廃ホテルの殺人鬼 中編
それは美津子が階段を降りきって二階へ到着したときのことであった。修二から預かった懐中電灯が急に不規則な点滅を始める。
(何?どうしたの?)
不審に思いつつ、それを振ってみたり叩いてみたりする。しかし懐中電灯は一向に直る気配を見せず、やがては完全にその機能を停止し、闇は彼女をぱっくりと飲み込んだ。
美津子は今まで自分が降りてきた階段を振り返り、修二達の所へ戻ろうかと考える。しかしすぐにその考えを正した。
暗闇の中で階段を昇るよりも二階にいる利信を探して彼の持っているライターを灯りに修二達の元に戻った方が安全かつ早いはずだ。そう考えて彼女は陰鬱とした闇の中に手探りで歩みを進めた。
足を一歩踏み進める度にヒールがコンクリート造りの床とぶつかる音が壁に跳ね返って響き渡る。素通しの窓の外からは空が曇っているせいか殆ど光は差し込んでこない。
(そろそろ利信と会ってもいい筈なんだけど……)
廊下も中ほどまで進んだが一向にその気配はない。時間的に考えてももう利信も用を足し終えてこちらに向かっている筈だ。
「利信」
美津子は暗闇の中に呼び掛ける。投げられた声は小さなエコーを持ってゆっくりと静かな廊下の中を進んでいく。しかし返ってきたのは利信が自分を呼ぶ声ではなかった。
その声そのものは利信の物に相違ない。しかしそれは普段の彼の力強い、明るい声とは違う、抑制の無い呻き声だった。
「利信?どうかしたの?」
美津子は恐る恐る再び声を投げかける。
「美津子、助けてくれ……」
闇の中にぼんやりと映る利信らしき人物はゆっくりと美津子に向かって歩み寄ってくる。その足取りは弱々しく、方向が定まっていない。
「利信?どうしたの?怪我をしているの?」
問いかけると同時に持っていた懐中電灯が突然光を放ち、前方を照らしだす。それと同時に美津子は建物内全体に響き渡るほどの叫び声を上げた。
懐中電灯の光によって照らし出された利信の姿、彼の両目には本来あるはずの眼球が二つ、欠落していた。そしてぽっかりと空いた虚ろな両眼窩から頬を伝う朱色の涙……
美津子は思わずその場にへたり込む。そんな彼女に向かって利信は両腕を前方に突き出し、ゾンビさながらよろよろと近づいてくる。
「来ないで!」
美津子はあまりの恐怖に、思わず後ろに向かって這うように下がる。ーーそのとき
背中が何かにぶつかった。その感触は間違い無く人間の足だった。恐る恐るその方向に懐中電灯の光を向ける。
そこには長身で筋肉質の一人の男が立っていた。
ーーこいつが利信の目を潰した張本人に違いない。
美津子は本能的にそう直感する。しかし逃げようとしても砕けた腰はまるで云うことを聞かず、それまで避けていた利信に向かって這いずることしかできなかった。
男はそんな彼女の首を片腕でがっしりと掴むと、そのまま軽々と、その華奢な身体を持ち上げた。
「嫌……離して!」
そんな美津子の哀願には聞く耳も持たないといった様子で、男はもう片方の手に持っていた”ある物”を獲物の腹部にあてがう。
それは銀色に輝く、鋭利な一本の料理包丁だった。
「やめて……殺さないで……」
彼女のその言葉が合図であったかのように、男はその柔らかい肉へと刃を沈める。
あまりの激痛のためか美津子は悲鳴をあげることすらできず、口からは、
「げぶっ」
という牛蛙のような声と赤々とした血だけが漏れた。
腹部に深々と刺さった刃は、やがてゆっくりと下腹部まで肉を裂いていく。
ぱっくりと開いた裂け目、そこから滴る鮮血……
ーー助けて
誰にでもなく願った。
修二でも、咲でも、利信でもいい。誰か私を助けて……
その精神は最早正常に機能することはできず、「生きたい」という本能的な願望のみに支配された。
やがて男は壁にもたれさせるようにして美津子を床に座らせ、先ほどからふらふらとさまよっている利信の胴体をがしりと抱きかかえた。
「何をする……?もう、勘弁してくれ!」
消え入りそうな声を出して必死に抵抗するが男は利信を赤子を抱くように容易く美津子の元へと運んだ。
美津子は虚ろな瞳で大男の姿を見上げる。それは漫然たる悪意と殺意を全身から滲み出している。
逃げなければ、と思うが身体が云うことを聞いてくれない。
ーー刹那、大男は抱えていた利信を床に投げ出し、美津子の両目に手を伸ばした。
咄嗟に閉じた瞼は容易くこじ開けられ、その指は眼球をぐりっと掴む。そして、両手は掴んだ眼球を力任せに引っ張った。
「あぁぁぁぁ!!目、私の目!!」
ぶちっ、という音と共に管のような器官から切り離された二つの眼球。大男はそれを床に倒れ伏す利信の眼窩に押し込んだ。
出鱈目な方向を向いた二つの不格好な眼球。当の利信は自分が何をされたのかまるで理解していない。
「何を、何を入れたんだ……!?」
すると今度は、利信の腹に向かって包丁を突き立てる大男。
ぎゃあ、という悲鳴と共に、美津子のそれよりも硬度を持った腹肉はブツブツと裂かれていく。やがて、二十センチほどの切れ目を入れると、その切れ目に腕を乱暴に突っ込んだ。
体内を掻き回され、利信の口からは血あぶくと嘔吐物の混ぜ物が溢れ出る。
そして、大男は体内から”ある物”を掴むと、それを引きずり出した。
利信の腹から掴み出された物、赤黒い血にまみれたそれは大腸だ。
「やめ……助け……」
云い終わる前に大男は包丁で大腸の、まずは小腸に繋がる部分を、そして次に肛門に繋がる部分を、それぞれ切断する。
もはや利信には悲鳴をあげる気力すらもない。虚ろに穿たれた二つの眼窩で、静かに自らの終末を見据えている。
切り取った大腸をゆっくりと取り上げると、両切断面からドロリとこぼれた汚物が周囲に悪臭を放った。そして、それをもう一人の獲物、美津子の腹部へと近付ける。
「目……私の目……」
美津子は先ほどから鼻をつき始めた異様な臭いを気にも留めないといった様子で、うわ言のように呟き続けている。
大男はそんな彼女の腹部に、手にした利信の大腸を、眼球との交換だとばかりに腕ごとねじ込んだ。
「ひっ……」
突如、異物を体内に入れられた美津子の身体は一瞬、ビクンと激しく跳ね上がる。
体内を乱暴に掻き回され、小腸、大腸、胃、その他のあらゆる器官があらぬ場所へと移動する。そしてその中に割り込まされた一つの異物、利信の大腸……
薄れゆく意識の中、美津子は腹部に突如としてもたらされた苦痛を確かに感じた。
ゆっくりと血に染まった腕を美津子から引き抜くと、大男は立ち上がり、自らが痛めつけた一人の女を冷酷に見下ろした。
たえだえの息、腹の裂け目から溢れる血と利信の大腸からこぼれたであろう汚物……
そんな彼女の頭部に力強く”蹴り”を入れた。
大男のつま先とコンクリートの壁に挟まれた美津子の頭部は、容易くぐしゃりと潰れ、あっさりとその形状を崩す。壁にはドロドロとした脳とそれに混ざった髪の毛がべったりとこびり付き、残された身体はずるりと床に滑り落ちた。
二人の獲物の絶命を確認すると、大男は次なる獲物を求めて三階へと続く階段に歩みを進めた。