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 なんの手掛かりもなかったので、とりあえず、曲がりなりにも可奈を知っている人物に話を聞いてみようと思った。私の知らない何かがあるかも知れない。

 部屋の隅に置きっぱなしだったバッグからスマートフォンを取り出して、アドレスリストを開く。

 誰に頼るかは迷うまでもない。

 私の住んでいるアパートから徒歩で十分ほどの国道沿いのファミレスは、お昼を過ぎても暇な主婦やお年寄りが半数以上の席を埋めていた。

 呼び出しに応じてくれた美優ちゃんは、高校時代に比べると少し太って、ピンクと水色の花柄の服を着たふくよかな赤ちゃんを抱いていた。美優ちゃん自身は紺地に白い水玉のスッキリしたワンピースを着て、涼しげな白いマザーズバッグを肩にかけている。バッグは荷物が詰まっていてパンパンだ。すごい大荷物。

「ごめんね。少し遅くなっちゃったかな」

「いやいや、全然。私も今来たところだから」

 というのは嘘だけど。

 わざわざコーヒー二杯分待ちましたよ、なんて言う必要はない。

 高校を卒業してから五年、地元のリフォーム会社で事務員として働いて、二十三歳で結婚退社した美優ちゃんは、今や一児の母になっていた。中学の頃から付き合っていた彼氏とめでたくゴールインしたのだ。交際中も特に喧嘩をするでもなく、結婚が決まってからも親族間に波風を立てるでもなく、実に無難に無難に、恋愛、結婚、二世帯住宅の建築、妊娠、出産、と成し遂げて、美優ちゃんこそが最強の女なのではないかと私は密かに思っている。

「珍しいねぇ、真里ちゃんが私に連絡くれるなんて」

 私が気を利かせて空けておいた奥側のソファ席にマザーズバッグを押し込み、自分も赤ちゃんを抱いてゆったりと座り込みながら美優ちゃんは言った。

 はあ、ママは動くだけで大変だ。

「美優ちゃん全然変わらないね」

 お定まりの挨拶をしたら、美優ちゃんも良い感じに返してくれた。

「うふふ、お世辞言ってくれてありがとう。真里ちゃんは本当に変わらないね。なんだか久しぶりって感じがしないよ」

「眼鏡かけたけどね」

「うん、でも、高校の頃と雰囲気が変わらない」

「あんまり大人になれてないからかな?」

 あはは、と美優ちゃんは笑った。おい、否定しろよっ。

 店員が運んで来た水を一口飲み、はああ、と深い溜息をついて落ち着いた後、美優ちゃんはふっと寂しそうな表情を浮かべた。

「お互い地元なのに、卒業してからあんまり遊ばなくなっちゃったね」

「いや、それは美優ちゃんが休みの日はデートで忙しかったからでしょ」

 びしっ、とエアツッコミを入れるポーズで言う。

「そうだっけぇ?」

「おいおい、そうだっけじゃないよ。私が誘う度に、その日は彼と予定があるからって断られた恨みは忘れてないよ」

「あははは、ごめん、ごめん」

 おどけた調子で言ったら、美優ちゃんは楽しそうに目を細め、うあ、とむずがって声をあげた赤ちゃんをあやした。

「おお、よしよし、どうしたのぉ? 眠いのかなぁ?」

 美優ちゃんは相変わらずのおっとりした方言のイントネーションで優しく喋る。

「沙英ちゃん、幾つだっけ?」

「まだ十ヶ月だよ」

「ああ、そっか。なんかすごいね。あの美優ちゃんに子供がいるんだもんね」

「真里ちゃんも結婚して産めばいいよ。可愛いよ」

「無理だよ。私には深刻な問題があるから……」

「え、なに?」

「相手がいない」

 あはははは、と二人そろって声を上げて笑った。

 さて、会話のジャブはよろしいか、とメニューを開いて注文を決める。美優ちゃんはチョコレートのパフェを、私は抹茶白玉パフェを選んだ。オレンジを基調にした爽やかなユニフォームの店員が注文を端末に打ち込んで、ご注文は以上でよろしかったでしょうか、と巷に蔓延している間違った日本語で言って去って行った。

「あのさ、美優ちゃん。可奈が今、何してるのか知ってる?」

 おもむろに本題を切り出す。

 え、と美優ちゃん戸惑ったように目を見開いた。

「お父さんの事務所を手伝ってるハズだけど、真里ちゃん、知らなかったの?」

「え……うん、まあ、連絡無かったから……」

「ふうん、変だねぇ。可奈ちゃんは真里ちゃんと一番仲が良かったのに……」

 さすがの美優ちゃんも咎めるような眼差しを私に向けて来る。なんだか自分が悪い事をしたような気分になって、嫌な汗が出た。

「真里ちゃん、何かしたの?」

「いや、何もしてないと思う」

 うん、たぶんしてない……と思いたいけど……

「なんというか、その……この前、駅ビルで偶然すれ違ったんだけど、挨拶しようとしたら無視されちゃって。私が誰だか分からなかったって事は無いと思うんだよね、そんなわけで、可奈が何考えてるのかサッパリ分からないから、美優ちゃんに相談させてもらおうと思って……」

