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 エロ漫画家、という自分の身分にそれなりの不満と劣等感を抱きつつ、それでも上を目指せないのは、心が折れてしまっていたからだ。

 まだ二十五歳じゃないか、夢を追うには遅くない、一度や二度の挫折がどうした、まだ若いんだから頑張りなさい、と言ってくれる人もいる。

 だけど、三年、某少女漫画誌に投稿を続けて、箸にも棒にも引っ掛からなかったのは私にとっては十分に重いトラウマだ。バイトを掛け持ちしながら疲れた体に鞭打って、欲しいものも買わず、遊びにも行かず、寝る間も惜しんで必死に描いて、描いて、描いて、ぜんぶ落選。良くてせいぜい「Aクラス」に名前が載る程度。息が出来ない。

 あの時期の私は少しおかしくなっていたと思う。

 見兼ねた年上の友人が道を示してくれた。

 彼女は漫画専門学校でつるんでくれた友達で、もう一人のエキセントリックな奴と、私の三人組でいつも漫画談義に花を咲かせた大切な仲間だ。

 高校時代とは別の友達。可奈とは別の……

 地元の狭い人間関係から離れて、都内の漫画専門学校で遭遇したのは、やっぱり狭い人間関係だった。そこにも嫉妬は渦巻いていて、目立つ奴は陰口を叩かれ、嫉妬され、拒絶されていた。私はそういう排斥されるタイプと気が合うのかも知れない。

 まあ、つまり、漫画専門学校でつるんでいた二人も、普通の人達に馴染めず浮いている二人だった。可奈と違ったのは、彼と彼女は畏怖されていたという事だ。

 なにしろ彼のほうは在学中に少年漫画誌の新人賞に投稿し、大賞を取ってデビューしてしまったので、講師はべた褒め、理想論だけは偉そうに打っていたくせに投稿作すらろくに描き上げられずにいたクラスメイト達は、いくら彼を嫌ったところで遠巻きにしているしかなかったのだ。

 彼は実力で周囲を捻じ伏せていた。

 そして、彼が相棒として唯一認めていたのが彼女だった。

 私はオマケだ。

 二年で漫画専門学校は卒業したが、その後の三年、地獄だった。

 四、五ヶ月に一本ペースで合計八作、某少女漫画誌の新人賞に一途に送り続けて見事なまでの落選続き。あまりの絶望に病みかけていた。

「もう漫画描くのやめる」

 池袋の安いカラオケ屋。フリータイムで部屋を取って、飲み放題のウーロン茶を飲みながら、私は彼女に愚痴った。

 ぶっちゃけると、二つ年上の彼女より、少し可奈に似ていた同じ歳の彼のほうが話しやすかったので、私は普段、彼女より彼のほうによく話し掛けていたのだけど、その日、彼は仕事の打ち合わせで体が空いていなかった。

 甘ったるい外見の年上の彼女に甘えて、私は堰を切ったように泣き続けた。弱り切っていた私の背中を猫でも撫でるみたいに優しく擦ってくれながら、彼女は言った。

「ねえ、真里、絵は上手いんだから、思い切ってエッチを描いてみたら? 真里のテイストだったら男性向けもいけると思うよ。今少女漫画っぽい可愛い絵柄のエッチって需要あるし、きっと突破口になるよ」

「本当に?」

 私は漫画が描きたかった。

 エロに抵抗が無かったと言えばうそになる。でも、エッチを毛嫌いする清純な女の子と違って、私は幾分ガサツというか男っぽいところもあったし、彼と彼女の影響で同人誌や成年誌のちょっと過激なエッチシーンに触れる機会も多く、慣れていた。

 それに、彼女には黒幕(フィクサー)的な才能があって、彼の成功は彼女の助言によるところも大きかったのだ。二人を間近で見ていた私は彼女の才能に縋った。

 よしっ、と一念発起し、本屋で何冊かのエロ漫画誌を買い込んで来てさっそく制作に取り掛かった。一か月ほどで十六ページの投稿作は描き上がった。毎度おなじみになった原稿の梱包──段ボールをばらした厚紙で挟んで、水濡れ対策でビニール袋に入れ、それをクラフト紙の封筒に入れるという厳重梱包だ──をし、近所の郵便局から投函した。

 一ヶ月も経たず、知らない番号から電話がかかってきた時はドキッとした。

「もしもし?」

「谷中真里さんですか。私、××出版の……」

 それが、私に初めて付いてくれた担当編集者大石さんだった。死ぬほどお世話になったのだけど、体を悪くなさって私を拾ってくれた半年後には会社を辞めてしまわれた。今の担当氏は大石さんから私を引き継いでくださった方だ。

 初めて私の漫画が雑誌に掲載された時、彼と彼女が祝勝会と称した飲み会を開いてくれた。主催者は、某月刊少年誌で連載を持つれっきとした漫画家であり、同期の中では期待の星と目されていたカリスマのある彼という事になっていた。

 彼のカリスマのお陰で池袋の居酒屋には漫画専門学校の知り合いが総勢十人ほど集まってくれて、その中には私とはあまり親しくなかったメンバーもいた。

 彼女が仕切って乾杯をしてくれ、おめでとうと書かれたケーキまで出て来た。

 彼は、ぽんっと私の肩を叩いただけで褒めてはくれなかったが、とりあえず認めてくれたのかな、とその時は満足した。

 嬉しかった。

 彼女に促されて、集まってくれたみんなにお礼を言う為に立ち上がった。

「ええと、皆さん、ありがとうございます。この度、めでたく成年誌でお仕事を頂けるようになりましたが、今後も少女漫画の投稿は続けようと思ってます。夢を追うのはやめたくないので、バイトと漫画、投稿の三足のわらじで頑張ります」

 少し照れながら今後の抱負を語った時、

「調子に乗ってんじゃねえよ。エロ漫画家のくせに」

 同席していた漫画専門学校の仲間が吐き捨てるように言うのが聞こえた。聞こえないように言ったのかも知れないが、あるいは聞こえるように言ったのかも知れない。

 一瞬で私は凍り付いた。

 周りをよくよく見回してみると、常に仏頂面の彼はともかく、屈託なくニコニコしているのは彼女だけで、他のみんなは少しも笑っていなかった。それどころか、どこか暗く澱んだような軽蔑の籠った目で私を見ていた。

 やっと仕事を掴んだから、みんなに褒めて貰えるんじゃないか、「良く頑張ったね」と称賛して貰えるんじゃないか、これからもっと大きな夢を追う事も認めて応援して貰えるんじゃないか──と、私は甘く考えていたのだ。

 でも違った。エロ漫画ではダメなのだ。

 彼のように、有名な雑誌で連載をしなければ、自分に甘い親しい人にしか認めて貰えないし、ましてや祝福もして貰えなかったのだ。

「あれ、おかしいな……手が震える」

 あれ以来、自分は挑戦してはいけないんじゃないか、と心のどこかで思うようになったような気がする。別に、酷い事を言ったあの人が悪いとは言わない。

 今にして思えば、あの人は漫画とは全く関係の無い仕事に就いていたので、エロとはいえ漫画の仕事を得た私を少しは妬んでいたのかも知れない。逆の立場だったら、私もケチをつけてしまったかも知れない。

 でも、なぜか、グサリと刺さった鋭い棘は私の深いところに根を下ろしてしまった。

 エロ漫画家のくせに、才能も無いくせに、私は夢を追ってはいけないのだ。そう思い込んでしまったような気がする。

 私はへらへらと生きることに必死になった。


   ◆◆◆



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