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「読んでみる? 《英国紅茶少女》、面白いよ」
本棚からコミックスの一巻を取って来て、はい、と手渡すと、可奈はパラパラとページをめくりながら、ロンドン塔だ、とか、カンタベリー大聖堂ね、とか、大英博物館だわ、などと背景に描かれている景色にいちいち声を上げた。
なんとなく馴染みのありそうな雰囲気だったので、
「イギリスに行った事あるの?」
と訊ねたら、うん、と少し頬を赤らめて可奈は首肯した。
「すごいっ! いいなぁ、羨ましいっ!」
大声を上げたら、えっ、と可奈はたじろいだ。
ハッキリ言おう。私は骨の髄までオタクだ。そんでもって、《英国紅茶少女》の大ファンで心の底から心酔していた。故に、その作品の舞台になったイギリスに憧れ以上のものを抱いていたのだ。崇拝と言ってもいい。
イギリスに行ったことのある少女──しかも、よくよく見ると可奈は可愛いフリル付きの白いワンピースを着ていて、あたかもファンタジー世界から抜け出して来たような美少女ではないか──そんな漫画みたいな美少女が目の前にいるなんて、すんげえテンションの上がる事態だった。
「おお……神よ。この出会いに感謝しますっ!」
大袈裟に唱えて、私は両手を組んで祈るように天を仰いだ。
そんな私を見て可奈は面食らったようだった。
「何言ってるの、真里さん……?」
天を仰ぐのをやめ、バッと可奈の方を振り向くと、可奈は焦ったように少しだけ後ずさった。可奈が下がった数センチを超えて、私は可奈の両手を掴み、ぎゅっと握りしめる。ぎょっとしている可奈に顔を近付けて迷惑そっちのけで言い募った。
「真里でいいって。じゃなくて、ホントにイギリスに行ったことあるんだよね?」
「え……うん。中二の夏休みに一か月だけホームステイで……」
「すげえっ! うわあっ、嬉しいっ! お願い、イギリスの話聞かせてっ!」
両手をひしっと掴んだまま私は可奈に取り縋った。その勢いに押されて、可奈は目を丸くして仰け反る。
「真里さんは」
「だから、真里でいいって」
「真里は……変わってるね」
「そうかなあ?」
「そうだよ。そんな風に言ってくれる子、あんまりいないよ。だから私、イギリスの事はあまり話さないようにしてるの」
なんで? と私は不思議に思った。
私はイギリスが好きだからこんなテンションだけど、普通はみんな外国の珍しい話とか聞きたがるんじゃないかな。
でも、可奈が嫌なら仕方ない。
「話したくないなら……」
意気消沈して手を離したら、可奈は慌てて顔の前で手を振った。
「ううん、全然そんなことないよ。聞いてくれるなら話したい」
「ほんと?」
「うん……」
可奈はその後、突然、堰を切ったようにイギリスに居た一か月の間の思い出を、次から次へと喋り出し、夕飯の時間になるまで喋り続けた。
意外と喋るんだね、と言ったら、可奈は口元に指先を当てて顔を赤くした。
「ごめんなさい。うるさかった?」
「ううん。全然。おとなしそうなお嬢様だと思ってたから、話が合うか心配だったんだ。たくさん喋ってくれてホッとしたよ」
可奈は屈託なく笑って、
「真里、私の親友になってね」
と私の手を握った。
もちろん、と力強く返しながら、それにしても綺麗な子だなぁ、とこっそり感心していたのだけど、そんな事は、その日の可奈には言ってやらなかった。
そんなこんなで意気投合し、入学式の日に可奈を小学校から付き合いのある美優ちゃんに紹介し、運良く三人とも同じクラスになれたわけだけど、可奈はなぜか美優ちゃんには心を開かなかった。
しかも、入学式から一週間も経たないうちに、何かのきっかけで女子十人くらいが輪になって中学時代の話になり、可奈も控え目に自分の事を話したのだけど、東京から引っ越して来たと言ったところでみんなの空気が冷たく変わり、イギリスにホームステイしたと言ったら、なんと、私以外の全員が無反応だった。へえ、と誰かが言ったきり場はしらけてしまい、休憩時間終了のチャイムが鳴った。
後で廊下を歩いている時に、その会話に加わっていた派手めで目立つタイプの女子が聞こえよがしに、自慢しちゃって、と吐き捨てるのが聞こえた。
「可奈、大丈夫?」
「ごめんね、なんか変な空気になっちゃって」
「可奈は悪くないでしょ。普通に話しただけじゃん。あいつらおかしいよ」
「うん……でも、もう話さない」
都会育ちというだけでも田舎では十分な嫉妬の理由になるのだけれど、可奈の場合、美少女で、お金持ちで、成績も良くて、教師にも男子にも人気があって、色々と恵まれ過ぎていた。
この事件をきっかけに、悪目立ちしたくない、と言って、私以外の前ではあまり話さなくなってしまった。
苛めのような目に遭わされるようになったのも、この頃からだった。苛めのような、と言葉を濁すのは良くないな。あれは苛めだ。可奈が屈しなかっただけで。
それでも、うちの高校ではぶっちぎりの美少女だったので、卒業までの三年間で、先輩後輩同級生問わず、十数人もの男子に告白された。可奈は、興味ない、と言ってろくに相手の人格も吟味せず、全員、片っ端から振ってしまった。もったいない。
美味しい思いはひとつもしていないのに、告白してきた男子を好きだった女子に絡まれて、嫌な思いだけはたっぷりするはめになっただなんて、つくづく損だ。
そのくせ、何がどう拗れたのか、可奈は私が初めて描いた漫画を読んで盛大な勘違いをし、私たちは恋人同士として付き合う羽目になるのだから妙な話だ。
もしかしたら、出会ってすぐか入学してすぐの頃に、そこに到るなりの歪みの種が芽吹いていたのかも知れない。
可奈とは高一の夏休みになる頃には親友と言ってもいいくらい仲良くなっていた。
毎日一緒に登下校して、放課後は可奈の習い事が無い限り、必ず可奈の部屋に呼び付けられた。なんとなく気乗りがしなくて、他に用事がある、と断ろうとすると、可奈は目に涙を溜めて私を責めた。
「どうして? 私と一緒にいるのは嫌なの?」
そうまで言われれば、小心者の私としては、
「あ、やっぱり行く。ごめん、ごめん、用事はいつでも大丈夫だった」
と頭の後ろを掻きながら誤魔化し笑いをするしかなかった。
そんな調子で毎日可奈の言いなりになっていたら、しまいには言う通りにしないと怒られるようになった。そういう力関係が構築されてしまったのである。
緩衝剤になり得た美優ちゃんは、登下校や放課後、休日は彼氏と一緒に過ごすため、私を気に掛けてはくれなかったし、どういうわけか私も、美優ちゃんに相談する事は無かった。
可奈に束縛されるのは、それほど嫌なことではなかったからだ。
授業中は言うに及ばず、休み時間やランチの時間など三人で過ごす間は、可奈は喋らないおとなしい子のフリをし、私の前でだけ我儘女王様になる。それが、ごく自然な事として定着してしまった。
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