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黒ノキ書  作者: I-pur
3/5

蜂の巣

 夏の日差しは容赦なく私の肌をじりじりと照りつける。半袖のワイシャツから飛び出した腕はすっかり日に焼け、赤々と変色してしまっている。七月二十八日の午後十三時、私は営業の外回りという仕事をこれほどまでに怨めしく思った日はない。

 懐から取り出したハンカチで額の汗を拭いつつ目的地に向かっている途上、水着入れの鞄を肩にかけた小学生らしき集団とすれ違う。学生達はもう夏休みなのだろうか、羨ましい限りだ。

 夏休み……、私はふと、自らの少年時代を思い出す。毎日のようにクワガタ虫やカブト虫採りに没頭した、市民プールで昼間から日が暮れるまで遊んだ、八月の終わりには疎かにしていた宿題に苦しんだ、そんな懐かしき日々……

 そのとき、左腕にチクリとした痛みを感じる。見ると一匹の小さな蜂がその尻から飛び出した針で私の腕を刺していた。黄色と黒の縞模様の体長二センチほどの蜂……、風貌から察するにスズメバチといった類の物ではないようなのでさして気にすることもなくその蜂をもう一方の手で払い飛ばす。刺された部分は腫れて、出来物のようになっているが痛みは大したことなく、帰ってから薬でも塗っておけばいいかと私は自らの職務を続行した。




 その日の夜、風呂上がりに刺された部分を見てみると相変わらず直径一センチほどの腫れ物がそこには出来ている。明日か明後日には治っているだろうか?痛みはそこまで酷くはないものの、少々痒みが発生しつつあり、何日もこのままだと鬱陶しいことこの上ないのだが……

 私はその部分に軟膏を塗ってその夜は床に就いた。




 七月二十九日の朝、目覚めると腫れ物は左腕全体にいくつも発生していた。

 これはいくらなんでもまずいかもしれない、医者に診せた方がよいだろうか?しかし休暇を取ることにいい顔をしない会社、蜂に刺されたので休む、なんて云ったら上司にどんな文句を云われるかわかったもんじゃない……

 数分間ほど悩んだ末、その不格好な左腕を隠すため、長袖のワイシャツを着て会社に向かうことにした。

 夏も盛りのこの季節、プールに行ったりかき氷を食べたりして涼む者も珍しくない今日に長袖はたいそう堪えるものがあった。全身を服の生地が肌に張り付くほどに汗だくになりつつも、なんとか会社に辿り着く。

 同僚である木田に

「こんなクソ熱い日にどうしたんだい?」

と笑われつつも私は

「日焼けが嫌でね」

と適当に誤魔化してタイムカードを押す。心配をかけたくなかった、というよりも腫れ物だらけのその腕が自分で見ても気持ち悪い代物だったので他人に見せたくなかった、というのが本音だろう。

 幸い今日の仕事はクーラーの効いた会社内の業務だったため、長袖で出社したことがさほど苦にならずに済んだ。それよりも気になったのは痒みが左腕だけでなく、右腕にまで及んでいることだ。どういうことだろう?まさか左腕の腫れ物が右腕にも出来ているとでも云うのだろうか?

 刺されたのは左腕だけなのにそんなことはあり得ないと自分に云い聞かせつつ、その猛烈な痒みに耐えながらもその日の仕事を終えた。




 帰宅すると、私の嫌な予感は的中し、腫れ物は右腕にまで広がっていた。両腕いっぱいにまるでドット模様のように発生したそれの裏側には何か生き物のような物が蠢いているようにも思える。

 流石にここまで悪化してしまえば上司がどうとか云っている場合ではない。明日、夜が明けたら一番に医者に診せに行こう。そう決意して痒みと腕の中で何かが蠢く不快感と闘いながら、なんとか眠りに就く。




