第二話
「そうか、絢音さんと隼人君は顔見知りだったのか」
一度会っただけなんですよ? しかも食堂で睨み合ったぐらいで会話らしい会話もしてないし。っていうか私が一方的に言った言葉を除けば、目の前の人は何も喋ってませんから。フンぐらいは言ったかもしれませんけど。
「だったら話は早いね、我々は席を外すから後は若い者同士で」
え、ちょっと早くないですか? 今にも万歳三唱しそうな四人の背中を唖然として見送る。もしかしてこっちは口実で四人で何処かへ出かける約束でもしていたとか? そんな気にさえなる早々の退場だった。
「腹が減っているんだが。飯、付き合ってくれるか」
ぎこちない沈黙が流れた後、ポソッと香取さんが呟いた。
「え?」
「色々と立て込んでいて飯を食う暇も無いままここに来たんでな」
「ああ、どうぞ」
彼は席を立つとこちらを見下ろした。
「ここでじゃない」
「はあ」
連れて行かれたのはホテル内にある日本料理の店。しかも個室に通された。
「あんたも食うか?」
「あー……そうですね、いただきます」
そう言われて自分も昼がまだだったことを思い出して頷いた。そして注文をしてからは再び流れる微妙な沈黙。
「ところで断るつもりでいるんだよな、あんたも」
あんた“も”? ってことはそちらも? ですよね、立会人が退場してからお互いに不本意って表情を隠そうともしてませんもの。
「そうです。断る分には森永一佐の面子を潰す心配もありませんし」
「だな。それを承知での頼みなんだが断るのは少し待ってもらえないか」
「はい?」
訳が分からなくて思わず聞き返してしまった。
「今うちは新しい訓練課程の途中でな。アメリカでの合同演習も視野に入れての重要なものだ。その最中に今回のような見合いだなんだとつまらん話を捻じ込んで欲しくない訳だ。ここで断ればこっちの都合などお構いなしにまた新しいのを持ってきやがる。出来たら一段落するまでは表向きだけで構わんから“お付き合い”とやらをしていることにして欲しい」
何が家庭を持てば落ち着くだろうだ、俺はいつでも落ち着いて訓練に励んでいるだろうがと腹立たし気に呟いた。
「どうしてそんな提案を私に?」
「霧島に聞いた、あんたなら正直に話せば協力してくれるだろうってな」
「なるほど。私も伯母避けに利用して構わないのではあれば同意できますが」
「では決まりだな」
お互いに利害が一致した。
「こちらが一段落したら知らせる。断る理由はそちらに任せる」
「そうですね、その時に何か適当な理由を考えます」
話が決まったところで、目の前に出された会席料理を食べることに集中することにした。
「ところで香取さんは霧島さんと同期なんですよね」
「ああ」
「ってことは二十八歳?」
「そうだが、何か?」
この人、笑うことあるんだろうかと会話とは関係無いことが頭に浮かんだ。目つきが鋭過ぎてそれなりに慣れている私でも怖い。
「いえ、もっと上の人かと思ってました」
「それは俺もだ」
「は?」
「あんたが俺より年下だとはな」
「あー……よく言われます」
今はコンタクトだが仕事の時は眼鏡をかけている。それが原因らしい。二十八歳よりも年上……三十歳ぐらいだと思われていたんだろうか、それはそれでちょっとショックだ。
「ところで例の彼女はちゃんと仕事はやれてるのか?」
「れいの彼女……ああ、夕子ちゃんですか。ちゃんとやってますよ、情報処理能力に関しては頼りになりますから」
最初に香取さんと出会った時の顛末を思い出しながら肩をすくめてみせた。
「変われば変わるものだな、あんなおかしなのが存在するようになるとは」
時代も変わったもんだとしみじみ。まあ確かに最近は今時の子が増えた気はする。
「おかしくないですよ、彼女は有能です……多少は不思議ちゃんですが」
香取さんの顔を見て最後に付け加えた。
「不思議ちゃんねえ……」
「普段が不思議ちゃんでもオタクさんでも別に構わないんですよ、ちゃんと仕事さえ出来れば。それはそちらも同じだと思いますが」
「確かに」
「うちの課内に関して言えばそんな変人オタク集団じゃありませんよ。私から言わせてもらえば作戦群の方がよっぽど変態じみていると言うか……」
香取さんの箸を持つ手が止まった。
「どういう意味だ?」
そんな目で睨まないでほしい。さすがに目を合わせたままで喋り続ける自信がないので、視線を目の前の西京味噌ののっている田楽に向けて話を続けることにした。
「私はそちらがどういうことをしているのか噂でしか知りませんけど、どう考えても変態じみた訓練ばかりしているって印象がありますから。訓練内容がドS過ぎて、実はそちらの皆さんは全員ドМではないかと思えてきたところです」
「ほぉ」
「いや、あくまでも私の憶測でして。けど香取さんみたいな人が集団でいると思うと何か違う気がしてきました」
その時、漫画みたいにスパーンッと障子が開いた。
「絢音、迎えに来たよ!!」
いろんな意味で忘れられない一日になりそうな気がしてきたぞっと……。
+++++
「やっと見つけたよ、どうして逃げ出したんだ? さあ帰ろう、僕達の家に!」
よく分からんが人が飯を食っている時にいきなり何しにきたんだ、この男は。しかも妙に爽やか過ぎて逆に胡散臭いことこの上ない。つまみ出しても良いのだろうか?
