22歳(9)
ベルが口を閉ざせば、ベルの身体のことはベルの中にしか残らない。ベルの発見した自分自身の異常性は誰にも知られることなく、ベルはいつも通りの日々を送れていた。
もちろん、そこには知ってしまったベルの蟠りが含まれており、ベルの中では完全に同じ日々と行かなくなっていたのだが、そのことはテオ達に化け物と知られて生きることに比べると些細なものでしかなかった。
ベルがベルと思われているまま、テオ達と一緒にいることこそが、ベルの一番望んでいることなのだから、これで間違っていない。
ベルはそう思いながら生きていた。
ただし、苦労は絶えなかった。どんな傷でもすぐに治る回復力を有しているということは、どんな傷でもそのことが他人にバレる可能性を秘めているということだ。
ベルはそれまで特に気にしなかった掠り傷一つでさえ作れないほどの生活を強いられることになった。森に入るどころか、日常生活の中で転ぶことも許されない。虫に噛まれることもいけない。紙で指を切ったらおしまいだ。それくらいに気を遣った生活を送らなければいけず、ベルはそれまでよりも少し疲弊する日が多くなっていた。
その様子を見て、すぐに気にするのがテオだ。ベルはテオのそういうところが好きであり、テオのいいところだと思うが、今のベルはあまりに気にされては困る部分が多かった。
「大丈夫?最近、何か疲れてない?」
テオが優しく聞いてくれるのだが、ここでベルが疲れていると言えば、どうして疲れているのかテオは聞いてくる。家事やルルの世話が大変だったら、自分も手伝うと言い出し、そうなるとベルと一緒にいる時間が増えてしまう。
それはベルのことがテオに知られる可能性が高くなることを意味しており、ベルはそれを受け入れられない。
「ううん。そんなことないよ。大丈夫だよ」
無理にでも笑顔を作り、ベルはテオに心配させないように努力した。その努力もベルを疲れさせる要因の一つとなり、やがて、ベルは少しずつ悩むようになっていた。
テオやルークと一緒にいたい。そのためにベルは自らの身体のことを隠している。
しかし、それによってテオやルークと一緒にいる時間を減らすことになり、ベルは酷く疲弊している。
この行動に意味はあるのか?悩み始めたら、考えは止まらない。
日常の制限はそれだけではなかった。怪我の可能性がある以上は楽しかったことに気づいた森に入ることができない。それはまだいい。
最大の問題はテオ達以外の人ともあまり逢えないということだ。どこで誰に知られるか分からない以上はあまり接しない方がいい。特に家族以外の人はベルの身体のことに気づき、どのように反応するのか分かったことではない。
その中にはルナやアルももちろん含まれていた。ベルはテオやルーク、ルルとの少ない時間を守るために、ルナの家に行く権利を手放したのだ。そのことを不思議に思ったのか、ルナが家まで訪ねてくることがあったが、その時は特に説明もできず、ただテオの仕事が元に戻り、忙しくなったからと誤魔化して終わった。
それでルナが納得したのか分からない。ただ小さな頃から一緒に過ごしてきたルナにも話せない現実がベルを孤独に思わせた。
テオやルーク、ルルと一緒にいる。だから、ベルは一人ではない。そう思おうとしても、やはりベルの抱えた秘密がそう思わせてくれない。
その中でベルの気持ちを突き落とす最大の出来事が起きてしまった。
それは以前から考えていたことだったのだが、ベルの身体のことがあり、ベル自身でどこか忘れかけていたことだった。
ルルが危篤に陥った。
☆ ★ ☆ ★
ある日、ルルが眠っていた。ベルは優しく声をかけ、起こそうとしたが、ルルは一向に起きない。幸いなことに呼吸はしていたが、それも酷くか細いものだった。
急いでベルが知らせたことで、ルルはすぐに病院に運ばれていたが、医者にはもう助からないと言われた。
