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プリンセス・オブ・ウェールズ

作者: syo

 プリンセス・オブ・ウェールズがいつだって予告状を出すのはみんな知っていた。

 彼女は世界的に有名な怪盗でありながら、アイドルでもあった。彼女のグッズの不正転売が出回て、その売上金が、新たな不正転売屋を生み出すくらい人気者だった。

 だから怪盗プリンセス・オブ・ウェールズからの予告状が出れば、それはいつだってニュースになった。彼女の怪盗予告に合わせて販売されたグッズを入手しようと、誰もが先にその列に並ぼうと、あるいは割り込もうと考え、実行した。

 とはいえ、いったい誰がプリンセス・オブ・ウェールズなのか?

 ここからは私が最もプリンセス・オブ。ウェールズに相応しいと思う人物の話になる。しばしの間、私の仮説とその仮説にまつわるエピソードを聞いてほしい。


 そしてプリンセス・オブ・ウェールズが最後に盗んだものが、いかに尊いものなのかも。


 彼女、茅葺かやぶきカスミは、プリンセス・オブ・ウェールズ本人から許諾を得て、ある会社を運営していた。ダイアナ社だ。その会社では、彼女と著作物の契約を交わしていた。ドラマや映画を始め、あらゆる商品化の権利をめぐる取引の成功で株式上場を今夏果たしていた。

 だから最近ようやく彼女のグッズ転売価格の高騰は抑え気味になってきた。それに伴い、プリンセス・オブ・ウェールズの人気は安定し、世間からはもう怪盗なんてしなくてもいいのではとの声も珍しくない。

 たしかに彼女が、これ以上、怪盗稼業を続ける理由は見当たらない。リスクを考えれば、最もだが、こんな一説もある。

「彼女が今まで怪盗してきた相手は、どれも犯罪者ばかりじゃないか」

「だからといって、これは許されないぞ」その後も、彼女の処遇を巡る議論が掲示板で展開される。

 そう。その人物が指摘するように、彼女が今まで盗んだ物の所有者は、いずれも詐欺事件での逮捕か書類送検を食らっている。実刑判決を受けた者もいる。それにより、彼女の容認派が生まれ、詐欺事件の摘発にも繋がっていると指摘もある。

 私は詐欺事件の情報を集めるサイト管理人へメールを送り、その回答からサイト管理人自身も、彼女が詐欺事件の抑制に繋がっているのは、確かにリスクが高いが、有効ではあると述べた。

それから私は茅葺カスミの経歴に、彼女が過去両親のが詐欺事件の被害を受けていたと知った。ただ彼女は、この関連性を否定し、悲しい顔を見せるだけだった。

 「それは単なる憶測ではないでしょうか?」


  真夏の夜の匂いが、 花火の香りに埋め尽くされたとき、私はプリンセス・オブ・ウェールズの新たな予告状を目にする。

 「今夜23時ちょうどに、○○道近代美術館のお宝を頂きに参上する。プリンセス・オブ・ウェールズ。キスマーク」

 私は少女探偵として、その捜査に加わっていた。その予告状は、いつだってプリンセス・オブ・ウェールズの匂いがした。マスコミや警察、一般市民の嗅覚を麻痺させるための常套手段だった。

 彼女から漂う匂いは、80種類のフレーバーから選ばれたものが使われていた。

 DiorやCHANELのナンバーを使い分け、あるときは高校生に人気のフレーバーで撹乱する。シナモンのような香辛料の薫りが、風に巻かれて漂わせる。そうした匂いと記憶が結びつくことを彼女は好んだ。あるときはプリンセス・オブ・ウェールズそのものの匂いが現場に残った。

 しかしそのときのフレーバーは、過去に私が嗅いだことのない匂いだった。私はその匂いを、80smellsと名付けた。その匂いを思い出しながら、予告状を読んだ。

その見覚えのあるキスマークは、かつて私に残ったくちづけと変わらない形をしていた。過去に私が受けた依頼の中に、プリンセス・オブ・ウェールズはいた。

 二年前の同じくらい真夏の匂いがする夜、彼女を捕まえるために、私はその宝石の置かれた部屋のクローゼットに潜んでいた。しかし彼女は、私や警察、宝石の持ち主だった屋敷の主人たちを、あっさりとあざむいてみせた。

