懐中時計と振り返る未来ー①
レストランに服屋さん、洒落たカフェの隣には大きな家具屋さん……様々なお店で彩られた街並みは、街に住む若者はもちろん、訪れた旅行者や商人達をも魅了する。そんな華やかな大通りを絶賛若者中の私も意気揚々と歩いていた……ら!
「……うぷ」
酔った! 人酔い! 気持ち悪い!
大通りから少し外れ、しばらく歩くと人通りは一気に減り、ついでにお店の数々も一気に減った。寂しげな通りの一角にあるベンチに避難した私はぐにゃぐにゃに溶けていた。
───旅、向いてないなぁ…私。
頭の中にそんなフレーズがポッと浮かんだが、もちろん口には出さない。無論、出してしまったら最後、認めたという言質が取られるからである。
「負けるものか…負けるものか…」
呪詛のように呟く私の前に、コロコロとその車輪を回してスーツケースが近寄ってきた。その様子をばっちりと捉えた私の背中がゾクリと跳ねる。
「ちょっとスーちゃん、街の中は勝手に動いちゃ……!」
慌ててキョロキョロと周りを見渡したが、幸いにも人影は見えず私はホッと胸を撫で下ろした。
「スーちゃん、自動走行するスーツケースなんて明らかに奇異の対象なんだからもっと控え……ん?」
スーツケースの隙間で紙上の何かがひらひらと揺れている。手を伸ばし引っこ抜くと、それはエチケット袋だった。
「お気遣いどうも……」
ため息を一つ零しつつ、私はそれを服のポケットにしまいこんだ。そして空を見上げる。暫く気を紛らわせようと思ったからだ。
「雨降る? これ」
見上げた空は、ものの見事に鉛色の雲の絨毯で覆われていた。私の顔は当然渋くなる。
───私、ツイてないなぁ。
例の理由によりもちろん口には出さず、私はスーツケースを引っ張る。観光も切り上げ、さっさと宿屋に向かおうという判断だ。人通りが無い寂れ通りを駆けながら、私は宿屋の看板を探し回る。
「宿屋、宿屋、宿屋……お値段手頃で快適なベッドと広いお風呂場が完備、食事も美味くて利口なスーツケース持ち込み可の太っ腹な宿屋はーっと」
そんなワガママ欲張りセットを口遊んでいた時だった。私の脳内に電撃が走ったのは……比喩だけど。とにかく、駆ける足を止めてしまう衝撃があったのだ。
「がッ…………!」
まぁ、突然止まれば、慣性で引っ張られたスーツケースに轢かれるわけだが。足が。
ヒリヒリと痛むくるぶしを押さえつつ、片足けんけんで来た道を少し戻る。数歩進み、立ち止まったのはとあるお店。こじんまりとしたショーウィンドウの前だった。
「か、可愛い…」
べたーっと窓に張り付いた私。その視線が一点に集中する。早足にチラリと見ただけで惹きつけられた代物だ。直視した私はすっかり虜になってしまった。
それは懐中時計だった。ただの懐中時計ではない、最高に可愛い懐中時計だ。
旧字体で書かれた円状の文字盤。その背景には尻尾の長い黒猫がいる。鋭い目をした黒猫が左向きに歩いているデザインだ。それだけでも良い、全然良いのだが……
「ハートマーク…!」
そう、ハートマークだ。長い猫の尻尾がくるんと巻かれ、小さなハートマークを作っている。かっこいい黒猫と可愛らしいミニハートの対比……それが非常に私好みなのだ。
「ほ、欲しい……!」
釘付けだった視線を動かし、値段を見る。しかしながら、(たぶん)キラキラと光っていた私の眼は一瞬で曇った。恐る恐るポケットの中身から財布を取り出し、おまけにスーツケース内に忍ばせたへそくりも全てひっくり返し、金額を数え上げる。
「ギリ足りてる、けども」
もし買うとなれば、以前にまとめて稼いだお金たちの殆どを使い切ることになる。当分の間は、今日以降の宿生活を控え、何なら外食も出来なくなり……というか食材すら買えず、雑草を引っこ抜きもっさもっさ食べることになるだろう。
「……いや、有り得ない」
私だってそこまで愚かでは無い。スッと目を閉じ……チラッと懐中時計を見て、私は立ち上がった。
「さて……」
軽く深呼吸をし、落ち着きを取り戻した私はスーツケースを引っ張り……
カランカラン
勢いよく時計屋さんの扉を開いた。
「あの! 店主さん! 一つお願いがありまして!」
