無邪気な邪気
グレイは自身に向けられた剣を鼻で笑う。
「それは別にいいぜ。兄上が王になるっていうなら従うだけだ。アンバーも反対はしないだろ。兄上とアンバーがいるならどうにでも出来る。でもお嬢の事は別だ。わざわざアンバーを気絶させてまで、お嬢を殺そうとするのはなんでだ?」
「あら、アンバーの事も私の仕業だってわかってるのね」
リリーは驚いたように何度か瞬く。
「当たり前だろ。アンバーが警戒しないのは姐さんとスノウだけだ。殿下の後を追って焦ってたら余裕もなかっただろうしな」
「そうなの。私、扉の近くにいたんだけど、アンバーが『姉さんはスノウを連れて逃げて。殿下の事はボクが何とかするから』ってあっさり背中を向けてくれたから楽に無力化できたわ」
グレイは、恐らく何の警戒もなく背を向けただろうアンバーを思って歯噛みする。
そもそもグレイは襲ってくる反乱軍の足止めをして、クロッカスとアンバーを先にシアン侯爵のもとへ行かせたのだ。
あの二人なら何が起きても対処できると信じて。
自分がいても何もできなかったかもしれないが、それでも二人と一緒にいるべきだった。
グレイの胸に後悔が押し寄せるが、今はそれどころではない。
今は目の前のリリーに集中しなければ。一歩間違うと自分まで殺される。
肌に刺さる殺気にそれを感じながら、グレイは再び唇を開く。
「アンバーはスノウが生まれた時から面倒見て可愛がってからな。いくら姐さんでも、スノウを殺そうとしたらアンバーは止めに入るだろ。……でも、それは姐さんもだろ。あんた、スノウの母親じゃねーか。お腹を痛めて産んだ子をどうして……」
「スノウは殺すために産んだの。殿下が犠牲になる代わりにね。前提が間違ってるわ」
ひゅっと息を飲んだのはスノウだったのか、グレイだったのか。
顔を真っ青にしてガタガタと震え出したスノウと違って、リリーは相変わらず微笑んでいる。
「そもそも私、子どもなんて欲しくなかったのよね。体型が崩れちゃうし、殿下が私に関心を向けてくれる時間が減るじゃない。殿下は結婚する前から『子どもは作らないようにしよう』って言ってくれてたの。あの人の場合、自分の呪いが我が子に降りかかるのを嫌がってでしょうけど」
そしてリリーは恋する乙女のように胸の前に手を置いた。
「でも殿下の為なら我慢するわ。私はあの人に死んでほしくないし、苦しんでほしくないの。貴方たちは知らないでしょうけど、あの人、寝てる間ずっと魘されてるのよ。何かに抵抗して、拒絶して、苦しんでるの。殿下にとって、魘されるのが幼い頃から当たり前だったから、相談もしてこなかったんでしょうね。殿下は寝ている時の事は覚えていないみたいだけど、私は一緒にいるうちに気づいたわ。……これに呼ばれてるんだって」
リリーは静かに下を指さした。
この下にあるモノ。堕ちた神。封印されたモノ。
リリーは『影』の事と同時に、アンバーから封印されているモノについても聞かされていた。だから気づけたのだ。
「いつか殿下の心が弱った時に、これに乗っ取られるかもしれない。気づいてたわ。気づいてたけど、殿下にもアンバーにも言わなかった。言ったら殿下は国の為に迷わず死を選ぶ人だし、アンバーは『雪の妖精』の末裔として、いくら私が止めても殿下を殺すことを選ぶでしょうから」
「そうだな。あの二人は……そうする」
グレイは苦々しく同意した。
二人を良く知るグレイでもそう思う。
国の為に、民の為に、そして何より、愛する人が安心して暮らせる為に。あの二人ならクロッカスの死を選ぶだろう。
しかしリリーはそれを振り払うように剣を掲げた。
「でも私はそんなの嫌。殿下には幸せになってほしいし、生きててほしい。どんなものよりあの人を選ぶわ。だから考えたの。殿下とアンバーにいくら秘密にしてても、あの二人はいつか気づく。信じられないくらい天才だもの。だから気づかれる前に、殿下が封印されてるモノに乗っ取られないようにすれば良い。―――棺を使って封印し直すの」
そう言ってリリーは真っ直ぐに剣を棺に向けた。
「それが封印の蓋なの。神の血が濃い殿下を入れれば、きっと初代国王陛下みたいに末永く封印として機能するんでしょうね。そのために殿下が生まれたみたいで本当に嫌なんだけど……でも、それなら殿下の血を引く子どもだって同じように機能するわ。長くはもたないかもしれないけど、スノウは私と同じで妖精の血が受け継いでて頑丈でしょう? 丁度良かったわ。殿下が生きている間くらいは機能してくれるでしょう。殿下が寿命で亡くなったら、ここに埋葬してもらって結構。それまで封印していてくれれば、殿下はこれ以上寝ている間も苦しまなくて済むし、不運に見舞われなくなる。―――ね? 良いことづくめじゃない?」
リリーは少女のように花の咲いたような笑顔をグレイに向けた。