 プリンセス・オブ・ウェールズは予告通りに、宝石を盗んでいった。氷の彫刻細工のようなダイヤモンドと採れたてを磨き上げたパールを。彼女は忍者が使うような痺れる煙玉で膝をついた私にくちづけをした。その催眠術のようなくちづけで、私はあっという間に眠りに落ち、夢を見ていた。

 翌日、鑑識課に回されたその唇の形を私は決して忘れまいと心に誓った。鑑識結果から推察される年齢は、私とほぼ同じだった。つまり彼女は17歳だ。少なくとも。

 私のクラスメイトもそれを知ってやっぱそうなんだと口を揃えた。というのは、彼女の怪盗活動のみならず、素性そのものに数多くの議論がなされていたからだ。もし今回の年齢が、誰かの推測や期待通りなら、世界を揺るがす新たな事実になるはずだ。

 いったいプリンセス・オブ・ウェールズが誰であるか、どうして彼女は怪盗をするのか、捕まった場合、彼女をどう裁くのか。年齢が明かされた報道以降、プリンセス・オブ・ウェールズは連日トレンド入りし、世間を騒がしていた。またプリンセス・オブ・ウェールズが詐欺事件への大きな抑制に繋がっていると噂されたのも、この頃だった。

 それから私は彼女の正体を考察するサイトを見返してみた。

 そこでは、たとえばプリンセス・オブ・ウェールズの怪盗に費やした総運動量に関するパラグラフが全体公開されている。一つのビルからもう一つの高層ビルへ渡るために必要な、平均的な筋量とふくらはぎの厚みについての検証がなされ、彼女が陸上か新体操の経験があると考察していた。そのどちらかでさえ、ネット掲示板は論争が沸き起こっていた。

あるいはこんな例もある。プリンセス・オブ・ウェールズがお金持ちのお嬢様で、これまで高難度な怪盗活動を維持できたのは、資産家の娘だと結論付けた説。もしそうであるなら、資産家の娘の動向を探れば、彼女の正体が裏付けできると提唱されている。また彼女は孤児院へ多額の寄付などを行うために怪盗をしているのではないかと熱く語る人もいる。だから孤児院へ多額の寄付を行なった人物を調べれば(おそらくそれは多大な労力を求められるが、やはりどのような行為であれ、やる人間はいる)、どこかでプリンセス・オブ・ウェールズに辿り着けるってわけだ。

 たしかにそれらの説は、とても興味深い。しかしそれらは大抵の民主主義的な議論と同じで、空想の域を出ない、現実味を帯びない、実に大雑把な議論となり、掲示板を肥やしている。

 彼らの夢見がちな言論が、結果的にプリンセス・オブ・ウェールズの正体をより不鮮明にし、匿い、救っていると結論づけるほかなかった。

 それから二年後の、予告状を受けた日の夜に、私は彼女と会おうと決めた。

 部屋のネットを切り、一杯のコーヒーをタンブラーに入れた。そのコーヒーはあらゆる点において、現実的だった。現実的な匂いを立ち上らせ、現実的な形をもっていて、現実的な味のするコーヒーだ。しかし何よりも重要なのは、匂いだった。

 これからアンダーグラウンドに向かうには、自分以外の確固たる匂いが必要だった。何もかもが曖昧に思える地下と深層意識の世界で頼りになるのは、現実世界から持ち込んだ匂いと地下の世界でも決して揺らぐことのない成分をもつ風の匂いだけだった。風の匂いだけは、ウソをつかなかった。そして少女探偵ならば、その嗅ぎ分けができると私は知っていた。

 クローゼットにあった少女探偵の衣装は、まだ私のサイズのままだった。それを着てからクローゼットの奥にあるもう一つの扉から、風が吹くかどうかたしかめる。その風は、当時のままで、思い出の風を吹かせていた。その向こうは今もアンダーグラウンドと呼ばれていた場所で、私はそこを行き来していた。

 風は穏やかで、錨代わりに置いた紙風船をふわりと浮かせていた。それから私はその穴に落ち、プリンセス・オブ・ウェールズのいる風景を潜り抜けていった。

 私が落ちた穴はいわば、不思議の国のアリスと全く同じ構造の穴だった。真っ逆さまに落ちるのではなく、ふわりと地中を浮いた姿勢を保ちつつ、ゆっくりと沈んでいった。

 あのときと同じように、そしてまたアリスと同じように、私は地下から地上を覗き見るように見た。潜り抜けるときには見えなかった薄い一枚の白いヴェール。一度ここへ降りたら、戻れるときまで、私は戻ってこられない。となれば、自分が今いるのは、彼女が怪盗予告した美術館のある街、未来そのものだった。

