後編
第六章 進学
履きなれたスニーカーのひもを結んで、大河はスタートを切った。みるみる加速した大河は、三秒で最高速にまで達した。
角を曲がったところで、近所のおばさんに出くわす。
「おはようございます!」
「おはよう大河ちゃん、今日も速――」
「すいません――」
挨拶をしながら、それでもスピードを緩めない。なぜなら、大河は……
「遅刻しちゃいそうなので!」
並木道の下を抜け、せせらぐ川のスピードを追い越して、また人とすれ違う。
昔から暮らしている町の自然と、人々の優しさを感じながら、大河はゴールを目指した。
「……ふぅ、ゴール!」
駅前ではすでに四人の、仲間たちが待っていた。隣の駅から通う希林以外の、四人だ。
「おはよっ、みんな。ごめんね、ちょっと遅れちゃった」
「大河ちゃんおはよー」
「まったく相変わらずね……おはよ、大河」
「おはよう、大河」
一人を除いて、挨拶を返してくれた。和江一人を除いては……
「か、カズちゃんも、おはよう」
「……おそい!」
「う、ううやっぱり」
やっぱり和江は、怒っていた。昔から和江は時間に厳しく、時間には大分ルーズな大河は、もう何度も怒られてきた。
「大切な入学式の日に遅刻してくるって、どういうことよ!」
「う、うん………」
「今日私じゃなく大河が龍華を迎えに行く日だったら、もっと遅刻してたわよ」
「ご、ごめん……」
「それと……あ、やっぱりスニーカー。今日くらいはローファー履いてきなさいよ!」
「そ、それもごめん……」
会うなり、ダメ出しの嵐であった。
「まあまあ。希林も僕たちを待ってるし、そろそろ行かないと、和江」
「う……そ、そうね」
景のフォローによって、何とかおさまってくれた。
「ウ、ウカちゃんの車椅子は私が押していくよ!」
「うん、ありがとー、大河ちゃん」
大河は逃げるように、電車へと乗り込んでいった。
幸い電車は下り電車で乗客も少なく、乗客の皆が龍華のために場所を開けてくれたため、特に問題なく目的の駅までたどり着くことができた。
駅を降りた五人は、高校を目指して通学路を進んでいく。
校門のところで、最後の一人が待っていた。
「おはようございます! みなさん」
「おはよっ、キリンちゃん。新しい制服、可愛いね」
「え、あ……ありがとうございます」
高校の新しい制服に身を包んだ希林は、ますます可愛らしくなっていた。大河の言葉を受けて、希林はもじもじと指先を合わせるしぐさをする。
「よっしゃ、ここが私たちの学校! それに……皆同じ格好だ!」
中学時代は違った中学に通っていたため、同じ制服を着ることはなかった。一方で、何となく懐かしい感じもする。
「ユニフォームみたいだねー」
「そう、それだよウカちゃん」
「うんうんー、それじゃあここで写真を一枚。皆集まってー。いくよー、かしゃー」
五人が、龍華の周りに素早く集まった。六人の制服姿が、龍華のカメラへと収められる。
合格者発表で使われていた掲示板に、クラスの票が掲示されていた。
入学式の前に、まずはクラスの集まりがあるそうだ。大河たちはクラスの票を見て、目的の教室を目指すのだが……
「ここが私たちのクラス! ……あははっ、皆同じクラスだーっっ」
「私たち二人は、ウカのお世話役として一緒にしてもらった可能性もあるけど……」
「まさか全員一緒だとは思わなかったねー」
「ふふ、また楽しくなりそうだ」
「すごい偶然ですね……何か忘れてる気がしますが」
なんと、五人ともが同じ一年A組であった。一人、足りない気もするが。
「こらー、私のこと忘れるなぁ!」
その足りない一人が、遅れてやってきた。どうやら小豆だけは、B組になったらしい。隣のクラスだから、大河たちの声が聞こえてやってきたようだ。
「おお、オマメちゃんは小さいから、一学年下だと思ってたよ」
「私は高校〇年生か! ていうかオマメじゃなくて、ア・ズ・キ!」
「うんうんー、それじゃあここでも独りぼっちの小豆ちゃんを一枚。かしゃー」
「あ、写真ね? うん、チーズ! ……ところで、龍華さ。さっきから語尾が伸びてわかりにくいんだけど、いつ撮ったの?」
「今だよー」
「今!?」
それからしばらくいつもの六人で話していたが、時間になると小豆が、一人寂しそうに帰って行った。
その小豆とすれ違いに、一人、スーツに身を包んだ女性が入ってきた。その女性はぎこちない歩きで教卓の前へたどり着くと、回れ左、クラスの皆の方を向いた。
「み、みなさんお初にお目にかかります、ににに、山之内心と申します。新任ですが、どど、どうぞよろしくお願いしまする」
どうやら彼女、大河たちのクラスの担任らしい。新任だけあって若い。
スーツを着ていなければ、同じ高校一年生でも通りそうな……さすがにそれほどではなかったが、それでも可愛らしい先生だった。大河は近くの席にいた景と希林に話しかける。
「なんだか変な話し方だね……」
「緊張してるんだろうね。まあ、新任で初めてのクラスだから当然じゃないかな」
「初めてのことに緊張してしまう気持ち、とってもわかります」
「……そ、それではえっと……そうだ、自己紹介ですね! 前の席の人から一人ずつ、お願いします」
それから一人ずつ、生徒たちが自己紹介を始めた。皆がそれぞれ、これまでのこと、そして高校生活での希望について語っていく。
――初めまして。私、渡龍華です。座ったままですいません。御覧の通り怪我をしてしまって、今は自分の足で歩くことはできません……だけど、幼馴染や仲間たちの協力で、こうやってこの高校に入学できました。体育の授業はできないけれど、その分ほかの授業や、部活を頑張りたいです! 高校で叶えたい夢もあります! どうぞみなさん、よろしくお願いします!
ちょうど生徒全員が自己紹介を終えたところで、教室のドアがノックされた。入ってきたのは三〇代前後の男性教員だった。
「すいません。そろそろ入学式が始まる時間なのに、一年A組だけ講堂の前に来ないので、皆待ってるのですが……」
「あ……ああ! 段取りを間違えました! そうでした、入学式でした! て、先生だけまだ名前しか紹介できてないでござる!」
「……後にしてください、山之内先生。後、語尾を気を付けてください」
「はぅ、す、すいません!」
それからクラス全員で、少しだけ急ぎ気味で講堂に移動した。
入学式には、保護者もたくさん来ていた。大河は振り返って、講堂の二階席に座った保護者席を見る。
視力二・〇の大河の眼には、自分の母親の姿をすぐに見つけることができた。大河の母親はいつも忙しく、普段は仕事に出ている時間だが、小学生のときも中学生の時も、入学式の日だけは半日だけ有休をとって来てくれていた。
両親が共働きなこともあって、大河は幼いころ、ちょっとだけ寂しくなる時期があった。朝一人で戸締りをして家を出るのが寂しく、帰ったら誰も迎えてくれないのが寂しかった。
だけど大河には、大切な友達ができた。その友達は、今も大河の隣にいてくれる。
大河の母親の横には、和江と龍華の母親がいた。普段はあまり一緒にいる姿は見なかったが、母親たち三人も仲が良さそうだった。三人は大河には気づかず、何かを楽しそうに話している。
――私はもう、大丈夫だよ
大河は自分の母に向かって、心の中で、小さく手を振った。
そして無事、緑葉高校第五六期生の入学式も終わり……いよいよ大河たち六人は、一番来たかった場所へやってきた。
「ここが私達のコート! ――て、あれれ?」
興奮しながらやって来た大河だったが、体育館で繰り広げられていた光景は、思っていたものと少しだけ違っていた。茶色いバスケットボールはなく、代わりに白くて一回り小さいボールが飛び交っていた。
「バスケじゃない……」
「まあまあ、落ち着きなさい大河、ほら、体育館の入り口に表があったでしょ。体育館はシフト制になってるってことよ。今日はバレー部の日ってことでしょ?」
「おお、なるほどカズちゃん、そういうことだったんだ!」
どうやら早とちりをしてしまったようだ。確かに体育館は一つだけなのだから、ずっとバスケ部が活動しているはずもない。「あのさ……」一番後ろにいた景が、何やら言いづらそうに発言する。
「それで、その表の中に女バスの名前がなかったわけだが」
「え――」
景の指摘に対して、和江は『え』の表情のまま、文字通り固まってしまった。大河はすぐに言葉の意味には気づかなかったのだが、代わりにこちらに向かって飛んでくる白い球体に気づく。
「……あ、ボールが、危ない!」
コートの方からバレーボールが一つ、こちらにふらふらと向かって飛んできた。そしてそのボールは固まってしまっている和江の方向へ一直線、このままでは脳天直撃コースだ。
ここで前に一歩踏み出したのは、六人の中で一番背の高い少女、希林だった。
「……任せてください! とぅ!」
一歩前へと踏み出した希林は、そのステップで上へと飛翔した。
長い体が空中でしなり、最高到達点でその力が一気に解放される。希林は飛んできたボールを、右手のひらで、打ち抜いた。
鋭いスパイクはバレー部のコートへと一直線に戻っていく。コートのバレー部は本能からかレシーブに動くが、ぎりぎりで届かず。コート中央にスパイクが決まった。さらにはなぜか、バレーの試合で得点を告げる笛までも鳴らされた。
一瞬の静寂の後、コートの中から拍手が巻き起こる。一方で決められた選手は本気で悔しそうにしていた。
「ちょっとぉ、何やってるのよぉ、希林!」
「……はっ! つい、くせで!」
「しかし、希林が飛ぶと胸のあたりがすごいな……僕なんか全然成長してないのに」
「あははー、プリンプリンだったね―」
「…………」
「……あ、わかったよケイくん! バスケ部の名前がないってそういうことか! 大変じゃん!」
コートの中だけではなく、外も、何やら大変な事態になっていた。
騒がしくなる気配を感じ、大河たちは体育館から素早く退散した。
「……ていうかカズちゃん、なんでよりにもよって、バスケ部がない高校を選んじゃったのさ」
「和江ちゃんって昔から頭いいのに、肝心なところ抜けてるよねー」
「う、うっさいわね! まさかバスケ部がない高校なんてあると思わなかったのよ!」
場所は変わって、再び一年A組の教室で、六人は輪になって会議を始めていた。
「希林は、バレー部にスカウトされているしさ……追いかけてられて大変だったじゃない!」
「す、すいません小豆さん……」
「別に謝ることじゃないと思うが……しかし、あのプリンは……」
事態は深刻だった。バスケ部がないやら、和江が少し涙目になるやら、希林はバレー部に誘われるやら、景は何故かショックを受けているやら、計算外のことが連続していた。
混乱するバスケ部入部予定(しかしバスケ部はない)の面々の中で、たった一人、龍華は楽しそうだった。いつもの笑顔を浮かべて、龍華は手を挙げて発言する。
「――鳴かぬなら、鳴かせてみせれば、いいんじゃなーい?」
「龍華、どうしたの大丈夫? まさか受験でおかしくなったじゃ……」
「――パンがないなら、買いにいけばいいんじゃなーい?」
「ウカちゃん、確かにお腹は空いてるけど……」
「――部活がないなら、作ってしまえばいいんじゃなーい?」
その一言を聞いて、今度は龍華を除く全員が固まった。
部活がないから……作ればいい?
