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02.もしも彼が

 「いらっしゃい、迷い人君」


 彼―――空狐の蒼空は、人間の根井時を歓迎するような言葉を口にする。彼の声に反応したかのように風が吹き抜け、境内の木々の葉が音を立てる。


 「それじゃあ、こっちに来てもらっていい?」


 案内するように、蒼空は手招きする。黒羽は当然のように彼の元へ行き、時は少し不審がりながら、蒼空に従う。にこにことした笑顔を崩さないまま、蒼空は時を指さした。


 「君は僕らからしたら“招かれざる客”なんだ―――黒羽は随分フレンドリーにしてたみたいだけど」


 「……どういう意味だ?」


 「そのままの意味。君ら人間は、僕ら妖怪を軽蔑し軽視し、迫害の対象とする。だから僕たちはこの世界にいるんだ―――君たち人間に追いやられた所為でね」


 神社の本堂へ連れて来られた時は、蒼空に「座って良いよ」と言われたので腰を下ろした。蒼空が傍にあった、人間が一人くらい入れそうな箱のなかを漁り、その中から巻き物と紙の束を出してきた。時の前に座ってその紙たちを広げると、ある一枚の紙を指さした。


 「今から何百年、何千年と前の話になるんだけどね」


 ―――蒼空が言うには。

 人は妖怪を恐れ、世界の果てへと追いやった。追いやられた妖怪達に居場所は無い。そんな妖怪達が集まってやがて作られたのが、時が迷い込んだこの世界なのだと。


 「なんて言ったらいいのかな……人間風に言うなら、“妖力”って奴でこの世界は出来てるんだ。だから、基本人間が立ちいる事は出来ない。人間である君がこの世界に入れた、ということは、“素質”があるか、この世界そのものが綻びつつあるか―――そのどちらかしかない」


 「素質? 僕が妖怪になるかもしれない、とでもいうのか?」


 「うん」


 そうだよ、と蒼空はあっさり頷いた。


 「元々、妖怪は自然発生したり、僕みたいに長生きした獣が昇華したり、一部の特殊な人間が変質したりしてできるんだ。ほら、鬼になった女の話とか聞いた事あるでしょ?」


 妖怪昔話には鬼女と呼んで等しい存在が頻繁に出てくる。山姥もしかりだろう。


 「とはいえ、特殊な人間ってそういないからなぁ……うーん……」


 「蒼空、お前さん三千年以上生きているんだろう? 時のようなケースは今迄あったのか?」


 質問をしなさそうな時に代わって黒羽が問う。蒼空は腕を組みながら天井を見上げた。


 「どうだったかな……千六百年くらい前に同じようなことがあったけど……」


 「同じ事が起きてるのでは……?」


 と、怪訝そうな顔をした黒羽。


 「いいやありえないよ。だって彼女はかなり特殊だったからね……彼女は妖怪になる素質があった上に、覚醒して妖怪になった。猫又だったかな……確か名前が……えっと……ううん……なんだったっけかなぁ……」


 うーん、と首をひねって考え込む蒼空だが、肝心な名前を思い出す事ができないらしい。やがて諦めて「まあとにかくありえないものはありえないんだ」と告げる。


 「まあ取り敢えず、君には帰ってもらおうかな。僕ら以外の妖怪に気付かれて食べられちゃったりしたら家族の皆さんに申し訳が立たない」


 「! 帰れるのか……?」


 「うん。まあ、ちょっとしたリスクがね」


 「リスク……?」


 こくりと頷く蒼空。


 「君が(・・)僕に殺される(・・・・・・)ってだけの簡単な事だよ」


 瞬間。

 時の視界は真っ黒になる。


 ×××


 「っ!?」


 突然の事に驚いた時は、いつもの無気力さはどこへやら、勢い良く飛び起きた(・・・・・)

 周りを見回してみると何処か見慣れた白い天井。鼻を刺激するこの臭いはアルコールだろうか? 病院かと一瞬思ったが、見覚えがあったことから此処が保健室だと結論付けた。


 ―――どうして僕が此処に……貧血で倒れたとか?


 ―――……まさかの夢オチ?


 「あら時君、もう大丈夫なの?」


 「ああ、はい……」


 声をかけてきたのは保健室の養護教諭。ちんまりとした体型に柔らかな喋り方が特徴的だ。


 「じゃ、僕行きます」


 ほんの数分前まで見ていた江戸の町並みによく似たあの場所はなんだったんだろうかと思考する。

 ただ、わかったところでどうにかするつもりはない。

 きっともうあんな妙な場所に行く事は無い筈だ―――その筈だと、時は保健室を後にした。


 ×××


 空には満月が煌々と輝いていた。くあ、と一つ欠伸をすると、夜明蒼空は隣に居る尾裂黒羽へ目をやった。


 「いつまで居るのかな、僕眠いんだけど……」


 「くく、いつまでか―――決めてはいない。強いて言うなら決めるつもりもないな!」


 「あのねぇ……」


 蒼空が見せた表情は呆れだった。一方、黒羽はけらけらと楽しそうに笑っている。


 「にしても疲れたよ」


 「あの根井時の事か? まあ、ありゃあ愉快だったねぃ」


 思い出してまたけらけらと笑う彼女を横目に、蒼空はひっそり溜息を吐きだした。人を殺した―――とはいえ、この世界における根井時と言う現象を破壊しただけで、実際死んではいない筈だが、どうも気疲れしてしまうらしい。


 “……あいつ、多分また来るぜ”


 ―――そうかもね。


 頭の中に響く声に、蒼空はそう返す。


 ―――まあ、そうなったらその時はその時……ちょっと考えなきゃかもね。


 “……あのガキ、根井っつったか”


 ―――うん。


 “根井、か。……っは、笑えねェ冗談じゃねェか”


 ―――? 何を言ってる、空牙(くうが)


 “べっつにィ? まあ、あいつがこの世界に入れたのは、偶然じゃねェかも(・・・・・・・・)しれねェとだけ言っといてやるよ”


 始まった会話は、その言葉を最後に終わる。

 根井時がこの世界に迷い込む事自体は大した問題ではない。ただもしも、もしも根井時そのものに問題があったとしたら。


 「この世界に堕ちてきたのは当然の事だった、ってことになるのかな?」

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