第三話
「まさか絢音が香取さんのお見合いの相手とはねえ……」
シフォンケーキを切り分けながら首を振っているのは中学校からの友人、沢村葉月。彼女のお兄さんが香取さんと知り合いだったとは何とも不思な偶然だ。
れいのお見合いの日から既に一ヶ月が経っていた。
「でー? 順調にお付き合いは出来ているの?」
「さあ?」
「さあって当事者でしょうよ」
私の気の無い返事に眉をひそめている。
「だってあれから一度しか会ってないし」
「はあ?」
信じられないという顔でこちらを見詰める葉月。
「香取さんが何をしているのかなんて聞かないでよ? あっちは最上級の秘匿集団なんだから仕方ないんだから。たまにあっちから電話はかかってくるかな、前に連絡をしてから何か変わったことは無かったかって」
「で、何て答えているの?」
「お陰様で変わったことは起きておりませんとだけ」
「それ絶対におかしいから」
まあ普通にお付き合いをしているとなれば異常なのだろう。だがこれはお互いの利害の一致から始めた関係なので当人同士の間では至極当然な流れとも言える。第三者がその事実を知らないというだけで。
「いいのよ。私と香取さんはそれで納得しているんだから」
実際のところ彼もそれを聞くのが目的のような電話なのだから仕方がない。こちらには分からない所属部隊の事情というものがあるのだろうと勝手に納得していた。
「なんだか今から熟年夫婦みたいな状態ってどうなの?」
うるさくお見合いを勧める伯母からの電話も無いし、ストーカー化した磯貝さんも現れないし平和そのものだ。
障子がスパーンッと開けられた時にはまた一騒動あるものだと覚悟していたけど意外なほどに私の周辺は平穏だ。さすがにあの勘違い男も強面自衛官が相手と知って諦めたらしい。とても平和な毎日が続いているので、この際、周囲からおかしいと言われても気にしない。
「そんなラブラブカップルみたいなことをする年でもないですし」
「なんだかなあ……」
「捺都ちゃんにはお礼言っておいてくれるかな。れいの勘違い男を警戒してわざわざ足をのばして友達と見回りしてくれていたみたいだから」
「分かった。今度ちゃんとケーキ奢っておく」
相変わらず頼み事のお駄賃はお手製のチョコレートケーキなのかと可笑しくなった。
「それで私にウェディングケーキを作らせてくれるのはいつになりそうなの?」
「んー? どうなんでしょうか、先のことなんて誰にも分かりませんよぉ」
更にやる気の無い返事をしたものだから盛大に溜め息をつかれてしまった。
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そしてお土産に箱いっぱいのシフォンケーキの切れ端をもらって帰る途中、見た覚えのある顔に出くわした。
「絢音!!」
「磯貝さん?」
思わず後ずさりするが何か様子がおかしい。
一ヶ月前に見た時よりも明らかに痩せているというか、げっそりとやつれている? 目の下には大きくて真っ黒なクマ牧場。この人、そこそこいいとこのお坊ちゃんの筈で、いつもお洒落な服を着ていたのに今じゃその服もヨレヨレで酷い状態だ。この一ヶ月で一体彼に何があったのだろう。
「待ってくれ、話を聞いてくれ」
立ち去ろうとする私の前に土下座せんばかりの勢いで足元に縋ろうとする相手にちょっとドン引きだ。
「頼む、もう二度と君の前に現れないと誓うから、何とかやめさせてくれ!!」
「……は?」
何をやめさせて?
「あの時のヤクザだろう? この一ヶ月ずっと僕に付き纏っているんだ。自宅にいても会社にいても監視されている。彼等は隙を見て僕を殺すつもりでいるに違いない! だから頼む、なんとか君から見逃してくれるように取り成してくれないか!」
「ヤクザ……?」
この人が香取さんヤクザと勘違いしたのは一ヶ月前だ。ということは、彼の言っているヤクザとは十中八九、香取さんのことだろう。そして彼等ってことは複数ということになる。
SF映画じゃあるまいし香取さんが分裂したとは考えにくい。ってことは……同じ部隊の人だと考えても良いのだろうか? いやいや、お見合いを断っても勘違いして付き纏う人だから、この人の被害妄想という可能性も否めない。
「何されたんですか、具体的に」
「だから毎日付き纏われているんだ!」
「脅迫されたりとかしたんですか?」
「いいや、特に話しかけられたりはしていない。だが」
「だったら問題無いですよね。貴方のしたことに比べたら可愛いもんじゃないですか。遠巻きにウロウロするぐらい偶然と言うこともあるでしょう、狭い日本ですし」
しかし一体なにをしているんだろう、あの人は。下手に訴えられたら大問題になるっていうのに。
「ひっ」
私の後ろに視線を向けて息を呑む磯貝さん。
つられて振り返って私も腰を抜かしそうになった。すぐ後ろにキツネのお面が浮いている、というかお面をしている人が立っている? 全然 気配を感じなかったんだけど?! お面の人は磯貝さんの方に視線を向けているようだ、そして彼の後ろの方を後ろの方を指差した。どうやら早々に立ち去れと言いたいらしい。
「わ、分かりました、もう二度と彼女には近寄りません、スミマセンスミマセン! だから殺さないで下さい!!」
お面さんは再度、後ろの方を指差した。今度は少し苛立ったように指が乱暴に向こうに向けられた。
「ひぃっ!」
磯貝さんはヨタヨタしながら走っていく。なんだか腰が抜けているのかくねくねと物凄く情けない走り方になっていた。そんな彼を見送りながら呆気にとられていたというのが正直なところ。この展開は一体なに?
「……あの失礼ですけどどちら様?」
お面さんがそのまま立ち去ろうとしたので腕をガシッと掴んで捕まえる。背の高さからして香取さんではないようだ。お面さんは掴まれた腕を見て困っているようだ、多分。
「えっとですね、どちらにお礼を言ったら良いのか知りたいんですけど、私が見ているところでお面外すとかきっと無理なんですよね?」
その言葉に頷く。秘匿中の秘匿で式典に出席する時でさえ顔が分からないようにしている人達だ、同じ自衛官にさえ素顔・素性は分からない。そう簡単に素顔を見せるわけないか。
「じゃあ、私が知っている人でお面さんと同じお仕事している人にお礼を言ったら良いですか?」
渋々といった感じで頷いた。もしかしてここで私に捕まるとは思ってなかったのだろうか?
「そう……今度、会えたら私からもお礼を言っておきます。けど、もうこれ以上は何もしないでって伝えて貰えます? あっちは仮にも大企業の御曹司だし、何か問題が起きたら色々と面倒なことになるから」
それにも渋々といった感じで頷いた。
「きっと貴方も命令されて仕方なくやってるんですよね、こんなこと。どんな命令だかは知らないけど」
っていうか知りたくない。香取さんに会った時に聞かなければならないだろうけど今は知りたくない。お面さんの腕から手を離すと彼の背中をポンッと軽く叩いた。
「時間をとらせて御免なさい。貴方の上司に宜しくって伝えておいて下さいね。いずれきちんと話は聞かせてもらうからって」
ニッコリ笑って言った筈なんだけど、何故かお面さんが怯んだ気がしたのは気のせいだろうか?




