22歳(1)
テオと夫婦になり、ルークが生まれてからの七年間は、ベルにとって子育ての七年だった。成長したルークはベル譲りの探究心と、テオ譲りの自由奔放さを併せ持っていて、興味を持ったことなら、とことんまで調べようとするところがあった。特にベルの持っていた多数の植物図鑑から、ベルと同じように植物に興味を持ったことは嬉しかったが、実際に見たいと言い出し、ルークは良く森に入りたがっていた。森に入りたいと言っても、今のベルは様々な家事をこなさないといけないので忙しく、そう簡単に森には行けない。
そこで諦めてくれたら良かったのだが、問題はここからだった。ここで発揮されるのがテオ譲りの自由奔放さだ。植物図鑑を片手に抱えたルークは何を考えたのか、一人で森に行ってしまったのだ。
それはベルが家事をしている一瞬の間に起きてしまい、そのことに気づいた時、ベルは村中を走り回ることになっていた。それでもルークの姿は見つからず、村の小人全員で捜索しようかという話になったところで、森で仕事をしていたテオに連れられ、笑顔のルークが帰ってきたのだ。そのことにほっとした気持ちと、どうして勝手に行ったのかという怒りが交じり、ベルはルークにもう一人で森に行かないように散々叱ったのだが、それは全く意味がなかったようで、それからもルークは森に勝手に入ってはテオに連れられ、帰ってくるということが多々あった。
そんなルークに振り回される日々を送っていたベルだが、大変ではあっても辛かったことはなかった。テオと一緒に暮らせていることはいつまで経っても嬉しかったし、どんなにやんちゃでもルークは可愛い自分の子供だ。その二人と一緒にいられて、辛いことなどあるはずがなかった。
ただし、少し寂しい変化はいくつかあった。一つはベルが以前のように森に行けなくなったことだ。家事や子育てに追われ、以前のように森に植物を見に行くことはできなくなっていた。それが生活に影響を及ぼすことはない上に、さっきも言った通り、家事や子育てが辛いわけではなかったので、嫌というわけではなかったが、やはり寂しい気持ちは強かった。
寂しい変化は他にもあった。これは森に入れなくなったことよりも、ベルにとって大きな変化だ。
それがベルの父親であるレインの死だった。ちょうど一年前、ベルが二十一歳の時のことだ。
病死だった。小人の寿命としては平均的な三十七歳という年齢で、十分にあり得ることだと思っていたベルだったが、その死は想像よりもショックだった。
ルークが生まれてからは何があっても、気丈に振る舞おうとしていたベルだったが、その時だけは気をつけることができないほどに、そのことはとても悲しかった。
その悲しみから一年が経ち、ベルの中でようやく薄まろうとしていた二十二歳の春のことだ。そこでベルの今後の人生に大きな影響を及ぼす一つの事件が起きると、この時のベルはまだ気づいていなかった。
☆ ★ ☆ ★
「ママ~、行ってくる~」
洗った衣服を干していたベルに声をかけ、ルークが家を出ていった。森に行く時は何も言わないルークだが、それ以外の場所に行く時はこうして声をかけてくる。今日は恐らく、ルナとアルの家だ。ルークは少し年上のビクトに遊んでもらうことが、最近は特に増えていた。
森と違い、ルナの家だったら危ないこともない。ビクトと遊ぶことで森に行く機会が減るのなら良かったと、ベルはその変化にほっとしていた。
テオは仕事で、ルークは遊びに行った。家事も一通り終わったとなると、ベルは家に一人で暇になる。というのがほんの少し前までのことだったのだが、今はそうではなかった。
「体調はどう?」
ベルは寝室に顔を出すと、そこに置かれたベッドの上で横になっている人物に声をかける。
「今日はいいみたい」
そうやって笑顔になるのは、ベルの母親であるルルだ。レインの死の影響もあってか、この数ヶ月前からルルは体調を崩し、寝たきりの状態になっていた。医者に見せたところ、年齢のこともあってか、もう長くないと言われていた。
レインの時に身近な人が亡くなる悲しさは十分に味わっていた。それが事前に分かっていても、実際に目の前にした悲しみも理解していた。