「……ああそうだよ! 作ればいいんだ!」
「まあ、冷静に考えれば当然の作戦だと思うが……いいんじゃないかい?」
「言っとくけど私は、最初から思い付いてたんだからねっ!」
「そうですよ、作りましょう! 六人だけのバスケ部を!」
「……まあ入学にあたって確認しなかったのは私が悪いのは認めるけど、六人だけって言うのは、かえって都合がいいことも多いかもね」
当然全員が、賛成だった。
ここで大河が一つ、疑問を呈する。
「でもさ、部活って、どうやって作るんだろうね?」
「それはほら……それでしょ」
「何よカズちゃん、私の胸を指さして、いやらしいなぁ」
「違う! その胸ポケットよ!」
大河は自分の胸に手を当ててみる。そこにはなんと、赤い冊子が入っていた。
その小さな冊子には生徒手帳と書いてある。
「おお、こんなの入ってたんだ!」
「たぶん、大河ちゃんのお母さんが入れてくれたんだねー」
「おお、私のお母さん……」
朝起きたら制服をいじっていたが、そういうことか。……てっきり、昔を思い出して、こっそり制服を着てみたのかと思っていた。そういえば制服が心なしか、昨日見たときよりも真っ直ぐになっていた気がする。
「学校のことは全部そこに書いてあるでしょう。部活のことも書いてあるはずよ」
「なるほど! どれどれ、部活設立のためには……」
生徒手帳によると、部活の設立のために必要なのは、一.五人以上の人数。二.顧問教員。三.活動場所、の三つらしい。その三つをそろえたうえで生徒会に申請をして、認められることで初めて部として認められるらしい。
一つ目の条件は、すでに満たしている。三つ目は体育館を使えたら良いが、これは後で決まる場合もあると注意書きされている。とすれば、まず必要なのは……
「顧問の先生、かなー」
「ですね……誰か引き受けてくれればいいのですが」
「ま、色々頼んでみるんじゃないかしら?」
「それなら、まずは一番頼りやすい人に頼んでみるべきだろうね」
「頼りやすい人って……ああ、あの人ね」
「うん、じゃあ行ってみよう!」
龍華、希林、小豆、景、和江、大河の六人はさっそく、国語準備室にいる一年A組の担任、山之内心のもとを訪ねた。
入学したばかりの大河たちが頼りやすい人、それはすなわち、担任の他にいなかった。
「……私ですか?」
大河たち六人の願いを聞いて、山之内は驚き半分、不思議半分の可愛らしい表情を浮かべた。
「確かに、先生はまだ部活を持ってないので、顧問することは可能ではありますが……」
どうやら、バスケ部の顧問になることに関しては、やぶかさではない様子である。
大河は先頭を切って、自分たちの願いを説明する。
「私たちの願いは、バスケで日本一になること、だからどうしてもバスケ部を作りたいんです! 山之内先生、力を貸してください!」
力強く宣言する大河を前にして、先生は椅子の上に小さくなってしまった。
「でも、日本一になるには、もっとちゃんとした先生がいいんじゃないでしょうか? 私じゃなきゃいけない理由はありませんよね……」
「そ、それは……」
後ろから小さな手に首根っこをつかまれ、大河は一歩後退をさせられた。
「ちょっと大河! せっかくいい感じだったのに、何余計な事言ってるのっ!」
「え、でも、それが私たちの目的だし……」
「まあまあ、ここは僕に任せてくれないかい?」
言いよどんでしまった大河に代わって、今度は景が一歩前へと踏み出した。毅然とした、頼れるお兄さんのような態度で先生の前に立つ。
「いえ、僕たちにはやはり、先生が必要なんです」
「私が、ですか?」
「はい。というのも先生、今日は初めて生徒とあって、結構テンパってましたね」
「うぅ……やっぱり私ダメですよね……」
景の指摘を受けて、山之内は、ますます小さくなってしまった。小豆が今度は景の制服をつかもうとしたのだが、景はその手を軽くいなした。
「先生、僕は、緊張することが悪いことだとは思いません。確かに緊張で失敗してしまうことがあります。でもそれは物事にひたむきだからこそ、なんですよね? むしろ、失敗したくないからこそ……大事だからこそ、緊張するんですよね」
「そ、それは……」
「僕たちの夢は、確かに長く険しい道のりです。だからこそ僕たちには先生みたいな真っ直ぐな人が必要なんです、何事にも一生懸命になれる人が。僕たちは今、大変なお願いをしています。その願いを先生に託せるなら、こんなに嬉しいことはありません」
「そ、そう?」
景の説明で、椅子の上で小さくなっていた山之内も、ちょっとだけ大きさと自信を取り戻した様子である。そして何かを思い出したかのように、龍華の方を見た。
「……あの、渡さん。一つだけ聞きたい事があります」
「はい」
山之内の言葉に、龍華がはっきりとした口調で答えた。
「渡さん。あなたは自己紹介のとき叶えたい夢があると言っていました……バスケで一番になることが、あなたの夢ですか?」
その質問対して、龍華は首を横に振る。
「いいえ、違います。今は、皆の夢です……皆の夢だから、私は自分のためにも皆のためにも頑張れるんです!」
「……なるほど、わかりました」
山之内は深くうなずいた。その姿はもう、椅子の上で小さくなっているだけの、新任のものではなかった。
「生徒の夢をかなえるのが先生の仕事、そのためならいくらでも力を貸します」
その山之内の言葉を受けて、大河たちは胸をなでおろす。そして――
「先生、これから三年間――」
『よろしくお願いします!』
六人そろって、これからお世話になる先生に、頭を下げて挨拶をした。
次の日の朝、チャイムの音とともに、担任の山之内がやってきた。
「みなさん、今日からそろそろ授業が始まってきます。高校に入学したばかりで、勉強のことなどで不安なことも多いと思いますが、何かあったら先生に相談してください! あ、でも先生文系なので数学の質問だけはやめてくださいね! ……多分、みなさんよりできないので」
その一言で、教室の隅の方で小笑いが起きた。
「まあきっと、若いみなさんなら大丈夫です……さあ、今日も頑張りましょう! 一限はさっそく、私が担当の国語です。みなさん、教科書を使うので出しておいてください!」
鞄の中の教科書を探しながら、大河は小さな声で、後ろの席の景と希林に声をかけた。
「なんか先生、いつの間にか自信つけたみたいだね! ケイくんのおかげかな?」
「ぼ、僕は嘘ついてはないぞ。……だって、いい先生じゃないか?」
「そうですね! 一生懸命で、とってもいい先生です!」
教卓では、ちょっと子供っぽくて、だけど人一倍一生懸命な先生が、チョークを躍らせている。書かれた字は、山之内心、という四字だった。
「授業の前に……まずは自己紹介から始めます、私の名前は――」
第七章 始動
「みなさん、ごめんなさい!」
次の日の放課後、国語準備室にやってきた六人は、顧問の山之内に頭を下げられていた。
「私、色々な人に頼んでみたんですが、火曜日の放課後しか体育館の使用許可を取れませんでした……実績のない部に長い時間体育館を使わせるわけにはいかないんですって」
どうやら部の活動時間が短くなってしまったことを謝っているらしい。垂直近い角度で頭を下げる山之内に、大河は慌てて声をかけた。
「い、いえ別に気にしないでください! ありがとうございます。それよりも、もう申請をしてくれたんですね」
「はい。もう今日から、あなたたちはバスケ部の部員です」
「そして先生は、バスケ部の顧問ですね!」
「あ……そ、そうですね、よろしくお願いします」
「はい、よろしくお願いします!」
思っていたよりも部の活動時間が短くなってしまったけれど、それでもちゃんと部として活動できることになった。これで大会にも出られる。
「ま、火曜以外は、地区センターとかで練習しましょう。後、晴れた日にしか使えないけど、ストリートのコートがこの近くにもあるみたいよ」
「おお。そうなんだ、それじゃあまったく問題なしだねっ!」
「問題なし、か……練習場所については、まあそうだけど……」
和江は何か気にしている様子だが、大河にはよくわからなかった。
「大河ちゃん、今日はなんと火曜日ですー」
「おお! それじゃあさっそく、行ってみようか! 皆、バッシュと練習着は持ってる?」
「私はまあ、持ってるわよ」
「持ってきてます!」
「予備のものが、ロッカーに入れてあるね」
「私、今日体育だったからもってるわよ! ……私だけ」
先生に確認したら、すでに話はついているとのことだった。
大河たちはさっそく、更衣室で着替えて体育館へと向かった。
体育館に入ろうとしたところで、一人、背の高い生徒がこちらを見つめているのに気づく。大河は恐る恐る話しかけてみた。
「もしかして……バレー部の人ですか?」
「お、そうだよー、よくわかったね」
「背が高かったので……あの、す、すいません。私たちがバスケの練習をするから、練習できなくなっちゃったんですよね?」
「いや、いいっていいって! 私が入学する前の年までは、バスケ部もあって、普通に練習してたらしいからさ。監督だった人が定年退職しちゃって、それで人数が減って廃部になっちゃったらしいよ。むしろ、たった一日しか使わせてあげられなくて、ごめんね」
「そんなことは……気を使っていただき、ありがとうございます!」
「うん。それより、そこの背が高い彼女さ……今後ろに隠れようとした君だよ! バレー部どう? 入ってみない?」
希林は大河の後ろに隠れようとしたみたいだが、背が高いのでバレバレだった。
「いや、私はバスケ部なので無理です……」
「そんなこと言わずに、さ! まだ仮入部期間じゃん。試しに一回来てみてよ……あ、あるいはバスケ部と兼部でもいいよ。どうせバレー部が練習してないときは、バスケ部は練習できないっしょ!」
「で、でも……」
昨日断ったはずなのに、バレー部の先輩はまだ希林のことを諦めてない様子だった。
「すごい人気だ……キリンちゃん背が高いし、バレー経験者だからね」
「大河も、マラソン大会の後は人気ものになってるかもね」
「え、そうかなカズちゃん……」
バレー部の先輩に何とか諦めてもらい、いよいよ大河たちは、体育館へと足を踏み入れた。
「ここが私たちのコート!」
「それは昨日聞いたわ大河。そんなこと言ってないで……早く練習しましょうよ!」
「……ところで大河さんに小豆さん。練習って何するんですかね」
希林の言葉に、今にも飛び出そうとしていた大河と小豆が足を止めた。
「う、うーん……いつも通り、準備運動をして、個人練習かな」
「そ、そうよ地区センターでいつもやってるじゃない」
「そ、それはそうですが……」
五人そろってランニング、準備運動をした後、個人練習の時間になった。
ドリブル練習をする大河の前で、小豆がシュート練習を始めた。スリーポイントラインの外から放たれたシュートは、見事リングに吸い込まれる。
「おお、すごい、三点シュートだよ!」
「あれ、三点? なんで?」
「あ、そっか、小学校のころはなかったっけ。三点ラインの半円の外で打ったら、三点になるんだよ」
「ふーん。そんなルールなのね……何か、高校生はお得な感じねっ」
小豆はミニバス時代から、外からのシュートが得意だった。スリーポイントシュートが安定して入るようになれば、大きな武器になるかもしれない。
「でもその代わり、ゴールが高くなったし、ボールも大きくなって、やりにくいわね」
「そうですか小豆さん? 私には小学生のころとあんまり変わってないように感じますが……それに、ボールを持つと、なんだか胸のあたりがボールに引っかかって……」
「……成長って残酷ね!」
小豆の身長が全く変わっていなかったのはともかく、希林はこの三年間で大きく成長をしていた。身長が伸びたのと体の一部分が大きくなったのに加えて、バレーで培われたバネでジャンプ力がますます上がっている。
これは、中々楽しみだ。と大河は思っていたのだが……
「どうやら僕たちの問題は場所だけじゃないね」
「う、うん……気づいては、いたけどね」
コートの脇で、何やら思案している様子の二人の姿があった。
「どしたの? カズちゃんにケイくん、さっきから深刻そうな顔してるけど」
「……大河に話しても理解できないだろうし意味ないから、黙ってたんだけどね」
「何気にまたひどいことを言われているような……で、それって何なのカズちゃん?」
「うん。うちのチーム、龍華をのぞいちゃうと五人しかいないじゃない。確かに高校バスケでは、五人いれば試合には出れるけど……五人だと、できる練習が少ない」
和江の言葉に、景が説明を加えた。
「一番問題なのは紅白戦ができないことかな。個人練習だけでは、スキルは身についても実戦感を養うことができない」
「なるほど……言われてみれば確かに」
バスケはチームスポーツだ。だから五人いなければできないのはもちろんだが、相手もまた必要になってくる。陸上をやっているときは、個人で目標を決めて走っていれば、それなりに練習になっていた。だけどバスケはそうはいかない。
何か方法がないか、大河は考えてみた。
「うーん、やっぱりバスケ部がない学校に来たのが間違いだったのかな?」
「……まあ、それは私のせいだけど」
「これからバスケ部に入る人を集めようか……でもバスケ部に入りたい人は、バスケ部がないこの高校を選ぶはずもないしな……」
「……いやもうわかってるから。偏差値だけでこの高校を進めた私が間違ってたから」
和江は嫌そうな顔をしていたが、大河は結構、真面目だった。人を集めるにしても、中々難しそうだし……かといって今更高校を変えるなんて言ったら、母親にものすごく怒られるだろうし……
「ふふふ、大河ちゃん。心配ご無用だよー」
しかしここで、笑顔の幼馴染が大河の前へと現れた。
「おお、ウカちゃん! そういえば見当たらなかったけど、どこにいたの?」
「うん。マネージャーとしてお水を汲みに行ってたの」
「そ、そっか……あんまり無理しないでね、ウカちゃん」
「あはは、ありがとう。でもこれくらい大丈夫だよー。でね、その帰り、顧問の山之内先生とお話ししてきたよ。だから、練習のことは大丈夫なのー。顧問と監督に任せていいよー。選手たちは目の前のことに集中してていいよー」
「そっか……あれ、監督って誰だっけ?」
「監督は……なんと、私でーす! 山之内先生がバスケわからないみたいなので、頼まれちゃいましたー。これで私はマネージャー兼大河ちゃんの専属コーチ兼、監督になりましたー」
「おお、なんかすごい!」
「大河の専任コーチは、続けるのね……」
「うん。もちろんだよー」
こうして龍華は、緑葉高校女子バスケ部の監督に就任した。
そして次の日、水曜日。
「しばらくの間、水曜日は私の後輩たちと、一緒に練習しまーす」
監督に就任した龍華によって、さっそく新たな練習案が発表された。
「というわけで、やってきましたー」
緑葉女バスがやってきたのは、大河達が去年まで通ってきた、中学校の体育館であった。
「おお、懐かしの我が母校!」
「まだ卒業して一か月しかたってないけどね……」
「こ、ここが大河さんたちの通っていた中学ですか……なんだか感激です」
「そういえば合同球技大会で来たね」
「三年連続で、ボコボコにしてやったわ!」
大河、和江、希林、景、小豆がそんなことを話していると、中学の女バスの部長である柿谷優香が、こちらに向かって歩いてきた。
「こんにちは、龍華先輩。それに緑葉高校バスケ部のみなさん」
「うん。こんにちはー。ありがとうねー優香ちゃん、練習に付き合ってもらってー」
「い、いえ龍華先輩の頼みなら、もちろんです! こちらも勉強になりますし」
柿谷の横にいた女子生徒が、大河に話しかけてくる。
「あれ……確かそちらの先輩、陸上で全国を取った先輩ですよね!」
「うん。でも高校ではバスケ部なんだ、よろしくね、皆!」
さすがは去年全国を取っただけあって、大河のことを覚えている人もいた。去年は大河の全国制覇に女子バスケ部の全国準優勝と、色々と騒がしい年であった。
体育館にいる女子バスケ部の中には、部長の柿谷も含め、ミニバス時代の後輩も何人かいる。
小豆たちの周りに、その何人かの後輩が集まっていた。
「小豆先輩、すごいです。中学時代はバスケをやってないって聞いてたけど、ますます上手くなってますね!」
「ふふん、私は天才だからね!」
「さすが小豆先輩です! (身長は全く伸びてないですが)」
「ちょっとあんた、心の声がばっちりしっかり漏れてるわよ!」
「希林先輩は……ますます大きくなりましたね、うらやましいです」
「確かに身長は大きくなりましたが……少し視線が低いような……」
三年ぶりの再会をしばしの間満喫した後は、いよいよ練習が始まった。
公立城居中学校。去年龍華を中心に、全国準優勝までたどり着いた中学だ。下の世代とはいえ、強くないはずがなかった。
レベルの幅が広く、まだ体格的にも劣る部員たちも多くいる中で、やはりトップレベルのプレイヤーたちはずば抜けていた。大河以外の四人のメンバーは対等にプレイができていたが、大河はそういったプレイヤーについていくのがやっと。一対一では抜かれてしまうこともしばしあった。それでも大河は、
「ナイスプレー! よっしゃ、次は止めるよ!」
せめて声だけでは負けないように、練習を盛り立てていった。
総じて練習は二時間ほど。短い時間だったが、とても充実した時間を過ごすことができた。
やはりチームで練習するのは、刺激的だった。同じポジションのプレイヤーの動きを見るのは参考になるし、チームの中での個人の動きなども確認できる。最後の五対五の中では、初めて緑葉バスケ部の五人でのプレイも確認できた。結果は小豆と希林の活躍のおかげでギリギリ勝利したが、予想通りというか、大河が大分足を引っ張ってしまっていた。
これについて、監督の龍華に相談に行くと、
「ウカちゃん、今の試合の私、ダメダメだったよね……」
「うん、予想通り、これからガンバろー!」
龍華は背中をたたいて励ましてくれた。大河は、具体的なアドバイスをもらうつもりだったのだが、それでも大河はその励ましを受けて、頑張ろうと思えた。
