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大塚酒店は駅に近い大通りにあって、私のアパートから徒歩で十五分ほどの距離だ。面倒でつい不義理をしてしまっているけど、うちの実家も、美優ちゃんの実家も、可奈の実家も、大塚酒店に世話になっている。
女性客を意識して改装したらしく、店の入口は木枠に大きな硝子のはまった小洒落た扉になっていた。ドアを引くと、カラランッと軽やかなベルの音が響く。
店内も落ち着いた木目調で、これならいっそ店名も小洒落た名前にしてしまったほうが売り上げも増えるんじゃないか、と言ったら、昔からの馴染のお得意様には大塚酒店の名前のほうが覚えが良いのだと返された。
試飲用の狭いカウンターに座ると、大塚は手際良く赤い薩摩切子のグラス酒を用意してくれた。キンキンに冷えた冷酒だ。
「ん~っ、美味いっ!」
一口含んだ瞬間、すげえ良い酒だと分かる。舌触りは柔らかくトロリとしているのに、癖が無くて水のように軽い。けど、こくがあってくっきりしてる。香りも華やかだ。料理漫画のような上手い例えが出て来なくて申し訳ない。くそぅ、私、才能無いなぁ……
くううぅ、と喉で鳴いて、コースターの上にグラスをタンッと置いた。
「ああ、これなら買うわ。いくらなん?」
「一万五千円」
にやりと片眉を上げて言われて、あんぐりと口を開ける。
「あ……私には無理だった。さすが純米大吟醸はお高いわ~~っ」
「谷中には期待してないよ」
ははは、と大塚は鷹揚に笑った。
「ついでに女性向けリキュールの試飲も頼みたいんだけど」
「いやいや。それは私じゃなくて美優ちゃんとかに頼んだ方が良いと思うぞ」
「いやいやいやいや。そんな、野上さんには頼めないよ」
大塚は意外にも素直に赤面して、顔の前で手をぶんぶん振った。
あれ? ──とひょんな違和感に襲われる。
こいつ、まさか、いまだに美優ちゃんを好きなのか?
はあ、と思わず感嘆の溜息が零れる。意外なところで意外なコトを知ってしまった。
つうか、好きな人相手に、普通あんな風にふざけた態度が出来るものだろうか。高校生の頃の事とはいえ、本人に面と向かって、オッパイが大きいだの、色白で色っぽいだの、褒めてるつもりだったのかも知れないが、あんな言い方で恋心が伝わるはずなかろうに。
まあ、大塚は高校の頃から目に余るお調子者だったから、照れ隠しもあって、適当にその場のノリであんな軽薄な態度になってしまっていたのかもしれないが。
ううむ……ふざけてんだか、本気なんだか、分からん奴だ。
でも、人間は外から見ただけでは、本当の心の内なんて分からないものなのだ。
うん。心は見えるもんじゃないんだから、分からなくて当然だ。
うん、そうだよな。
「大塚……」
なんとなく何かが分かりかけてきたような気がして、私は大塚の為になる事を言ってやろうと思った。
「美優ちゃんはもう野上さんじゃなくて金井さんだぞ」
うううっ、と大塚は途端に萎れる。
「おまえねぇ、そこは俺の気持ちを汲んで黙っておくトコだろ」
「現実を見ろ。もう美優ちゃんは人妻でお母さんだ」
「夢くらい勝手に見させてくれよ」
ひとしきり呻いた後、不意に大塚は真顔になってカウンターの中に飾ってあった写真立てを手に取った。中には高三の文化祭に撮った写真が入っている。美優ちゃんが真ん中に映っていて、大塚と私もアホ面で収まっていた。可奈も仏頂面でそっぽを向いて映っている。
懐かしいなぁ、としんみりしかけたら、
「そういや、おまえ、橘さんとまだ仲良いのか?」
と不意打ちを食らった。思わす、うっ、と黙り込んでしまい、続けて、橘さん実家に帰って来てるぞ、とまたも他人から可奈の動向を聞かされた。
嫌になるなぁ。なんでみんな私と可奈をセットで見るんだろう……
大塚は、ちょっと探偵めいた口調で語り始めた。
「うち、橘さんの実家にワインとか色々配達してるから時々顔を合わせるんだけどさ、橘さんは別格だな。都会的な美人で、お嬢様然としてて、頭も良いし、品があるよ。ああいうのを高嶺の花って言うんだな。告白してた奴らもいたけど、そりゃ、俺らレベルの男じゃ振られて当然だ。なんで橘さんはこんな田舎の公立高校なんかに通ってたんだろうな。偏差値の高い都会のお嬢様学校のほうが合ってたんじゃないか?」
チラッと視線を向けられて、おまえも考えろよ、と言われている気分になった。
「そう言われれば、そうだね……」
何かが頭の奥でカチッと開いたような気がした。謎の詰まった箱だ。
確かに、可奈みたいな子がわざわざ田舎の公立高校に入学するなんておかしい。
普通、あんなお金持ちが、大して偏差値も高くない田舎の公立高校に娘を通わせるものだろうか。可奈はぶっちぎりで成績が良かった。いつも学年一位だったし、ハイレベルな大学の建築学科にストレートで合格して進学した。もっとレベルの高い教育を受けられる私立の高校に行っていてもおかしくない子だった。いや、行っていなければおかしい。
何か、こんな田舎の高校に通わなければならない理由があったのだろうか。
この疑問は、淡く、高校時代から胸の奥に居座っていたような気もしなくもない。言語化してはいけないような気がして、どういうわけか、一度もソレを「不自然だ」と明確には考えた事が無かった。可奈の近くに居過ぎて麻痺してしまっていたのだろうか。
考えてはいけない──と魔女に呪いを掛けられてでもいたみたいだ。
話は変わったのか変わっていないのか、大塚は少し調子を変えてこう言った。
「橘さんのお母さんが自慢してたけど、橘さんは結婚なんかどうでもよくて、仕事に夢中なんだってさ。近いうちに一級建築士の資格取るんだってよ」
一級建築士──可奈のお父さんと同じ資格だ。
お父さんのあの立派な事務所を継ぐって事なんだな。
「そうか。じゃあ、可奈は前途有望だ」
自分の声ながら、力が抜けて弱々しくなっているなと情けなくなった。
可奈は目標に向かってきちんと前進してるんだ。燻ってる私なんかとは違う。
いいなぁ、と初めて可奈に嫉妬した。
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