一喜零憂
里絵は目を覚ました。勝手に揺れる体、圧迫される両脚、顔をくすぐる他人の髪の毛。
里絵は音火におんぶされていた。ゆっくり歩く音火の背中で、里絵は困惑した。
「……下ろして!」
「ちょっと!! 暴れないでよ!! 絶対下ろさないんだから!! もし逃してもすぐに追いつく!!」
音火は絶対離さんと言わんばかりに、里絵の両太ももをがっちり両腕で固定する。
里絵は《排他》を発動させ、音火を退けようとするが、音火も身術《強化》で里絵の足を締め上げ、さらに動術《侵食》で里絵の排他空間を犯す。
2人の能力相撲はしばらく続いた。だが、里絵の体力が尽きたところで、勝敗は決した。
里絵はぐったりして音火に上半身をもたれる。
「どれくらい気を失ってた?」
「5分くらい。随分短かった」
「…………なにか思い出したの? って聞かないの?」
「聞きたいけど、まずは敵に備えてから。里絵はそのためにここへ来たんでしょ?」
「……うん」
「じゃあ、刀を手にとって。拒絶刀だから困ってたの」
音火はちょうど里絵が刀を落とした場所へたどり着いたところだった。音火は里絵をおんぶしたまま刀のもとにしゃがみ込む。だが、里絵は刀を取ろうとはしなかった。
「いいの? 逃げるかもしれない相手に武器を握らせて」
「大丈夫。里絵は優しいから…………たぶん…………」
「……………………」
里絵は無言で地面に倒れている刀を手に取った。
「で、何か思い出した?」
刀を手に取った途端、いつものように記憶のことを聞く音火。
「うん……作戦の最後の出来事以外は思い出したかも……」
「じゃあ、敵っていうのは? イーティルの戦闘員のこと?」
「たぶん……司が『巻き髪』って呼んでた女性の戦闘員だと思う」
「え!?」
音火は『巻き髪』という言葉に大きく反応した。そのせいで音火の両腕の力が抜けてしまった。
「ちょ!?」
里絵は音火の背から地面へ落ちた。派手に尻もちをつく里絵。
「あ! ごめん…………」
「…………」
「でも……巻き髪ってことは……『執念の魔女』ってことだよね……。聞いてよかったー」
音火は急に周りを警戒しだす。周囲に鋭い目を向け、音に耳を立てた。
音火が《知覚》を発動させても、周りに2人以外の人の気配は感じられなかった。
「遠くまで耳を済ましても誰の気配も感じない。安心して、能力バカって言われてる私が言うんだもん、遠くの遠くまで大丈夫」
音火は里絵に笑顔を向けてそう言った。
里絵はその笑顔から顔を背け、ため息を吐いた。それは音火から逃げることの諦めと、張り詰めていた気がほぐれが混ざったものだった。里絵は依然、地面へお尻をついたまま、立ち上がろうとはしなかった。
「落ち着いた?」
「うん…………。ごめん……1人で逃げ出して……」
「ほんと!! 困っちゃうな!!」
音火はあえて大げさに、おどけるように言った。その仕草は里絵の心をさらに解きほぐした。
「記憶は……司と敵国の領土に入って……一緒に歩いて……話してるところまで思い出したかな……」
「夜は何回来たか覚えてる?」
「確か……基地を出発してから……5回……かな」
「5日……ということは……」
「敵と……遭遇するのがそろそろ?」
「そうだと思う。自分も資料を最後まで読んでないからわからないけど」
「たぶんすぐに思い出す……気がする……」
音火はその場へ座り込み、里絵と目線を合わせる。
「つか……司結少尉はどんな人だったの?」
「…………遠くを……見てる人だった。やらなければならないことに対してまっすぐで、芯があって……」
「他には?」
「少し偉そうで、見た目より変に男らしい言葉使いで、いたずら好きで、すぐにちょっかいかけてきて、戦闘中でも軽口をたたいて、それでも必死に考えて、遠くの人を追いかけてる人だった」
「そう……」
里絵は音火の方へ視線を向ける。里絵は音火の表情に少しだけ違和感を覚えた。悲しそうな表情を見せていた。
「音火……少尉?」
「実はね……私……司少尉と軍学校の同期だったの……」
「!!」
音火の言葉に里絵は目を丸くした。
里絵は声が出てこなかった。聞きたことがあるのにそれが言葉に変えられなかった。
「司が学校をやめてからはどうしてたのかわからなかったけど……まさか潜入兵になってて、そして呪術をもらってたなんて知らなかった」
「司は……どんな人だったの?」
里絵はさっき音火が聞いてきた言葉を、そのまま返した。
「司は……」
音火は里絵も知らない過去のことを話し始めた。
「最初の印象は、『小さい女の子』だった。能力の発現が早かった司は、クラスでも最年少でやっぱり少し浮いてた。授業や訓練は平均発現年齢の15〜17歳に合わせられてるせいで司はプログラムについてこれなかった。このことは知ってるんだっけ?」
「うん……」
里絵が答える。
「プログラムについてこれなかったのは、私も同じで……、なにせ……バカだから、座学と、訓練、特に能力の強さでどうにもならないような繊細な技術を使う訓練にはついて行けなかった。居残りなんて当たり前。教官に何度も何度も叱られた」
「…………」
里絵は黙って聞いていた。
「だから、司と一緒に居残りを受けることも多かった。ただ……私も手一杯で……司をフォローしたり、励ましあうことまで頭が回らなかった。司とは何回かしか話さなかったけど……目の色の話が一番長く話したことかも」
里絵はふと音火の目元を見た。周りを警戒しているせいで音火はまだ能力と解いてはいない。目は……赤く色づいていた。
「赤い目のジンクスは……」
里絵がつぶやく。
「……後悔せず死ねる」
音火が里絵の言葉に続くように言う。
そして里絵はもう一つのジンクスを口に出す。
「死ぬまで苦労する……」
「なんか里絵がそんなことを知ってるなんて意外……。でもその印象の悪いジンクスは信じないようにしてるの」
里絵がハッとした表情を浮かべる。思い出すことができた司との会話の中で出てきた言葉を思い出す。
「…………一喜……零憂」
音火もハッと里絵の方を見た。
「なんで……知ってるの……?」
「司が言ってた……。知り合いに良い方のジンクスした信じない人がいるって……」
「あ……そんなこと言ってたんだ……」
音火が少し照れたような顔をした。周りを警戒していて、真剣な表情しか顔に出していなかった音火の柔らかな微笑みは里絵を少しだけ安心させた。
その時だった。
「うっ!!」
突如里絵を襲う頭痛。今までと同じ痛みに、里絵は顔を歪める。
「大丈夫!?」
音火はとっさに声をかける。
「また……思い出す……兆候……」
「じゃあ、思い出してきて。気を失ってる間は私に任せて」
「了……解……」
「ちゃんと目を覚ましてよね」
里絵の目がすっと閉じられ、体が脱力する。それをそっと支える音火。
音火は周りを警戒しながら、里絵を肩に担ぎ、ふと後方を振り返る。方角は北。敵国イーティルがある方向。少し風が吹き、ざわざわと自然が音を立てるのを音火は感じた。
次回「チョココロネおばけ」




