ある男の末路
人気のない大聖堂。
虹の女神の彫像の前で膝を折り、熱心に祈りを捧げる女性がいる。
波打つ白髪。金色の瞳。雪のように白い肌。
祈る姿はまさに聖女そのものだ。
祈りを終えて立ち上がった彼女に話しかける。
「本当に行かれるのですか」
「はい。帝国との戦で、今もこの国の誰かが犠牲になっているのは耐えられませんもの。それに私はクロッカス殿下の騎士ですから」
振り返って微笑む姿は穢れを知らぬ花のようだ。
彼女が現れてから、この国は変わった。
女性の社会進出が進んだ。
女性が騎士になるなど、今までは考えられないことだった。
それだけではない。彼女に続いて騎士になった者もいれば、男性に混じって城で政治の仕事にかかわる女性も増えた。
城で働く女性は今まで使用人のような仕事しかなかったのに。
反対する者も勿論いたが、彼女と話せば賛成派に変わる。
まるで魔法のようだった。
私も彼女の考えに賛同し、宗教的な側面から女性が働ける社会を作ろうとした。
しかし、今となっては後悔している。
彼女が騎士だと認められなければ、こうして戦場に連れていかれることはなかったのに。
「そろそろ行きますね。殿下がお待ちですから」
「……はい。虹の女神の祝福が貴女にありますよう、お祈り申し上げます」
立ち去る彼女に私はそれしか言えない。
彼女を欲する人間は多い。
容姿や社交的な性格もそうだが、『雪の妖精の加護』と称される浄化能力や奇跡を欲しがらない人間はいない。
貴族からも何度か求婚があったと聞いている。
しかしそれは全てクロッカス殿下に跳ね除けられている。
結局、彼女を独占しているのは彼女を連れてきたクロッカス殿下なのだ。
もし、自分が最初に出会えていたら。
彼女と出会った男性は、必ずそう思うだろう。
***
「お前がこんなことをするとはな」
懐かしい夢から意識が浮上すると、目の前には男がいた。
長い黒髪に藍色の瞳を持つ黒ずくめの男。クロッカス・リア・ウィスタリアだ。
隣には剣に手をかけたグレイがこちらを睨んでいる。
「お前は民の為に教会を通して慈善事業に力を入れていたし、貴族たちにも顔が利く。フォーサイシアが王配になるなら、国を任さられると思っていたが―――その民を己の為に犠牲にするのは許されることではない」
淡々と内容を告げてはいるが、その目は鋭く私を貫く。
私も立ち上がろうとしたが、椅子に縄で縛られて身動きすら取れなかった。
「あれは私への呪詛だろう。飢餓・拷問の果てに『クロッカスを恨め』と言われて死んだ者達のなれの果てだ。最終的に膨れあがった亡者は私を取り殺す。そんな愚かな事をするほど、私が憎かったのか。教皇」
「当たり前だ! お前に嫁がなければ彼女が反乱に巻き込まれて死ぬことはなかった! そもそも市井で生きていたリリー様をお前が無理矢理王都に連れてきたのではないか! お前は自分のためだけに彼女の名声を利用して、士気を高めるためだけに戦場にまで連れて行った! 婚姻話も全て不意にして、自分しか選べないようにしただろう!」
「確かにリリーが死んだのは私のせいだ。だが、私は彼女の意思を無視したことはない。村を出たのも、私と共にいてくれたのも彼女の意思だ」
「嘘をつくな! 誰がお前なぞ選ぶものか!」
彼女は引く手あまただった。クロッカス殿下の弟である前王の側室になるのでは、と噂されたことすらあったのだ。
それすら蹴って、近くにいると不幸になると噂され、父親からも嫌われて見向きもされなかった男を選ぶものか。
憤りのまま更に罵ろうとした時、背後から冷えた声が私を遮った。
「勝手な事言わないで。もし殿下が無理矢理彼女を手籠めにしようとしたなら、ボクが先に殺してたよ」
背後から現れたのは白い髪に金色の瞳を持つ『雪の妖精』だった。
リリー様も伝えられている『雪の妖精』に似ていると思っていたが、こちらは瓜二つ―――本人そのものだった。
絶句する私を見下した顔で眇めながら、横を通り過ぎていく。
「どいつもこいつも勝手だよね。こっちの気持ちを考えないで理想を押し付けて、期待して、叶わなかったら理不尽に責められるんだ。だから彼女もボクも、そういう奴らは利用してやろうって思ってる。アンタも、彼女にとってはそんなその他大勢の一人だった」
そのまま『雪の妖精』は当たり前のようにクロッカス殿下の右隣に立つ。
グレイと『雪の妖精』に挟まれているクロッカス殿下も、当然のようにそれを受け入れている。
「大人しくしていれば良かったのに。」
「―――殺すなよ?」
『雪の妖精』に視線を向けたクロッカス殿下に、彼は無邪気な笑顔を向けた。
「大丈夫です、殿下。死にたいって言われても殺しませんから」
次回から本編に戻ります。