さらに、金曜日には顧問の山之内によって、新たな練習機会が提示された。
「週末は、土日とも、練習試合をします!」
そう言って、二種類の紙が提示される。山之内お手製の、練習試合のしおりだった。
六人はそのしおりを受け取って、それぞれ目を通していった。
「おやつは二〇〇円までって……遠足じゃあるまいし」
「ちょ、ちょっと待って! 土曜日の練習相手、大学生じゃん!」
興奮気味に話したのは、大河だった。まさか一つ上の世代とも試合ができる機会がもてるとは、想像以上だ。山之内はよくぞ聞いてくれた、と、満面の笑みで返す。
「大学のゼミの後輩に頼んだら、オッケーもらえました! まあ二軍が相手みたいですけど」
「そ、それでもすごいじゃないですか、心先生!」
大河たちはいつの間にか、顧問で担任の山之内心のことを『心先生』と呼ぶようになっていた。
希林が、目をキラキラと輝かせて山之内を見つめる。
「心先生は頑張り屋さんで面倒みがよくて、あとは可愛いらしいので、私の理想の人です!」
「そそそ、そんなことありませぬ! 先生をあまり茶化さないでくだされーっ」
「……あれ? 今、また心先生の話し方が変だったような」
「入学式の日のあれ、素だったんだねー」
しおりを読みながら、和江は神妙にうなずいた。
「でも、なるほどね。確かに練習試合でなら、紅白戦以上に試合勘が養えるわ」
「試合の方が、楽しいものねっ!」
「うんうん、監督も楽しいですー」
「……五月にはもう、全国へと続く戦いが始まります。だからそれまでの土日は、なるべくすべて練習試合を組むつもりです。皆の夢をかなえるために……大変だけど、頑張れますよね?」
『……はい!』
どうやら山之内も本気のようだ。大河たちにとっては、本気になってもらえることが一番うれしかった。やはり山之内を顧問に選んで本当に良かったと、改めて確認した。
そしていよいよ土曜日。
山之内が準備したしおりを見ながら大学のキャンパスへと足を踏み入れた大河たちは、コートの中央で大学生たちと対面した。
「聞いたよ、あなたたちが日本一目指すっていう高校生だね」
「……へえ、面白いじゃん」
目の前に並んだ体格が一回り大きいプレイヤーに、大河たちは思わず圧倒されてしまう。希林だけはマッチアップする選手よりも少しだけ背が高かったが、それでも委縮してしまっているように見えた。
事前に山之内が伝えたのか、大学生の彼女たちは大河たちの目標を知っている。それゆえか、初めから本気モードに見えた。最も、山之内が伝えなくても大河が大きな声で夢を叫んでしまっていた可能性はあるが。
挨拶をした後、試合が開始された。
ジャンプボールの場面では、希林はジャンプするもタイミングが合わず、相手にボールをはたかれてしまう。キャッチしたのは、大河がマッチアップする選手だった。
大河はさっそくディフェンスについた、が、鼻で笑われてしまった。
「これで日本一を目指す気?」
「えっ……」
「だって君、へたっぴでしょ」
ボールを持った選手が、ドリブルで一対一を仕掛けてくる。大河は気合を入れてディフェンスをしたが、フェイントに引っかかり、あっさりと抜かれてしまった。
「ごめ、抜かれた! ヘルプ!」
「任せて!」
ゴール下に猛進する彼女の進路を遮るように、和江が飛び出してきた。しかしちょうどそのタイミングで、和江がマークしていたフォワードの選手へとパスが出される。ゴール下でシュートを決められて、さっそく二点を先制されてしまう。
続いて大河たち緑葉女バスの攻撃。景からボールを受けた小豆が、さらにセンターにいる希林へとパスを通し、希林のインサイドでの一対一が始まる。希林は左右への切り替えしで抜こうとするが、体を入れられてゴールへは近づけない。それでも身長差を生かして何とかシュートを放ったが、シュートはリングを外れてしまった。
続いて大学生チームは速攻で決めて、さらに二点離されてしまう。
「これは中々……厄介だね」
「ええ……」
景と和江が漏らした不安は的中し、一ピリが終わるころには一五点差がついていた。
二ピリ開始時、コートに戻った大河に、マッチアップする大学生の選手が再び声をかけてきた。
「確かに、誰かさんをのぞいて、他の四人は、うちらと比べても顕色ないくらいには上手い。でも、それだけだね」
「……それじゃダメなんですか?」
「うん、そうだよ。バスケは技術だけじゃない。泥臭さも同じくらい大事だってこと」
緑葉のスローインから試合が開始された。小豆からパスを受けたガードの景を中心に、オフェンスが組み立てられる。
和江たちはディフェンスを上手くかわそうとするけれど、抜ききれない。抜ききれないからこそ、ゴールを決めきれない。一方ディフェンスでは、もう少しで止められそうなところで、シュートを決められてしまう。身長ではリードしている希林ですら、押しこまれてしまっていた。
この、あと一歩の差が、泥臭さというやつなのだろうか。
結局、終始大学チームのペースのまま、四ピリが終わってしまった。
試合後、大河は皆を引き連れて、大学生チームのもとへお礼に向かう。
「ありがとうございました! 勉強になりました!」
六人がお辞儀をすると、大学生の皆は笑顔で答えてくれた。
「いや、こちらも、思ったよりもいい練習になりました」
「ダブルスコアでへこませてやるつもりだったんだけどけど。ぎりぎりとどかなかったな」
「うん……私たちのほとんどは、まだ大学一年生。今はまだ二軍だけど、そのうちレギュラーを取ってやるつもりだよ。お互い先は長い、またやろう」
果たして大学生チームにとって、本当に練習になったのかは不明だが、そう言ってもらえるのは、緑葉バスケ部にとっては、嬉しいことであった。
「そうだあなた」
「わ、私ですか? は、はい!」
大河は、自分の方に向けられた言葉に、少し緊張しながらも大きな声で答えた。
「うん、そうあなた……よく四ピリ、諦めずに、声をだして走り切ったね。バスケはテクニックだけじゃない。点を決めるだけが、必ずしも活躍じゃないから……ま、頑張れ、へたっぴ」
「……はいっ!」
結局大河は、この試合も点を決めることができなかった。四ピリも出ていて〇点というのは、情けない結果である。それでも、その大学生の先輩の言葉に、何かヒントをもらえたような、そんな気がした。
第八章 表明
日曜日も同じように、他校との練習試合をした。そのチームとは、二ピリハーフの試合を二回して一勝一敗と、互角の勝負を繰り広げた。
週が明けて月曜日からも、忙しい日々の連続だった。
月曜日は疲れているので休み……のはずだったが、結局落ち着かずに、疲れのたまらないドリブル練習などの基礎練習をして過ごした。
火曜日は緑葉高校の体育館を使っての練習。個人練習などに加えて、五人でのパス練習やシュート練習などをみっちり行った。水曜日は城居中学との合同練習で、これも密度の高い練習が行えた。
それ以外の平日は、地区センターなどでコートを借りて個人練習をしたり、部屋を借りてチームでの作戦を確認したりして過ごす。
土日は山之内の言っていた通り、練習試合が連続して組まれる。
そんな一週間が、何度も何度も繰り返された。
勝って負けて、負けて勝って。少しずつ緑葉バスケ部は成長を重ねた。
そしていよいよ……公式戦が始まる週がやってきた。
その週の金曜日。国語準備室の前にて、顧問である山之内の口から、大河にとって驚くべき事実が言い渡されている。その事実とは――
「……え、私がキャプテンって……」
週末の公式戦に向けて、いよいよユニフォームが配られることになった。それはいいのだが、問題は、大河がキャプテンの証である、四番のユニフォームを渡されたことである。
「ちょ、ちょっと待ってください心先生! 皆も、なんで反論しないんだよ!」
しかも他の五人のメンバーは、その事実に何も異議を唱えようとしない。
けれど大河としては、当然納得できるはずもなかった。
なぜなら――理由なんて、いっぱいあるんだから。
「だって、私が一番下手だし……ね、カズちゃん?」
「うん知ってる、でもそれは覚悟の上よ」
「ガードのケイくんの方が、いいんじゃないかな……」
「僕自身、自分が皆を引っ張っていくのに、向いてないのは自覚してる」
「そ、そうだ。ウカちゃん、中学のころキャプテンだったじゃん」
「私は高校では、監督とマネージャーと、後は大河ちゃんの専属コーチなのでー」
「キリンちゃん、やっぱり私じゃ不満あるよね?」
「そ、そんなことないです! むしろ大河さんに引っ張っていただけると、嬉しいです」
「…………」
「なぜ私にだけ何も言わないのよ! 大河ぁ!」
誰も、大河の言葉に頷いてくれなかった。むしろ大河をキャプテンに、迎え入れようとしてくれている空気さえある。
だけどやっぱり納得できない。だってまだ、大河は隠してるのだ。皆の前で、自分を偽っている。
大河には、今までどうしても口にできなかった思いがあった。
「私ね、こんなこと言っちゃ怒られちゃうかもしれないけど……」
気づいたら大河は、その思いを口にし始めている。それはいけないことなのに。
「本当は心のうちで、今でも悔しいって思ってた。ウカちゃんが怪我をしちゃって……それで、それはすごく悲しいんだけど、だけど……」
――ダメだ、その思いは、絶対口にしちゃいけない!
そう思うのに、大河の口は止まってはくれなかった。
溜まっていた感情が、堤防を失った川の水ように、どんどん流れていく。
「もしウカちゃんの怪我がなくて、またこのメンバーでバスケをすることになってたら、また私はベンチのメンバーだった。それが、悔しくて、そう思っちゃうことも、悲しくて。だから、だから……」
「……うん、いいよ大河ちゃん」
優しく抱いて大河の言葉を止めてくれたのは、大河が一番聞かせたくなかった相手である、龍華だった。隠していた大河の思いを知って……龍華はまだ、笑顔だった。
「うん、いいよ。もう充分だよ大河ちゃん。もう悲しむのは、充分。だって大河ちゃんは頑張ってるもん。皆も、それをちゃんと知ってるもん。だからその悔しい気持ちも、悩んでることも、いっそ地面にでもぶつけてさ。その勢いで走り出そうよ……皆で、笑ってバスケをしようよ!」
龍華の言葉を聞いて、大河は思い出した。
――私は悲しみたいわけでも、苦しみたいわけでもない。ただ、皆と走りたいんだ。
皆と……できれば龍華とも一緒に走りたい。
そのために、中学の最後には皆にわがままを聞いてもらった。今もまた、自分勝手な告白に付き合ってもらった。これからも、結局大河にはわがままを言い続けることしかできないと思う……だけど、そんな自分についてくれる皆のためにも、大河は走り続けたいって思えるんだ。
後ろには頼れる皆がいてくれる、それが、大河の何よりも大きな自信だった。
「みなさん、頼りない部長ですが、よろしく支えてやってください!」
大きくお辞儀をした後、大河は龍華に言われた通り、すべての思いを地面にぶつけてみた。
「よっしゃ! 気張るよ、私!」
そして、その勢いで走り出す。特に目的地はなかった。ただ走りたいから、その思いだけで大河は走る。
「はい! 私もついていきます大河さん!」
「あ、ちょっとこら! どこ行くのよ大河」
「あはは、頑張れー、大河ちゃん!」
「ほら、龍華も行くわよ! たまには私が押してあげるわ、景も手伝いなさい!」
「ふふ。いいけど、怒られてもしらないぞ。だって、ここは……」
走りだした六人の少し後ろから、声が追いかけてきた。
「みなさん、ここは廊下ですよ……こらーっ、走るでない……です!」
廊下を走ったことに関しては、後で山之内からみっちりしっかり怒られた。
そしていよいよ日曜日。大河たちにとっては、高校になって初の公式戦の時がやってきた。
試合会場は、電車で二〇分ほどでたどり着く、県内の高校だ。会場に着いた大河たちは、さっそく更衣室に入り、一昨日もらったばかりのユニフォームへと着替えを行った。
「肩出すの、やっぱりなんか恥ずかしいです」
「今まで練習試合は、全部ゼッケンだったからね……」
「ていうか心先生! 私は成長するから、Sサイズで良いって言ったじゃないですか!」
「いやぁ小豆さん、さすがに、それは……」
「ウカちゃんは、制服のまま?」
「うん、一応私の分もユニフォームはもらったけど、こっちの方がマネージャーっぽいのでー」
「そこもこだわるのね……」
それでも龍華の手には、制服にそぐわないリストバンドがついていた。それと同じものが、ユニフォームを着た大河と和江の手にもついている。昔、バスケを始めるときに一緒に買ったものだった。
小学校の試合の時は、毎回つけていた。中学の試合でも龍華はつけ続けてくれていた。
そして高校になって初めての試合でも、特に約束したわけではないけれど、やっぱり三人ともつけていた。
ユニフォームに着替えた大河たちは、外でアップを始めた。軽くランニングをした後、準備体操、そして簡単なパス練習を行う。外でのアップを終えた後は、いよいよ体育館を使ってのアップだ。前の試合のハーフタイムに、大河たちはコートへと足を踏み入れた。
そこでは、パスからのシュートの練習など、ゴールを使わなければできないような練習が中心に行われる。
「……高校バスケ、なめていいもんじゃないかもしれないわね」
アップ終了直前、相手チームのアップをちらりと見つめていた和江の口からは、少し弱気な言葉が漏れた。
「でもカズちゃん。練習試合では、私たち結構勝ててたじゃん」
「練習試合と公式戦じゃやっぱり違うから……負けたら終わりだから向こうも本気でくるわよ」
確かにそうかもしれないと、大河は思う。向こうのチームのレギュラーは、三年生が中心になってくるだろう。三年生は負けたら終わり、だから三年分の思いをぶつけてくるに違いない。
「だけど、私たちもここじゃ負けられない! 目指すのは全国一位だから!」
大河の言葉を聞いて、和江はわざとらしくため息を漏らす。
「相変わらず、言葉だけは一人前ね……まあ、こんなところで負けられないのは間違いないか」
「うん、だけど油断せずに、精一杯頑張ろうね!」
「……はいはい、わかってるわよ」
そしていよいよ、試合が始まったのだが……
「あひゃひゃ、皆すごいわ……」
コートの上を駆け回りながら、大河は思わず、そんな言葉を漏らしていた。
和江が試合前に漏らしていた言葉は、この試合においては杞憂に終わることになった。現在は四ピリ終了直前で、スコアは七〇対四〇と、緑葉高校の圧倒的リード。大河以外の四人は、そのミニバス時代から抜きんでていた才能をいかんなく発揮し、点を重ねていった。龍華の指示は常に的確で、相手の攻撃を効果的に防ぐことができた。大河も速攻のチャンスで、何点か取れた。
そして最後、希林がセンタープレイで二点奪ったところで試合が終了した。最終スコアは七六対四二。三四点差という大きな点差をつけた緑葉高校の勝利で、試合が終了した。
「やったぁ、勝ったあ!」
「大げさよ大河、一回勝ったくらいで」
「だってぇ、……不安だったんだよぉ……」
「……またか」
涙で視界を奪われた大河は、和江に連れられる形で、控室へと戻っていった。
「偵察に来ていたチームがいたよー」
控室で涙を流し切った後、龍華の口からはそんなことが伝えられた。
「偵察? ウカちゃん、それって私たちを偵察してたこと?」
「うん……それも、すごい五人組だよー。最強の高校一年生たちかな?」
「最強の、高校一年生たち……」
そのとき、何人かの足音が、こちらに近づいてくるのが聞こえた。
「――もしかしてそれ、私たちのことを言ってくれてるのかしら?」
近づいてくる五人の女子生徒の顔を確認し、大河はすぐに龍華の言葉の意味を理解した。
だって彼女たちは、ミニバス時代に全国決勝戦で大河たちを破ったチームのスタメンの五人だったから……そして彼女たちは、中学時代に全中二連覇という輝かしい結果を残したチームの、中心メンバーの五人でもあった……
五人の中心にいた一人の生徒が、大河たちに向かって話しかけてきた。
「こんにちは、木倉ミニバス女子部の皆さん」
昔のチーム名で呼ばれたので、大河は同じように返した。
「そういうあなたがたは……戸山ミニバスの、皆さんですね」
「あるいは、戸山中女子バスケ部、とでも呼んでもらえればいいのかしら? 今は、香宮高校女子バスケ部よ」
香宮高校女子バスケ部……聞かない名前だったが、それよりもむしろ重要なことがある。小学校で大河たちを倒し日本一になり、中学時代は全国大会二連覇を果たした彼女たちは、今もなお同じチームに所属しているということ。
香宮女バスの五人の少女たちが、さらに大河たちのもとへ近づいてくると、自然と五対五で並びあうような形になった。五人と五人は、お互いに目の前にいる選手に向かって、声を掛け合う。
まずは三木谷という名の女子生徒が、和江に対して挑発的な攻撃的な視線を送ってくる。
「へー。あんたら、懲りてなかったんだな?」
「おあいにく様、諦めが悪いもので」
続いて、中国出身でガードのポジションの李が、景に対して嬉しそうに笑いかけた。
「……またあえて嬉しい、中学では、あなたに会えなかった」
「ふふ、楽しくなりそうだ」
身長146cmの小栗と、148cmの小豆が、同じ視点の高さでにらみ合う。
「まだいたんだね、オチビちゃん!」
「む、私の方が、お団子の分大きいわよ!」
センターのポジションである大神は、成長した希林にジト目を向けた。
「うわ、ますますデカくなってるじゃないすか……こりゃあ目に毒ってやつっすね」
「え……す、すいません。でも、また視線が低いような……」
最後に、姫奈と大河、両チームの部長通しが視線をかわしあう。
「……で、誰かしらあなたは」
「(ズルッ)」
大河は思わずズッコケた。自分の時だけなんだか違った反応だったからだ。
「ま、まあ私は基本、ベンチにいたけどさ!」
しかたはないとはおもうけど! むしろそこにいるべきは龍華だったと思うけど!
