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 教室ではそんな感じで、ほとんど喋らないおとなしいキャラだったのだけど、二人きりになると途端に可奈はお喋りになった。

 我の強さを剥き出しにして。

 テスト勉強は高一の一学期からずっと可奈の家で二人きりでする事になっていたし、可奈が用意したDVDは好みでなくとも一緒に見なければならなかった。

 登下校は絶対に一緒で、ランチも当然一緒、休日も可奈に用事が無ければ一緒に過ごすよう強要された。

 白黒ペアのウサギのキャラクターグッズも必ずペアで持たなければならなかった。可奈が白ウサギで、私が黒ウサギだ。

 他にも可奈の要求は大量にあった。

 バレンタインは一緒にチョコを食べて、ホワイトデーはクッキーを食べて、桜を一緒に見に行って、七夕には星を見に行った。夏休みは可奈が家族旅行で日本にいない時期以外はほぼ毎日一緒に過ごしたし、春休みも、ゴールデンウィークも、クリスマスも、大晦日も、正月も、お互いの誕生日も一緒に過ごした。

 可奈の私に対する執着と束縛は異常だった。

 美優ちゃんに中学時代から彼氏がいたから揉め事にならなかっただけで、もし美優ちゃんがモテる子じゃなかったら、友情に亀裂が入って大変な事になったと思う。

 なにしろ可奈は、私の小学校からの友達である美優ちゃんを、陰でこっそり邪魔者扱いしていたから。

 一緒にいて、と事ある毎に可奈はせがんだ。

 みんなに馴染めなくてツライのだろうなと、私は思っていた。可奈はこんな田舎に引っ越して来たくなかったのだろう。可奈のお父さんは一級建築士で、別にこんな田舎じゃなくても仕事はできたはずだ。

 どうして引っ越してこなければならなかったのか、私はその理由を知らなかった。

「ここは嫌い。でも真里は好き」

 可奈は私に寄り掛かって、肩に形の良い頭を乗せて、ぽつりと言った。

 八月の夕暮れ時で、夕立の後だったと思う。私達はうちの縁側に腰掛けて暮れていく空を眺めていた。熱された砂漠のようだった地面は雨に濡れて冷やされ、辺りには少しだけ涼しい風が吹いていた。三日月が西の空に沈みかけていたし、星はひとつふたつ見え始めたばかりだったと思う。足下から蚊取り線香の懐かしい匂いが漂って来ていた。

 可奈の髪からは良い香りがして、華奢な首筋が心細げに見える。

 なんだか可哀想だった。

 外ではほとんど喋らず、二人きりになるとわがまま放題の女王様。

 美優ちゃんは可奈の本性にまったく気づいておらず、可奈ちゃんはおとなしいね、とおっとりした顔で言ったくらいだ。

 そんな調子で、私と可奈と美優ちゃんは、まったく噛み合わない仲良し三人組として高校の三年間を過ごした。


   ◆◆◆


 私が漫画を描き始めたのは、可奈に束縛されていたからだ。

 可奈の都合に合わせる為に常に予定を空けておかなければならなくて、自室で独りで出来る事に没頭した。

 元々イラストを描くことは好きだったし、漫画も小学生の頃から大好きだった。

 私の見た目にも性格にも似合わないので笑われるかも知れないが、イギリスが舞台の妖精や魔女やプリンセスが登場するファンタジー物の少女漫画が死ぬほど好きなのだ。

 だったらイギリス文学くらい読めよ、と突っ込まれそうだが、それはそれ、これはこれだ。文学は私には難し過ぎて、読もうとすると意識が遠くなる。

 だから漫画が好きなのだ。

 正直、私の側から見ても、憧れのイギリスの話を聞かせてくれる可奈は都合の良い存在だった。イギリスで撮った写真を見せてもらったり、向こうで買った異国情緒あふれる小物を見せてもらったりするのは楽しかった。

