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 その後も大変だった。

 まず橘家へ戻り、可奈のお母さんに報告をしなければならなかった。

 ついでに大塚にも。

 可奈のお母さんと大塚はもう言い争ってはいなかった。憮然とした可奈のお母さんと、困ったような半笑いを浮かべた大塚が並んで門の前に立っている。可奈が乗り捨てた青いBMWは、大塚か可奈のお母さんによって橘家のガレージに入れられていた。

「よっ。どうだ。首尾よく行ったのか?」

「まあ、なんとか」

「大塚君? なんでここにいるの?」

 私の顔を見てすぐに逃げ出した可奈は、雑木林の陰に隠れていた大塚に気付かなかったらしい。予想外の人物が居た事に本気で驚いていた。

「あ、ええと、大塚にここまで送って来て貰って……」

「それじゃ、私達のこと知ってるの?」

 う~ん、と微妙な調子で言って大塚は頭の後ろを掻いた。はあっ、と大仰に溜息をついて、振り返った可奈は私を睨んだ。

「後できちんと説明して貰うから」

「はい……」

 それから、可奈のお母さんに私は誠心誠意、頭を下げた。

「話は纏まりました。可奈さんと真面目にお付き合いさせて頂きます」

 可奈のお母さんは呆れたように片眉を上げたが、もう「ダメ」とは言わなかった。

「勝手になさい」

 はい、と元気よく答える。

「あの……お父さんにもご挨拶をさせて頂きたいのですが」

「それは止してちょうだい」

 ぴしゃりと言われて、私はよほど情けない顔をしたのだと思う。

「勘違いしないで。悪い意味じゃないのよ」

 さすがの可奈のお母さんも気まずそうに言い訳をしてくれた。

「主人は可奈の事は何も知らないのよ。この子が、男と結婚なんかしない、と言うたびに喜んでしまうような人だから、もしかしたら、可奈とあなたの事をすんなり受け入れられるかも知れないけれど……私は、この子が女性としか恋が出来ないと知った時にそれなりに悩みましたから、主人にはまだ言わなくていいと思っているの。あなたもご両親にはまだ言わない方がいいと思うわ」

 折を見て、と可奈のお母さんは言った。

「すべての親が子供をありのままに受け止められるわけではないのよ」

 それはそうかも知れない。

 うちの両親は二人そろってあっけらかんとしたタイプではあるけれど、娘が同性の恋人と付き合っているなんて、悩みなく受け止められるかどうか……

 私がこの話をした時に両親がどんな反応をするか分からない。想像もつかない。

 可奈のお母さんは──こんな言い方は失礼だけど──可奈がいじめに遭った事に加えて、中学生の頃に同性の家庭教師と性的な関係になっていると知った事で、かなりきつい性格におなりおそばしたのではないかなぁ、と思う。

 悩んで、苦しんで、大切な娘を守る為に、きっと、鉄の仮面を身に付けた。

 鎧が必要になる程度には重大な問題だったのだろう。

 セクシャリティの悩みはもしかしたら、本人よりも、打ち明けられた親しい人間の方が深く重いのかも知れない。どうしたら、ありのままに理解できるのか、と。

「でも、私はあなた達の味方ですよ」

 可奈のお母さんは、可奈を見詰めて優しく囁いた。

「ママ……」

 二人はしばらく抱き合って母娘にだけ通じる何かを噛み締めていた。

 こほん、と可奈のお母さんは咳払いをして私に向き直った。

「このお酒、とても美味しいそうですね。後で主人と頂きます」

 パアアアッ、と喜びが込み上げる。良かった。御赦免頂けたみたいだ。

「ありがとうございます、お母さん」

 勢いよく頭を下げてお辞儀をする。可奈のお母さんは、つん、と顔を背けた。

「可奈、真里さんを送って行って差し上げたら。どうせこの人、車も免許も持っていないんでしょう」

「あれ、俺は?」

 素っ頓狂な声で大塚が割って入って来た。

 可奈のお母さんは凄まじい睨み方をしてから、めっちゃ怖い雰囲気でひとつ頷いた。

「あなたには注文があります。足りないものを幾つかお願いしたいから、できればすぐお店に戻って在庫を確認して欲しいのよ」

「さすが奥さん、まいどありっ!」

 大塚は白い歯を見せ、颯爽と軽トラックの停めてある雑木林に曲がる角まで駆けて行った。

「ありがとう、大塚。後でお礼に行くから」

「おう。まあ、気にすんな。ビールでも買いに来てくれればいいよ」

 大塚酒店の軽トラックは軽快に走り出し、手を振って見送るうちに県道への角を曲がり消えて行った。私達の横を通り過ぎる時、大塚も軽く手を振ってくれた。

 青いBMWは駅近くのコインパーキングに停車するには目立ち過ぎて不用心なので、お母さんのお使い用の軽自動車を使うようにと言われた。

「真里さんはふらふらしたところがあるから、せいぜい喝を入れてあげなさい」

「もちろんよ、ママ」

 うわ、怖い。この母娘、一筋縄ではいかないぜ。

「可奈を泣かせたら許しませんからね」

「はい。肝に銘じます」

 福井の地酒を抱えた可奈のお母さんは、怒ったような表情を崩さないまま、それじゃあ失礼するわね、と素っ気なく言って家の中へ入って行った。ついでに、残骸になってしまった薔薇の花束も、「寄越しなさい」と引っ手繰って持っていき、燃えるゴミとして処分してくださった。

「ママ、まだ沢山話したい事があるから、私、今夜は帰らないわ」

 可奈が玄関に向かうお母さんの背中に向かって大胆な台詞を投げつけると、お母さんは振り向かず、軽く片手を上げてOKの意を示した。

 後に残された可奈と二人、ちょっと照れ臭くてしばらく黙ってもじもじしてしまった。

「ちょっと待ってて」

 短く言って、可奈はぱたぱたと家の中へ慌てて入って行き、十分ほどで小さなボストンバッグに荷物を纏めて戻って来た。

「じゃあ、乗って」

 言われて、可奈の指差したガレージの黒い軽自動車の助手席に乗り込む。

 キツイ口調で指図されるのは久しぶりだ。それがなんとなく落ち着くんだから、私はどうかしている。


   ◆◆◆



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