説教
とりあえずこのダンジョンに来た用件は達成できた。後は帰るだけだ。しかし前回は院長が開けた次元の裂け目から帰ったけど、今回はそれがない。
またダンジョンの最初まで戻らないといけないんだろうか。殿下も具合が悪そうだし、早々に帰りたいところなのに。
「帰りはどうするんですか?」
私の疑問に、鏡の設置が終わって戻ってきた院長が答える。
「大妖精様なら帰り道くらい開いてくれるでしょ。ここなら実態のある人の体を作れるくらいの力は出せるんだし」
「もう少し敬意を払え。本当に小憎たらしい童だな」
モグラが憤慨して私の腕をべしべし叩く。爪で引っ掻かれそうなので止めてほしい。
このままにするとまた院長と売り言葉に買い言葉で言い合いを始めそうなので、私の方からお願いしてみる。
「お願い、早く帰りたいの。ちゃんと封印は解けるようにしたでしょ? 後で夕飯もご馳走するから……」
「む……仕方ないな。ではお主に免じて開いてやろう。後で人間の作った美味いものを献上するように」
夕飯につられたぞ。それでいいのか、土の大妖精。
呆れていると、モグラが地面に下すように指示してくる。言う通りにモグラを離してやると、また天に向かって両手を掲げた。
するとまた少しずつ次元の裂け目が出来ていく。
その様子を見学している間に、クロッカス殿下が地面に転がっているドラゴンに目を止めた。
「あんなドラゴンが出てきていたのか。何か防衛機能があるとは思っていたが……。サクラ、大丈夫だったか?」
どうやら石板に集中していて、ドラゴンが出てきたことに気づいていなかったらしい。
心配そうに聞いてきた殿下に、院長が胸を張って答える。
「あのドラゴン、サクラがトドメを刺したんですよ! 姉さんみたいだったんですよ。見れなくて残念でしたね!」
「そうか、凄いな。サクラ」
殿下は穏やかに私に笑いかけた後に、院長に視線を移す。
「その時、お前は何をやっていたんだ、アンバー。私はお前に任せると言ったはずだが」
辺りの気温が氷点下まで下がった気がした。
殿下のいつもの優しい笑顔が消えている。元々目つきが悪くて強面の殿下だ。威圧するように睨むとまさしくラスボスの風体である。こちらまで気圧されそうになる。
しかし院長も動じない。ムッとした顔で言い返す。
「ちゃんとボクとグレイで弱らせましたし、サクラが対応できなさそうなら助けましたよ」
「お前が言うならどんな状況でもサクラを助けただろうな。それは信じている。だが、サクラを危険にさらすのは別だ。グレイに前に出るなと注意されていたサクラが、自分からドラゴンに向かったわけではないだろう?」
殿下の問いに、グレイ隊長が割って入って答える。
「ドラゴンが俺たちから嬢ちゃんに狙いを変えたんですよ。俺は助けようとしたのに、アンバーに止められました」
「ちょっとグレイ。ボクが悪いみたいに言わないでよ。殿下、サクラはそんな柔な鍛え方してません。それにサクラは姉さんと同じくらい―――いえ、姉さんより大事なんです。怪我させたりしませんよ」
院長の言葉に、クロッカス殿下とグレイ隊長が目を丸くする。
「すげぇな、嬢ちゃん。姐さんより上なんて、聞いたことないぞ」
「そんなに驚かれることなんですか……」
院長の高評価に喜べばいいのか、院長のシスコンに呆れればいいのか、判断に苦しむところだ。
一方でクロッカス殿下は困ったように息を吐いて、もう一度院長を見やる。
「急にドラゴンが襲ってきたら驚くだろう。咄嗟の判断で動ける者がどれほどいるか……。お前は自分の基準で物事を見すぎだ。その上『これくらい大丈夫だろう』とお前が思った基準を相手がクリアできないと、失望して興味を無くす。リリーやリリーの娘なら、お前が見捨てることはないだろうが、自分の理想が高すぎることを自覚しろ。……最も、サクラはそれをすべてクリアしてきたからこそ、お前もそこまで目をかけているんだろうがな」
殿下の説教を聞いている内に、院長は見るからにしょんぼりしていく。耳を垂らしてしょげた犬みたいだ。
それでもちらっと伺うように殿下を見て、納得いかないような顔で続けた。
「姉さんと貴方の娘なんですよ。優秀に決まってます」
「それが間違っている。期待するのはいいが、自分の理想を押し付けるな」
クロッカス殿下に言い切られて、院長は完全にしょぼくれてしまった。
院長からしたら女性の社会進出を推し進めた姉と、自分と同じくらい天才の殿下の子供なら、優秀で当たり前だって気持ちがあるのかもしれない。
でも残念。二人の本当の娘であるスノウなら兎も角、今の私はただのOLである。期待に添えていない事この上ない。
ただ前世で大学まで出ているから、知識が普通の子どもよりあるだけだ。院長はそれを勘違いしているのかもしれない。
でも院長が私を大事に思ってくれているのは、きっと私の努力が伝わっているからだと思う。
孤児院時代に院長が渡してきた勉強の課題も、魔法の課題も、毎日の鍛錬も、属性魔法が使える皆を横目に一人でこなしてきた。
きっと院長は努力する人が好きなのだろう。グレイ隊長を『友達』だと言っているのも、グレイ隊長が院長に追いつこうと努力し続けているから好感を抱いているのだと思う。
努力しても結果が出ていなかったら、クロッカス殿下の言うように失望されていたかもしれないけど。
ひょっとして、『恋革』にいた『私』は途中で院長の課題を投げてしまったのだろうか。実際、私が努力しないで適当に過ごしていたら、院長とこんなに関わらなかっただろう。
前に院長も記憶を無くした私とそんなに関わる気がなかったって言ってたし。
しょぼくれる院長を見つめながらそんな事を考えていたら、院長が顔を上げた。
バッチリ私と目が合った院長はしょぼくれた顔のまま、すごすごと私に近寄ってきた。
「ごめんね、サクラ。ボクのせいで負担になっちゃってたかな……」
「いえ、院長のおかげ強くなれましたし、今の仕事も特に問題なくやっていけてます。山とか野原に放り出されても、野生で生きていけるくらいには知識と強さを育ててもらったので感謝してます」
「アンバーは何を想定して嬢ちゃんにそんな事を教えたんだ」
グレイ隊長から痛烈なツッコミが飛んでくる。
院長はばっと顔を上げてグレイ隊長を睨んだ。
「だって急に殿下が国から追放されて、サクラの存在までバレたら暫く野宿しないといけないじゃん! ボクだって色々考えてるの!」
「考えすぎだ! お前と嬢ちゃんの性格と奇跡的にかみ合ってるだけだからな。本当に嬢ちゃんに感謝しろよ」
「わかってるよーだ」
グレイ隊長は怒ってるけど、『恋革』では実際にクロッカス殿下の追放エンドもあるからね。追放時、殿下の娘がどういう扱いになっていたかはわからないが、院長の想定がある意味正しいのかもしれない。
そんなゲームの話を言うわけにはいかないので、黙って二人の会話を聞いていると、院長が私をぎゅっと抱きしめてきた。
「スノウは姉さんに似た性格だったけど、サクラは違うからね。どっちも好きだけど、サクラは特別好きだよ」
キラキラとした純粋な笑みを向けられる。院長の笑顔はいつも、無邪気な子供を想起させるような顔だ。
人と感覚がズレてるし、ジェードに酷いことしたし、明らかにヤバい人なんだけど、嫌いになれないんだよな……。