私は頼み込んだ。ひたすらに頼み込んだ。ショーウィンドウに飾られた黒猫デザインの懐中時計、それを売らずにいて欲しいことを。絶対に…ぜっっったいに私が買うということを。
「は、はい」
店主が気圧されていたことは言うまでもない。
─────────
タタタンッタタタンッタタタッタッタ
タタタンッタタタンッタタタッタッタ
大股で街を歩く私の脳内では小気味よく小太鼓の音が繰り返される。脳内のイメージはそんな感じだ。私が懐中時計に惚れ込んだ翌日、朝一番に向かった先は役所。高層の建物が立ち並ぶ街なだけあって、役所もかなり大きい。私は玄関の扉をバターンと開いた。
吹き抜けの大きな玄関ホール。そこそこの数の人間が居たが、その多くが私の方を見た気がした。普段ならおどおどしそうな状況だが、今の私に敵はない……お金以外は。まっすぐ受付へと歩いていく。
「すみません! 一つよろしいですか!?」
「ひっ……」
びたーんばちーんぴしゃーんどかーん
受付の机に私はいくつかの書類を叩きつけた。
身分証、東部語学試験の合格通知書、計算処理検定準1級、基本植物分類の認定書……その他もろもろの専門知識所持を示す証明書たちだ。
「私、少しお仕事をしたくてですね。何か紹介してもらえるものはあるでしょうか」
………………
…………
……
「ぐすん」
その瞳に涙を溜め込んだ私は、昨日も訪れたベンチにてため息を吐いていた。理由は単純。職がないからだ。
旅人は国を転々と移動するものだ。故に行える仕事も短期的なものになってしまう。雇主の立場から見ればまぁ、そのような人はあまり求めていないのだろう。それがある程度の知識を有している人物だったとしても。
「世知辛いなぁ」
思い浮かべるのはあの懐中時計。デザインに惚れたのは勿論だが、機能面においても一つは持っておきたいアイテムなので、普通に欲しい。やはり諦めきれない……黒猫ちゃん。
私は大きく息を吸い込み、
「「はぁ……」」
ため息を……ん?
ふと横を向くと私が座るベンチの端っこに、どなたか男性が座っていらっしゃった。30代半ばくらいだろうか? 髭を生やした男性でものぐさな性格の印象を受けた。彼も私と同様、肩を落とし明らかに落ち込んでいる様子だ。
「ん? ……あぁ、どうも」
「ぇっと……どうも」
私に気づいた男性の細い目が私を捉え、軽く挨拶。私もそれに返した。
………………。
「はぁぁぁぁぁぁぁ……」
暫く無言の時間が流れた後、男性がまたしても大きなため息を漏らした。先程のものより大きい。というか、大丈夫かこの人? 眼が死んでる。やばい奴では? 離れた方がいいか……
と、私が席を立とうとした時、
「何か……悩み事でも?」
そうやって男性が私に聞いてきたのだ。
───私のセリフだが? という言葉はギリギリで飲み込んだ。
「えぇ、まぁ」
「そうですか。心労が絶えませんな」
「そこまでではないですが……あの、貴方も何か悩んでいる様子ですね?」
「いやね? 1つ聞いて欲しいのだが」
私が聞いた社交辞令的なニュアンスの質問に対し、彼は待ってましたと言わんばかりにぺらぺらと身の上話を始めた。「あぁ、この人誰かに聞いて欲しかったんだ…」と察する私。
面倒そうだと感じたが、存外彼の話には興味を惹かれるものがあった。
「僕はいわゆるデザイナーというやつでね。服やアクセサリー、店の内装あとは家具…まぁ、色んなところにデザインを提供しているのさ。結構好評なんだよ? この街で“ロウリー”という名前を出せば多くの人がファンだと言ってくれる。私自身は姿を隠しているがね」
「……それ、私に話しても大丈夫なのですか?」
「君、旅人だろう?」
スーツケースを指差しながらロウリーは言う。
「えぇ、まぁ」
「すぐにどこかへ去ってしまうのなら、君が言いふらすことも無いだろうからね。火のないところに煙は立たないってやつさ」
「でも、どこかへ去るからこそ何だって出来てしまうという見方もありますよ?」
「……え?」
「冗談です。お話の続きをお願いします」
冷や汗を垂らしながらゴホン、と咳払いをするロウリーが話を続ける。
「売れっ子故の苦労というやつかな、実はスランプなんだ」
「スランプ…ですか」
「あぁ。以前のように納得のいくものが描けなくなっているのさ」