 ケルト神話やアーサー王などの物語群も、可奈の薫陶を受けて読むようになった。難しい本ではなく、中高生向けに分かり易く噛み砕かれた「ケルト神話入門」とか「アーサー王物語」とか、そんな感じのライトな本が主だったけど。

 私の人生に深い影響を与えた「ディルムッド・オディナとグラーニアの伝説」も、その時期に可奈から教わった。

 物語を読むと自分でも物語を紡いでみたくなるから不思議だ。私の場合それまで読んでいた漫画の影響も大きい。物心付いた頃から落書きをするのが大好きだったので、白いノートにコマを割って、起承転結もオチも無い漫画未満を描き始めたのは、ほとんど必然の流れだったと思う。

 そんな訳で、可奈と一緒にいなくてもいい時間は、ずっと漫画を描いていた。


   ◆◆◆


 高校三年の夏休み──

 確か、お盆が終わってすぐだったから、八月十七日くらいだ。

 私は初めて漫画を描き上げた。

 それまでのノートの落書きとは違い、駅前の画材屋で買ったプロ仕様のB4漫画原稿用紙に生意気にもカラス口ペンを使って製図用インクで枠線を引き、Gペンと丸ペンにスクリーントーンも導入し、さらに漫画入門サイトでインタビューされていた某大御所漫画家先生を真似て、筆ペンでベタを入れ、薄めた水性修正液でホワイトも入れた。

 道具だけは本格的な「漫画」だった。

 もちろん初めて描いた作品なので、威張って人様に見せられた代物ではなかったのだけど、私は達成感でハイになっていた。

 私の家の裏道は雑木林と竹藪に挟まれていて、夏の午後、ここを通ると緑の光がキラキラと弾けてファンタジーの世界に迷い込んだような気分になる。宝石のような木漏れ日と、瑞々しく繁る葉っぱと、足下の青いツユクサと、楽しい音を立てる白っぽい砂利道。

 暑い風の中を小走りに駆けて、私は可奈の家へ急いだ。

 自然な思考というか、他に選択肢は無かったというか、完成した原稿を可奈に見せるのは、私に取っては迷うまでもない当たり前の事だった。

「漫画、出来た」

 手にインクの汚れを付けたまま、私は原稿の入った茶封筒を差し出した。

 額に玉の汗を浮かべ肩で息をする私を見て、可奈は一瞬、大きく目を見開いた。

 それからわずかに逡巡し、ちょっと待ってて、と奥に電話を掛けに行った。

 可奈はその日、美容院の予約を入れていたらしく、まさに出掛ける直前だったのだ。だから私が呼び出されていなかった、という側面もあるにはあるが、私の為に、可奈は予約を取り消してくれた。

 勢いで押しかけてしまった事が急に申し訳なくなって、

「ごめんね、美容院……」

 と謝ると、

「ううん、いいの。真里の為だもん。当たり前だよ」

 可奈はそんな優しい言葉をかけてくれた。

 可奈の後に従って、うきうきしながらお屋敷の二階にある彼女の部屋へ向かった。自分の定位置になっていた淡いピンクのミニソファに腰掛けて、可奈が原稿を読み終わるのを待つ。ちなみに可奈は、小洒落たイギリス風のライティングデスクを持っていて、私の原稿を読む時も、真面目くさって勉強用のその席に腰掛けた。

 後ろ姿だけでも、可奈がじっと、私の描いた漫画のコマを、キャラクターを、背景を、台詞を、目で追っているのが分かる。

 ドキドキしながら結果を待った。

「どうかな?」

 私の漫画処女作は、素人が描くにはなかなかの苦行である三十二ページの大作──あくまでも高校生視点ね──で、平凡な少女が無意味にファンタジー世界にトリップして王子様に一目惚れされて求愛されるだけ、というありがちな駄作だったと思う。

