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“体重がまた減っている。この世を占める自分の割合が少し減った気がして、嬉しかった。
考えること。買うこと。作ること。食べること。何にもやる気がない。面倒くさい。
このまま体重がなくなって、存在が消えてしまえば良いのに。どうせ、ほぼほぼ水分みたいなものなのだから、蒸発してしまえば良いのに。
自暴自棄とは、まさにこの事だろう。
ここで私が消えてしまっても、文句を言う人は、ゼロに近い。
悲しむ人もいないのなら、消滅してもなんら問題はないのだ。
だったらいっそのことーーーー”。
さて、ここからどうしたものだろう。
頭を捻らせたところで、物語は、主人公の死へと向かっていた。
片道一時間半の通学途中の電車の中で、暇をもて余していた僕は、スマートフォンをメモ帳代わりに物語を紡いでいた。
自己を投影させたような小説の終着点は、人間という物語の終わりでもある、死。主人公が死ぬことが、結末だ。
それに対する不満はないが、日本人特有のハラキリで終わってしまうというのは、面白くない。
多分、彼は自殺することでさえ、面倒くさいだろう。
だったら、餓死がちょうど良いのか……
そんな、人の死にかたを勝手に選んでいる自分の姿を、客観的に捉えてみると、なんとも、滑稽に思えてきた。
人生の中でそんなことに考えを巡らせることは、中々ない。物語を書いてきたからこそ、経験できることだ。
いや、物語を書いている人でも、主人公を殺してしまうような人は、稀なのかもしれない。
だが、誰にでも最期は訪れるし、今からそれについて考えても、特に問題はない気がする。
死はこんなにも近い存在であるはずなのに、人はそれをどこか遠くのものとして捉えようとしてしまう。僕もその例外ではなく、死と触れ合う為にこんな面白くもない作品を書いているのかもしれない。
「…………」
その沈黙の正体は僕自身で、電車の中なので、当然ではあるのだが、意味のあるものだった。
隣で声が聞こえる。鼻を啜り、「うー」っと唸るような声を出している。
それが泣き声だと気づくには、そう時間はかからなかったが、なんで泣いているのかはどれだけ時間をかけようとも、彼女の声を聞くまでは分からないだろう。
気にはなりつつも、関わりたくはないと、知らないふりをしていた。
「…………」
同じような沈黙だが、先ほどとは違う。僕自身のものであるのは違いないが、気まずさと驚きも入り混じったものだった。
これは知らないふりをするしかないと、真っすぐに、前の椅子の背を見つめる。
そして、確認するように横目で、彼女の様子を確認する。やはり、彼女の目は此方に向けられていた。
なんで!? なんで、こっち見てるの!? しかも泣いてる!? 何か悪いことした!?
隣にいるだけで不快だと言うのなら、席を外そう。席を立ち上がろうとしたその時、彼女の手が僕の手首を掴み取った。
「大学まだですよね……? 私のせいで退こうとしてるなら、本当にごめんなさい……泣き止みますから」
彼女は、頬を伝った涙を袖で拭いてみせる。
そう言われると、浮いた臀部を再度、電車の座席に着地させる。傍を離れようにも離れられない状況に陥ってしまった。
「そうか。それで、君は彼女に恋をしてしまった、とでも言うのかい?」
野太い声が狭い部屋に響いた。
部屋にいたのは僕だけのはずだが、僕の口から飛び出した言葉ではない。
妄想から生み出された黒い塊が、僕と会話をしたがっている。
「翔逸くん。恋をするのは全然構わないのだが、ほどほどにしておいてくれたまえ。僕としてもこれ以上、待つのは退屈だ」
「勝手に僕があの人に恋したっていう体で話を進めないでくれないか? それにお前の都合なんて知らない」
「そんなに目くじらを立てなくてもいいじゃないか。僕と話すのが嫌いだからって、態度に出していても、キリがないよ。僕はずっとここにいるんだから。無視したところで、僕は話すのをやめないし、お互いに気持ちの良い付き合いをしていくしかないよ?」
気持ちの良い付き合いなどできるわけがない。何故なら、出会いが最悪で、それに引きずられるように印象も何もかもが悪い方向にしか考えられない。
どうしてこんなものが僕の傍にいるのか。納得するには、この存在を僕が作り出した幻だと言い聞かせるしかなかった。
「それで、彼女はどうだった? 僕も気になりはするんだ」
「あの人は……あの人の言葉に少し、救われたかもしれない」
