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黒ノキ書  作者: I-pur
4/5

廃ホテルの殺人鬼 前編

「これは最近よく聞く噂なんだけど」

 伊藤修二がそう切り出したのは昨日の昼、大学の食堂でのことであった。

「M市にあるOホテルって知ってるかい」

 一同は顔を見合せながら首を傾げる。その反応に修二はやれやれと溜息をついた。

「そのホテルは何年か前までは観光客相手に結構繁盛していたらしいんだ。でも今はあの辺りもずいぶん寂れてきているだろう?その煽りを受けて……ね」

「潰れちまったのかい?」

 修二の濁した言葉を補足するかのように相田利信が問いかける。

「まぁ、そういうこと。で、本題なんだけど最近その廃ホテルで奇妙な事件が多発しているらしいんだ」

「奇妙な事件って?」

 それまで黙って話を聞いていた大沢美津子が興味深げに口を開いた。

「僕も聞いた話だから詳しくは知らないんだけど、そのホテルは元々オーナーが首吊り自殺をしたとかで有名な心霊スポットだったんだけど、どうも最近になってそこで度々人間の惨殺死体が発見されてるんだってさ」

 ”惨殺死体”という聞き慣れない単語に美津子は身体をぶるりと震わせる。

「殺人事件?犯人は捕まったの?」

「それが警察も死体が発見される度にホテル内やその周辺を血眼で捜査しているらしいんだけど未だに犯人は見つかってないらしいんだ。それでも新しい死体は次々と発見され続けてる……」

「それで、そんな話を私達にして一体どうしたいの?」

 半ば呆れ顔でそう問いかけたのは川上咲だった。

「君は解りきったようなことを訊くね」

 そう云って修二は小さくかぶりを振る。

「もちろん、僕達四人でその廃ホテルに行って連続殺人の犯人をこの目で確認しようと思うんだよ」

「お前は相変わらず好きだねえ」

 利信が剃り込みを入れた坊主頭を掻きながら「ふん」と鼻を鳴らした。

「怪談、都市伝説、肝試し、そんなのに喜んで飛びつく、なんてのは中高生までで卒業だ。俺達は大学生なんだぜ?そんな胡散臭い噂話……」

「そうかな?」

 修二は利信の言葉を遮るようにして云った。

「僕はこう考えるんだ。”恐怖を楽しむ”という行為は人間に与えられた特権だと」

「特権?」

 眉間に皺を寄せて聞き返す利信に修二は言葉を続ける。

「そうさ。考えてもみなよ、恐らくこの地球上で最も文化的に発展している生物であろう人間、自分から進んで恐ろしい目に遭おうとし、あまつさえそれを楽しむだなんて考える生き物は恐らくその人間だけだろう。すなわち僕は”恐怖を楽しむ”という行為こそ文化的な進化の証だと考えるね。そんな素晴らしいことを卒業する、だなんて非常に愚かしい行為だと思うよ」

 修二は両手を左右に広げて尚も語る。

「だからみんなで行こうじゃないか。連続殺人犯が潜んでいるかもしれない廃ホテルへ、死と隣合わせのスリルを味わいに」

「ふん莫迦莫迦しい。悪いが俺はパスさせてもらうぜ」

 踵を返して立ち去ろうとする利信の後ろ襟を修二が掴む。

「それは困るなあ。悲しいことに僕の友人の中で大学生の身分でマイカーを持っているブルジョワは君だけなんだよ。それに……」

 修二は元々浮かべていた笑みを一層に深くした。

「この間のレポートが期限までに間に合わないと嘆いていた君を助けてあげたのは誰だったかな?」




 件の廃ホテルに辿り着くと一行はその異様な雰囲気に息を飲んだ。四人乗りのセダンから放たれるハイビームだけが朽ち果てた三階建ての廃墟をライトアップする。車外の陰鬱とした空気をカーステレオから流れるJ-POPの軽快な音が辛うじて相殺した。

「なんだか不気味ね」

 美津子が思わず言葉を漏らす。

「うんうん、思った以上に素晴らしい雰囲気じゃないか」

 修二は満足げに何度も頷いた。

 車のエンジンが切られ、、ライトの光とカーステレオの音が消えると廃墟の放つ異様さがより一層浮き彫りとなった。

「俺は早く帰りたいんだ。行くならさっさと行こうぜ」

 利信がそう云って車から降りると他の三人も後に続いた。

 恐らく先んじて訪れた同輩が開けたであろう建物の入口から漂う闇は、今まさに四人を飲み込まんとしている。修二が持ってきた懐中電灯を点けても、その闇を払うことには幾許も役に立つことはなかった。

