アンバーは首を傾げた。


「『兄上にもう一度逢いたい』って言ってたじゃん。忘れちゃったの?」


 そう言えば、ここに連れて来られてすぐに、そんな事を話した気がする。

 しかし10年近く前の、しかも3歳か4歳頃の記憶なんて曖昧な物だ。頻繁に言った覚えもない。おそらく一度きりの弱音だ。


「......お前、よく覚えてるな」


 呆れとも困惑とも取れるシルバーの言葉に、アンバーはきょとんとした顔をした。


「生まれてから今までの記憶なんて、全部覚えてるに決まってるじゃん。むしろ忘れるって感覚がわかんないよ」


 そうだった。こいつは普通じゃなかった。

 今までも天賦の才を見せつけられて、散々理解していたはずなのに、まだ足りなかったらしい。

 心の中で深いため息をついて、仕方なく立ち上がる。

 久しぶりに会った異母兄―――クロッカスは様変わりしていた。昔の面影など、微塵も感じられない。

 その姿を真正面から捉えて、シルバーは兄を睨みつけた。


「お久しぶりです、兄上。こんな陰湿な地下に、なんのご用ですか?」


 見なくとも、隣にいるアンバーが戸惑っているのがわかる。おそらく、シルバーなら喜んでくれると思っていたのだろう。

 そんな事はない。10年も経てば人は変わるのだ。自分も兄も、子どものままじゃない。

 兄の方は欲望渦巻く城の中で生き抜いてきたのだ。なにか企んでいるに決まっている。

 『影』で人の欲も裏切りも見てきたから、自然にそう思えた。

 一方のクロッカスは、敵意剥き出しのシルバーに怯む事なく近づいてきた。


「お前に伝えないといけない事が出来た。だから、無理を承知でアンバーに頼んだんだ。シルバーに逢わせて欲しいと」


 表情も変えずにシルバーの目の前で止まったクロッカスの言葉に、一瞬絶句した。

 アンバーは基本的に人嫌いだ。身内かシルバー以外は信用した試しがない。

 それなのに、クロッカスにはシルバーのことを話して、頼まれれば本来部外者は足を踏み入れる事がない『王の影』の中にまで入れるのか。

 アンバーが『姉を迎えに行く』と言ってから、一か月ほどしか経っていないのに。

 それがどれだけ難しい事か、目の前の兄は理解していないだろう。

 衝撃を受けながらも、シルバーはなんとか口を開いた。


「伝える事......? 一体、なんですか?」


 クロッカスは一度躊躇うように瞳を閉じてから、再びシルバーを見つめた。


「父上がお前を王にしたがっている」

「はぁ!?」


 頭を殴られたような衝撃に襲われた。脳が理解を拒む。

 しかし、クロッカスは容赦なく話を続けた。


「父上はお前が保護されている事を、『影』から聞いていたのだろう。それはまだ良い。ただ、どうも父上は私の母が......最愛の女性が正妻のせいで死んだ事を知ったらしくてな。正妻の息子である王太子に国王の座を渡したくないようだ。だから、お前に王太子になってほしいと言っている」

「......そこは、兄上じゃないんですか」


 なんとか縛り出した言葉に、クロッカスは首を横に振る。


「オレは父上に疎んじられてきた。今更オレを担ぎ出したら、父上は......最愛の人の子を無視してきた事を、罪のない子どものせいにしてきた事を認めなくてはならない。父上はそれが出来る人じゃない。だから『母親が殺されて可哀想にも影で保護されている』お前の方が、都合が良いんだ」

