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そう言えば、可奈との出会いの話をしていなかった。
改めて説明しようと思うと、すごくつまらない出会い方だったので、こんな話はしないほうが良いんじゃないかとも思う。
けど、一応は触れておくべきかな。
中学を卒業して高校に入学するまでの春休み。ドラマや漫画だと、なんとなくモラトリアムな感じがする特別な時期なハズなんだけど、私みたいな平凡な人間には何も特別な事など起こるわけもなく、しかも、仲良しの美優ちゃんは彼氏と愛を育むのに忙しくて私を構っていられるわけもなく、暇を持て余して毎日ぼんやりと過ごしていた。
そんなある日──
うららかな陽射しの中、庭で草むしりをしていると、ドラマに出て来そうな長いサラサラの黒髪をなびかせた美少女が、同じくドラマに出て来そうなオシャレな服を着た美人のお母さんに連れられて、うちの庭に入って来たのだ。
ちなみに、うちの田舎は全国有数の戸建ての庭が広い地域で、庭を通り抜けないと玄関の呼び鈴まで辿り着けないのが普通です。
可奈のすんげえ綺麗なお母さんは、庭にしゃがんでいる私を一瞥し、少し迷ったようだけど、
「こんにちは、お母さんはいらっしゃるかしら」
と声をかけてくれた。
その時の私は、中学時代のださい臙脂色のジャージを着て、首にはタオルを巻き、トドメに麦わら帽子を目深に被っていたので、年齢不詳というか……おばちゃんに見えたんだと思う。
「あらあら、まあ」
うちのお母さんは田舎者丸出しの態度でエプロンで手を拭きながら台所から出て来て、都会から来た芸能人親子みたいな可奈とお母さんに挨拶をした。
「どうも、こんにちは。あの新築のお屋敷に越してらした橘さんですよね?」
「嫌ですわ。みなさんよくご存じなのね」
可奈のお母さんは、田舎では誰もしない笑い方をした。口元は笑っているのに、目は笑っていない。みんなに知られている事を喜んでいるのか、嫌がっているのか、パッと見では分からなかった。たぶん、両方なんだろう。あんな目立つお屋敷を建てておいて目立ちたくないわけはないだろうけど、田舎の人間の詮索好きな性向を蔑む気持ちもあったんじゃないかな。卑しい人たち、という目を、その後、可奈のお母さんはわりと頻繁にした。
「娘の可奈です。お宅に可奈と同じ高校へ進学する女の子がいらっしゃると伺って、お友達になってやって頂けないかしらと思いまして……」
「あらあら、まあ」
うちのお母さんはリプレイボタンを押したようにさっきと同じ調子で言って、ひょい、と私のほうへ顔を向けた。
「真里、可奈ちゃんと仲良くしな。部屋に連れてってあげてお話でもしたら?」
突然言われて、可奈のお母さんはびっくりしたようだった。一瞬、ぎょっとしたように目を見開いて、慌てて顔の前で手を振りながら、そんな急には悪いですわ、と声を裏返らせた。
「真里さんも急には困るわよね?」
「いえ、別に……」
私としては、お客さんの相手をする事になれば庭の草むしりから解放されるので、むしろその方がありがたかった。
「ママ、私、お邪魔させてもらいたい」
可奈は不機嫌そうな顔でぼそっと言った。
「え、そ、そうなの? でも、ご迷惑でしょう?」
前半は可奈に、後半はうちのお母さんに向けて、可奈のお母さんはしどろもどろに言った。
「いえいえ。ちっとも迷惑なんかじゃありませんよ。この辺はみんないきなり来て勝手にお茶を飲んでいくような土地ですから」
うちのお母さんはコロコロと喉を鳴らして笑った。
「可奈ちゃんも寄って行きたいでしょ?」
「はい」
「そんな、ご迷惑でないなら良いんですが、でも、ねえ……」
「真里さんとお話してみたい」
「可奈……」
強硬に言い張る娘に、可奈のお母さんは戸惑ったようにおろおろしたが、しばらくすると可奈が頑として動かないのを見て諦めたのか、すみませんがよろしくお願いします、とお辞儀をして渋々と帰って行った。玄関で見送る私達を何度か振り返った可奈のお母さんは、従順な娘が自分の意を汲まないなんておかしいわ、という顔をしていた。
お母さんがいなくなると、可奈はあからさまに安堵の溜息をついた。
なんか妙な感じだな、と思いはしたが、まあいいか、とスルーした。
私はわりとこだわりの薄い性格で、誰かに執着する事もない代わり、誰とでも適当に合わせられるので、初対面の可奈を自分の部屋に入れる事にも特に抵抗は無かったし、可奈のお母さんが可奈を連れて来た事に関してもどうという感情も持っていなかった。
「どうぞ、こっちが私の部屋」
可奈を案内して、二階へ上がる。可奈は私の後について狭い階段を上る間、きつく唇を引き結んで一言も口を利かなかった。
「ちょっと手を洗ってくるから中で待ってて。麦茶飲む?」
ドアは勝手に開けて入って、と身振りで示したところで、やっと可奈は口を開いた。
「ごめんね」
「え、麦茶嫌いだった?」
「え? ううん、そうじゃなくて。うちのママ図々しくて。このままだと他の同級生の子がいる家にも連れていかれそうだったから、おば様のお言葉に甘えて、あなたの部屋に押し掛けることになっちゃってごめんなさい。すぐ帰るから……」
可奈は心底申し訳ないと思っている様子で身を小さくしていた。
「あ、ああ、なんだ。そんなこと?」
え、と可奈は虚を突かれたように顔を上げた。
「全然気にすることないよ。うちのお母さんのほうがもっと図々しいから。たぶん明日にはナスとトマト持ってあんたん宅に押し掛けると思うよ。お互い様だって」
「そうなの?」
可奈は目を丸くしていた。
「えっと、田舎ってだいたいこんな感じだと思うけど、都会は違うの?」
くす、と可奈は笑みを零し、違うかも、と控え目に言った。
「とにかく、中に入って適当に座ってて。麦茶とせんべい持って来るから」
可奈が笑ってくれたことが嬉しくて、私はことさら大きな声で言った。階段を跳ぶように下り洗面所に駆け込んで石鹸で手を洗ってから、台所で麦茶とせんべいを用意して、大急ぎで自分の部屋へ戻った。
「お待たせっ!」
本棚を物珍しそうに眺めていた可奈は、私の声に少し驚いた様子で振り返った。
私の部屋は四畳半のフローリングで、本棚と勉強机とベッドでぎゅうぎゅう詰めで、座る場所は、勉強机の椅子かベッドだけだったので、二人でベッドに腰掛けて、椅子を引いてそこにお盆に乗せた麦茶とせんべいを置いた。
どうぞ、と勧めたら遠慮がちに可奈は麦茶の入ったグラスを受け取った。
「漫画、たくさん持ってるんだね」
「うん。まあね」
「《英国紅茶少女》って、イギリスが舞台の漫画?」
「そうだよ。えっと……可奈ちゃん、でいい?」
「うん。真里さん、だよね?」
「ああ、真里でいいよ。さん付けなんて気持ち悪いから」
「じゃあ、私も可奈でいいよ」
がははと笑って見せたら、可奈はうふふと笑った。