 建物の中へと歩みを進めると一行の目にはまず古ぼけたカウンターのような物が飛び込んだ。どうやらフロントのようだ。

 修二の手にする懐中電灯の光が辺りにある物を次々と照らし出す。皮の破けたソファー、恐らく今では動かないであろうエレベーターの扉、壁に掛けられた風景画、そして……

「どうやらあそこから上の階に行けそうだ」

 修二が最後に照らしたのは二階へと続く階段だった。

 左右の壁にに大量の落書きがされたタイル造りの階段、四人は灯りを持った修二を先頭にしてその階段を一段ずつ、ゆっくりと上った。

 二階に上がると今まで四人が上ってきた階段とすれ違うようにして三階へ続く階段が伸びている。

「どうするの?このまま三階まで行っちゃう?」

 咲の問いに修二は暫し、顎に手を当てて考え込んでから答えた。

「いや、二階も少し探索してみよう。折角来たんだからゆっくり楽しまないとね」

 二階にある部屋はどうやらその殆どが客室のようだった。細長い廊下の端から端まで二〇一号室から二一〇号室と書かれた木製の扉がずらっと並んでいる。

「駄目だ」

 修二は思わず舌打ちをする。全ての扉を押し引きしてみたのだが並んだ十の扉はどれ一つとして開くことはなかった。

「それにしても人が潜んでいるような痕跡はないね」

「だから云っただろ」

 少々鼻白んだ様子の修二に向かって利信が云った。

「出所も胡散臭い噂話に乗せられてこんな場所までくるなんて、いい歳した大人がすることじゃないぜ」

「何、まだ三階があるさ」

 そう答えて三階への階段に向かう修二に利信が

「ちょっと先に行っててくれよ」

「どうしたんだい?」

「急に小便をしたくなっちまった。すぐに追いかけるからよ」

 その言葉に修二は壁にもたれて

「先に行くまでもない。終わるまでここで待ってるよ」

と応えたが利信が両手を広げて

「おいおい、女の見ている前で用を足せってか?」

と返すと修二は

「それもそうだね。じゃあ先に行ってるから殺人鬼に出くわしたらちゃんと大声を上げるんだよ」

と冗談めいた調子で応え、美津子と咲の二人を連れて階段へと先んじた。



 三人を見送った利信は思わず溜息を漏らした。

(なんだって俺がこんな場所まで来なくちゃいけないんだ)

 用を足しながら心の中で愚痴をこぼす。

(いつもそうだ。修二の奴、何かと恩を着せてきて後々俺を面倒なことに巻き込みやがる。大体、この前のレポートだって元々は美津子が手伝ってくれるはずだったのをあいつが勝手に首を突っ込んできたんじゃないか)

 決して彼自身、修二のことを疎ましく思っているわけではないが、そういった修二の自己中心的な部分に苦手意識を持っていることは確かであった。

 膀胱を空にした利信は近くの壁に背中を預け、煙草に火を点けた。多少暗闇に慣れてきた目にはふわふわと不規則に漂う煙だけが映る。煙草の火種がジリジリと燻る音が耳に届くほどその場所は静かだった。

 そのとき、廊下の階段方面、自分の左側十メートル程の位置に何者かの気配を感じる。それを察知した利信は持っていた煙草を床で踏みにじり、咄嗟にその方向に身体を向けた。

「誰かいるのか?」

 呼びかけてみても返事はない。暗闇の中にその人物の輪郭だけがぼんやりと象られている。利信よりも身長も横幅も一回りほど大きな体躯。そこから察するにそこに立っている人物は恐らく男性であろう。とすると女性である咲や美津子ではないことは明白であった。また、男性である修二も利信よりは遥かに小柄だ。

 利信の脳内にある可能性が浮かび上がり、本能的に身構える。すると大男はそれに応えるかのように利信に向かって歩みを進めはじめた。

(こいつが噂の連続殺人犯なのか?)

 冷たい汗が頬を伝い、やがて顎を滴る。利信の全意識は眼前の闇とともに迫る大男のみに集中された。

 決して腕力に自身が無いわけではない。相手がいくら巨躯とは云え、隙を付いて不意打ちをすればきっと抑え込めるはずだ。そう考えて機会を窺う。

 そして、大男との距離がほんの二メートルほどまで迫った瞬間、利信は拳を大きく振りかぶり、殴りかかった。




「ねえ、いくらなんでも遅すぎない?」

 美津子が腕時計に目をやって云った。その言葉に先を進んでいた修二と咲は振り返る。ちょうど修二が三階のドアも開かないことを半分ほどまで確認し終わったときのことである。

「そんなに彼氏のことが気になるなら様子を見に戻ればいいじゃないか」

「だから、私と利信はそんなんじゃないって云ってるでしょ」

 美津子は修二の言葉を顔を真っ赤にして否定した。

「ともかく心配なら行っておいでよ。僕達はここで待ってるから」

「え?一緒に来てくれないの?」

 不安そうに伺う美津子に修二は意味深な笑顔で応える。

「二人きりの方が都合がいいこともあるだろ。色々とね」

 そう云って懐中電灯を差し出す修二。

「馬鹿!」

 それを乱暴に奪い取って美津子は二階へ降りる階段へと歩みを進めた。



 それは利信にとって渾身の一撃だった。自分の持てる力を全て振り絞って相手のみぞおちにぶつけた拳。しかし大男はまるで壁のように微動だにせず、その場に仁王立ちしていた。

 利信は恐れおののき、相手との距離をとろうと後ろへ下がろうとする。しかし大男は利信の頭を両手でがっしりと掴んでその行為を阻害した。

「ちくしょう、離せ」

 利信は大男の顔を殴ったり足を蹴ったりして必死に抵抗する。しかし彼の頭を掴む両手の力は一向に弱まる気配を見せず、それどころか一層に強い力でミシミシと締め付けた。

 人間離れしたその力は頭蓋骨にとてつもない圧力を与え、利信はその痛みに思わず呻き声をあげる。やがて、それまで利信の額を押さえつけていた大男の親指が利信の両目に向かってゆっくりと距離を縮めた。

 それはあまりにも無意味な防衛行動だった。大男が何をしようとしているのか理解した利信は本能的に目を瞑る。しかし、利信の眼に到達した大男の親指は、瞼の上から凄まじいほどまでの力を加え、眼球を眼窩の奥へと押し込んだ。

 利信の絶叫が漆黒の中に木霊する。眼窩から溢れ出る血液と崩壊した硝子体。それと同時に彼の眼は完全にその機能を停止した。

 もがき苦しむ利信を嘲笑うかのように大男は彼を解放する。

 既にその意味を失くした両眼を押さえて嗚咽する利信。彼は完全なる闇の中を、自らの眼を潰した悪魔のような存在から逃れようとひたすら闇雲に彷徨った。

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