「ああ、あなた、ベンチちゃんだったのね。そういえばいた……気がするわ」
どうやら大河のことは覚えていない様子だった。改めて大河は、大きな声で自己紹介をした。
「私は大河、南大河です!」
「ふーん、私は姫奈楓よ、よろしくね」
姫奈楓。全中二連覇を達成した戸山中女バス部で、キャプテンだった子だ。全中MVPに選ばれたこともある、超トップレベルのプレイヤーである。
姫奈は大河たちの後ろにいた龍華の姿を見つけると、そちらに向かって声をかけた。
「あなたは渡龍華……そう言えば、全中の決勝でいなくなってたけど、怪我しちゃったのよね?」
「うん、残念ながらねー」
「中学に入って成長したあなたなら、いい勝負になると思ってたんだけど、こちらとしても残念ね」
姫奈は龍華の顔を見て、先ほどまでとは違った挑発的な視線を送った。龍華も、笑顔のままだったものの、表情の片隅に今まで大河たちに見せたことのないような険しさを含んでいる。
その表情を見て、大河は確信した。姫奈と龍華は中学時代までずっと、お互いにライバルとして意識しあって来たのだ。実際、ミニバスの全国大会では、お互いにエースとしてぶつかり合っていた。そして全中の決勝でも、二人はぶつかり合うはずだった。
「……んん?」
そのことには直接関係ないけれど、ここで大河が、一つおかしい点に気付く。なぜ彼女たちが、神奈川の試合を見学しに来たのか? だってそもそも、ミニバズの全国大会のときも全中のときも、彼女たちは東京都の代表として試合に出ていたはずだ。
さすがにこの段階で大河たちをマークすることは、考えにくいだろう。その、すこし鈍いと和江によく言われる頭をフル回転させた大河は、一つの結論にたどり着いた。
「姫奈さんたちが私達の試合を見に来たってことは……もしかして……」
大河の言葉に対して、姫奈は再び大河の方を向く。
「ええそうよ。香宮高校は、神奈川にある高校よ。スカウトされて全員で通うことになったわ」
姫奈の言葉に、他の四人も続いた。
「……全員に声を掛けてくれたのは、この香宮高校だけ。強いことより、私たち五人でやらせてもらえることが重要だった」
「だからあんたたちと、戦うことになるぜ」
「しかも、同じブロックだよ! だから、四回戦で当たる!」
「……まあ、あなたたち五人がいるなんて、今日まで知らなかったんすけどね」
彼女たちもまた、中学ではかなり有名な選手だった。一度雑誌で見たことがあるから知っている。初めに話した静かな子が、ガードを務める李という選手。中国からの留学生らしく、母語が中国語のため少し日本語を話すのが遅いのだとか。男のような口調の彼女は、強気なプレイが有名なパワーフォワードの三木谷。その隣にいる小豆くらい小さくて幼い子は、シューティングガードの小栗。そして、一番背が高い彼女は、センターを務める大神だ。
一人ですら怖い選手なのに、それが五人もそろってしまった。今はまだ一年生とはいえ、最強クラスのチームであることに間違いなかった。
姫奈は再び口を開く。
「私達は今年、全国一位を目指すつもりよ」
「ぜ、全国?」
その短いフレーズに、大河はドキっとしてしまう。
「ええ。中学の頃は二連覇しかできなかった。だから高校では、三連覇を目指すわ!」
大河はハッと気づかされた。あたりまえだけど、同じ目標を目指しているチームは大河たちだけではないのだ。それも、その席はたった一つだけ。
だけど、だからって諦めるわけにはいかない。諦められないのが、夢というもの。
――奇跡の席は、一つ分しかないけど
――その席を争うライバルは、小学生の頃よりもずっと多いけど
――昔からのライバルは、ずっと成長してしまっているけど
諦められないことだから――、大河は大きな声で、しっかりはっきり宣言した。
「目指すところは同じっ、私達も一番を目指す!」
その言葉に、姫奈は、一瞬だけ冷たい表情をみせた。
「だったら……勝負ね」
そしてまた二週間が立ち――
二回戦と三回戦を勝ち進んだ緑葉高校は、いよいよ香宮高校とコート上であいまみえた。
再び五人と五人が、並びあう形になる。
この日もまた、大河の正面にいたのは姫奈だった。
「やっぱり来たわね、あなたたち」
「姫奈さん……負けません!」
ジャンプボールから、試合が開始される。センターサークルに入ったのは、緑葉の希林と、香宮の大神だった。
「ここは、絶対取ります!」
「た、高いっす……」
ジャンプボールでは、身長で勝る希林が一〇センチほど上をいった。
希林が後ろに弾いたボールに対して、大河は飛びつくようにキャッチする。
「さすが元バレー部キリンちゃん! よっしゃ、行くよ皆!」
「大河、言ってないで速く戻しなさい!」
「お、おう!」
和江に言われるがままに、大河はパスを戻した。大河はキャプテンなのに、威厳は全くないのであった。
そして和江が受け取ったボールは、すぐさま司令塔である景に回される。
「それじゃあ、まず大きいので先制と行こうかな……小豆」
「任せなさい!」
スリーポイントライン付近までドリブルで進んだ景は、右四五度付近で待ち構えていた小豆へとパスを回す。ディフェンスが追いつきそうだったが、小豆は構わずにシュートを放った。小豆が放ったシュートは、綺麗なアーチを描き、リングに吸い込まれる。
まずは景の宣言通り、スリーポイントシュートで緑葉が三点を先制した。
続いての香宮の攻撃、ガードの李がボールを運ぶと、さっそく大河がマークしている姫奈へとボールがわたる。姫奈はドリブルで仕掛けてきた。
「ベンチちゃん、あんたには無理よ」
「くぅ……でも、簡単には負けない!」
しかしここは、大河も食らいついていった。一度抜かれかけたが、何とか体勢を立て直した大河は、自慢の脚力で追いついた。
「……ふうん」
姫奈は特に無理をせず、外にいた小栗へのパスを選択する。小栗は素早い動きで小豆をかわし、ミドルシュートを決めた。これで香宮が二点を返し、三対二となる。
エンドラインのスローインから、再び大河たち緑葉の攻撃。今度は景のもとから、左サイドにいた和江へとパスが回った。
「強い相手だと……やっぱり燃えるわよね」
「へえ、面白いじゃん」
和江のマークについたのは、同じパワーフォワードのポジションの三木谷。中学時代は、姫奈と共に、戸山中のダブルフォワードとして名をはせた選手である。
和江は左右へのフェイクの後、ドリブルで距離を詰め、ロールターンでうまく抜き去った。〇度付近で和江はジャンプシュートを放ったが、これはリングにはじかれてしまう。
「ま、まだです!」
弾かれたボールに対して、センターの希林がジャンプしてボールをキャッチした。香宮の大神も飛んだが、希林の高さには届かなかった。
「ああもう、高すぎなんすよ!」
「す、すいません」
口では謝りつつも、希林はさらにもう一回ジャンプしシュートを放つ。ゴール下でのシュートは簡単に決まり、これでスコアは五対二となった。
「カズちゃん、あんなセリフ言っておいて、かっこ悪い……」
「う、うっさいわね!」
「それと、キリンちゃんナイスシュート!」
「はい! ありがとうございます!」
今のところ、全中二連覇のメンバーに対して、互角以上の勝負ができている。大河はディフェンスに戻りつつ、皆に声をかけた。
「よっしゃ、行くよ皆!」
大河が姫奈のマークに付くのを見ると、姫奈は笑みをこぼした。
「面白いじゃない。でも、まだ始まったばかりよ……」
そう、始まったのだ――お互いの夢をかけた、全力の戦いが。
「はい、もちろん! 油断せずに行きます!」
夢を叶えるため、――その一席を手に入れるため、大河たちは全力で走りだした。
第九章 勝負!
