幼馴染
母が殺された。
目の前で城のバルコニーから突き落とされたのだ。
召使の姿をした男に捕まりながらも、シルバーは必至で抵抗したけれども無駄だった。
母は眠らされたまま、いとも簡単に落ちていった。
おかしいとは思っていた。
クロッカス―――異母兄の名前で菓子が届けられていた。
シルバーはそれを食べなかった。
クロッカスには前から『オレの名前で何かを送られても、決して触らないように』と言われていた。
……実際、異母兄が食事を食べて血を吐くところを何回か目撃している。『そういうこと』もあるのだと、幼いながら実感していた。
だから今回の菓子もクロッカスに尋ねてからにしょうと、食べたふりをしてしまいこんでいた。
そうして眠りについた夜、召使に扮した見知らぬ男たちがやってきた。
男たちはシルバーが飛び起きるのを見て少し慌てた様子だったが、幼いシルバーはすぐに捕まって口を手で塞がれた。
そうして何故か眠ったまま男たちに連れてこられた母が、目の前で殺されたのだ。
シルバーを抱えた男がバルコニーに近づく。
―――自分も落とされるのだ。
シルバーは抵抗したが、まるで力が足りない。逃げられない。
怖かった。痛いのも怖いし、死んだら城で見かけるお化けのようになるのも怖い。
必死で心の中で異母兄に助けを求めた。
しかし助けに来てくれたのは異母兄ではなかった。
バルコニーまであと一歩といったところで、男の動きが不自然に止まった。
なぜだろうと見上げると、男の左胸から鈍く光る金属の先が飛び出していた。
それが引き抜かれると、シルバーを抱えていた男は力なく倒れた。
一緒に床に転がったシルバーが身を起こすと、目に入ったのは茶髪の召使だった。
どこにでもいるような平凡な男だ。城のどこかで見たような気がするし、似た別人を見間違えているだけかもしれない。そんな男が無表情で血まみれのナイフを握り、こちらを見据えている。
「シルバーさま。母君と一緒に死にますか? それとも、日の光が当たることはなくとも生きたいですか?」
男が不思議な問いかけをしてくる。
ただ、死にたくはなかった。
茶髪の男の後ろでは、侵入してきた男たちが血を流して倒れている。自分もあんな風になりたくなかった。
「生きたい……」
震える声で答えるシルバーに、男は頷いた。
「わかりました。では行きましょう」
そうしてシルバーは密かに『王の影』の本部に連れてこられた。
男は抱えていたシルバーをそっと下ろして、一つの部屋に案内した。
「ここでお過ごしください。自由はありませんが、身の安全は保障します」
恐怖で縮こまっていたシルバーが、恐る恐る部屋を見渡す。
広い部屋だ。城で自分に与えられていた部屋と同じくらい。それどころか、母から禁止されていたおもちゃや遊び道具が沢山置いてある。
連れていかれた先で殺されるんじゃないかと怯えていたシルバーは、少し安心したその時。
『シルバー』
母の呼び声がした。
驚いて、開いたまま部屋の扉を見る。
そこには血まみれの、頭が潰れた母親の姿があった。
『どうして私だけ―――お前なんて産まなきゃ良かった―――』
途切れ途切れに頭に響いてくる声に思わず耳を塞ぐ。それでも声は聞こえてくる。
「シルバーさま?」
茶髪の男は怪訝そうな顔で、恐怖で後ずさりするシルバーを見つめた。
いつもそうだった。自分以外、誰もお化けが見えない。それどころか、嘘つき呼ばわりされる。
唯一信じてくれたのはクロッカスだけだった。
母はひしゃげた腕を突き出して、ゆっくりとシルバーに近づいてくる。シルバーは部屋の隅で縮こまるしかできない。
「あにうえ……!」
思わず助けを呼んだ時、自分と同じくらいの白い人影が目の前に現れた。
『うるさい』
その白い人影が母親の亡霊に触れると、母親は音もなく消え去った。
驚いて目の前の人物を見ると、それは自分と同じ年頃の少年だった。白い髪、金色の瞳。まるでおとぎ話の『雪の妖精』そのものだ。
少年は亡霊が消えたのを確認すると、用は済んだとばかりに歩き出そうとする。
「―――おばけ、どうやってけしたの?」
