追儺
前回の仮説を元に、酒呑童子の伝説を妄想満載で再構築してみようと思う。
その昔、大江山のあたりにとある商人が住んでいた。
出雲の地方豪族の末裔であり、近江の豪商の血筋である彼は商才に長けていただけではなく、眉目秀麗なことでもよく知られていた。
異国語も解したのであろうか、数人の異国人を側に置き、交易商としては並ぶものがない程であった。
その昔、追儺の儀によって両親を失った子供を拾ったことがあり、その娘は長じて彼の妻となった。
その美しい妻とも仲睦まじく、順風満帆に見えた彼の人生には、その与り知らぬところから暗雲が垂れ込めようとしていた。
原因は定かではない。
伝説にあるように彼に言い寄って見向きもされなかった姫に逆恨みされたものかもしれないし、商売仇の嫉妬や、彼の持つその資産を美しい妻共々どうにかして手に入れたいという自分勝手な欲求が原因だったかもしれない。
理由は定かではないが、魑魅魍魎の跋扈する宮廷で良からぬ計画が進行していた。
「大江山の商人は、朝廷に滅ぼされた祖先の恨みを晴らすべく計画を立てている」
「異国人と手を組み、謀反を企てようとしている」
事実などどうでも良い。
要は攻め滅ぼす理由があれば良いのだ。
出所もわからぬままに不穏な噂だけが次々と流されてゆく。
件の商人は、自身と周囲の者に災いが及ばぬよう、然るべきところに贈り物などしつつ、怪しげな動きが活発化しないように釘を刺すことも忘れなかったであろう。
そうして表面上は何事もなく日々は過ぎてゆく。
しかしながら、かの商人から贈られた珍しい品々は、目にした者の上品とは言えない欲望を煽り立てるには充分過ぎるほどであったかもしれない。
この時代において、出世とは他人を罠に嵌めて蹴落とし、より権力を持つものにすり寄って手に入れるものでもある。
金はいくらあっても困らない。
現に地方豪族制圧の際、略奪で得た資金を有効に使ってのし上がってきた武士もいるではないか。
出世を望む下級貴族と、権力をより強固にしたい武士とが手を結ぶことも、珍しい事ではない。
事は慎重に運ばなければならない。
幸い、標的にはよからぬ噂が絶えることはない。
下地は出来ている。あとはうまく調理するだけだ。
先ずは自分の忠実な手下を使用人として奉公させ、家の内情を探る。
噂通り謀反の兆しがあれば幸いだが、証拠などいくらでも用意できる。
脛に傷がなければ、付けてしまえば良いのだ。
次に、不自然ではない程度に、不穏な噂を増やしていく。
宮廷内だけではなく、都の外を知らない市井の民にも零れ落ちて届くように。
そうして零れ落ちた噂は、背鰭尾鰭を得て泳ぎだす。
あとは、その噂に餌を与えるだけでいい。
「大江山には鬼が棲む」
「大江山の鬼は血を飲むそうだ」
「大江山から鬼が来て、人を攫っていったそうだ」
「大江山の鬼は、攫った人を食い、血を飲むそうだ」
「大江山の鬼は、都を滅ぼそうとしている」
事実、大江山の商人は血のように赤い酒を飲み、日本人とは違う鬼のような者達と親しげに話している。
宮中と市井に不穏な噂が溢れれば、形式だけでも問い正さなければなるまい。
鬼の問題ということにかこつけて、陰陽寮から使いの者が出される。
そもそも陰陽師というものは、日本だけではなく海外の宗教等も広く学ぶため、交易商とつながりがあっても何の不思議もない。
賀茂家か安部家の陰陽師が形式だけ出向き、問題なしと上奏すればそれで済む。
大江山の一件に陰陽師が登場しないのは、これが理由であったかもしれない。
しかし、企みを行うものにとって結果は重要ではない。
疑問に対して公的な動きがあることの方が重要なのである。