「......勝手だ。子どもの事をなんだと思ってやがる」


 思わず口に出ていた。

 怒りで震える身体を抑えて、兄を見る。まるで表情が変わっていない。自分の事でもあるのに、まるで他人事だ。

 そんなクロッカスの顔も、自分を煽るための罠かもしれないと思いながらも、シルバーは思わずクロッカスの胸ぐらを掴んだ。


「で? 兄上はそんな可哀想な俺になんの用だよ。兄上を王にしろって父上に頼んで欲しいのか? それとも......俺が邪魔だから殺しに来たのか?」


 拳を握りしめて凄むシルバーに、それまでオロオロと二人を見ていたアンバーが止めに入った。


「違うよ、シルバー! 殿下はそんな事しないよ!」


 ―――なんで、兄の味方につくんだ。

 俺を散々振り回しておいて、散々馬鹿にしてきて、それでも『友達』って言葉で縛ってきたくせに。


 いつもなら抑えられる怒りが、限界を迎えた。


「うるせぇ! お前が今の俺に相談もせず連れてきたせいだろうが! いつも余計なことしやがって! お前なんか、友達だと思ってねーよ!!」


 その言葉にアンバーが固まった。愕然とした顔で目を見開き、その場に立ち尽くす。

 てっきり怒って殴りかかってくるだろうと思っていたのに。予想外の反応に困惑していると、肩に手が置かれた。クロッカスだ。


「シルバー、オレが悪いんだ。アンバーを責めてやるな」


 ようやく、兄の表情が変わった。苦笑交じりで目を細める、昔よく見た顔だ。シルバーが癇癪を起こした時にこんな顔をしていた。


「オレがお前に直接伝えたいと無理を言ったせいだ。でも……お前に逢いたかったんだ。生きてて良かった、シルバー。また逢えて嬉しい」


 そのまま、昔と同じように抱きしめられる。


 ああ、変わってない。昔の優しい兄のままだ。変わったのは自分だけだった。


「お前の気持ちはわかった。父上の事は、オレがなんとかするから安心しろ。大丈夫、大丈夫だから」


 優しい声根で背中を撫でられて、思わず涙が溢れる。

 自分の事も、アンバーの事も、いつも自分でなんとかしてきたから、こんな事を言われるのは久しぶりだ。


「兄上……俺、一人で、頑張って……」

「ああ、頑張り続けるのは誰にでも出来る事じゃない。偉いな、シルバー」


 気が付いたら、縋りついて泣きじゃくっていた。

 子どもに戻ったみたいだ。クロッカスはそんなシルバーを泣き止むまで抱きしめてくれた。

 ようやく泣き止んで落ち着いたころには、段々と羞恥心が沸き上がってきた。なんせ久しぶりに逢った兄とアンバーの前で泣きじゃくっていたのである。恥ずかしくないわけがない。

