玉子焼き泥棒
僕が麗美と知り合ったのは中学生の頃だ。
まだ青かった僕は彼女の美貌と性格にスッカリ虜になってしまった。クリクリとした大きな目に小ぶりの鼻に薄いながらセクシーな唇。明るくて文武両道で何より優しくて男女問わず人気者だった。
僕は根暗眼鏡で学校に行く楽しみは、彼女の笑い声を聴くことだった。
麗美の長い黒髪をかきあげる仕草にドキッとする。ピンクのリップクリームを塗った唇に視線が釘付けになる。
見てるだけで良かったんだ。
ある日、麗美は話しかけて来た。
「透君って植物が好きなんだね」
僕は好きで積極的に学校の花壇の花に水をあげていた。植物は話しかけて来ない。逆に言葉を何でも聞いてくれる。そして、美しいのだ。
僕は麗美を見ないようにして、ワザとつっけどんに言葉を放った。
「男が花好きなんてキモいだろ」
僕のリアクションが気に入ったのか麗美がニヤニヤしている。
「キモいって言ったらどうする」
僕は思わずカチンと来て、麗美を直視してしまった。一気に顔が熱くなる。
「何だよ。そんなこと言いに声かけて来たのか」
麗美は楽しそうに笑った。
「透君でもそんな表情できるんだね」
昼休み真っ只中で周囲がざわめく。
麗美が鏡を取り出し、僕の前に突きつけた。
怒っているのか困惑しているのか分からない表情をした僕がいた。
僕は再びそっぽを向く。
「別の男をからかえよ」
「どの男の子をからかおうか」
麗美の返しに僕はまた怒りが込み上げて来た。
「は?好きな男でいいじゃん」
「それじゃあ、透君でいいんだね」
麗美の顔の方をチラッと見て、本気か確認すると僕は大慌てで、席を離れた。そうでもしないと心臓の鼓動が伝わりそうで怖かった。
立ち去り際に「僕に関わらないでくれ」と言い残す。
麗美は相変わらずニヤニヤ笑って、僕のリアクションを面白がっていた。
中学3年の夏、屋上で弁当を食べる。
日照りに視界が眩む。
あれ以来、麗美は時々、僕に話しかけるようになった。
今日も偶然か必然か、麗美が屋上に上がって来、僕に気付く。
「透君、逃げてばかりは気持ち悪いぞ」
僕は顔を赤らめながらも「放っておけ」と呟いた。
「こんなところで何の用」
つっけどんな僕の態度ももう麗美には慣れっこだった。
「透君の弁当の玉子焼き食べたいなーって」
「そんなことだけのために僕を探したのかよ」
「他の理由があったら、どうする?」
僕は平常心を保とうとした。しかし、混乱と嬉しさの狭間で言葉が縺れた。
「な、な、何なんだよ。僕なんかに構ってる暇があったら、彼氏と仲良くやれよ」
麗美が呆れた顔をする。
「彼氏いるように見えるの?」
僕は自分でも惨めな言い訳を始めた。
「美人だし、文武両道だし、性格良いし」
麗美が腹を抱えて笑い出した。
「私を完璧超人と思ってる訳?」
「いい?」と麗美が付け足す。
「私は好きな人に好きになってもらうため、努力してるの。まだ分からない?」
僕は途方に暮れて、首を振った。
「分からないよ。意味が分からない」
麗美が玉子焼きを勝手に盗む。
「あなたはそれでいい」
僕は玉子焼き泥棒を恨めしげに思い、複雑な感情の中、綺麗な麗美の横顔を一瞥した。
麗美が憎たらしく笑った。
三流の高校に入った。
何故か成績トップの麗美も僕と同じ高校に入学した。
桜の花が散っている。歩道はまるでピンクの絨毯のようだ。
入学式の後、校舎裏で麗美に告白するイケメンを見つけた。
僕は無意識の内に嫉妬していた。
僕もあんな顔だったら、堂々と麗美に告白できるのに。
麗美のジェスチャーで断っているのが分かる。
ホッと安堵する自分に気付き、自らを叱咤した。
僕はやはり麗美が本当はどんなに嫌なヤツでも好きなのだ。
麗美を想うだけで心臓がときめく。胃の底がキュッと縮む感覚で涙腺が緩んで切なくなる。
僕は本当に気持ち悪い男だ。
毎日、玉子焼きの入った弁当を持って来る習慣が付いた。
そうしないと玉子焼き泥棒が困るからだ。
麗美はクラスが別になっても、屋上が閉鎖されていても、僕と昼飯を食べるのを止めなかった。
僕も薄々、麗美が僕を気に入っていることに感ずいて来ていた。しかし、今の関係が好きだった。
最初に玉子焼きを盗まれる。次に憎まれ口を叩く。それをサラリと交わされ、からかわれる。そして、僕は恥じらいを感じる。
永遠にそんな関係でいられる訳がなかった。
麗美はカナダに留学が決まった。
僕に引き止める権利などなかった。だが、もう16歳になった僕の口から嗚咽が止まらなかった。
僕は麗美が本当に好きなのだ。
麗美が旅立つ直前、僕は空港で麗美を待ち伏せしていた。
麗美はそんな僕に冷たかった。
「こんなところで何してる訳」
僕は呟いた。「…来いよ」
もう一度呟こうとして、間違えて大声を発してしまった。
「また玉子焼き食べに来いよ!!!」
涙が溢れる。
麗美は僕の涙を拭うと、僕を抱き締めた。
「あなた、1人で生きていけるの?」
「いや、無理だ」
「なら、私が帰って来たら同居しない?」
僕は恋愛とは、告白、H、同居、結婚、子供の順だと思っていた。
僕達は玉子焼きからだ。
「早く帰って来ないともう玉子焼きやらないからな」
麗美が笑う。
「バカ」
飛行機のアナウンスが聴こえる。
僕達は別れた。