 とはいえ、現場までは歩くかタクシーを呼ばなければいけない場所にいた。

 私は中華レストランにいた。レイジースーザン(中華料理店でよく見かける回転テーブル)にあった、麻婆豆腐や青椒肉絲、雲呑スープや焼売はすでに空になっていた。あくまでその匂いだけが、レイジースーザンの上でくるくると回ってミクスチャされている。

 私はウェイターを呼び、ここで食事を取っていた女性はどこへ行ったか尋ねた。チップを気持ち多めに握らせて。彼はそれに気をよくしたのか、彼女がどこへ行ったのかを教えてくれた。やはり予告通りの美術館で間違いはなさそうである。そして彼は、懐かしい思い出を語るように、プリンセス・オブ・ウェールズによく見られる特徴、その匂いがどの香水であったかを示してくれた。

 そのあと、私は席にあった紙エプロンやナプキン、薄切りレモンの入ったミネラルウォーターのグラスを見つけた。やはり彼女がここにいたことは間違いなかった。

 私は、彼女の唇の形から、ついさっきまで彼女がここにいたのだと理解する。しかしその口づけが、大きな手がかりにはならないのは言うまでもない。プリンセス・オブ・ウェールズは、私や友達の女の子たちと同様に、口紅を上手に使い分けるのだ。これは大抵の男性にはわからないが、私にはプリンセス・オブ・ウェールズがどのコスメブランドのキスマークだったか思い出すのにはさほど時間はかからない。

 それは私の友達が愛用しているキスマークと同じだった。そしてそのキスマークが、デパート限定販売モデルであると知っていた。従ってその顧客リストから、プリンセス・オブ・ウェールズがその中にいると推測できる。とはいえ、その顧客リストには、人数は二百人を超えている。そして彼女たちはみな、女子高生だった。彼女たちは、プリンセス・オブ・ウェールズになりたがっていた人たちだった。彼女たちはみな、知っていた。プリンセス・オブ・ウェールズがどのキスマークを愛用しているか、売り切れになる前にコスメを手に入れるには、どうすべきかを知っていたのだ。そしてそれは警察やマスコミや、私のような少女探偵よりも賢く詳しく徹底周知されていたのだ。

 中華レストランを出た私は、彼女のいる美術館へと向かった。閉館後、誰もいないフロアで、私とプリンセス・オブウェールズは対峙した。彼女は、コウモリのように天井からぶら下がっていた。彼女は私を待っていた。少女探偵を。ただ私とほんのわずか話すためだけにいた。しかし日時は入れ替わっていた。今は怪盗予告の二日前の夜だった。あの日は、八月一日だった。でもいまは違う。

 それでも私は彼女を捕まえると宣言した。

 「私を捕まえたら、世界は崩壊するけどね。でもまあ捕まえなくても崩壊するけど」プリンセス・オブ・ウェールズはそう言った。

 「世界の崩壊? 時間が入れ替わることが?」彼女は微笑んだ。

 「自分の目でたしかめてみたら?」しかし確かめようがない。

 「二日後に会いましょう」そう言い終えると、彼女は宇宙に飛び立つみたいに重力に逆らい、月のない夜へと消えていった。

 事実、この二日後に世界が崩壊の一途を辿るような出来事が起こった。


 それがプリンセス・オブ・ウェールズが盗んだもののすべてだった。もう誰の手によっても二度と元に戻せないもの。


 私は二日間、その夢の中で過ごした。中華レストランへ通い、持ってきたコーヒーの匂いを嗅ぎ、美術館内を歩き回った。

 怪盗予告を知った警察がギャラリーの警備をより厳重に施し、マスコミたちが、そして誰もがプリンセス・オブ・ウェールズの姿を見ようと美術館の前を陣取り、騒ぎ立てた二日間だった。

 二日目最後の夜に、それらが起こった。奇跡の人と呼ばれた藍沢彩氏の作品がすべて破壊されていたのだ。この二日間を含んだ日程は、藍沢氏の作品しか展示していなかった。したがって破壊されたのは、彼女の作品のみだった。

 芸術にある二つの側面、創造と破壊。あらゆる芸術作品の破壊がこの美術館内で起こっていた。私たちは呆然とした。もちろん中でも藍沢氏が、眼前で起こったことを理解できないようだった。