呆然と呟いたシルバーの声で、少年の足が止まる。
振り返った少年は驚いたような顔でシルバーを見つめた。
少年の口が動く。しかし言葉が聞こえてこない。さっきは聞こえたのに。
首を傾げたシルバーに、少年は残念そうな顔をする。
そういえば、さっきの少年の声はお化けと同じで頭に直接響いてきた気がする。
「おばけとおなじこえではなしてるの? それ、きこえないよ」
シルバーの言葉に、少年が目を丸くする。
少年は呆然と目を瞬かせた後に、口を何度も開け閉めする。
暫くそうした後に、少年は再び口を開いた。
「……きこえる?」
「うん! きこえた!」
シルバーが笑顔で答えると、少年もつられたように笑顔になった。
「アンバーさま……。お言葉が……」
後ろで呆然と呟く茶髪の男性を無視して、少年はシルバーに話しかけた。
「ボク、アンバーっていうんだ。きみは?」
「おれ、シルバー!」
「シルバー? さんばんめのおうじさまだね。じゃあ、こんかいはきみなんだ」
少年―――アンバーの言葉にシルバーは再び首を傾げる。
しかしアンバーは気にした様子もなく、シルバーの手を取った。
「じゃあ、いっしょにたんけんしよう! ここ、ひみつのつうろがいっぱいあるんだ!」
「そうなんだ!」
二人は一緒になって扉の外に駆けだす。
「アンバーさま……!」
茶髪の男の静止など振り切って、二人は部屋から飛び出した。
今まで同じ年頃の子どもがクロッカスか、クロッカスの友人しかいなかったシルバーにとって、初めて知り合った『同じ年』の少年だった。
「シルバーには妖精の皆は見えないのか。残念だな~」
探検している間に、アンバーの言葉がだんだんと聞こえやすくなっていく。
不思議に思いながらも、シルバーは首を横に振った。
「おれはみえなくてもいいよ。みえるほうがいやなこと、おおいもん」
妖精が見えると言っても、きっと周りの大人は信じてくれなかっただろう。お化けと一緒だ。
人に見えなくて、自分にだけ見えるものがある。それを理解していたから、『妖精が見える』というアンバーの言葉は素直に信じられた。
そうして暫く二人で歩き回っていたが、幼子二人、しかも夜遅くである。
段々と眠くなり、歩みも遅くなってきた。
「そろそろ戻ろっか。姉さんに怒られちゃう……」
「うん……」
欠伸交じりで話す二人に、足音荒く近づく影があった。
「アンバー!」
二人が驚いて声の方を見ると、そこには白髪に髭を蓄えた老人が仁王立ちしていた。
「お祖父様……」
アンバーの呟きに重なるようにして、老人の怒号が飛んだ。
「勝手にシルバー王子を連れ出しおって、逃げられたらどうする! 無能は大人しくしておれ!」
その言葉と共に、老人の拳がアンバーに向けられた。
「アンバー!」
シルバーが思わず庇おうとするが、もう遅い。老人は『王の影』の長である。彼の拳の方が早かった。
小さな体は容赦ない拳に吹っ飛ばされる―――ことはなかった。
アンバーは指先一つで老人の拳を止めた。そして、老人を睨みつける。
「お祖父様、シルバーに当たったらどうするんですか? 怪我じゃすみませんよ」
アンバーは驚愕する老人に向けて、再び指を横に動かした。
それだけで、老人は壁まで吹き飛ばされていく。
シルバーが呆然と老人の方を向いたころには、老人は力なく壁から床にずり落ちていた。
老人の首はあらぬ方向に曲がり、口からは白い泡が噴き出ている。
アンバーはそれを見て、きょとんとした顔で呟いた。
「あれ? 壊れちゃった」
アンバーは困ったように老人の傍によると、曲がった首を元の位置に戻した。
「……直しておけば怒られないよね」
まるで壊れたおもちゃにでも言うようにアンバーが呟くと、老人の瞳に光が戻った。
老人は目の前にあるアンバーの顔に、怯えるように後ずさる。
アンバーはそれを全く気にした風もなく、シルバーに笑顔を向けた。
「ごめん、シルバー。早く行こう!」
「う、うん……」
アンバーに再び握られた手に、シルバーは怖がりながらも振り払えなかった。
人なのに『治して』じゃないのは、アンバーの心情からです。念のため。