sequence_03
可奈に対しては苛めのようなものもあった。
深刻なものではなかったし、常態という訳でもなかったのだけど、思い出したようにカースト上位の女子が可奈に絡んでくる事があったのだ。
決まって、可奈が男子に告白された後だった。
夏の強い陽射しの残る放課後──
可奈は体育館の裏というありきたりの場所に呼び出された。
当然、私も付いて行くはめになった。こればかりは嫌々じゃない。一人で行かせられるわけがない。来るなと言われても、しがみ付いてでも一緒に行く。
可奈を呼び出したのは、いつも可奈を無視しているちょっと派手めなグループの女子五人だった。たしか、Aさんと、Bさんと、Cさんと、Dさんと、Eさん。
じりじりと太陽が照りつけて来る。
せめて日陰で話そうよ、と言おうとしたがとても言い出せる雰囲気じゃなかった。地味な顔をメイクで盛った……なんと言おうか、あまり綺麗ではない女子が五人そろって鬼のような形相で仁王立ちしていたのだから。
公平を期すために言い添えると、たぶん彼女達は悲劇的なまでのブスではなかった。ただ、私はアイドル級の美少女可奈を見慣れてしまっていたので、たいていの女子はブスに見えただけなのだ。申し訳ない。
それにしてもくそ暑い──
汗が背中や太腿を伝って気持ち悪い。
フェンスの向こうのアスファルトにはゆらゆらと陽炎が立ち、近くのプラタナスの樹の幹ではミンミン蝉がうるさく鳴いていた。
体育館の中からバスケ部が練習している音がぼんやり聞こえる。
しばらく不気味な睨み合いが続いたが、ついにリーダー格のAさんが口を開いた。
「なんで三浦君のこと振ったの?」
ああ、と私は呻く。
三浦君というのは水泳部のエースだ。
一昨日、まさにこの場所で、可奈が告白された。
その現場にも私は付き添ったので情況はよく分かっている。お邪魔虫の私を三浦君は迷惑そうに一瞥したが、特に文句を言うでもなくストレートに「付き合ってください」と言った。可奈に向かって真っ直ぐ顔を上げて、照れたり、余計な無駄話もせず、堂々としたものだった。お定まりの可奈の断り文句「誰ともお付き合いするつもりはありません」に対して三浦君は少し寂しそうに笑って、「そうか、分かったよ。気持ちを伝えられてスッキリした。ありがとう」と爽やかに引き下がった。
でも、嫌な予感はしてたんだ。
男は意外と口が軽い。可奈に振られた事を武勇伝のようにべらべらと取り巻きに喋るんじゃないかな、と思ってた。「俺、振られちゃったよ」と潔いつもりで。
本人は吹っ切れてスッキリするかも知れないが、影響は波及する。必ず悪い形で。
それが、コレだ。
「結衣は三浦君のこと好きだったんだよ。でも、三浦君が橘さんのこと好きだって言うから身を引いたんだからね」
Aさんはまるで可奈がとんでもない罪でも犯したような口調でなじった。
Bさんは泣きそうな顔でAさんの腕にしがみついた。
「ちょっと、やめて久美ちゃん」
そう口では言いながらもBさんの目は、もっと責めてやって、と言っていた。煮えたぎる憎悪を込めた上目遣いで、可奈を恨めしそうに睨み付けている。
嫉妬に狂った女は怖い。
Cさん、Dさん、Eさんも、勢いづいて口々に罵り始めた。
「なんとか言えば?」
「お嬢様だと思って調子こいてんじゃん。うちらのことバカにしてんだろ?」
「ほんと、ムカつく。金持ちだからって気取ってんじゃねえよ」
「学年一位だからって偉そうにすんなよ」
「イギリス留学したとか自慢してんじゃねえよ」
「男子にモテるからっていい気になるなよ」