景からパスを受け、小豆がシュートを放つ。両手で放たれた茶色いボールは、まるで引き寄せられるかのような不思議な魔力を感じさせながら、リングを通過した。
また、小豆がシュートを決めた。しかもそのシュートは、普通のシュートよりも大きな価値を持つ、スリーポイントシュートだった。
「私、最強ねっ! 外す気がしない!」
ガッツポーズをしつつ、小豆は自軍コートに戻っていった。もう一ピリも終わりに近づいていたが、小豆はまだこのピリオド、シュートを外していなかった。
「おい、今あいつ何本連続だよ」
「……五本」
「てことは、あのお団子ちゃんだけで一五点……へえ、やるわね」
続く香宮の攻撃、ここは確実に、エースの姫奈が一対一でゴールを決めた。
再び緑葉ボールに移ったところで、ベンチの龍華から声がかかる。
「残り二〇秒。みんなー、時間を使ってオフェンスしよー」
高校バスケでは、一回のオフェンスに使える時間が二四秒と決まっている。その時間以内にシュート放ってなければ、バイオレーションで相手ボールになってしまう。
しかし第一ピリオドの残り時間が二〇秒を切った状態で攻撃が始まった今は、その反則が取られる心配もない。
早くシュートを打って相手の攻撃のチャンスを作るくらいなら、時間を目いっぱい使って攻める。それが、龍華の指示の意味するところであった。
その指示通りに、緑葉の五人は落ち着いて外でパスを回していった。大河もパスを回しつつ、動き回って相手のディフェンスをずらそうと試みる。残り五秒になったところで、和江のもとからインサイドの希林へとパスが渡った。
希林はドリブルで内に仕掛けるそぶりを見せたが、すぐに外を見る。
「ここは……小豆さん!」
「任せなさい!」
最後に希林が選んだのは、小豆へのパスだった。絶好調の小豆の三点で、一気に点差を広げた方が良いとの判断だ。残り一秒、ブザーが鳴る寸前に小豆はシュートを放った。
「……ふえ?」
そして、ブザーの音と同時に、小豆は間抜けな声を漏らしていた。
決めたらブザービーターになるはずのシュートは、しかし、リングにかすりもせずにコートへと落ちたのだった。
一ピリが終わり、選手たちがそれぞれのベンチへと戻っていく。
現在スコアは二四対一六。なんと大河たち緑葉が、八点のリードを奪っていた。
その点差の最大の理由は、小豆の連続ゴールにあった。それに動揺してか、香宮のオフェンスに少しだけ落ち着きがなかったのも要因した。
ベンチへと腰を下ろした香宮のレギュラー陣が、自ら話し合いを始める。
香宮は私立高校だが、選手層が薄い上に、監督の髪も薄い。かつては名だたる名門校を率いてきた監督の牧野が、引退前の最後の監督業として地元の高校に赴任し、そこに姫奈達五人を集めたのがそもそものきっかけだった。
もともと選手の自主性を重んじる牧野だったが、今は完全に姫奈達に任せきっている。別に指導する力がないから任せているのではなく、その方が良いからこそあえて口出ししない、懐の広さと判断力を持っている監督だった。
姫奈達レギュラー陣がまず話題に挙げたのは、やはり緑葉の最多得点プレイヤーについてだ。
「最後外してくれたけど、スリーポイント六本打って五本決めるとか、普通に化け物だな」
「小学六年の決勝でも、あの子のミドルシュートが一番厄介だったわね」
「しかも高校では三点っすからね。ミニバスの時より、破壊力が上がってますよ」
ここで、小豆とマッチアップしていた小栗が、プクっと顔を膨らませる。
「わ、私も決めたもん!」
「……六本打って、四本」
「しかも、全部スリーポイントラインの内側だったから、二点ずつで八点だな」
「確かに悪い数字じゃないけど、あのおダンゴちゃんには勝ててないわ。その微妙な差が勝負を分けるのよ」
「うぅ……それは、そうだけど……」
小豆のシュートレンジがスリーポイントラインの少し外まで及ぶのに対して、小栗のシュートレンジは、スリーポイントラインの少し内側までだった。それゆえに、シュートの確率は高くても、すべて二点になってしまう。
一応それなりに活躍したのに、誰にもほめてもらえず小栗は涙目になってしまう。
「皆ひどい、ひどいよぉ……」
「よしよしっす。小栗はすごい、すごいっすね」
大神に撫でてもらって、小栗はすぐに元気を取り戻した。
「あ、じゃあ、私も三点シュートを打てばいいんだね!」
「いや、さすがにそれは……無理じゃないっすか?」
「ええ! まさかの手のひら返し!」
今度こそ本気で泣きたくなった小栗だったが、その前に李から声がかかる。
「……それより小栗。あなたにはやることがある。あなたにしかできないこと」
「え、私にしかできないこと? それって?」
「……一度戦ったことがあるのが幸い。あのお団子の子の弱点、小学校のころから変わってなかった」
その言葉に、姫奈が口角を上げた。
「へえ、なんか気づいてたんだ」
「……あの子が最後にシュートを外したシーンに、ヒントがある」
李が出した『問題』に対して、三木谷が一番に答えた。
「焦ると外すとかか?」
「……その解釈もできる、でも違う」
じゃあなんなんだよ? 促されて、李は考えを口にする。
「……決定的な違いは、パスの種類、つまり――」
そこから李がした説明に、他の四人は全員うなずいた。正直それが真実と判断するには、根拠が少ない気がするけれど、李の考えはよく当たる。
「……小栗は、私が指示した通りに動くように」
「はーい」
「……くれぐれも、余計な事はしないように」
「わ、わかってるよ! 無理にスリーを打ったりしない」
「……よし」
「なんか偉そうだね。ま、いいけどー」
ここで二分のインターバルが終了した。香宮の五人が、ベンチから出ていく。
この数年を見ても、彼女たち五人が一ピリをリードされた試合は数えるほどしかなかった。それでも彼女たちに不安はない。それだけの実力と経験を、彼女たち五人は持っている。
試合は香宮のスローインから再開された。姫奈からガードの李へとパスが入り、タイマーが動き出す。トップの位置の李から、まずは四五度付近にいた三木谷にパスを回る。
強気に攻めていくスタイルで有名な三木谷だが、ここは攻めずに、李と入れ替わりトップの位置に来た姫奈へボールを戻す。姫奈は一瞬で逆サイドにいる小栗のもとへ、さらに小栗はインサイドの大神へとパスを回す。
ローポストのいい位置でボールを受け取った大神は、身長で上回る希林をうまくかわしてゴール下でシュートを決める。まず二点、追いつかれてしまった。
続いて大河たち緑葉の攻撃。景からボールを受けた大河は、 ――わ、受け取ったけどどうしよう……あ、逆サイドのオマメちゃんがフリーだ! ――逆サイドでフリーになっている小豆を見つけ、そちらにロングパスを出した。
いかにも危なっかしいパスだったが、それでも何とか小豆の手元にボールがわたる。一ピリの最多得点プレイヤーの小豆は、さっそくシュートの構えに入るのだが、
「……ちょっとあんた、そんなにフリーにして、いいの?」
予想以上に離れてディフェンスする小栗を見て、小豆は手を止めた。
「ふふん、このパターンの場合は、どうせ入らないもんだ」
「な……いいわよ、絶対決めてやるんだから!」
少しムキになりつつも、小豆はスリーポイントシュートを放った。しかし、
「あ、れ?」
そのシュートは、小豆の描いた理想のラインからかすかにずれ、そのずれの分だけ外に出たボールは、リングに弾かれてしまう。弾かれたボールは、大神がキャッチした。
「ほら、外したじゃん!」
「むぅ、次は決めるわよ!」
その次の香宮のオフェンス、ここは三木谷が強引に攻め、レイアップシュートを決める。
「あれ、またオマメちゃんをフリーにしてる……」
次の緑葉のオフェンスで、大河は小豆に対する小栗のディフェンスの変化に気付いた。
小栗は、初めに景がボールを持っているときだけはしっかり小豆のマークに付くのだけど、その後、景がパスを出し、大河やほかの選手にボールが渡ったときだけは、小豆をフリーにするのだ。
フリーになった小豆へとパスが回り、小豆はシュートを放つのだが、決まらない。
小豆がシュートを二回外し、その間に香宮にゴールを連続で奪われた。二点差にまで追いつかれたところで、ベンチの龍華がタイムアウトを取った。
ベンチに腰を下ろした景が、相手ベンチを見ながら冷静に言った。
「早くも読まれたみたいだね、緑葉高校のホットラインが」
大河にはその言葉の意味がわからなかったけれど、監督の龍華がその言葉に答えた。
「うん、そうみたいだねー。一ピリは少しやりすぎたかなー」
「まあそのおかげで、一ピリはリードを奪えたわけだが」
「……ちょっとウカちゃんにケイくん、さっきから何を話してるの?」
しびれを切らした大河が質問を挟むと、景が説明してくれた。
「僕からのパスを受けたとき、小豆のシュートは、精度が上がるんだ。おそらく昔からやってるから、僕のパスに呼吸が合うのだろう」
「……ああ、だからか!」
なるほどそういうことかと、大河はやっと納得する。
景から小豆が受けたときはシュートが入り、それ以外のメンバーからのパスの場合はシュートが外れる。さすがに極端だが、もしその仮定が成り立つのなら、大河たちからのパスが入るのは何も警戒する必要はないし、逆に景からのパスが回るのは、絶対に防がなければならないということになる。
それゆえの、先ほどの小栗のディフェンスだったのだ。
「そんな秘密があったとは……」
「すいません、知らずにパスを出していました……」
「え、何よそれ? 知らなかったわ、驚きねっ」
「大河と希林はともかく、小豆まで知らなかったんだね……」
今までボトルで給水をしていた和江が、ここで口を開く。
「ま、攻め手は一つではないわ……久しぶりに、本気でいこうかしら?」
和江が言ったセリフは、つまり、ここからは和江が点を取るという宣言だった。
和江らしい発言だったが、しかし大河は、指摘せずにはいられなかった。
「カズちゃん、同じようなセリフを言って、一ピリの初めにシュートを外してたような……」
「ああもう、それは忘れなさい! 今度こそ大丈夫よ……」
そこまで話したタイミングで、ブザーが鳴らされる。タイムアウトは一分と、ピリオド間のインターバルに比べて短い。大河は不安を感じつつベンチから立ち上がった。
試合は緑葉のスローインから再開される。サイドラインで審判からボールを受け取った大河が、まずは景へとパスを出した。景はドリブルをしつつ、周りを確認する。
「やはり、小豆には出させてくれないか……なら、和江!」
景は小豆とは逆の、左サイドへいた和江へとパスを送る。ボールを受け取った和江に対して、マッチアップする三木谷が正対した。
和江は、手元でボールを左右に動かすフェイクの後、三木谷を抜きにいった。
「お、速いな……」
三木谷は和江を抑えようとするも、すでに加速を始めている和江には追いつけず。三木谷を置き去りにした和江は、そのままレイアップシュートを決める。大河には心配されていたが、和江は今度こそ外さなかった。
「……別に、速いわけじゃないわよ」
三木谷の言葉に対して、和江は遅れて返事した。
――そう、私は速くない。いつも走り回ってる、誰かさんと比べたらね……
「カズちゃんナイスシュート! 疑ってごめん!」
ディフェンスに戻る大河の声と共に、そのバッシュの音が和江の耳に届いてくる。
思い出すのは、和江がバスケを始めたころの練習風景だった……
『やったぁ! またカズちゃんに勝った!』
『タイガ、あんたヘタだけど、はやすぎよ……』
バスケを始めたばかりのころ、和江は大河に一対一で勝てない時期があった。大河はボールを扱うのは下手だけど、体力は人並み外れていて瞬発力もかなりある。だからいつも、ドリブルをして抜こうとしても追いつかれてしまうのだ。
和江に勝利すると、大河はまた楽しそうに走っていってしまった。遠ざかっていくバッシュの音が、和江の耳にと聞こえてくる。本当に、騒がしい幼馴染である。だからって、嫌いなわけじゃないけど……
『ねえねえ、カズエちゃんー』
いつの間にか龍華が、和江のすぐそばに来ていた。
『バスケはスピードだけじゃ、ないんじゃないかなー』
龍華の言葉に、和江は首を傾げる。
『スピードだけじゃ、ない?』
『うん。特別なまほうを、この前おぼえたんだー。カズエちゃんにも教えてあげるー』
その日、和江が、笑顔の龍華に教わった魔法。
それはフェイントという、相手の意表をつくことで、一瞬だけ時を止める魔法だった。
龍華のレクチャーでフェイントを習得した和江は、その日のうちに大河に一対一で再戦し、見事勝利をおさめた。
そして、その魔法こそが和江のバスケの中で、一番の武器になる。
その日からフェイントを重点的に鍛えた和江は、小学六年生のころには龍華よりも、同世代の誰よりもフェイントが得意な選手になっていた。
昔から和江は別に、大河のように身体能力は高くない。龍華のように、ボールハンドリングが特別上手いわけでもない。
だけど一瞬だけ、相手の時を止められる。一瞬だけ、誰よりも速くなれる――
それが和江の、勉強と同じくらい誇ることができる、自慢だった。
大河の足音が遠ざかっていくと、再び感覚が、今の和江のいる場所へと戻ってくる。
昔手に入れたフェイントという武器は、今も変わらない。
――さあ、ドンドン攻めるわよ!