小人としての寿命だと、そう宣言された。
それは分かり切っていたことだ。ルルが長くないことは以前から聞いていた。だからこそ、あの家で残り少ない時間を一緒に暮らそうとベルは思ったのだ。
しかし、最近はベルの身体のことがあり、そのことをベルは忘れていた。ようやく思い出した時には、ベルは眠ったまま起きず、もう死を待つだけと宣言されている。
仕事に行ったテオや遊びに行ったルークが病院に来るまで、一人になったベルはルルの前で静かに涙を流した。
「ごめん…ごめんね…もっと…大事にしたら良かったのに……」
一緒にいられる数少ない時間だった。それをベルは悩むことに費やし、最近はルルとの時間を大切にしていなかった。そのことを後悔しても、既に遅い。それは分かっているが、どうしても後悔せずにいられない。
ベルはルルの手を握り、ルルに何度も謝罪の言葉を向けた。
それから、しばらくテオがルークと一緒に病院に来た。一向に起きることのないルルに二人が声をかける。
まるでそのことで安心したように、そのすぐ後、ルルの呼吸は止まっていた。
享年三十六歳。夫であるレインの死去から約一年が経った頃のことだった。
ルルの死後、リリパットではメジャーである葬儀が行われた。遺体の入った棺桶にたくさんの花を詰め、近くの墓地まで運び、そこに棺桶ごと埋める。そこまで参列者がついていき、見送るというものだ。
この棺桶は他の国の棺桶と違い、土中で分解されるように作られているようで、約一年後には棺桶も遺体も土に返る。
そのこともあって、ベルはルルの遺体をレインと同じ場所に埋めることに決めた。そこには既にレインの棺桶がなくなり、レインは土の一部になっているはずだ。
棺桶に入ったルルをテオやルーク、ルナ達と一緒に見送る。その間に思い浮かぶのは、小さな頃からのルルとの思い出だ。
思えば、ルルはずっと優しかった。どんな時もベルの味方でいてくれた。きっとルルなら、ベルの身体のことを知っても、ベルを優しく受け入れてくれたはずだ。
けど、ルルは知らないまま、ベルをベルと思ったまま、最後までいてくれて良かったとベルは思う。
ルルの棺桶が土の中に埋められる。その様子をベルは涙の中で見ていた。
これで本当にお別れ。そう思ったら、とても寂しい。
だが、いつか別れが来ることは当たり前で、きっといつか自分もこうして埋められ、また逢える。
だから、自分もここに埋めて欲しい。
そう思った直後、ベルはふと疑問を懐いた。ルルの棺桶に土がかけられる様子を見ながら、ベルの流していた涙が止まる。
あの異常なほどの回復力を持った自分は死ねるのだろうか?もしも仮に死ねないとしたら、自分はどうなるのだろうか?
不意に湧いてきた疑問がベルに恐怖を植えつけてくる。
ルルの棺桶が土の中に埋まり、ルークがテオに言っている。
「お祖母ちゃん、出てこないの?」
「お祖母ちゃんはね。ゆっくり眠るんだよ。またいつか、ルークと話せるように。ここで休むんだ」
「そうなんだ」
「その時までにルークはもっと大きくならないと」
「うん。分かった」
その会話を聞きながら、ベルは湧いてしまった疑問に潰されそうな胸を手で押さえる。
もしかしたら、自分はルルのように土に返るテオやルークを見送ることになるのだろうか?そう思ったら、頭が真っ白になって、何も考えられなくなった。
☆ ★ ☆ ★
「どうしたの?」
ルルの葬儀から数日が経ち、ルークも眠った夜のこと。テオがベルの前にカップを置きながら、そう聞いてきた。カップの中には紅茶が入っている。
「淹れてくれたの?」
「たまには、ね」
「ありがとう」
そう言いながら啜ると、テオがもう一度聞いてきた。
「どうしたの?最近、考え込んでいるみたいだけど」
「ちょっと、ね」
ベルは誤魔化すように紅茶を啜る。