 藍沢氏が仕上げた作品を一目見ようと、みんな来ていた。みんなあなたの仕事が好きだと言い合うのを、私は聞いていた。国際的に名誉あるギャラリーは、ほんの一瞬で荒野と成り果て、そこに彷徨う私たちは、かつて荒野になる前の緑豊かな大地が、風を受けてたなびく匂いを嗅いでいたはずなのだ。もう今ではその匂いは、荒野の匂いとなり、床に佇んでいた。それでもわずかに残っている賞賛の残りを持ち帰ろうと注意を受ける人たちがいた。

 それから私は気づいた。もし芸術品が破壊されてしまったなら、プリンセス・オブ・ウェールズの目的は果たされないのでは。

 そしてプリンセス・オブ・ウェールズは、この破壊にまつわる予期をしていたのだろうか。もし予期していなかったのなら、それは彼女にとって大誤算になるはずだし、大きなショックがそこでは発生しているはずだった。

 私は泣いている藍沢彩氏を見つめながら、そう考えた。彼女は、美しい作品が破壊されたことについてインタビューされていた。藍沢彩氏が涙を流した写真はあらゆる角度から撮られていた。

 藍沢彩氏が流した涙と、彼女の破壊された作品はもはや分かち難い絆を結んでいた。ぼろぼろに引き裂かれたすべての美しいキャンバス、溶かして繋ぎとめられたすべての美しい金属の彫刻細工、粉々にされたガラス細工、燃やされた木板、破壊し尽くされたその他あらゆる作品。

 彼らは彼女の美しい作品が壊されたことについてインタビューしそのことで彼女が涙を流した写真を撮った。しかし藍沢彩氏は、彼らに多くの写真を撮らせずまた多くの質問に答えようとしなかった。それは、藍沢彩氏と彼女のエージェントが彼らに何度もそう言ったからだ。今回の件で、かなり取り乱していると。

 そして今では誰もがそのショックを共有していた。とても美しい作品が―かけがえのないものが。

 私たちは、翌日の新聞やネットニュースの見出しで、藍沢彩氏の切なく感動的な写真を見るし、その記事にコメントをする。それがどんな涙だったのか。涙が混ぜられた感情のキャンバスが、どんな色だったのかを語る。そしてその涙が本物であり、誰から見てもその涙は印象的なひと筋となって彼女の目から伝っていったと語る。

 そして藍沢彩氏の涙さえも、とても美しかったとコメントの最後に添えるのを誰もが忘れない。

 私は、そのどこかに、プリンセス・オブ・ウェールズがいるのではないかと探しに出かける。 彼女が盗んだものが、いったい何なのかを知ろうとして。


 それは涙だった。アンダーグラウンドで崩壊して、最初に生まれたもの。誰の感情にも拡散しうるウイルスよりも感染力の高いアルカリ性溶液。その最初の一滴を彼女は盗んだのだ。涙はダイヤのように光り輝いていた。どんな宝石よりも、輝きを増していた。

 その涙が、プリンセス・オブ・ウェールズの盗んだ最後のものだった。


 私は、茅葺カスミが今回の件に関わっていると考え、証拠を集めて回った。彼女の指紋が、アンダーグラウンドで見つかった。でも彼女は否定した。

 「それは単なる推測ではないでしょうか?」しかしこうも言った。

 「私もそこへ行ったことはありますよ。あなたほどではありませんが」

 ただこの証言は、他の者には無意味だった。事件の直接の証拠ではないからだ。そしてこの事件は今のところ、迷宮入りとなっている。


  それでも私はこの事件の調査をするため、ときどきアンダーグラウンドへ訪れる。チョコレートドーナッツ味をしたトンネルを潜って。どこかに事件の出口があると信じて。

 私は中華レストランへ行く。そこで私は茅葺カスミがいるのを見る。

 彼女は、中華レストランですでに全てを平らげてしまったような顔だと指摘されるが、それは間違いではない。ウェイターはそんな彼女に言葉をかける。

 「どっか具合でも崩されましたか?」

 「もうお腹一杯なの。食事を楽しんだから」彼女は、どこかの時点でもう食事を済ませたと告げる。しかしレイジースーザンには、何も載っていない。

 「でも、あれを下さる? 杏仁豆腐を」ウェイターはかしこまりましたと行って、下がっていく。私は、茅葺カスミが最後の一口まで食べるのを見つめていた。

 彼女は、私がプリンセス・オブ・ウェールズを捕まえられないと知っている。でも私はこんな形で何度も何度も何度も語り直す。自分がこのエピソードを忘れていないことを。

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