そこから和江は、一対一でコンスタントにゴールを奪っていった。同時に希林も、インサイドでのプレイで力を発揮する。
流石に小豆のスリーポイントほどの破壊力はないけれど、それでも攻撃のリズムを止めない。対して、香宮も攻撃の手を緩めることなく点を決め続け、互いのスコアボードがめくられ続けた。
そのまま試合は進んでいき、第二ピリオドも後半になった。
ここで再び和江のもとへボールがやってくる。
正面に立った三木谷は、和江にしか聞こえないくらいの声で話しかけてくる。
「なるほど。確かに、上手いな」
「……それはどうも」
そう言葉を返しつつ、フェイントで切り返し、和江は三木谷を抜き去ろうとした。
「だが、なめんなよ!」
しかし、次の瞬間、抜いたはずの三木谷が和江の前に現れた。和江はそのままシュートを打とうとするが、正面に立たれた不利な状況ではどうにもならず、ブロックされて、そのまま香宮ボールになってしまう。
追いつかれた――間違いなく、三木谷の時は止まっていたはずなのに。
驚きと違和感を覚えつつ、和江は三木谷の顔を見た。
「私はオフェンスの選手とみられがちで、実際その通り、点は奪えるんだけどさ……実は自分ではディフェンスの方が自信あったりするんだよな」
その得意げな表情を見て、和江は何となく察した。
三木谷はおそらく、フェイントを読んでくるような選手じゃない。それでも三木谷が追いつけたのは、彼女が、フェイントをくらいながらもなおも追いつけるくらいのスピードを持った選手だったからだ。それは、大河と同じレベル……いや、反射神経込みの瞬間スピードなら、その上を行く選手なのだろう。
「中学三年間、遊んできたやつに私を超えられるはずがねえ……中学から出直してくるんだな」
オフェンスに走り出したときにはもう、三木谷は得意げな表情をしていなかった。その代わりに、ひどく冷たい表情をしている。まるで、場違いな所に現れた人間を見下すような、非難するような、そんな表情だ。
「さ、とっとと決めるか。おい、私にボール回せ」
「……わかった。あなたは言い出したら、聞かない」
三木谷の言葉に、李がうなずいた。そして続く香宮の攻撃。三木谷の命令通り李から三木谷のもとへとボールが渡る。
― ―一対一で、来る
そうわかっていて、しかし簡単に止められる選手ではなかった。三木谷は強引なドリブルで切り込んでいったかと思えば、今度は急に止まってミドルシュートを放つ。緩急を利用した基本的なプレイだが、しかしそのすべての動きの質が力強く、また、美しかった。
シュートが決まり、続いて緑葉のターン。景は再び、左サイドの和江のもとへとパスを送った。
しかし和江は、ここはすぐさまインサイドにいた希林へとパスをつなぐ。
「逃げるのか?」
「いいえ、違うわ。希林がいい位置にいたからよ」
希林はパワードリブルで、大神に一対一を仕掛けていく。一度ターンしたところで、希林は引き気味のシュートを放ってゴールを奪った。
再び、香宮の攻撃。和江はしっかり三木谷についていたが、李は迷わず、三木谷へとギリギリのパスを通した。パスカットに出た方がいいかと悩んだ和江は、ボールを持った三木谷の正面に立てず、あっさりとゴール方向への侵入を許してしまう。
「く……ごめっ、カバー!」
「カズちゃん、今行くよ!」
「任せなさい!」
しかしここは、素早く近づいてきた大河と、同じサイドにいた小豆が同時にカバーに回る。一対二の状況になっても、なお三木谷は止まらなかった。三木谷はギャロップステップで、強引に二人の間のわずかなスペースを切り裂いた。
また二点、香宮のスコアがめくられる。
「……やるわね」
その美しく豪快なプレイを見て、和江は思わずつぶやいていた。
三木谷は強引に見えて、実はかなりの高等テクニックを駆使している。確かに三木谷の言う通り、小学生の頃はなかったはずのテクニックを身につけ、プレイの幅が広がっている。これが中学三年間戦って、そのうち二年の間全国王者で居続けた選手の実力か。
しかし和江とて、それで納得できるような素直な子ではなかった。三度、和江のもとへボールが回ってくる。そして和江は、三木谷にだけ聞こえるような声で、語り始める。
「私だって遊んでたわけじゃない、中学の残り半年は、自分の勉強の時間を捨てて、ずっと練習に費やしてきたの……だからさ――」
和江は『だから』と同時にシュートフェイク、最後の『さ』の発声とともに、中央の広い側から抜きにいった。ほんの一呼吸だけ遅れて、三木谷もついてくる。
「それはもう、見切ったっての!」
――だったら、もう一回やるだけよ
和江はそこで、素早くドリブルを切り返した。
中学卒業までの、最後の半年間。重ねてきたのは、フェイントの洗練と、もう一つ、ドリブルでの切り返しの練習。切り返しのスピードが速ければ、その一瞬でより差をつけられる。
「だからさ――そっちこそ、なめんな!」
その切り替えしで、勝負がついた。左サイドの狭いところに切り込んだ和江は、今度こそ三木谷を振り切った。和江の利き腕とは逆の左手で放たれたシュートは、見事ゴールに吸い込まれた。
「なるほど……通りで、昔戦った時より速くなってるわけだな」
三木谷はそうつぶやいたあと、わざとらしく手を振って見せた。そして横にいた李に、再び話しかける。
「悪かったな、もう無理なパスはいらない」
「……了解」
そのときには、二ピリは既に残り三〇秒を切っている段階だった。スコアは四〇対四四。二ピリ前半の失速と、香宮の多彩な攻撃を防げなかったことから、緑葉は逆転を許してしまった。
結局そこから、どちらのスコアも動かないまま、第二ピリオドは終了した。
「ふぅ、また私は〇点か……」
ベンチに走りながら大河は、そんなセリフを口にした。いまだ大河の決めたゴールは〇本。この試合でも、明らかに足を引っ張ってしまっている。
でも、下手だからって諦めきれない。足を引っ張っている分は、せめて走って貢献する。
反省は試合が終わった後だ。
「約束だから……ウカちゃんの分も、二人分走るって」
大河の夢を、龍華の夢を、―—皆の夢を、叶えるのだ。
さあ、あと二ピリだ。精一杯頑張ろう。大河は改めて、心に誓った。
-- side 香宮ベンチ --
「……ふう、結局、こっちのリードは四点だけか」
「シュート二本で追いつかれる点差ね」
「あのお団子のスリーがなくなった分、自力の差は出たな。それでも、思ったよりも差がつかなかった、てとこか」
「私のシュートも、光ってたよね!」
「……緑葉のセンターの子にリバウンド取られすぎ。身長差があるのはわかるけど、スクリーンアウトをしっかり」
「それ私っすよね? あはは、ばれてたっすか……了解っす」
「……それだけ気を付ければ問題ない、三ピリからは、少しずつだけど着実に差が付き始める」
「それに、私の毒も、そろそろ完成するっすよ」
「……それは楽しみ。まあ、それがなくても、どのみち彼女たちは自滅する予定」
第十章 自滅
一〇分のインターバルが終わり、試合が再開された。
再開後しばらくは、二ピリの終盤と同様の、お互いに点を取り合う白熱したゲームが繰り広げられた。四分経過時点でスコアは五〇対五八。点差は少し広がったものの、お互い五〇点まで到達する。
しかし、時間にして第三ピリオドが中盤に差し掛かったその頃から、兆候が現れる。
その兆候は、緑葉の攻撃でのミスから始まる。景の簡単なパスを、和江が取りこぼしたのだ。ボールはそのままコートの外に転がり、香宮ボールになってしまう。
「ご、ごめ……」
「いや、和江、僕のパスを悪かった。すまない」
それ自体は、たまにある何気ないミスに思えなくもなかった。
続く香宮の攻撃、小豆がマッチアップする、小栗のもとへボールが渡る。
「お団子頭、行くよ!」
「ええ、来なさい!」
小栗はドリブルを開始する。しかし小豆もドリブルを読み切っており、ドリブルについていった。このまま封じるか、と思われたのだが……
「――あ、れ?」
「よし、もらったよ!」
エンドライン付近で、小豆のディフェンスのステップが急に崩れる。結局差をつけられて、〇度からのミドルシュートを決められてしまった。
なんだか嫌な予感を覚えた大河は、それを和江に伝えようとしたのだが、そこで初めて、和江に起こっている異変に気付く。和江は膝に手をついて、息を乱していた。
「……はぁ。はぁ」
「カズちゃん、もしかして……」
「はぁ、はぁっ……やば、少し無理しすぎたわ……」
試合中に和江がここまで息切れしているのを、大河は初めて見た。いや、和江だけじゃない。小豆と景も、つらそうにしている。確かに彼女たち三人は、中学のころ運動部には所属していなかった。だから体力が少ないのはわかる。
だが、やはりおかしい。この前までの試合では、全員最後まで走り切れていたはずなのに……その答えは、少し考えれば大河にでもわかることだった。
前回までの試合は、ここまで強い相手ではなかった。しかし今回の相手は、格上の相手だ。その相手と対等にわたりあうために、和江たちは無意識のうちに余計に体力を使っていたのだ。
「さ、休んでる場合じゃないわよ、景に小豆も。大河はボール出して」
「……そうだね」
「言われなくても、わかってるわよ!」
「お、おう!」
大河はすぐさまボールを拾って、エンドからボールを出した。
フロントコートまでボールを運んだ景が選択した攻撃は、まだ体力が残っている希林のところでの一対一だった。希林のマークに付く大神が、希林を抑えながらも話しかけてくる。
「……どうやら、もう三人ほど、体力切れプレイヤーがいるみたいっすね」
「だったら私が、何とかします!」
ボールを受け取った希林は、さっそくオフェンスを仕掛ける。パワードリブルの後、ディフェンスの上から身長差を生かしてシュートを打った。
「気負うのはいいっすけど……正面からってのは、いけてないっすね」
「く、外れた……」
左にそれた希林のシュートは、リングに弾かれる。弾かれたボールを、大神はその場でジャンプしてキャッチした。
大神から李にパスが回り、香宮の攻撃。
「……ディフェンス甘いな、さっきまでの覇気はどうした?」
「くっ……」
緑葉のディフェンスは、和江のところからあっさりと崩され、また二点が加えられる。
続く緑葉のオフェンス、インサイドに入った希林が、ハッと何かに気付く。
「なんか、おかしいです……」
「お、気づいたっすか?」
「ここ……違う……」
希林が気付いたのは、いつもとは景色が少し違うことだった。いつもなら、もう少しだけ内側の、ハーフコート全体が見通せる位置に希林はいたはずだった。それなのに、いつの間にか無意識のうちに外の位置でオフェンスをしようとしていたのだ。
大神は得意げに語る。これは毒ですよ、と。
「センターっていうのは、一番接触が多いポジションっす……だから、毒をまくにはちょうどいいんですよ」
「毒……ですか?」
「ええ、センターは、チームのかなめです。常にポジション争いを続けるから、実は一番、戦ってる時間が長いんすよ。それは同意していただけますか?」
「はい……その通りだと思いますが……」
「だけど、必ずしも最初から最後まで勝ち続ける必要がない。トータルで取ればいいんす。私はそのために、毒をまく。与えられた、長い戦いの時間を使ってね」
「だから……毒って何なんですか!」
じらすような大神の話し方に、珍しく希林の語気が荒れる。点差が広がり始め、焦っているということもあった。
「調べてみたところ、中学のころバレーをやってたんすよね。だったら、接触は自然と避けてしまうんじゃないっすか……その予想通り、私が意図的に過剰な接触を続けたから、あなたの体は自然とだんだん外へと逃げていきました。それが答えっすよ」
「……だ、だったらもう一度、押し込むだけです!」
ボールを受けた希林は、先ほどよりも強引に仕掛けていく。
接触のある背中に力を込めて、軸足をさらに一歩、大きく踏み込んで。
「希林ちゃん、だめーっ!」
龍華の叫び声が聞こえたが、もう遅かった。希林の背中にあったはずの重さが、不意に軽くなる。
「にやり、っす」
振り返って希林が確認するころには、大神は既に後ろに倒れていた。
審判の笛が鳴った。それは、希林がファウルを犯したことを告げるものだった。
「う、嘘です……」
「ふふ、これで、私の毒が、本当に完成っすよ」
希林以外の緑葉のメンバーも、そのファウルの意味に、少し遅れて気づく。
「しまった……ファウルトラブルか」
「一ピリと二ピリで一回ずつファウルがあったから、これで希林はスリーファウルだね……」
「何やってるのよ希林ーっ!」
「キリンちゃん……」
これで希林のファウルは三。バスケットボールは、五回ファウルをしたら退場のルールだ。つまりあと二回ファウルをしたら、希林は退場だ。普通なら、退場になっても最悪交代で選手を出せばいいだけだが、緑葉にはその最悪の選択肢すら、許されていない。
「……四人になっても、ルール上は試合を続けられる」
「でもそれで、試合になるっすかね? あなた方を追い詰めるためには、やっぱりこれが、一番効果的な毒じゃないっすか?」
緑葉のベンチには、交代する選手がいない。これはつまり、希林が絶対に退場するわけにはいかないことを意味していた。
今や緑葉の三人は、いよいよ体力的に限界に近い。そんな状況で、体力の残っていた希林すらも、気づかないうちに、大神の毒に蝕まれていたのだった。
点差は一二点。だけどすでに、それ以上の差が広がってしまっていた。
「す、すいません――みなさん」
コートに立った全員に向かって、希林は頭を下げた。大河がすぐさまフォローに回る。
「大丈夫だよ! まだ、点差は一二点。希林ちゃんも、二回ファウルしなければ!」
「はい……大河さん、ありがとうございます」
口ではお礼を言いながらも、希林は、大河の言うことが簡単でないと感じていた。何気ない動作で、ファウルをしてしまうスポーツだ。ましてセンターは接触が多く、気づかないうちにファウルをしてしまうこともある。
和江たち三人に加えて、希林までもが力を発揮できなくなってしまった今、実力の差は歴然と現れることになる。
「ちょろいな……」
「くっ」
和江がマッチアップする三木谷は、ここぞとばかりに一対一を仕掛けてきた。そのすべての動作が力強く正確で、次々点を重ねてくる。
「力が入ってないっすよ」
「そ、そんなことは……」
大神は、さらに積極的に体をぶつけてきた。それに対して希林は、ファウルしないように身を引くほかなく、もはや一方的にインサイドが支配されてしまう。
「あはは、私最強だね!」
「むかつくーっ! はぁっ、体力さえあればーっ!」
小栗は、小豆の目の前で次々シュートを放った。小豆のようなパスの制限がないため、あらゆる方向からパスがやってくる。成功率は七割ほどだが、大神のリバウンドが機能し始めた今、それも効果的だった。
「……腰が高い、隙だらけ」
「……悔しいが、その通りみたいだね」
そして、司令塔であるガードの間にも、差が現れる。景は大きなミスなくこなしたが、それでも李は、細かな隙をついてそれをオフェンスにつなげてくる。
一方的に攻められて、五三対七五。ついに点差が二〇を超えてしまった。
そして、第三ピリオド、ラスト一五秒、緑葉の攻撃。
ドリブルをついて時間を使う景に対して、マークする李が話しかけてきた。
「……もうあなたたちは限界」
「ふふ、確かに僕は限界かもね……だけど、全員そうとは限らない」
景と李の視線が、ちらりと大河の方を向いた。大河は今なお、コートを走り回っていた。