私にはその感覚が分からないので首を傾げることしか出来ない。
「そのせいで今は筆を握ることさえ億劫なのさ…絵描きがあんなに楽しかったのにね」
「才能への苦悩…ってやつですね。なるほど」
「む、失礼な。私は才能に溢れている」
「え、あれ?」
それっぽい返しをしたらなんか怒られた。
「問題なのは環境なんだ。私が描きたい! と思えるようなパッションを刺激される題材…それが見当たらないのが原因だ」
その場に立ち上がり、拳を掲げながら主張するロウリーの姿は演説者そのものだった。……役所の受付さんから見た私も同じように写っていたのだろうか? ……今更ながら顔が熱くなってきた。
「題材が無い故の苦悩…それがロウリーさんが悩んでいる原因なのですね」
「いや、それに困っているのは事実だが本質はそこではない」
「え、これも…」
「納期が迫っているんだ」
「納期ですか」
「1つのアパレルとね。このままでは契約を打ち切られてしまうかもしれない」
「早く書いたらいいのでは……」
「私はね、私が納得する題材しか書かないんだ。プライドがあってね」
やっぱ面倒臭いなこの人と私は確信した。
「題材と一言に言っても簡単な話じゃないんだ。私はね、題材を表面的に捉えることはしない。そこには背景があるはずなのさ。いつ、どこで、誰が、何をしているのか…それを想像しながらデザインとして落とし込める。その為には題材とするモノに時間をかけて向き合う必要があるのさ」
「はぁ」
言わんとしていることは何となく分かる。しかしながら、彼の話を少々くどく感じてきたのが本音のところだ。
彼には申し訳ないが私はそろそろ退散しよう。そう決めて、立ち上がる。
「む、もう行くのか?」
「えぇ。貴重なお話、ありがとうございました」
「まぁ、待ちたまえ。君だって何か苦労ごとがあるのだろう? 悩みのよしみだ。僕が聞こう」
「えー、あー、うー…………ちょっとお金に困ってまして。ただそれだけですよ。用事があるので私はこれで」
ニコッと私は作り笑いを浮かべ、今度こそ立ち上がり、スーツケースを引っ張っていく。ロウリーは言葉を重ねようとしたが、私は半ば強引に彼から離れていく。
「どうしたものかな……お金」
暫く歩いたところで私はもう一度その悩みを口にした。誰かに相談したところで、根本的にこの悩みが解決するわけではないだろう。そんな都合の良い話なんて……
「ちょ……き、君! 待ちたまえ……待ちたまえー!」
「ん?」
どこからともなく…いや、後方から聞こえてくる大きな声。その右手を大きく振りながら誰かが近づいてくるのが見える。凄まじい形相だ。逃げたいという直感が脳天を突き抜けたが、私は必死に我慢した。流石に申し訳がない。
「ハァ……ハァ……オエ……アァァァァ…………」
その場に座り込む彼の様子から全力で走ってきたことが窺える……というか、えずいてなかっただろうか?
「あの、これ使います?」
ポケットから取り出したエチケット袋を見て、彼は笑みを浮かべた。
「い、いや結構。紳士として吐くことは……うぷ……ゆ、許されぬぁオエ……」
既に私の中でロウリーの紳士像なんて無いも同然だが、いわゆる“男の意地”というものがありそうなので、これ以上私がとやかく言うことはなかった。
三分ほど経過して、よろよろとロウリーが立ち上がった。
「あの、まだ何かようがありますか?」
「いや、ね。君……あぁ、まだ名前を聞いていなかった。失礼だが聞いてもよいだろうか?」
「……カリュと言います」
「カリュ君か。うむ、良い名前だ」
「それでえっと……何か?」
「あぁ、失礼。カリュ君はお金に悩んでいると言っていたね」
結局その話か。
「えぇ、ですがもう……」
「一つ提案がある」
バッとその人差し指を突き出すロウリーの表情は至極真剣だ。先ほどまでの“抜けたおじさん”の面影は残っていなかった。私はその雰囲気の変わり身に、思わず唾を飲み込んだ。
「カリュ君と僕、2人の悩みを同時に解決できる案が一つあるのだが……乗ってみないか?」
寂れ通りのど真ん中。ロウリーの声だけが響き渡る。私はぽかんと口を開けた。
今話は筆がノリました。キーボードだけど。