触れられない刀
(あなとと司結の敵が今、国境近くにいる。記憶を取り戻したければ敵と戦え)
手紙の内容はそれだけだった。それだけで十分だった。
敵……今ならわかる。昨日の夜にフラッシュバックとして、想起されたイメージがその敵。司結中尉とともに行った作戦の壁だった者。
その時だった。再び頭の中がぐるぐるとかき回されるような感覚が起こった。
「くっ……」
苦しさに顔を歪め、両手で頭を押さえる里絵。
そして、思い出される言葉。一つ一つが頭の中に刻み込まれていく。
「自分は里絵しずく(りえしずく)一般能力戦闘少尉であります。本任務の達成条件は司中尉への合流とその保護であり、敵目標の殲滅は達成条件にありません」
「じゃあ、一喜零憂の言葉に習い、長生きする方のみを信じます」
「あなたは何がしたいんですか! なにをするためにここまできたんですか! それをあなたは私に話してくれたじゃないですか!」
里絵にはそれら言葉が自分が司結中尉へ言った言葉だとすぐにわかった。
「ここで、このフラッシュバック……。「進め」ってこと……かな……」
里絵はベットを降りた。そして、立つことで目に入る二つの物。
「服……と、刀……?」
手紙を置いた者が一緒に置いていったのだろうか。
その服は音火少尉も着ているエイシェ国の能力兵用戦闘服だ。里絵が今着ているのは薄ピンク色の患者着だが、この部屋から出てしまったらいやでも目立ってしまう。着替えない選択肢はなかった。
里絵は着ていた患者着を床に脱ぎ捨てると、素早く戦闘服へ着替えた。
着替え終わると自然と里絵の視線は一本の刀へ向く。
見覚えはない……が、直感的に大切な物であることが里絵には理解できた。
里絵は手を伸ばし、刀の肢の部分に触れようとした。
「!?」
里絵の手は刀から10cmの距離を残して、静止した。
「触れられない……」
物理的な障壁があるわけではない。しかし、里絵の手は刀を触る前に動かなくなってしまう。まるで、刀が里絵からの接触を拒んでいるかのように。
でも、持っていけってことで、ここに置いていったんだよね。これも持っていかない選択肢はない……よね……。里絵はそう考え、刀の鞘の真ん中部分をに触れようとする。
そうすると、すんなり掴むことに成功した。
刀の重心の位置的に少し持ちづらいが、里絵はこのまま刀を持っていくことにした。
部屋の扉の前に立つ里絵。持っているのは一本の刀だけ。銃も、食料も、地図も持っていない。さらに、脱走する里絵に対して、周りの人間は全て敵になることは必至だろう。それでも里絵は失ってしまった記憶を求め、一歩を踏み出そうとしていた。
里絵はベッドの方を振り返り、あの目覚まし時計に向かい、
「行ってきます」
と言い残し、扉を開け放った。
扉は開かなかった。
「………………」
里絵は少しだけ固まった。
里絵は大きく息を吸った。そして大きく息を吐いた。
「動術……」
音火少尉から里絵が動術士であることを教えてもらった。里絵は必死に忘れてしまった能力を頭の中の暗闇から見つけ出そうとしていた。動術を構成する能力は……。
「加速……」
動術の一つである《加速》は動術士にとって基本的な能力だ。動術の《加速》には2種類の使い方がある。自分以外の物体を加速させる「他加速」と、自身を加速させる「自加速」。
今、里絵が行うべき《加速》は、他加速だ。
里絵はもう一度、大きく息を吸った。ドアを思い切り加速させるイメージを作り出す。
加速させるだけでは弱い……。思い切り吹き飛ばすイメージ……。
里絵は、右手をドアにかざし、そして強く、一気に念じた。
「動け!」
一瞬の出来事だった。引き戸である扉が、ひしゃげた瞬間に、里絵の目の前から数m向こう側の廊下の壁へ、とてつもない勢いで衝突した。
耳をつんざく衝撃音、細かな破片があたりに飛散したあと、無残にくの字に折れ曲がったドアはぺたりと床に倒れた。
里絵は迷うことなく部屋を飛び出し、見知らぬ建物の廊下をまっすぐに走り出した。
ついに動き出す里絵。建物からの脱出はできるのか……
次回 12話「知恵の輪と封筒」