 う~ん、と美優ちゃんは深刻な顔で一分近く黙り込んだ。

「ごめんね、私には何も分からないよ。だって、私は可奈ちゃんに嫌われてたから」

「え?」

 思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。

「あ、これも知らなかったんだ。真里ちゃん案外にぶいよね」

 そうだろうか。担当氏からは打ち合わせの度に、こちらの要求を良く察して頂いて助かります、と言われているんだけど……あれ、もしかして逆の意味で言われてた? あっ、そう考えてみると、担当氏の機嫌の良い顔って見たこと無いわ……

「お待たせしました」

 絶妙なタイミングで店員がチョコレートのパフェと抹茶白玉パフェを運んで来た。それを見た沙英ちゃんは、だうう、と可愛い声をあげる。

「ちょっと食べる? おいしい甘々だよ」

 それからしばらく、美優ちゃんは沙英ちゃんに生クリームを食べさせたり、口元を拭いてあげたりの世話にかかりきりになった。沙英ちゃんは生クリームに満足すると、ちょっとぐずってから眠ってしまった。美優ちゃんは手際よく自分の横に沙英ちゃんを寝かせ、バスタオルをかけてあげていた。ソファ席を空けておいて良かった。

 一息ついて、美優ちゃんはやっと自分もパフェを食べ始めた。

「さっきの話の続きだけど……」

 不意に切り出されてドキッとする。

「可奈ちゃんは、真里ちゃんを独り占めしたかったんだよ。けど、私も休み時間に一人になるのは嫌だったから、気付かないふりをしてお邪魔虫しちゃってた」

 美優ちゃんはペロリと舌を出した。

「そんなこと……」

 いや、どうなんだろう。分かっていたと思う。可奈が私と二人きりでいたがっていた事は分かっていた。

 私は言いかけた言葉を飲み込んだ。代わりにおためごかしを言う。

「でも美優ちゃんを嫌ってたわけじゃないんじゃないかな?」

「あ、否定しないんだ。可奈ちゃんが真里ちゃんを独り占めしたがってたって事は」

 うぐ、と詰まる。

 美優ちゃんはこんなに鋭い人だったのか。知らなかった。小学校の頃からずっとおっとりしていたから、可奈が私以外の前では頑なに心を閉ざし、みんな邪魔だ、と思っていた事は気付いてないと思っていた。

 まさか、気付いていて、気付かないふりをしていたなんて。

 思い返してみると、ろくすっぽ返事もしない可奈を相手に、鈍感にも見えるのんびりした調子で話し掛け続けてくれたのは、角を立てず丸く収まるようにだったのか……

 空気が読めないなんて思っていて申し訳ない。むしろ、ものすごく空気を読んで気を遣っていてくれたんですね。もう一生、美優ちゃんには頭が上がらない。

「可奈ちゃんは真里ちゃんが好きだったんだと思うな。女の子同士だけど、思春期の頃って、そういうコトわりと多いんだって。男の子同士でもあるらしいし、女の子が初恋の相手だったって言ってるママ友もいるよ。私ね、この子が生まれて児童心理学の本とか読んだんだ。そのどれかに書いてあったんだけど、異性を好きになる前に同性を好きになる事も自然な心の成長過程らしいよ?」

 うわあっ、と私は顔を両手で覆った。そこまで気付いていたなんて……

 よもや私と可奈が──諸々の勘違いもあったし、エロ漫画に描くようなナニをしたというわけでもないけれど──付き合ってたって事も分かってるのか?

 恐ろしくて確認する勇気が出ない。

 カラン、とグラスの氷を回して美優ちゃんは言葉を継いだ。

「可奈ちゃんが真里ちゃんにしか心を開いてないって事は、誰が見てもハッキリ分かったと思うよ。可奈ちゃんにとって、真里ちゃんだけが特別だったんだよ」

 その後も、美優ちゃんは私とは違う角度で見た可奈との思い出を滔々と語ってくれた。

 そこには私の知らない弱々しくて危なっかしい可奈がいた。

 私が風邪で学校を休んだ日は美優ちゃんがどんなになだめても一日中泣きそうな顔をしていた、とか、私のいない場所で他の女子に声を掛けられたら毛を逆立てた猫のようにピリピリしていた、とか、厭味を言ってくる相手には言葉は少ないけど辛辣だった、とか、男子に声を掛けられたら心底嫌そうに眉をしかめていた、とか、先生の前ではちょっとリラックスしているように見えた、とか、私がいないと笑わなかった、とか……

 私はいったい可奈の何を見ていたんだろう。


   ◆◆◆



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