考えているのはベルの身体のことだった。もしかしたら、自分が不死身かもしれないと思ったベルは様々なことを考えていた。
特に、このまま村で生活を続けることで、いつまでも死なないベルの存在がどのような問題を引き起こすのか、そのことを考え、ベルは毎日怖くなっていた。
化け物と罵られる。それは最も簡単な問題だ。それはベルが我慢すればいいことであり、それだけなら問題はないに等しい。
一番問題なのは、テオやルーク、将来的に生まれてくるかもしれないベルの孫が、ベルの存在によって迫害を受ける可能性があることだ。
ベルが傷つけられることよりも、ベルが理由で家族を傷つけられることの方がベルにとっては辛く、想像するだけで心が締めつけられるようだった。
「ねえ、テオ」
「どうしたの?」
「もしも私がいなくなったら、テオはどうする?」
その質問にきょとんとした顔をしてから、テオは真面目な顔で答えてくる。
「泣く」
「泣いちゃうの?」
その答えにベルは思わず笑う。泣いているテオを思うと、ちょっと辛い気持ちになるが、同じくらい嬉しい気持ちにもなってくる。
「というか、急にどうしたの?」
「別に。お母さんが死んで、ちょっといろいろ考えちゃっただけ。もしも私が先に死んだら、テオとかルークはどうするのかなぁって」
「そんなの…多分、俺もルークも泣くよ。泣いて、ベルの分まで精一杯生きるよ。ベルが見て、ああ自分が死んだからいけないんだって悩まないように、俺達はちゃんと前を向こうと頑張るよ」
「そう…なんだ…じゃあ、もしも私がいなくなっても、テオやルークは大丈夫なんだね?」
「それは大丈夫じゃない!!」
「凄い自信」
自信満々に情けないことを言うテオの姿に、ベルは再び笑う。
「大丈夫じゃないけど、仕方がないから、二人で頑張るよ、きっと」
ベルと同じくらいに真剣に考えてくれたのか、真面目に答えるテオの姿を見て、ベルの心は落ちついていた。
「その時は多分、ルナとかアルさんも助けてくれるよ」
「かもしれないね。けど、俺はベルと死ぬまで一緒にいるよ。俺はベルの隣で、ベルと一緒に死ぬの。そう決めてるから」
「そうなんだ…」
その言葉にベルは紅茶を啜りながら、心の中で謝罪する。
ごめんなさい。それはもう叶えられないことかもしれない。
その後、テオと一緒に寝室に移動し、二人は一緒に眠った。自分も本当はテオの隣で、こうやって死んでいきたかったと思いながら、テオが眠るまでベルは待った。
そして、夜中になり、テオが眠ってから、ベルはこっそりと家を出る。目的地と呼べる目的地は何もない。
ただベルは村から出ることを決めていた。
最小限の荷物を持ち、誰にも気づかれないようにリリパットの村を出て、それから、ベルは最後にもう一度、村を見渡すために近くの丘の上に移動する。一望できる村は思っていたよりも広く、自分の家はすぐに発見できた。他にも、ルナの家、通い慣れた森、狩人組合の建物、ルナが働いていた工房、懐かしい場所もたくさんある。
その光景を眺めながら、ベルは涙を流していた。
何で、どうして、こんな気持ちにならないといけないのだろう?そう思っても、ベルの身体の異常さは消えてくれたりしない。
ベルが首を動かすと、村から外れた場所に一杯の草が生えている場所がある。あそこは本来、花畑で季節になると一面の青い花が咲く。
ベルの人生の中でも、一番の思い出の場所と言えるウミザクラの花畑だ。今は季節が違うため、花は咲いていないが、最後にそれを見られて良かったと思いながら、ベルは歩き出した。
それから、ベルの放浪の旅は始まった。ベルの身体のことがバレないように、一つの場所に長くいることも、その場所で誰かと親しくなることもできない孤独な旅だ。
それが終わることになるのは、リリパットの村を出てから六十年後のことだ。
ベルは王都で自分と同じ化け物に出逢った。




