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大江山の鬼

ふと気になったことがある。

酒呑童子のことである。

伝説によると大江山に棲み、時折都を襲っては人を攫ったりしていた為、渡辺綱ら武士に打ち取られたとある。

面白いのが、打ち取られる際に「鬼に横道はない」と、騙し討ちにしてきた武士らを激しくののしったというくだりである。

たかが一介の盗賊の頭が、わざわざ「横道はない」と言うものだろうか。

この一言から色々と妄想を膨らませ、職場の後輩に投げかけてみた。

すると「最近は、酒呑童子の評価が変わってきているんですよ」とあれこれ教えてくれた。

話を総合すると、所謂「イケメン化」が進んでいるらしい。

「ラノベの影響ですかね~」と軽く一蹴されてしまった。


しかし、そんな最近の流行など全く知らずにちまちまと考えたネタを、あっさり放棄するのは勿体ない。

軽く一蹴された『酒呑童子=政敵説』から軸足を大きく変えつつ、大江山の鬼達について語ってみようではないか。



大江山の主である酒吞童子、一説によると実はやんごとない血筋の出身である。

出雲の国で須佐之男命に敗れた八岐大蛇が、近江へ逃れた際に富豪の娘に産ませたのが、酒呑童子であるという。

素直に解釈するならば、覇権争いに敗れた地方豪族の末裔ということになるから、それなりに教養があっても何の不思議もない。

その配下とされる鬼達も○○童子の名で呼ばれているが、実は『童子』というのは貴人の身の回りの世話をする人のことを指すのである。

やっぱり偉いぞ酒呑童子。


酒呑童子の次に有名なのは茨木童子であろうか。

この茨城童子、酒呑童子と出身地が同じであるとも、酒呑童子が両親のいない茨城童子を引き取って育てたものとも言い伝えられている。

茨木童子の出自にまつわる話の中には追儺の鬼の生き残りという説もあるから、両親を追儺で失ったところを、酒呑童子に拾われたという事があったのかもしれない。

ここで言う追儺とは、宮廷行事である方相氏の登場するものや、節分の豆撒きを指すものではなく、病や災厄を払うと称して偽装鬼に石を投げつけたとされるもの。

一説には立場の弱い者、流行り病に侵された者が選ばれ、石を投げつけられたことで命を落とすこともあったと言われている。

それはさておきこの茨木童子、しばしば宇治の橋姫(同じく片腕を斬られた鬼として伝えられている)の伝説との混同が指摘されている。

性別は女性であるとも言われているのは、これが原因であるのか、そもそも女性であったのかは不明である。


その他にも四天王として知られる星熊童子、虎熊童子、熊童子、金童子や酒呑童子の求めに応じて舞と歌を披露するいしくま童子等、多くの配下がいたようだが詳細は伝わっていない。

「門を固める10人余りの鬼ども」と十把一絡げにされている鬼も合わせると、20人以上は共に暮らしていたに違いない。


大江山四天王についてもう少し考えてみたい。

配下であるから、詳細がなくて当たり前。

四天王であるから名前だけ残ったと切り捨てるのは簡単だが…

面白いことに、それぞれ肌鬼、白鬼、青鬼、赤鬼と伝わっている。

私は鬼=異国人説も大好きなので、あえて肌鬼などと書かれると気になってしょうがない。

白鬼、青鬼、赤鬼は言うまでもなく異国人であろうが、肌鬼とは?

あまり聞かない表現である。

肌の色は同じであるものの、異国人のくくりである鬼と称されていることから日本人ではない。とすれば中国系か東南アジア系だろうか。

酒呑童子と茨木童子を夫婦として考え、そこに仕える四天王と呼ばれる各々国籍の異なる異国人を配置した屋敷…さながら、貿易の拠点である。


ここで、もう一度酒呑童子の出自について振り返ってみたい。

出雲の地方豪族の末裔で、近江の富豪の血脈でもあるのは前述のとおり。

教養もあり、商売についての英才教育が受けられる環境にあった人物が、異国人を従えるとどうなるか。

単純に考えれば、貿易商である。

出自から考えるに、当時としては優秀な交易商であったと思われる。

豪邸に鬼と共に住み、血(の如く赤い酒)を飲む。

知らない人から見ると鬼の首領だが、近隣の住人や都の偉い人から見れば、変わってはいるがただの商人である。


その彼が、何故無残にも殺されなければならなかったのか。

死の間際に残した「横道なし」の真意とは何だったのか…


酒呑童子の一件には、奇妙な点がある。

徒党を組み、都を荒らす鬼=盗賊集団に対して派遣された討伐隊の陣容である。

源頼光を筆頭とした四天王、渡辺綱、坂田公時、碓井貞光、卜部李部。

鬼だけでも20人以上の規模を誇る本拠地に、たった5人で討伐に向かったとある。

まあ、この5人を部隊長として各隊4人を引き連れれば総勢100人。

陣容としてはまあまあだが、物語としては内容が変わってくるので、この5人に向かっていただくとしよう。(大勢で向かったとする話もあるが、見なかったことにした)

先ずは土蜘蛛退治で知られる源頼光。

時の権力者藤原道長に多大な進物を送り、出世した人物でもある。

次なるは渡辺綱。名刀『髭切の太刀』を携える武士である。

坂田公時。幼名は金太郎。あの「マサカリ担いだ金太郎」で有名な武士である。

碓井貞光。碓氷峠の大蛇退治をしたとされる。

卜部季部。姑獲鳥退治の画を、葛飾北斎が描いていた。知らなかった…

四天王と呼ばれるからには武芸に優れていたのだろうが、4倍の数の鬼を退治しに行くには、極めて陣容が薄い。

土蜘蛛や大蛇を退治したといわれているから、戦での実績もあるのだろうが、首領を討ち取って終わる地方豪族制圧とは違い、鬼退治。

盗賊を退治するわけであるから殲滅戦に近い捕り物になるはず。

本来ならば首領たる鬼を、一人または数人の武士で退治する英雄譚にされるはず。

(各々の部下たちの働きは省略される。某英雄伝説で、提督は戦史に名を残すが、機関士やその他大勢の乗組員の名前が挙がらないのと一緒である)

果たして、最初から正々堂々、鬼退治に行く気があったのだろうか。

伝承の中で、それぞれの武士の装備について仰々しく語るあたり、あえて英雄像を強調しているような白々しさを覚えるのは気のせいだろうか。


今回の酒呑童子像を元に大江山の鬼退治の話を再構築してみたいが、話が長くなってきたので、この続きはまた次回ということで。



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― 新着の感想 ―
[良い点] 来ましたね、大江山! 鬼伝説の本流と言えましょう。 [一言] とある有名神社の神主様は、「鬼」を名前に留めていらっしゃるとか。 現代まで残る鬼の系譜。興味つきないですね。
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