「言葉? 何か言われたのかい? それに、君が救われた?」
「違う。救われたのは、僕じゃない。いや……間接的には僕なのかもしれないけれど……――――」
気まずかった。
横で鼻を啜る音を聞く度に、この場から一刻も早く逃げ出したいと思った。
そして、こんな時に限って電車が遅延している。
否が応でも彼女との会話を迫られていた。
「やっと落ち着いてきました。ありがとうございます」
笑顔でお礼を言われても、僕は何もしていない。
何もしていないからこそ、席を離れようとした僕を彼女が止める理由が分からない。
「あなたは気づいてなかったかもしれませんが、私はよく、朝の電車の中であなたの隣に座っていました」
ストーカー行為の宣言でもされているのかとも思ったが、どうやら違うらしい。
僕の通う大学のある駅の、一つ先の駅で彼女は電車を降りる。朝が早いせいで、電車の中でも寝てしまっていた彼女は、隣の僕が降りるおかげで、次の駅まで寝過ごしてしまう心配が無いのだ。
自分でも知らぬ間に、他人の目覚まし時計として使われていたと思うと、なんとも言えない気分になる。
それはそれで良いとして、だからと言って泣くほどの理由にはならない気がする。
「いつだったか忘れましたが、一か月前……くらいですかね。スマホを熱心に操作してるあなたの姿を見て、何か面白いゲームでもしてるのか気になって、画面を覗いてみたんです。そうしたら、文章を書いてました。私、自慢じゃないんですけど目が良くて、ずっとあなたの書いていた文章を追っていたんです」
見られた? 僕の書いていた小説を? 他人に?
世に出すつもりなど毛頭も無かった。この端末のメモリにずっと保存されているだけの、自分だけが内容を知っているものだと思っていた。
だが、知らぬ間に電車で偶々隣り合っただけの女性に、僕だけのモノは漏洩していた。
多分、今の僕の顔は真っ赤だっただろう。
頭に回っていく血液が蒸発してしまうのではないかと思ってしまうほどに、身体が熱く感じた。
あれは、僕の内面の一部を見られてしまったのと同じ。泣きたいのはこっちだ。
それにどうして、あれを見て泣けるというのだ。感動小説でも何でもない。ただの鬱の塊だ。
「あの後、主人公は死んじゃうんですか……?」
死なないと言えば嘘になる。
彼の向かうべき先は、自らの終わりにしかない。彼女もそれを察して、涙を流したのか。
何も答えないでいると、彼女はそれを肯定と受け取った。
「そんなのダメです! 死なせないでください!」
「か、書いてるのは僕なんだから、好きにさせてください……」
「読者の意見を聞くのも、作者の仕事だと思うんです! お願いします!」
勝手に読者になって、勝手なお願いをされても困るというものだ。
それに、読者の意見を聞くのが作者の仕事というのならば、全て読者の思い通りに物語が進んでしまうことになる。そんなものを読んでいて面白いと思うのか。
いや、違う。これは、面白い面白くないの話ではない。そもそも僕は、人を楽しませようという考えでこの物語を書いたわけではないのだ。
「どうして、そんなに殺したがるんですか?」
「別に殺したがってるわけでは……話の流れ的にそれが妥当かな、と」
「だったら、死ぬ以外の道を見つけましょうよ! 私も協力しますから!」
協力するって言ったって、彼女が何を言おうと、結末は変わらない。
「私、船崎陽菜って言います。あなたは?」
「長束翔逸です……」
「では、長束くんもご協力お願いします!」
僕が協力すれば、変えられるものなのだろうか。
「なるほど。君の小説の主人公が終わりへと向かっていたところ、彼女がそれを止めてくれたのか。これで、君は自分で描いた人物を殺さずに済むというわけかい。良かったじゃないか」
黒い妄想の塊から、良かったと言われるとは、意外だった。
嫌な顔でもされるのかと思った。
「どうして、僕が嫌な顔をしなければならないの?」
「待つのは退屈って言ってたじゃないか」
「それは君が彼女に恋をしていた場合だよ。長々と待たされることは目に見えているからね。でも、今回のはどうだろう? 彼女が関わったところで、それほど時間がかかるとは到底、思えないよ。それに、僕も少しだけ興味が湧いてきたよ。彼女が現れたことで、君の小説がどう変わるのか」
「お前は、変わると思うのか?」
「どうだろうね。君次第じゃないかな。でも、これだけは言っておこうか。物語が作者の思い通りになるなんて事は、万に一つもありはしない」
僕が考えているものなのだから、思い通りになるなんて事は当たり前じゃないのか?