「……あの子はただ動き回ってるだけ、問題ない」
確かに李の言う通り、大河の動きの大半は、はたから見ると無駄な動きばかりだ。たまにいい動きをしても、点が生まれる確率を天秤にかけて、パスを出せないこともある。
だけど景は、そんな大河の動きを無駄とは思ったことは一度もなかった。
「知ってるかい? 歩兵は前に進みつつけるだけしかできない。だけど前に進みつつけたら、その先でいつか金になる」
持ち出したのは、中学時代は毎日指していた将棋のたとえだ。
「……それでも、飛車や角には勝てないはず」
「いやいや、それは運用次第だよ。最も君とは違って、僕はただの駒に過ぎないけれど……」
「……何言ってるのかわからない……」
同じとき、左サイドにいる三木谷と和江もまた、動きながら会話をしていた。
「どうやらうちらの勝ちみたいだな」
「いいえ、まだ時間は残ってるわ」
「だが、体力が残ってないだろう? それに、あんたのチームの四番の子の分差がついた」
「……それは、どうかしら?」
「いや、だってここまで、まったく活躍できてないじゃないかあの四番」
「確かに大河はへたっぴよ。相変わらず、皆の足を引っ張ってるわ。でも……大河にマークされている、姫奈さんはどうなのかしら? 大河ほど少なくないけど、今日はあまり得点を決めてないみたいだけど」
「……何?」
「なぜ大河が決めてないのに、二ピリまで点差がつかなかったのか……それは、ミニバスの最後の試合で一番点を取ってたあの子が、まだあまり点を取れてないからじゃないの?」
「そ、そんなはずは……」
時間は残り五秒。景はまだ動かない、同じリズムで、ドリブルを刻み続けていた。
「僕たちの監督はちょっと残念な子で、そんな歩の駒にゾッコンなんだ。大河を活かす方法は、一番よく知ってる。だから――」
残り二秒、景が動き出す。ドリブルのリズムを、少しずらした。
「うちが詰まされるとしたら、それはもう少し先だよ」
「……な、シュートっ」
最後に景が選んだのは、ドリブルで攻める気配を出して惑わせ、その場でシュートだった。
景はシュートを別段得意にしてはいないが、苦手でもない。
ブザービーターでのスリーポイントシュートは、リングに吸い込まれる。二二点あった点差が、最後の最後で縮まった。
「……それでも一九点差……もう手はない、はず」
李が漏らした声に対して、景はあくまで冷静な顔でベンチへと戻っていった。
第十一章 大河
緑葉のベンチに疲弊して帰ってくる選手たちを、笑顔の龍華が出迎えた。
「大河ちゃん以外のみんなー、そろそろ疲れてきたんじゃない!?」
「なんで龍華は嬉しそうなのよ……やっぱ龍華、監督向いてないんじゃない?」
「スタミナ切れは否定できないね。大河と希林はともかく、僕たち三人はもう限界だ」
「最後決めておいて、景がそれを言うのはむかつくわね……はぁ、はぁ」
「すいません。私も、三ファウルで固まっちゃってました……」
マネージャーとして飲み物を皆に配った後、龍華は監督として最終ピリオドの作戦を告げた。
「よし、それじゃ、行こうかー。大河ちゃんシフトだ!」
「やっぱり、やるのね……」
「僕は待ちわびていたよ。ふふ、楽しくなりそうだ」
「はぁっ……まあ、練習したから付き合ってやるわよ!」
「はい! 全力で頑張ります」
最後の最後まで緑葉が残していたカードは、一番下手な、大河という選手だった。
皆の視線が、大河のもとへ集まってくる。大河はその皆の期待に、大きな声で答える。
「うん……頑張るよ!」
大河のために龍華が考えて、皆が練習に付き合ってくれた作戦だ。まだ練習試合で一回試しただけだけど、絶対に成功させる。
それから龍華は、作戦の大まかな作戦を確認した。この作戦の説明のときだけ妙に熱を入れてしまう龍華は、やはり監督には向いてないのかもしれない。もっとも試合中にしていた細かな指示は、有効なものも多くあったが。
ブザーが鳴ると、五人の選手たちはコートへと戻っていく。
六人が皆、同じ思いで――
第四ピリオドは、香宮のボールから始まる。トップでパスを受けた李についたのは、三ピリまでマッチアップしていた景ではなく、大河だった。
「……ゾーンディフェンス?」
「見た感じ、一・一・三ゾーンか……へい、こっちだ」
李から、四五度の位置にいた三木谷のもとへとボールが回る。
「……なるほど、忙しいな」
その三木谷についたのも、また大河だった。大河はパスを出されたのに合わせて、すぐさま移動して三木谷の正面に立ったのだ。
初めて龍華がこの作戦に対してした説明は、こうだ。
『私すごいこと思いついちゃったー。大河ちゃんが、一番走りまわれる陣形だよ!』
大河に課せられた決まり事は二つ、アウトサイドはすべて大河が走り回ってカバーする。ただし、遠いパスのときは二列目の和江がカバーに回る。
つまり、それ以外の近いパスの場合は、大河が走って、すぐにまたマークにつくのだ。
「……面白い」
三木谷のもとから、李へと戻される。そして李はすぐさま逆サイドの姫奈へとパスを回した。
そのすべての選手に対して、大河は正面に立ってマークマンの役割を果たした。
「な、なんっすかあれ……」
「ふふ、体力のある大河が、アウトサイドをすべてカバーしてくれる。僕たちは、インサイドを守るだけでいい」
「なるほど、一・一・三の変則系ってわけですか……」
一・一・三は元々珍しい形のゾーンである。そのディフェンス形態の場合、一列目と二列目が相補的に助け合うことで、アウトサイドのディフェンスがなされることが多い。しかし緑葉のディフェンスの場合、あくまで二列目の和江はサポート、基本的に大河一人によってアウトサイドのすべてがカバーされるゾーンだった。
その分インサイドには多くの人数が充てられているため、大神によるセンターでの一対一や、三木谷のドリブルで切り込むようなプレイはほとんど封じられる。
何回かパスが回された後、長いパスを受けた小栗がミドルシュートを放つのだが、そのシュートに、カバーに入った和江の手が触れていた。
「うそ、ここで二列目のあんたが来るの!?」
「さすがにちょっと、大河には遠かったからね」
わずかにそらされたシュートは、リングに阻まれてゴール下へと落ちてくる。リバウンドを確保した希林は、迷わず横にいた景へとボールを回す。
「あと、もう一つ。大河は常に、前にいる!」
そして景は、前線に走り出していた大河のもとへ正確なパスを送る。
走り出していた大河には、誰も追いつけず、フリーのまま大河はレイアップシュートを決める。この四ピリ開始後すぐの二点が、大河にとってはこの試合初ゴールだった。
「……同じ位置からよーいドンしたら、誰も大河には勝てないわよ。ずっと一緒にいた、幼馴染の私が保障する」
「ただの見切り発車だろ、失敗したらディフェンスが一枚減ってピンチになるだけだ」
「そうかしら?」
大河がゴールを決めたので、再び香宮のオフェンスが始まる。今度は李がアウトサイドからシュートを放ったのだが、これも外れてゴール下へと落ちてくる。そのボールを、ゴール下に飛び込んだ三木谷が無理やり奪った。
「ここでトップの空くんだろ! 小栗!」
「オッケーだよ!」
三木谷は迷わずに、トップにいた小栗にパスを出そうとした。が、ぎりぎりのタイミングでパスをやめた、そこに、いないと思っていたはずの大河が見えたからだ。
「走ってない……だと」
「違うわ、走った後、また戻ってきたのよ」
和江の言う通り、確かに大河は走っていた。だがハーフラインを越えて、マイボールになってないことを確認すると、すぐに走って戻ってきたのだ。それは瞬発力があって、なおかつ無駄遣いできるだけの体力がある大河にしかできない芸当だった。
「……パスを出さなくていいのかしら? 囲われてるわよ」
「なっ……」
パスを出せないまま、固まってしまったのがいけなかった。ここはゴール下、すぐに希林と景がボールによって来る。三木谷がギリギリになって出したパスも、小豆にカットされてしまった。
「大河、行くわよ!」
「おう!」
そして再び――、最前線にいる大河へとパスが渡る。パスを受け取った大河は、ドリブルでさらに加速し、他の追随を許さずに無人のゴールにレイアップシュートを決めた。
「パスよ! あの子の足に、惑わされては駄目。一人ですべてカバーできるわけない!」
今まで香宮は基本的にすべてガードの李が指揮を取っていたが、ここで姫奈が香宮の他のメンバーに対して指示を出す。姫奈の指示の通り、ゾーンに対する最も有効な方法で、オフェンスを始めた。
「大河さんの後ろは、私達が全力で支えます!」
「ミニバスのころから、大河をフォローするのは慣れっこだし!」
姫奈の言う通り、一人でできることは所詮、限られている。いくら大河の足が速いと言っても、それより速いパスには簡単に崩されてしまう。だけど、チーム全体のディフェンスとしては、崩れなかった。それは、大河の隙を埋めるように、他の四人が連動して動いていたからだ。その細かな指示はすべて、ベンチの龍華が出している。
「これは四人が……いや、龍華を含めて五人が一人のために動く作戦だからね」
「それが大河のために私達の監督が考えたゾーンディフェンス……必殺タイガーゾーンよ!」
ベンチの龍華からも、元気な声が聞こえてくる。
「和江ちゃーん。その命名、なんか中二っぽいー」
「あんたが考えたんでしょうか! たく、龍華は監督らしく、落ち着いてなさい」
「はーい、そうしまーす」
香宮は結局、速いパスでもディフェンスを崩しきれず、二四秒を告げるブザーが鳴って、緑葉ボールとなる。ただし外からスローインをする必要があるため、大河の速攻は成立せず。セットプレイから緑葉のオフェンスが始まる。
「景、こっちよ!」
「和江……うん、わかった」
左四五度の位置で、和江はボールを受け取った。
和江が選んだ選択は、一対一だった。左右のフェイントから、中へと切り込む。
「……抜ききれてないな!」
「でも、決める!」
ディフェンスを振り切れなかったが、それでも和江は体を壁にしつつ手を伸ばし、ブロックをかわしてシュートを決めた。
「泥臭くたっていい、絶対に勝つ!」
その和江の宣言に、希林たち、他の緑葉のメンバーも続いた。
「インサイドでは、絶対に打たせません!」
インサイドに切り込んできた三木谷のシュートを、希林がブロックし、
「私だって、負けないわよ!」
小豆は小栗をうまくかわしてフリーになり、ミドルシュートを決める。
「もう点はやらない……ここは止めるよ」
景はその冷静さとミスのないディフェンスで、敵の攻撃の芽を紡いでいった。
点差はじわじわと詰まっていき、今や一一点差になっていた。後一ゴールで、点差はいよいよ一桁だ。しかし、ここで小豆のシュートが外れる。リバウンドを取った三木谷が、自らのドリブルで速攻を仕掛ける。
「なら、ディフェンスが組みあがる前なら、どうだ!」
三木谷のスピードが、再び火を噴いた。ゴールには誰も戻ってない。第四ピリオドは〇点に抑えていたが、いよいよ決められてしまうか――
「さ、させません!」
けれど、このタイミングで笛がなった。希林がファウルで、三木谷を止めたのだ。
「ま、まじっすか? 三ファウルなのに、自分からファウルって……」
「はい。だってファウルは、おそれるものじゃなくて使うものですから……私はもう、やらないで後悔するのは嫌なんです!」
まだ相手ボールなのは変わらないが、それでも香宮の速攻は止めることができた。確実に二点決められていたオフェンスを、防ぐチャンスが生まれたのだ。
この希林のファウルは、客観的に見て、それほど良い選択とは言えるものではなかった。だけど、ここを止めて点差を一ケタにするんだ。その覚悟は、伝わった。
再び緑葉は、ゾーンディフェンスを形成する。大河を先頭に据えた一・一・三ゾーンだ。
香宮はあくまで冷静に、パスを回して隙を突き、最終的には小栗がシュートを放った。しかしそのシュートにも、大河がわずかに触れていた。
「ま、また外した」
「く……押し込めないっす」
体でしっかりと壁を作ってゴール下を占有していた希林が、リバウンドをキャッチした。
「……大河さん!」
そして今度は、前線にいる大河のもとへと直接ボールが渡る。
しかしこのとき、大河は最前線ではなかった。その先に一人、香宮の選手がいたのだ。
「ブロックの分、遅れたわね……まあ私も見切り発車だったけど」
昨年の全中MVP、同世代最強選手である姫奈楓を前にして、大河は――
「カズちゃん……教えてもらった魔法、今使うね」
ある日、大河は突然和江にこう言われた、『私の魔法、あんたにも教えとく』と。正直初めは、この幼馴染は何を言い出したのかと思った。中二病をこじらせすぎたのかと心配になった。和江のお母さんに、こっそり電話して相談しようかと思った。
大河は――ドリブルで姫奈のもとへ近づいていく。そして、ぎりぎり手が届かない距離にまで近づいたところで、仕掛けた。左に行くように見せて、切り返して右に行く。
その日、和江に教わったその魔法の正体は、オフェンスでの一つの技だった。
それはサイドチェンジという技、
誰もが初めに身に着ける基本の技、
基本だけど、極めれば魔法にもなりうる技、
和江に教わったその魔法の技で、大河は姫奈の時間を止める――
「……大河ちゃんっ!」
「いいわよ大河……そのまま、行ってこい!」
後ろからは、幼馴染二人の声が聞こえた。その声を背に受けて、大河はさらに加速する。
もう目の前には、誰もいなかった。あるのはゴールだけだ。
そのゴールに向かって、大河は全力で駆け抜けた。
かつてあこがれたコートの上で、かつてあこがれていた、雑誌の中のあの選手のように。
大河が放ったレイアップシュートは、
気持ちの良い音と共に、リングに吸い込まれた。
――ああ、そういうことだったんだ
そして、――このとき大河はふと気づいた。
大河自身は、なぜ今この瞬間にバスケをしているのか――、なぜ、中学の頃の陸上では満足できなかったのか。大河は走るのが、誰よりも好きだったはずなのに……誰よりも走りたかったはずなのに……
もちろん龍華のために、バスケをしているというのもある。
でもきっと、それだけじゃなくて、その答えはきっと明確で、走りたかったから、なのだ。
そう、――
大河はみんなと一緒に走りたかったんだ。
昔のように、和江や龍華と、そして希林と小豆と景と、
みんなと、一緒に――
第一二章 決着
残り六分を残して、スコアは六六対七五。いよいよ点差は一桁になった。
ここで香宮サイドからタイムアウトが取られた。香宮の五人が、ベンチに戻ってくる。
集まるなり姫奈は、チームの問題を切りだした。
「自分のことを棚に上げるようで悪いけど、問題はあの子に速攻を決められていることじゃない……このピリオド、うちがまだ一点も奪えていないことよ」
姫奈の指摘は、適切だった。もともと緑葉の攻撃力が高いことは、試合前に覚悟していたことである。むしろ、四ピリになって緑葉がゾーンディフェンスを初めてから、香宮の攻撃が抑えられていることが問題だった。
「あのゾーンの先頭にいる子だけじゃねえ。四ピリになって他の四人の動きもよくなってるな」
「……運動量の大半を一人が担ってる。個々の負担が減って、体力が回復してる」
「くぅ、あいつら、やってくれるじゃん!」
「しかし……これは厄介っすね、他の四人の実力が、拮抗してるだけに」
「……ま、いいわ。ここは私に任せて」
この一分の間に有効な対策を練られないと判断した姫奈は、早々と議論を終わらせた。
