届かない声
「お迎えに上がりました」
里絵は敬礼をしなが発言した。二人とも一瞬だけ動揺したが、何もそのことについて触れず、形式的な会話に入った。
「ヘリに移動するには少し早いのではないか」
司の指摘に里絵は戸惑った。約30分前の行動に疑問を持ったことなどなかったからだ。
「いえ」
里絵はそんなことはないと言わんばかりにはっきりと否定の言葉を口にした。
「自分はまだ準備が残っている。15分後完了する」
司はまだ半裸で、これから本部へ向かうものとしての準備はまだ完了していないのは見るからに明らかだった。
「ではここで待機します」
司は里絵から外しかけた視線を再び戻した。
「え…いや、15分後くらいにまた迎えに来てもらえばいい。そもそもヘリポートに集合なはずだ。君に私の送迎の義務はない」
「はい、ありません。自分の独断によるものです」
「待機したいのであれば部屋の外で待機しろ」
「は!」
司は気恥ずかしさを感じるためか、里絵を退室させようとした。しかし、ふと何かを思いついたような表情をとると、さっきの発言を訂正した。
「いや待て。今の命令は取り消す。ここに待機して質問に答えろ」
「は!」
異様な命令にもかかわらず、里絵は構わず返事を返した。動揺など一切見られなかった。
「趣味は?」
そう思いながら司は身支度を始める。
「勉強、訓練です」
「…………そういった趣味ではなく、もっと他に無いのか。例えばスポーツとか、読書とか」
「訓練の一環で体力増強のためスポーツは行います。読書も参考書、指導書はよく読みます」
里絵の返答に司は満足がいかない様子だった。司は再びドライヤーのスイッチを入れ、髪を乾かし始めた。
「小説とかは読まないのか!」
ドライヤーの送風音が部屋に響き渡っていく。声が里絵に聞こえるように司は大きな声で言った。
「読む習慣はありません」
「え? 聞こえない!」
「読む習慣はありません!」
「き こ え な い !」
「読 む 習 慣 は あ り ま せ ん !」
「なぜだ!」
「そういったものよりも、参考書、指導書を読んだ方が有意義だと考えているからです!」
「そういったものよりも、参考書や、指導書を読んだ方が有意義だと考えているからです!」
「勉強と訓練以外にはないのか!」
「ありません!」
「え?」
「あ り ま せ ん !」
ドライヤーのスイッチを切った司の肩がうなだれた。そうしながらも、司は着替えを始めた。
「質問を変える。将来の目標は」
「は! 従軍を全うすることです」
「それ以外にはないのか」
「考えたこともありません」
「面白みのない奴だなぁ……。では考えておくように。宿題だ」
「宿題ですか。了解であります」
司の着替えが終わる。特殊戦闘員の戦闘服を身にまとった少女の出来上がり。特殊戦闘員の戦闘服は一般戦闘員の戦闘服とは違っているが、よく見ないと違いがわからないほどには似ている。
「良い兵士になりたければ、いろいろなことを知り、経験しておくものだ。そうだな…家庭菜園の本でも読むといい」
司が言ったアドバイスは正しい内容であったが、司が口からふと出た言葉であって、里絵対して大真面目に言った言葉ではなかった
「直ちに探してまいります! 失礼します」
そう言い終わった瞬間、里絵は長くない髪をふわっと浮かせながら回れ右をすると、そのまま素早くドアを開け、どこかへ消えていった。
「…………あれ? 準備できたんだけど」
司は里絵に気を使い少し急いで準備したが、一人ぽつんと部屋に残された。司は口をすぼめ、頬を少しだけ張る。
「まあいいや。先に行ってる」
司は独り言を吐き、気にせずヘリポートに向かった。
当の里絵は廊下を走ることなく、早歩きで縦仙基地内の図書室へ向かっていた。
その後、二人は2050時にヘリポートで合流した。ヘリは時間通りに離陸し、本部へ向かった。所要時間は約1時間。
ヘリ内で里絵と司は少しだけ会話をした。
「司中尉。申し訳ありません。家庭菜園に関する書籍を入手できませんでした」
ヘリ内はローター音が響いていて、容易に他人の声は届かない。
「え?」
「書 籍 を 入 手 で き ま せ ん で し た !」
「お、おう……。基地の書庫に無かったのか?」
「いえ、書庫に一冊ありますが、貸し出されていました!」
司は驚きの表情を見せた。
「一冊はあるのか……。それは仕方ない。本部についてどれくらい自由な時間があるかわからないが、もしあるのであれば、そのとき借りればいい」
「は! すでに本部第三書庫の{家庭でできる野菜の育て方}を一冊予約しました」
「そ、そう…」
里絵と司の会話はそこで途切れた。しばらくすると、司はヘリの揺れの中でうとうとし始め、やがて眠りの中へ落ちてしまった。
ヘリは本部近くのヘリポートへ着陸した。そこにいた連絡員に案内され、里絵と司の二人は参謀である立さとい参謀の部屋へ行き、作戦の概要を説明された。
「国境を超えて100km先にある敵国の初蟹基地付近まで隠密潜入、後に続く主力の到着まで待機、主力と敵主力との交戦を合図に敵を背後からかく乱。防衛線を壊した後、手薄になった基地内に潜入し、破壊活動を実行」
これが任務の概要だった。詳細は翌日の朝のブリーフィングで行うとのこと。
この作戦は他の大きな作戦ありきの作戦。それが巨大遮断結界の破壊および大規模進行作戦だった。
作戦の説明はすぐに終了した。そして司は「里絵と手合わせをしたい」と立参謀に言い出す。それはいともたやすく許可される。
連絡員に、練習場へ案内される里絵と司。
「今から堅苦しい言葉は無しね」
司が里絵にそう言う。二人はは練習場の中央で対峙した。
「は!」
里絵の返答に堅苦しさを感じたのか司がさらに付け加える。
「私のことは司でいい。呼び捨てにして。こっちも里絵って呼ぶ」
「は!」
「里絵は動術しか持ってない一重能力者でいいんだよね」
「そのとおりであります」
「呪術【怨花】については知ってるんだよね?」
「は! 限定的な情報の開示は受けております」
「じゃあいいや、こっちは刀術と呪術【怨花】の二重能力者ね。けど刀術は使わないから。ルールは相手に武器か手を当てた方が勝ち」
「は!」
里絵が刀を抜き、柄についたストラップを手に巻き、構える。
動術士でも刀は使う。刀術士しか刀の能力は使えないが、刀術士が作った刀は普通の刀と比べ桁違いの強度を持つ。刀で攻撃し、同時に動術士がもつ能力である《浸食》で相手の《排他》やそれと同等の防御を破るのがセオリー。
身術、動術、刀術は遺伝的先天的な能力。つまり血で受け継がれる。発現するかどうかは運だが。なので、親が何らかの能力者だからといって、子にその能力が発現するかはわからない。
対して、呪術は血で受け継がれない。他人からもらう能力である。司も呪術【怨花】を誰かから譲り受けたことになる。
「はっきり見たことはないと思うけど、これが私の呪術!」
司はそう言い、能力を発動させる。同時に司の瞳が青色に染まっていく。そして全身から植物のツルのような能力体が司の周りを覆っていく。
「さあ始めましょ」
里絵と司の手合わせ。勝つのはどっち?
次回 16話「呪術【怨花】の戦い方」