事情に疎い者達に、謀反の噂を強く印象付けられればそれでよいのだ。
無意味とも思えるこの一件は、仕組まれたものであったのかもしれない。
密かに出雲の国豪族との間に交わされた、ありもしない密書が用意される。
叛意を見せて滅ぼされた、何の繋がりもない豪族との関係を示すものが用意される。
宮廷に棲む者共が、財の分配について同意を得、手を結ぶ。
腐臭を放つような闇の中で、謀の舞台は整えられ、悲劇が幕を開ける…
後を絶たない不穏な噂に対し、今一度使者を送って申し開きをさせるべきである。
陰陽師を再度送り込むよりは、武士を数人遣わして見せた方が、説得力もありましょう…
謀を肚に秘め、まことしやかに上奏する。
その意見に、異口同音に賛成の意見が出る。
なに、いずれ形式だけのこと。再び使者を送って見せれば、民草も安心することでありましょう…
不穏な空気を感じる者もいたかもしれないが、「形式的なもの」と言われれば強硬に反対することもできない。
大江山に向かう武士達も少人数で、帯刀はしているものの戦支度をする様子もない。
今回も、形式を整えるだけの儀式とはいえ、いくばくかの金品が動くのであろうと、その程度にしか考えない者が大半であったであろう。
贈り物の少なかった貴族が武士を使って脅しをかけ、懐を温めようとしている。
その程度の認識はあったかもしれないが、要らぬ噂話に興じて自分に累が及ぶよりは、静観していた方が身の為である。
かくして大江山に武士達が赴き、件の商人に対して形式ばかりのやり取りが行われる。
話が終わった後、遠くまで出向いた武士達の労を労う為に酒宴が催される。
この時に武士達の方から、形式とはいえ何度も苦労を掛けたお詫びにと、京から持参した酒が振舞われる。
武士達は自分達ならいつでも飲めると持参した酒には手を付けず、送り込まれていた手下達は屋敷の外に控える者達を招き入れる手筈を整える。
「鬼に横道なし」
酒に仕込まれた毒が回り、本性を現した武人達が殺戮を始める中、自らを鬼に例えた商人の、この言葉は果たして届いたものかどうか…
使用人含め、幾人かの家人を取り逃した武人達はさらに罠をかける。
用意した偽の証拠を理由に、生き残った家人を連れ帰り、戻り橋のたもとで処刑して見せたのである。
そのことを知りつつ大人しく逃げ去るならそれでよし。後々復讐される恐れは少ないだろう。
取り戻しに来るならそこで斬り捨て、禍根を絶ってしまおうという算段である。
伝説では語られていないが、このような場合の生餌に使うのならば幼い子供が一番効果的であろう。
恐れ多くも帝の命を狙う賊を根絶やしにする為であるとすれば、どこからも異論は出ない。
この子を取り返しに来た商人の妻は、共である家人に護られ、幼子を奪還することに一時は成功する。
この一件は後に「宇治の橋姫」の悲劇として密かに語り継がれることになるが、大江山の生き残りということもあり、姫は鬼へと変えられ、身を挺して護った家人は斬られた腕へと変容させられていく。
こうして一度は逃げ延びた親子だが、結局は逃げきれず、追手の武士によって討ち取られている。
これが酒呑童子、および茨木童子(宇治の橋姫)の伝説に関する愚考であるが…
この話の中において
追儺と称して、立場の弱い者、流行り病に侵された者に石を投げつけたのは人である。
無実の罪で人を鬼に仕立て、殺戮して金品を奪ったのも人である。
事実を覆い隠す為、被害者を鬼に仕立て上げたのも人である。
追儺の儀によって家族を奪われたものは鬼であろうか。
汚名を着せられて家族を奪われたのは鬼であろうか。
鬼と噂されながらも清廉潔白に生き、「横道なし」と言い切ったのは、果たして鬼であろうか。