そこまで言われる筋合いは無いだろ。そもそも絡まれる筋合いが無いぞ。つうか、罵りながらも褒めちゃってるけど、自覚無いのか、こいつら。
くだらない内容とはいえ罵声の勢いは増していき、事なかれ主義の私も、さすがに可奈を庇わずにいられなくなった。
意を決し、可奈と絡んでくる女子五人の間に両手を広げて割り込む。
「いやいやいやいや、ちょっと待って。冷静になって。可奈は別に何も悪いコトはしてないよ。ただ三浦君を振っただけで」
「それがムカつくって言ってんだろ!」
間髪入れずAさんに怒鳴られた。とんだとばっちりだ。
「そうは言うけど、好きでもないのに付き合ったりしたらもっと悪いじゃん。三浦君は可奈を諦めたんじゃないの。それなら、次の恋をすればいいわけで……」
ハッとBさんは顔を上げた。
どうやら、自分にチャンスが巡って来た事に遅ればせながら気付いたらしい。つうか、そこは可奈に絡む前に気付いとけよ。
空気を読むのに長けたAさんは、Bさんの表情の変化を目聡く察してくれたらしい。
「もう、いいよ。行こう」
そう他の仲間に声をかけてくれた。Cさん、Dさん、Eさんはまだ絡み足りなかったようで不満気にぶつぶつ言っていたが、
「あんまり調子に乗ってんじゃねえぞ!」
女子とは思えぬ捨て台詞を残して立ち去ってくれた。
まあ、さすがに女子の喧嘩なので暴力を振るわれることはなかったが、人の悪意を真っ向から浴びてどっと疲れた。
二、三ケ月に一度くらいのじんわりと嫌な頻度で、可奈の机やノートに落書きされていたり、上履きや靴が無くなっていたこともあった。
可奈の上履きが消えていた日は一緒に職員用のスリッパで過ごしたし、靴が消えていた日は私も靴を履かずに靴下で自転車をこいで、可奈と二人、同じ格好で帰った。可奈に一人で恥ずかしい思いをさせたくなかったから。
靴下を真っ黒に汚して帰ったら、うちのお母さんは最初びっくりして、それから心配し、事情を話したら呆れた。
「まあ、しょうがないわね」
苦笑いして靴下を洗ってくれた。高校の三年間、何度か靴下を真っ黒にして帰るはめになったけど、お母さんは一度も怒らないでいてくれた。褒めてもくれなかったけど。
時々思い出したように降りかかるトラブルは、実は私を疲弊させた。
うちのクラスの目立つ女子グループはひそひそと聞こえるように可奈の悪口を言っていたし、全然知らない上級生や下級生から、廊下ですれ違いざまにジロジロ見られることや睨み付けられることも結構あった。
中間テストや期末テストの成績上位者の名前が張り出された時なんか、針の筵だったりもした。可奈は常に学年トップだったからだ。塾に通うでもなく、私と一緒に普通に勉強していただけだが、一度もその座から滑り落ちたことは無い。
それでも、男子は可奈に憧れの目を向けるだけで、絡む事は一切無かった。「さすが橘さん」と「可奈ちゃんと付き合いてえ」という声が大勢で、健全な思春期真っ盛りの発情男子達は、一人の例外も無く、可奈に親切にしたがった。
だから益々女子に嫌われたのだが……
私は中学までそういうギスギスした嫉妬とは無縁で生きて来たので、可奈の側にいるだけで悪意のシャワーに参ってしまいそうになる事もあった。
可奈は黙ってじっと耐えていた。
言い返す事もなく、もちろん、やり返す事も無かった。
されるがままに女子達の嫉妬攻撃を受けていたのだ。
それは一見、気弱で何も出来ない負け犬のようにも見えたかも知れない。
だけど、可奈の凛とした表情には少しも卑屈なところが無くて、耐えていたと言うより、相手にせずに無視していた、と言ったほうがしっくり来る。
可奈は、誰にも、負けてはいなかった。
◆◆◆