だから、ルルがもう長くないと聞いた段階で、ベルはルルが亡くなるまで自分達の家で一緒にいたいとテオにお願いしたのだ。レインのことで悲しむベルを見ていたからなのか、テオはその願いをすぐに聞いてくれて、今はこうしてルルも一緒に暮らしていた。
「ルークは遊びに行ったの?」
「うん。多分、ルナのところだと思う。ビクトお兄ちゃんに遊んでもらうんだよ、きっと」
ベルの言い方にルルは笑う。あの小さかったビクトが兄のようになっているなど、ビクトに励まされていた頃のベルは想像もしていなかった。その頃はテオと夫婦になることや、ルークが生まれることも考えていなかったので、当たり前のことかもしれないが、つい感慨深い気持ちになってしまう。
「ベルはどうなの?どこかに行ったりしないの?」
「私は行けないよ。家事もあるし、お母さんを一人にできないよ」
「そんなの気にしないで、たまには息抜きがてら昔みたいに森に行ったりしたらいいのに。その方がお母さんは嬉しいよ?」
「いーの。私がお母さんと一緒にいたいから、これでいいの」
ベルの言葉にルルが嬉しそうに笑っている。実際、それはベルの本心だった。もちろん、森に行きたい気持ちが全くないわけではないが、ルルを置いて森に行っても、あの頃のように無邪気に楽しむことがベルにはできない。ルルのことが気になったり、ルークが帰ってきているかもしれないと思ったりすると、一刻も早く家に帰りたくなることは分かり切っている。
だから、ベルは今、こうしている時間こそを強く望んでいた。
「ベルがいいんだったらいいけど、辛くなったら言ってね」
「辛くないよ。だって、テオがいるから。テオとルークがいてくれるから、私はちゃんと幸せだよ」
ベルが本心を伝えると、ルルが嬉しそうに笑う。この時間も、いつまで続くかは分からない。そう思うと、この一秒も大切にしないといけない。そう思いながら、ベルはルルと話していた。
☆ ★ ☆ ★
ルルと一緒に昼食を終え、午後になってから、村の中が俄に騒がしくなってきていた。何が起きたのかと気になったベルが家の前まで出てみると、村の小人が集まって何かを話している。
「何年ぶりだろう?」
「こんな村に来るなんて珍しいよね?」
そうやって話す村人達が村の一角に集まっているところがベルの家からも見えた。少し見に行きたい気持ちと、ルルを置いていくことで葛藤して、ベルは一度家の中に戻ることにする。
村の中の騒がしさはルルにも聞こえていたようで、ベルが戻ってくると、ルルが不思議そうな顔で見てきた。
「どうしたの?」
「分からないけど、何か人が集まってたよ」
「見てきて。何があったか知っておいた方がいいでしょう?」
「え?でも…」
「いいから」
ルルに強く言われ、ベルは少しだけ家を出ることにした。家の前からも見えた人だかりに近づき、みんなが何を話しているのか聞こうとする。
しかし、わざわざ聞かなくても、近づけばすぐに分かった。集まった小人達の中心に、誰よりも背の高い人物が一人立っていたからだ。
「外の人…?」
そう呟くベルの声に振り返ったのはルナだった。
「あ、ベル」
「ルナ。どうして、ここに?ルークとビクトは?」
「二人なら村のどこかに遊びに行っちゃった」
「大丈夫なの?」
「うーん…大丈夫だと思うよ」
ルナはちょっと困ったように笑っていたが、ビクトも一緒というのなら、必要以上の無茶はしないだろうと思うことにする。成長したビクトはアルの冷静さや慎重さを見せることがあったので、その部分は大丈夫なはずだ。
それよりも、今はそこに立っている人物の方が気になっていた。ベル達よりも大きいが、年齢的にはベル達よりも若いことが分かる少年だ。小人ではない人間の年齢はちゃんと分からないが、十代半ばくらいだろうかとベルは思う。
「あれは?」
「王都に向かって旅をしているんだって。国家魔術師を目指している魔術師とかで、この村にしばらく泊めて欲しいんだって」
「へえ~、そうなんだ」
「名前はさっき名乗ってたけど…ガゼルって言ったかな?」
ガゼル。その名前を聞きながら、ベルは小人の中心に立つ少年を見つめる。その姿は小人からすると珍しく、この時のベルは珍獣を眺めるような気持ちで見ていた。