 その日、私は夢を見た。

 陰鬱とした暗黒の中で宙に浮くようにして横たわっている私の身体。意識はあるのだが身体を動かそうとしてもそれは一切叶わない。そんな私に無数の蜂がまとわりついてくる。それはまさに、昨日の昼間に私の腕を刺した蜂そのものであった。

 呻きながら動かない身体を捩る私を嘲笑うかのように蜂達は私の全体を覆い尽くす。身体中に蜂が這いまわるその感触はなんとも不快なものであった。

 蜂達はどこからともなく次々と現れ、無数のそれが私の顔にまで支配を広げる。そこで意識は途切れた。




 七月三十日、目覚めた私は自分の腕を見て驚愕した。

 昨日まで両腕いっぱいに広がっていた腫れ物、そのすべてが直径一センチほどの小さな穴になっている。それだけではない。腕全体に空いた小さな穴、その一つ一つに小さな蜂の子らしき物が詰まっているのだ。その様子は昔、何度か見たことのある蜂の巣が、まさに私の腕に出来てしまったようだった。

 蜂の子達は腕に発生した穴の中でウネウネと蠢き、その度に腕には肉を抉られるような激痛が走る。

 たまらなくなり、蜂の子を穿り出そうとするが、驚いたことに私の腕は神経を蜂の子に支配されてしまったかのように動かすことができない。

 これは今すぐにでも病院に行くしかない。はて、今まで医者は人間の腕に蜂の巣が出来た事例など診たことがあるのだろうか?そう思いつつ身体を起こそうとする。しかし私の下半身はまるで云うことを聞いてくれず、身体は布団の上に寝転がったままだった。

 何故だろう?不審に思ってなんとか動かせることのできる胴体と首を使って身体を捩らせ、布団から出る。すると、なんということだろう。私の両足全体に、びっしりと腕と同じように蜂の巣が出来上がっていた。

 いったい私の身体はどうしてしまったというのだろう?両腕と両足には猛烈な痛みと痒み、そして蜂の子がもぞもぞと動く不快な感覚に埋め尽くされる。

 私はその日、身体を動かすことが出来ず、一日を布団の上で過ごした。食事や水分を摂ることができず、飢えと渇きが私を襲う。何度か掛かってきた会社からであろう電話に出ることもできない。私はこのまま、誰にも発見されることなく息絶えるのだろうか?そう考えるとひどく、恐ろしい気持ちになった。




 七月三十一日、私が目覚めたのは布団の上ではなかった。目を開けた瞬間、最初に目に飛び込んできたのは上空から見た布団、信じられないことだが私の身体は宙に浮いているようだ。

 状況を把握しようと周りを見渡そうとする。しかし何故か身体のどの部位も私の意思に反して全く動こうとしない。唯一動かせる眼球をギョロギョロと動かして見るが私の身体を視界に入れることは叶わなかった。

 身体全体が痛い、痒い、何かが蠢いている……

 部屋中に視線を泳がせている最中、私は部屋の隅に置かれた姿見に目を止める。そしてそこに映し出された自身の姿に驚愕した。

 部屋の天井に吊り下げられた私の身体。その全身、腕、足、顔にも余すことなく無数の小さな穴が発生し、その中に蜂の子が住みついている。そう、ついに私そのものが完全に蜂の巣と化してしまったのだ。




 私が蜂の巣となってからどれほどの月日が経っただろう。私の中に住みついた蜂の子達はやがて成虫となり、私の中に新たな蜂の子を産み付けて飛び立っていく。そしてその新たに生まれた蜂の子もやがて……

 驚くべきことにこの状態になった私の身体は何ヶ月もの間、飲まず食わずでも死ぬことはなく、ただ意思のみを宿した状態で生き続けた。そして、そんな中にあって私の身体に走る痒みや痛みも決して消えることはなかった。

 あの日、私はこのまま自分が息絶えるのではないかと考えて恐怖した。しかし現実はそんなに生温いものではなかった。私は”人間蜂の巣”として、苦痛に耐えながら永久的にその惨めな人生を過ごし続けるのだった。

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