どうしたって、僕の頭の中で考えていることが反映されていくわけで、それの通りにならないなんて事は起こらない。
「そう思うなら、それでいいよ。ただの頭のおかしい発言と受け取ってもらっても構いやしない」
プイっと僕に背を向けて窓の方へと行ってしまう。
こいつとの付き合いも、もう一か月近くになるが、何を思っているのか全く理解できない。
いや、理解できないのは当たり前か。相手は人間ではないし、辛うじて対話はできるが、表情もよく分からない。
まず第一に、彼との出会いが最悪だったので、理解しようという気持ちを一ミリも抱けないのだ。
初対面であんな発言をされれば、距離を置きたいと思うのも当然で、僕は彼の背中を見ながら、物語の続きに頭を傾ける。
どんなに頭を巡らせても、主人公を救う方法を思いつかなかった。そして、いつの間にか意識は闇に吸い込まれていた。
ざわざわという雑音が聞こえて、目が覚めた。
今日は学校は休みのはずなので、端末で設定してある目覚まし時計は、いつもよりも遅い時間に鳴るはずだ。
今の時刻を確認してみると、いつも起きる時間帯と同じだった。
溜息を吐きながら、窓の外を見ると、雨が降っていた。
窓に引っ切り無しに付いていく水滴。この音で僕は起きたのだ。
冬にしては酷い雨で、こんな感じの雨を一か月前にも経験した気がする。
一か月前。
駅から家までの帰り道。
透明な傘を差しながら、雨水を吸って重くなった靴を足で持ち上げながら歩いた。
水が道路を伝って、排水溝へと雪崩れ込む。道はもはや川のようだった。
ひどい雨をもたらす原因は、秋雨前線と、それを刺激している台風にあるようだ。
早く家に帰って、ずぶ濡れの靴下を脱ぎたい、と思いながらも、足取りは重くなるばかりだ。
やっとの思いで家の前に辿り着いた僕だったが、それを阻むような存在が目の前にあった。
ずぶ濡れになりながら、じっとこちらを見つめている生き物。
黄色く光った眼は、僕を獲物として見ているかのようだった。
ある人が言っていた。欧米では昔、その存在を不吉の象徴としていた、と。
確かに見ていると、少し不気味な雰囲気を漂わせている気がした。
餌を求めてついて来られるのも面倒くさい。無視して、家の中に入ろうとした時、誰かに声を掛けられた。
「傘も差さずに君の帰りを待ってたんだ。無視するのは流石に失礼じゃないか?」
小さな存在に見惚れていて、人を見逃していたのかと思い、後ろを振り返ってみるが、誰もいない。
幽霊が話しかけてきたのかと思って、体を震わせながら後ずさる。
すると、此方を向いて座る、その存在に目がいった。
「なに? こんな体じゃあ傘を持てないだろうって?」
しゃべるはずのない生き物が、人の言葉を話している。
驚きとともに底知れない恐怖が襲い掛かってきて、足を思わず滑らせ、泥だらけの地面に尻もちをついた。
「ッ……な……!????」
言葉が出てこない。
「僕がナニモノなのかって顔してるね? こんな流暢に言葉をしゃべる、人以外の生き物は初めてかい?」
よくわからない事が目の前で起こっているはずなのに、そいつは冷静に話している。普通じゃないのに、普通にしている。
夢であるのなら、早く覚めてほしかった。
「僕は死神――――。君の命を刈り取りたい」
黄色い眼をした黒い猫は、自らを死神と称した。そして、これは決して夢などではなかった。