「何だ貴様は」
俺の問いでやっとこちらの存在に気がついたらしい。馬鹿なのか? 馬鹿なんだろうな、おそらく。
「絢音、このヤクザみたいな男は誰だ? どうして一緒に食事なんかしているんだ?」
ポカーンとしていた三笠が我に返って瞬きをした。そしてヤクザ?と呟きながらこっちを見ると噴き出した。まあなんだ、言われ慣れているので今更だ。
「ご、ごめんなさい、ふふっ……ヤクザ……酷いね、ふははっ……香取さんがヤクザとか」
「あんた、酷いって微塵も思ってないだろ」
涙を流しながら笑う相手に腹を立てる気にもなれん。
「だって公務員に向かってヤクザって」
何がツボにはまったのかは知らんが笑いが止まらないらしい。これは会話にもならんな、どうやら正体不明の男のことはこちらで対処するしかないらしい。
「それでお前こそ何の用だ、小僧」
「絢音を連れ戻しに来た。彼女は僕の婚約者だ」
「だ、そうだ」
笑い死にしそうな相手に話を振ってみる。とうてい会話が成り立つとは思えんが。
「そんなのがいたら今ここにいませんって……ヤクザかぁ傑作……ふっふふふふふっ」
笑いの発作の合間に何とか言葉を捻り出したようだ。
「だろうな。おい小僧、何を勘違いしているのかは知らんが三笠は俺の女だ。さっさと消えろ」
一気に飯が不味くなった。ここの飯は美味いんだがな、どうしたものか。
「嘘だ! 絢音、脅されているのか? 前のマンションからも急に引っ越してしまったし。もしかして誘拐でもされたのかと心配したんだよ」
こいつは真正の馬鹿なのか? これも不思議ちゃんというやつか?
「ああ、可笑しい。こんなに笑ったのは久し振りだわ」
三笠は目元の涙を拭うと深呼吸して笑いの発作を堪えると居住まいを正した。
「そりゃ引越しもしますよ。お付き合いする気は全くありませんとお断りしたのに付き纏われて、挙句は周囲に婚約者だなんだと無いこと無いこと言い触らす。そんなストーカー男に知られている自宅なんて怖くて住める訳がないです」
「ストーカー?」
男は三笠の言葉にショックを受けたような顔をした。まさか自分がそんな風に思われているとは夢にも思っていなかったという顔だな。
「誤解しているといけないのではっきりと言わせてもらいますけど、貴方のことですよ磯貝さん。貴方がストーカー行為をやめないから私は引っ越しました。これ以上、付き纏うなら弁護士と警察に介入してもらいますよ」
「そう言う訳だ、大人しくさっさと帰れ小僧。いや、俺達が帰るか。いくぞ、三笠」
「はい」
最後まで食べ終わっていないがここにいて騒ぎが大きくなっても店に迷惑がかかるだろう。料理を運んでくれていた女性に非礼を詫びて支払いを素早くすませると店を出た。
「思うんだが、あんたは伯母より今の男を何とかした方が良さそうだぞ」
「そんな気がしてきました……」
ホテルから外へ出てタクシーに乗りかけたところで男が追いかけてきた。
「僕は戻ってきてくれると信じてるから!」
まだ言うのか、開いた口が塞がらん。
「頭が沸いているとしか思えんな」
三笠を車に押し込むと自分も乗りこむ。運転手は異様な雰囲気を察してくれたのかさっさとドアを閉めて車を出してくれた。走り出したタクシーからちらりと後ろを振り返れば、男とドアマンがなにやら揉めている様子だが知ったことか。
「すみません、せっかくご飯を」
「気にするな、多少のことでは驚かん」
驚きはしないが些か厄介な存在ではあるな、あの手の人間は。
「だが今後のこともある、少し事情を聞いておいた方が良さそうな気はするな。すまないが、ここへ行ってくれ」
運転手に名刺を渡した。
「知り合いのカフェが近くにある。そこならゆっくり話も出来るだろう。何だ、その顔は」
「カフェを経営するお知り合いがいるとは意外です」
どうしてなのかと聞く気にもなれん。
「似合わなくて悪かったな。友人の家族がやっている店だ」
「友人……もしかして“西風”ですか?」
「何故知ってる?」
「そこの店長とは中学・高校の時の同級生でして。お兄さんが二人いて弁護士と自衛官って聞いていたんですけど、まさかお知り合いだったとは」
世の中って意外と狭いですねと笑っている。
「あ、ところで」
そうそうと三笠が呟いた。
「?」
「小僧は間違いだと思います。私の記憶が正しければ、さっきの人、確か香取さんより三つ年上の筈です。確かに見た目は香取さんの方がオッサン臭い感じでしたけど」
「とにかくだ、その三十路男を何とか駆除する方法を考えろ。相手は間違いなくストーカーだ、危機感がなってないぞ」
「すみません」
しょんぼりとした顔を見たら罪悪感がわいた。
「すまん、言い過ぎた」
「いえ。官舎住まいで安心していたのと二年間音沙汰無しだったので油断していた私も悪いんです。はぁぁ、短い平和でしたあ……」
ふぅと溜息を一つつくと黙り込んでしまった。……さてどうしたものか。