ウィスタリアの王子達
過去編です。
「見つけた」
中庭の茂みをかき分けて進んだ先に、その少年はいた。
灰色の髪をした3歳の男の子だ。
泣き腫らした目元は赤く、それ以上に腫れて赤い頬を庇うように片手で押さえている。
また母親に殴られたのだろう。
美人で名の知られた彼の母親は、国王の側室に選ばれて最初は有頂天だった。寵姫になって、子どもが王になって、自分が民に跪かれる日を夢見ていた。
だが実際は親同士、貴族同士の取り決めによる結婚だ。
子どもが産まれれば用はないと、国王の足は彼女から遠のいた。王の心はいつでも亡くなった初恋の女性にしかない。
そうして無為に過ぎていく日々を、子どもに八つ当たりするしか晴らせないのは彼女にとっても悲しいことだ。
もっとも、幼い少年にそれを理解するのはまだ厳しいだろう。
少年がこちらを見上げる。その拍子に涙が頬を伝った。
「あにうえ......」
泣き過ぎたのか掠れた声で自分を呼ぶ異母弟に、クロッカスは笑顔を向けた。
「隠れんぼか? オレも混ぜてくれ、シルバー」
異母弟の返事も聞かずに隣に腰掛ける。
シルバーは慌てたように乱暴に涙を拭った。
泣いていたことに気づかれたくないのだろう。男のプライドだ。もちろん、見なかった事にして話を続ける。
「これから授業だったんだけど、受けたくなくてさ。このままお前と遊ぼうかな」
「えっ......ダメだよ、あにうえ。おこられちゃうよ」
一瞬嬉しそうな顔をしたが、すぐに両手を服の上で握りしめて我慢する。
真面目な子だ。
「お前は良い子だな。シルバー」
怯えさせないように、そっとシルバーの頭を撫でると、ようやく笑ってくれた。
光の角度によっては、彼の銀色にキラキラと輝いて見える。日の光が良く似合う子だ。
そんな弟を撫でながら思案する。
「でも困ったな。オレ、乗馬はいくらやっても出来なくて......。シルバー、一緒に来るか? お前ならすぐに出来ると思うよ」
クロッカスの言葉に、シルバーは驚いた顔をした。
「あにうえでも、できないことがあるの?」
「オレは出来ない事だらけだよ」
3歳のシルバーには、二つ歳上なだけでも『なんでも出来る兄』に見えるらしい。
実際は馬に近づくだけで、どんなに大人しい馬でも暴れだして手がつけられなくなるせいで乗馬も出来ない。
授業とはいえ、他人に迷惑はかけたくないし、怪我もさせたくない。遠くで見学していたいが、せっかく来てくれる講師に失礼になってしまう。
3歳のシルバーを連れていった方がまだ授業になると思う。指導者もプロだ。シルバーもいい経験になるだろう。
ーーーと、一般的な6歳の思考とはかけ離れた事を考えながら、クロッカスはシルバーを撫で続ける。
「シルバーはこの前も剣の稽古してもらって褒められてただろう? お前もこれから色々出来るようになるよ」
「あにうえみたいに?」
「いいや、オレよりもだ」
頭を撫で終わって、背中をポンと叩く。
シルバーは泣いていたのが嘘のように上機嫌だ。
クロッカスは立ち上がってシルバーに手を差し出した。
「一緒に行こう。馬は嫌いか?」
「ううん。すき」
シルバーは無邪気に手を取って立ち上がる。
そのまま手を繋いで歩き出した。
こうして兄弟で手を繋いで歩いた事は何度もあるが、シルバーは時々何もない所を見て怯える。
怖いお化けがいる、らしい。
母親にそれを訴えると殴られるせいか、シルバーはそれをクロッカスにしか言わなくなってしまった。
弟がいると言うならいるんだろう。子どもの頃は妖精が見える人間がいると文献で読んだ事がある。シルバーに見えているのは、その類かもしれない。
そう思って、シルバーが怯えたらその道は使わずに遠回りするようにした。
今日もやや遠回りをして廊下を歩いていると、前からガヤガヤと大人達が歩いてくるのが見えた。
大人達に囲まれて歩いているのはもう一人の異母弟ーーー正室生まれの王太子だ。
俯き、大人達に囲まれている王太子の顔はこちらからはよく見えない。
こちらに気づいた大人達が、クロッカスを睨みつける。
手を繋いでいたシルバーが大人達の顔に怯えて背中に隠れたのを見て、クロッカスはシルバーを庇うように立ち止まった。
王太子を囲む大人達は、クロッカスを無視して進んで行く。
「本日のご予定が3分16秒遅れております。次は語学、その次はこの国の歴史についてです」
「貴方様はこの国を背負う王太子様でございます。側室生まれで遊んでいる者とは時間の価値が違うのです」
王太子は俯いたまま、こちらを見ようともしない。
けれどもすれ違った時に見た異母弟の顔は寂しそうに見えた。
クロッカスは視線で王太子を追うが、その姿は大人達の姿どあっと言う間に見えなくなった。
「......大丈夫かな」
大人達が去った後に思わず呟く。
母親は違えど兄として弟は心配だ。けれどクロッカスは正室周りの大人達に毛嫌いされていて、王太子の弟とはまともに話せた事がなかった。
未だに王太子の去った背中を追うように廊下を見つめ続けるクロッカスを現実に戻すように、シルバーが腕を引っ張る。
「あにうえ! はやくいこうよ!」
「あ、ああ」
ムクれたシルバーに引っ張られるようにして歩き出す。
大人達から早く離れたいのかと思ったが、どうも様子が違う。
クロッカスは引っ張られたまま、シルバーに話しかけた。
「なにを怒ってるんだ、シルバー」
「なんであっちみるの? おれのあにうえなのに!」
ムクれたまま、振り返りもせず返事をするシルバーに苦笑する。
「向こうもオレの弟だし、シルバーの兄だよ」
「しらない。ちちうえも、おうさまも、あいつのなのに。あいつはいっぱいもってるのに、あにうえまでとられるのヤダ!」
どうやら子どもらしい嫉妬心らしい。
癇癪を起こして泣きそうになっているシルバーを引き止めて抱き寄せる。
「わかった、わかったから泣くな。大丈夫だよ、シルバー。オレは盗られたりしないし、なにがあってもお前の味方だ」
「......ほんと?」
「ああ」
抱きしめたまま、シルバーの背中をポンポンと叩くと、シルバーはクロッカスにぎゅっと抱きついてきた。
自分に出来る事は少ないけど、せめてこの異母弟は守ろう。兄として、出来る限りの事をしよう。
シルバーを撫でながら、クロッカスは心から思った。
ーーーその半年後、シルバーとシルバーの母親の訃報が届いた。
この王太子がアイリスの父親になります。