03.またいつかこの場所で
少女の名は根井空と言った。
彼女は誰の目にも人間に見えた。
「ああ成程、根井って聞いた事あるなって思ってたら……君だったんだね」
「……えっと、久しぶり、です」
少女と相対するのは蒼空だった。黒い瞳が細められ、じっと彼女を見つめる。
「根井時……彼は君の何かというわけだ」
「弟です」
「ふぅん。まあなんだっていいや。それで? 君は一体此処へ何の用?」
いつでも欠ける事の無い満月が煌々と青白い光を地へ注いでいる。それは何年も前から変わらず、この世界に唯一の光を与えていた。
「私は特に何も……ただ、時が」
「前触れだよ。彼がこの世界に堕ちてきたのはね―――まあ、推測の域を脱しないわけだけど」
蒼空は楽しそうに笑みを浮かべた。
「君が傍に居たから―――彼は、」
×××
世は平日である。根井時はいつものように学校に向かい、いつものように帰って来た。其処に日常ではない物が紛れていたりはしない。いつも通りに姉と会話をして、ただただいつも通りの毎日を淡々と過ごしていた。
「……」
不意に思いだす事がある。
満月が煌々と輝くあの妙な世界の事を。そして、夜明蒼空と名乗った狐の妖怪の事も。
「時?」
「……いや、なんでもない」
姉―――根井空は眼鏡越しに時に笑ってみせた。まるで、最初から何もなかったんだと時に言い聞かせるように。
―――「彼は、もしかすると君の所為でこの世界に堕ちてきたのかもね?」
根井時は人間だ。
根井空は人間―――だった。今はもう、違うけれど。
×××
「と、どうしたものかな」
夜明蒼空はぼんやりと満月を眺めた。いつもいつも空に昇るのはこの満月。上弦にも下弦にもならない、面白みのない月だ。
「ま、いつだって歓迎してあげよう―――」
唇に弧を描くと、彼の犬歯が僅かに覗いた。
「“またいつか”、この場所で……ね」