 いまだに抱きしめたままのクロッカスに、なんて言って離れようか考えあぐねていると、クロッカスがひと際明るい声を上げた。


「そうだ、シルバー。オレと一緒に来ないか?」

「え?」


 驚いて兄の顔を見上げると、クロッカスは朗らかに笑っていた。


「日の当たらないところにいるから、鬱屈した気持ちになるんだよ。お前が嫌じゃなければ、一緒に行こう。―――王様にはしてやれないけどな」


 冗談交じりにシルバーの頭を撫でて、クロッカスは抱きしめていた腕を解いた。

 シルバーは戸惑って瞬きを繰り返すだけだ。


「それは……行きたいけど……無理ですよ……」

「無理じゃないさ。なぁ、アンバー。お前が許してくれれば……」


 アンバーの方を向いたクロッカスの言葉が途切れた。

 そういえば、アンバーがやたら静かだ。

 自分の事で手いっぱいだったシルバーも、ようやくアンバーに目を向ける。

 アンバーも泣いていた。微動だにせず、大きな金色の瞳から涙が溢れている。それを拭う事もせず、声も上げずに、ただ静かに泣いていた。


「……アンバー?」


 流石のクロッカスも驚いたのか、そっと声をかけると、ようやくアンバーが肩を震わせて動き出した。


「友達だと思ってたのに……。うわぁぁぁぁぁん!」


 声を上げて号泣し始めると共に、アンバーから魔力があふれ出した。咄嗟に、クロッカスがシルバーを背に庇う。

 空気が軋みを上げ、肌をじりじりと焼くほどの放出量だ。壁も床も悲鳴を上げている。古の魔力で守られている『王の影』本部でなければ、とうに崩落していてもおかしくない。

 昔からそうだった。アンバーが少し感情的になるだけで、人を怯えさせるほどの魔力を垂れ流す。だからシルバーも今の今まで我慢していたのだ。

 その魔力に真正面から晒されている兄は―――呆れたような顔をしていた。


「アンバー。無理して我慢してるから、そんなことになるんだぞ」


 そう言うと、クロッカスは何事もないようにアンバーに近づいて、先ほどのシルバーと同様に抱きしめた。

 辺りの空気が軽くなる。呼吸が楽になった。

 アンバーが魔力の放出を抑えたのではなく、クロッカスが一人でアンバーの魔力を受け止めているのだ。

 今のアンバーに触れるだけで死んでもおかしくないのに、けろっとした顔でアンバーの頭を撫でる兄に、シルバーは愕然とする。


「周りを傷つけないように、ずっと我慢してたんだな。お前は優しいから。オレがいる時くらい、好きに泣いて怒れよ。発散しないと、少しの事で魔力が制御できなくなるだろ。大丈夫、お前ならすぐにコントロールできるようになるよ。お前はなんでもできるんだ」


 優しく諭すように頭を撫でても、アンバーは自分の服の裾を握りしめたまま泣き続けている。


「うるさい、きらい……!」

「オレはお前が好きだぞ」


 その一言で、アンバーが再び停止した。クロッカスを見上げて、大きく瞳を開く。

 その目から、再び涙が零れた。


「……姉さんにも同じこと、言ってるんでしょ」

「ああ、二人とも好きだからな!」

「嫌い!!」


 笑顔のクロッカスとは反対に、顔を真っ赤にして泣きながらクロッカスの胸を叩くアンバー。

 ここまで感情的になったアンバーを見たことがない。

 こうやって真っ向からぶつかって、信頼を勝ち得たんだろう。なんせアンバーは『目』が良い。相手が嘘をついているかわかる。反対に言えば、相手が真摯に、本気で言っていればちゃんと伝わるのだ。

 言葉で伝えたくても、感情と共に向けられる魔力が怖くて何も言えなかったのがシルバーだ。

 なんせ今も、クロッカスには地下を崩落させるレベルの魔力が常時当てられている。常人には無理だ。1秒と持たずに廃人になる。

 物理的に無理だ。兄がいない時に『友達じゃない』なんて言っていたら大惨事になっていた。最悪死ぬ。

 改めてアンバーの力に戦慄するとともに、それに対抗できる兄に畏怖の念を抱く。

 暫くクロッカスと話してようやく落ち着いたのか、しょぼくれた顔でアンバーがシルバーに顔を向けた。


「ごめん、シルバー。シルバーの話も聞かないで、勝手なことして。だからもう一回、友達になっ」

「無理」


 バッサリと否定したシルバーに、アンバーは再びショックを受けた顔をする。それでもシルバーは首を横に振る。


「お前にこれ以上、振り回されたくない。他を当たってくれ」

「ええええ!? ここは仲直りする流れじゃないの!? 殿下もなんか言ってくださいよ!」


 理不尽にもクロッカスの方へ矛先を向けたアンバーに、クロッカスは穏やかな笑みを向ける。


「アンバーが悪いんじゃないか? お前、素で性格が悪いから」

「フォローしてください!! なんで追い打ちするんですか!?」


 きゃんきゃん吠えるアンバーに、シルバーはある事を思いつく。


「兄上がいるなら考えてやらなくもないぜ。友達になれるかはお前次第だけどな」


 兄と一緒に外に出たかった。

 それに……アンバーの事だって、自分勝手に恨んでも嫌いにはなりきれない。

 幼馴染なのだ。だから、出来るなら本当の友達になりたかった。

 シルバーの心を知ってか知らずか、アンバーはぱぁっと顔を明るくした。


「本当!? じゃあ一緒に行こうよ。ボク、殿下に仕えてるんだ。姉さんも紹介したいし、シルバーも一緒ならもっと楽しい!」

「お前、帰ってこないと思ったら、そんなことしてたのかよ」


 呆れ混じりに嘆息しても、アンバーは気にしていないようにご機嫌である。

 先ほどまでの号泣が嘘のようだ。

 クロッカスはそんな二人の頭を撫でて微笑んだ。


「じゃあ帰るか。リリーが待ってる」

「はい」

「はーい」


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