「私たちはこれから三年間常に一番の場所に、居続けるのよ。目指すところは、もっとずっと先にある。こんなところで、負けていいわけない」
「……てことは、あれをやるんだな、楓」
「ええ。負けないために最善を尽くすわ……敵さんたちが今やっているようにね」
もとより、王者に対策など必要ない。姫奈にとっては、ただやるかどうかだけだった。
緑葉の善戦を自ら目の当たりにして、火がついてしまったのも確かだった。姫奈は一瞬、その視線を緑葉のベンチに走らせた。
「——来る」
そして緑葉のベンチにいた龍華は、その一瞬の視線を肌で感じとった。中学最強だった彼女が、いよいよ本気を出すのだと、理解する。
「皆、姫奈さんを注意して……彼女がやっぱり、一番最強だから」
「でも龍華、あの子まだこの試合はほとんど決めてないじゃない」
「うん、それはそう……だけど駄目なの。お願い小豆ちゃん、私を信じて」
「も、もちろん信じるのは当然よ! いつだって私は、仲間の言うことを信じてるわ」
「……わかったよ龍華。僕たちは、彼女に気を付ければいいんだね」
「うん。だけど彼女だけに視線をやりすぎるのは……いや、初めはそれくらいでもいいかな。ほかの選手に決められてもいいから、姫奈さんに集中で!」
そこでブザーが鳴った。両チームのメンバーがコートへと出ていく。
香宮のスローインから試合が再開される。
大河は、トップの位置にいた姫奈のマークに付いた。
「いいね、あなた」
「……ん?」
突然姫奈が、大河に向かって話しかけてきた。
「このピリオドだけじゃない……あの子たちが輝けたのは、あなたのおかげだったのね。一人が下手でも、他の四人がその一人がいるおかげで輝きだすのなら、トータルではプラスの貢献ができる。当たり前だけど、中々できることじゃない」
「…………」
「ベンチちゃんなんて言って、悪かったわ」
姫奈は一度、大河に見えるように頭を下げた。その誠意は、大河の心へとしっかり伝わった。
「それじゃあ、お互い全力で勝負よ」
「……はい!」
大河は全身を緊張させた。龍華の言っていたことが正しいなら、ここで姫奈が来るはず。
「確かに、ディフェンスの速さと粘り強さはあるみたいだけど……まだまだ隙だらけね」
気を抜いたつもりはなかった。だけど大河は、姫奈が見せた一瞬の緩急によって、あっさりと抜かれてしまう。
「……まだだ!」
しかし大河はすぐさま姫奈を追いかけた。香宮の三木谷がやっていたように、自分のスピードでなら、まだブロックに追いつける。
「行かせない!」
さらにここで、同じサイドにいた景が素早くカバーに入ってくる。正面にドンピシャのタイミングで入った景もまた、ブロックに飛んだ。
「…………」
しかし姫奈は止まらなかった。姫奈は空中で体を回転させて、大河が迫ってくる逆の方向を向く。さらに利き腕の右手ではなく左手でシュートを放って、景のブロックをわずかにずらす。
左手から放たれたボールがリングに吸い込まれるとともに、笛がなった。景の手が、ボールではなく姫奈の手に触れてしまっていたのだ。
「これって、三点プレイ!?」
「わかっていたのに、止められなかった……」
二人ともブロックのタイミングとしては、悪くなかった。しかし姫奈は、その二つを同時にかわしたのだ。それに、最初に大河を抜くときに見せた緩急のフェイント、あれほどの小さな動きで抜くフェイントも、簡単ではない。
「龍華の言う通りってことね。まさか、このタイミングまで実力を隠していたとは……」
和江も言葉に対して、姫奈は首を横に振る。
「別に隠していたわけじゃないわ。けど、あえて積極的にならなかったのも事実ね。うちのチームは全員が平等に、最強であることを目指している。だから、私一人が個人プレイに走るのは、避けてたの。だけどもう、それはやめたわ……本来の私はもっと攻撃的で、わがままな選手なのだから」
「わがままって……」
「だからもう遠慮はしないわ。攻撃の時に点を決め続ける限り、基本的に点差が縮まらないスポーツよ。さあ、私を止められるかしら?」
ファウルによって得られた一本のフリースローを、姫奈はしっかりと決めた。これでゴール二点+フリースロー一点の三点プレイが成立し、再び一二点差。
「なら三点よ! 和江、こっち!」
「……わかった、任せたわ!」
景から和江へとボールが渡り、さらにそこから逆サイドでフリーの小豆にわたる。景以外からのパスを受けた場合にシュート率が下がる小豆だったが、果敢にシュートを放って行った。
そのシュートは、一度リングに弾かれつつも、上手くバウンドしてリングをくぐる。これでまた、九点差。
「へえ、ならこっちもまた、三点いこうかしら!」
しかし姫奈もまたスリーポイントラインの後方から、同じようにシュートを放ってきた。そのシュートはいとも容易く、緑葉の守るゴールを潜り抜ける。
「シュート成功率なら、私も結構自信あるのよ。試してもいいけど、どうする?」
「くぅ……」
続く緑葉の攻撃、和江の一対一から希林が合わせて、二点をもぎ取った。
そして香宮の攻撃。李からパスを受け取った姫奈は、今度は中央の側から切り込んでくる。
「ゾーンディフェンスなのに、お構いなしってか」
「だったら、全力で止めます!」
「行かせないわよ!」
二列目の和江と三列目中央の希林、さらには三列目右の小豆も加わって、三人で姫奈を止めようとする。
「三人抜きできたら、かっこいいかもだけど……」
姫奈は素早く視線を横に振り、ハーフコート全体を見渡した。そして、
「ま、ここは普通に逃げるわよね! 大神ちゃん!」
「了解っす!」
選んだのはゴール下の空いたスペースに走り込んできた、大神へのパスだった。大神はボールを受け取ると、背の低い小豆をかわしてシュートを決める。
二点が追加され、再び一二点差。点差が詰まらないまま、時間は少しずつ減っていく。
その後も、緑葉と香宮は、互いに互いのゴールを攻め合った。
残り二分になり、スコアは七〇対八二。点差が全く変わらないまま、スコアボードがめくられ続け、いよいよ両チーム七〇点を超えるビックゲームになった。
ここで李が景に対してファウルをし、そのタイミングで緑葉ベンチからタイムアウトが取られた。双方の選手が、ベンチへと戻っていく。
「……まだ諦めないよ! 絶対に勝てる!」
ベンチに戻った大河は、皆に声かけをおこなった。その声に監督の龍華が答える。
「よし、オールコートで一・二・一・一のプレスディフェンス行こー。ハーフまで来られたら、さっきまでと同じく一・一・三ゾーンで」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ龍華。プレスは、練習したことないわよ」
「ミニバスの時にやったよー。大河ちゃんもできるよね?」
「う、うん、大丈夫!」
試合再開後、景がフリースローを二本決めて、香宮ボールになる。このタイミングで緑葉がオールコートプレスディフェンスを開始する。
「へえ……プレスか。でも、私たちには利かないわよ」
「……それには、慣れてるから」
香宮の選手たちは、あくまでも冷静だった。常に勝ち続けた彼女たちは、最後の段階で負けてるチームがプレスをかけてくるのには慣れている。その対策練習も十分に重ねてきた。
李を中心に、連動した動きで緑葉のディフェンスの間をついてボールを運んでいく。大神が上手くくさびになり、最後は駆け込んだ三木谷にレイアップシュートを決められてしまう。
「さ、オフェンスだ、切り替えて!」
景から皆へと指示がわたった。決められたとはいえ、プレスを使えば試合展開は幾分か早くなる。お互いの攻撃チャンスが増えれば、それだけ追いつくチャンスが増えるというもの。
もっともミスがなければ点差が縮まらないのも、またしかりだった。
香宮はほとんどミスしないまま、残り一分半、一分、三〇秒と、無情にも時間は減っていく。
残り二秒となり、最後に小豆が放ったスリーポイントシュートが外れ、そこで決着がついた。
「ゲームセット、ね」
「くぅ……」
最終スコアは七六対九〇。最後のプレスディフェンスも王者の冷静さの前に打ち砕かれ、大河たち緑葉の敗北が決まった。
エピローグ 途上
小学生のころ、ミニバスの全国大会で負けたとき、大河は二つの悔しさを味わった。
一つはチームの一員として、チームが試合に負けたことの悔しさ。ベンチにいる時間は多かったけれど、大河は本気で日本一になることを目指していた。だから、負けたことが悔しかった。
もう一つは個人として、試合にほとんど出られなかったことに対する悔しさだ。本当はレギュラーメンバーとしてコートを走り回りたかったのに、それができなかった。大河の居場所はベンチだった。そのことが、悔しかった。
高校生になって、大河はまた負けてしまった。そして、小学生のころと同じように、また二つの悔しさを同時に味わっていた。
チームが負けたことが悔しい。それに、ふがいない自分が悔しい。
ベンチとかレギュラーとかは、実はあまり関係がなかったのかもしれない。ミニバスのころも今も変わらない、自分がもっとしっかりしてればと、そう思うのだ。
そして、その思いを味わっているのは、大河だけではなかった。
ある人は――マークしていた選手を、最後まで抑えきれなかったことを悔やんだ
ある人は――監督として、もっといい選択があったのではないかと悔やんだ
ある人は――センターとして、四〇分間ゴール下を守れなかったことを悔やんだ
ある人は――二ピリの初めに外してしまった二本のシュートを悔やんだ
ある人は――相手に押されるまま、何もできなかった最後の五分間を悔やんだ
それぞれが心残りを覚えるのだけど……結局もうそれは、すべて終わったことで。
試合が終わった後大河たちは、ベンチを片づけ、控室で制服に着替えて荷物をまとめ、顧問の山之内が差し入れてくれたバナナを食べ、帰り支度をして試合会場を後にした。
校門の前まで来たところで、大河は不意に立ち止まった。
「負けた、ね……」
「そうね……」
「うん、負けちゃったねー……」
「やっぱり敵は、私たちより強かったです……」
「くぅ、負けたぁ、悔しぃわよぉ!」
「……うん、悔しい」
今まで涙をこらえていた大河だったが、ここまでしか持たなかった。そのタイミングで、小豆もまた泣きだしてしまう。大河は和江の胸の中で、そのまましばらく泣いた。小豆も珍しく景の胸に収まるように抱きついて、泣いていた。希林は泣き出しこそしなかったが、涙目だった。その希林の背中を、龍華は優しくなでた。
「でも……でもさ!」
精一杯泣いた後、――大河は上を向く。
「私はまた次、頑張りたいって思うよ。試合には負けちゃったけど、まだ私は夢を諦めない。何年かかっても良いって、そう言ったもん。高校一年生の私には、少なくともあと二年は、一番になるチャンスがあるんだから! ……皆は、どうかな?」
皆はまた、自分と一緒に走ってくれるだろうか? 不安に思いながらも、大河はほかの五人の方を向いた。
その大河の言葉に、幼馴染二人は笑顔で答えてくれた。
「……まあ、私もそのつもりよ」
「うん、そうだよ大河ちゃん!」
そして、小学校のころから親友である希林たちもまた、笑顔でうなずいた。
「今度こそ……本気の本気なんですね!」
「そうよ、それに、今日戦った香宮も、絶対に見返してやるわ」
「そうだね……それもまた、楽しそうだ」
担任の山之内は、そんな六人の様子を見て、感想を漏らした。
「夢ってやっぱり、難しくって不思議で、それでも素敵ですね」
「不思議で素敵って……どういうことですか、心先生」
「……はい。私みたいな人には、夢というのは、やっぱり不思議なことなんです。きっと、私以外の多くの人にとっても同じだと思います……私は昔から夢にあこがれていました。アイドルになりたい友達とか、サッカー選手になりたい男の子とか、そういう人達がいる中で、私は明確な夢を持てなかった……それはね、私は凡人だって思ってるから、叶わないが怖いからこそ、素敵な事から目をそらして夢を持つことができなかったんです。だから私は……あなたたちの夢に触れてみたいと思いました。私なんかが何かできるのなら、お手伝いもしたいって……すいません、なんか勝手な事を言ってしまって」
叶わない怖さも、届かない悔しさも、大河たちは知っていた。
大河たちは小学生のころ、夢をかなえるのに失敗している。中学の頃は龍華が一人で夢を持ち続けてくれたけれど、その夢も失敗した。そしてまた今日も一回、失敗してしまったのだ。
次のチャンスで、夢をかなえられるかどうかはわからない。もしかしたら一生叶えないかもしれない。それでも――
龍華が、山之内の顔を正面に見据えて答えた。
「確かに、私も叶わないのは怖いです。負けたら本当に悔しい……でも、どうしても諦められない。欲しくてたまらない……それが、夢を持つことだって思うんです」
大河もまた、龍華の言葉に続いた。
「それに、心先生は夢を持てているじゃないですか。多分ですけど心先生は皆の夢をかなえることが、心先生の今の夢なんですよね。そう思ったから、先生になったし、私たちの顧問をしてくれているんですよね?」
「龍華さんに、大河さんまで……そうですね、先生も夢、持ってるんですね」
「はい……だから、まずは私たちの夢をよろしくお願いします!」
大河は山之内に向かって、お辞儀をしてお願いした。
「ちょっと大河、図々しい……」
「――それから、皆も!」
そして昔からの仲間たちに向かっても、お願いをする。
「カズちゃん。これからも、私たちの中で、一番の頑張り屋さんでいてください!」
「が、頑張り屋さんって……まあ、そうありたいとは思うけど」
「キリンちゃんは、何事にも真剣で誠実なキリンちゃんのままでいください!」
「はい! 大河さんの期待に沿えるよう、頑張ります!」
「アズキちゃんは、その明るさと自信で、皆を引っ張っていってください!」
「だから……私はアズキじゃなくてオマメだぁっ――あれ?」
「ケイくんは、その冷静さで、これからも私たちをまとめてください!」
「前にも言った通り、まとめるのは向いてないと自覚してるんだが……まあ、努力するよ」
「そして、ウカちゃんはこれからも――」
大河は最後に、車いすの上の龍華の方を向いた。
「私と一緒に、ひたむきに、夢を追いかけ続けてください!」
「うん……もちろんだよ大河ちゃん。自分の足では走れないけど……走るよ私! 皆の夢のために!」
その龍華の言葉が、大河の心に、再び火をつけてしまった。
「よっしゃ、皆、駅まで走るよ! 走って帰って、ご飯食べてお風呂に入って……寝るんだ!」
「結局寝るんかい……ま、私も疲れたからそうするだろうけど」
「てか、そもそももう走る体力がないわよぉ! 大河の体力バカぁ!」
「いや、今日スタミナ切れを起こした反省の意味で、僕たちこそ走るべきかもね」
「わ、私も反省して走ります!」
「先生は皆ほど若くないから行かないけど……気を付けて帰ってくださいね!」
大河は龍華の車いすの取っ手を握った。そして龍華に声をかける。
「ウカちゃん、行くよ!」
「あははー、じゃあ超特急でお願いします」
「うん……全力でいくから、しっかりつかまっててね!」
走り出した正面にたたずんでいる夕日に向かって、大河は改めて決意する。
進んだ先で、その一つしかない夢の席を、手に入れられる保証なんかないけれど。
夢に向かって龍華と、そして皆と一緒に、これからも全力で走り続けるんだ。
(終)