 それでも私は、傑作が描けた、と自信満々で、もしかしたら私って天才かも、くらいの事は思っていたのだから、読み終えた可奈が黙ったまま丁寧に原稿を揃えている間も、称賛の言葉を今か今かと待ち構えていた。

 可奈はしばらく何も言わなかった。

 読み終えた原稿を思い詰めたような表情で見詰めて、雪の女王のように、冷たく、哀しげにすら見える凛とした佇まいで、長々と黙り込んでいた。

 あまりにも反応が無いので私は怖くなった。

 根拠の無い自信はたちまち砕けて、猛烈な不安がこみあげた。

 どうしよう。そんなに下手だったかな。絵がダメだった? ちょっと手抜きしちゃったし、上手く描けないシーンもあったし、ああ、デッサンも崩れてるかも。ベタがはみ出てるところもあったし、ホワイトをかけ忘れてるところもあるかも。背景も初めて描いたから、なんかパースとか理解出来なかったし、お城が変なのは仕方ないよね。あ、つうか、あの台詞、ちょっと臭かったかも。いくら王子様でも、運命の姫、あなたを愛しています、はキツかったかな。でも、初めて描いたんだし大目に見てよ。つうか、下手でも才能の片鱗とかは分かるよね。溢れ出るリリカルセンスとか、あるっしょ。まさか、ストーリーがダメって事はないよね。

 今になってみると噴飯ものなのだが、当時の私は、なぜかストーリーにだけは揺るがぬ自信を持っていて、自分を天才ストーリーテラーと呼んでいた。こっそり、心の中だけで。

 いやいや、ストーリーだけは最高のハズ──んなわけねえのに、無言で原稿を見詰め続ける可奈を前にしても、私はそんな面白い事を考えていた。

 しかし、そんな余裕があったのも最初の数十秒だけで、三分も経つ頃には、あらゆる自信が煙のように掻き消えて、胸が潰れるような不安だけが残った。

 恐怖と言っても良かった。

 ──ああ、全然ダメだったんだ。私には才能が無いんだ。

 打ちひしがれて、走って逃げ出したくなった時、やっと可奈は顔を上げた。

 張り詰めた時間は、意外な言葉に収束した。

「このヒロイン、私に似てるね」

「は?」

 予想外の事を言われて私は固まった。

 なんの話が分からない。ヒロインがなんだって?

 強引に可奈に似ていると言えば似ているかも知れない。確かに、ヒロインも可奈も黒髪ロングの美少女だ。とはいえ、それはヒロインの定番デザインで、可奈をモデルにしたつもりは、まったくもって、全然、一ミリも無かった。

 ぽかんと口を開ける私を無視して、可奈は勝手に話を進める。

「王子様は、あんまり似てないけど真里だよね。すごく素敵なお話。王子様がヒロインにプロポーズするシーン、特に良かった。私、感動しちゃって……」

 そこで、可奈は、ぽろりと涙を零した。

「こんなに愛して貰えて嬉しい。私も真里の事が好きよ。こんな形で告白されるとは思ってなかったし、女の子同士だけど、いいわ、付き合ってあげる」

 ほっそりとした指で、そっと涙の滴をぬぐって、可奈は照れ笑いを浮かべた。

「は?」

 なんですと~~っ?

「勘違……」

「恥ずかしい気持ちは分かるけど、今さら照れ隠しで、勘違いだよ、なんて言わないでね。私だって勇気を出してOKしたんだから、否定されたら死にたくなっちゃうよ?」

 可奈は、はにかみながらも、斜め下から私と視線を合わせてそう言った。

 死にたくなっちゃう──可奈ならやりかねない。私の知っている可奈は、いや、私だけが知っている可奈は、プライドを護る為に自決できる女なのだ。

 これが、脅しでなくてなんだというのか。

 一気に血の気が下がった。漫画の感想なんてどうでもいい。

「あ……あの、不束者ですが、よろしくお願いします」

 私は握手を求める形で右手を差し出した。


   ◆◆◆



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