左利き聖女の華麗なる追放 〜「不浄の手」と追い出されましたが、隣国では両手使いの国宝扱いなので戻りません〜
灼熱の太陽が照りつけるアムリタ神聖王国。
香辛料の匂いと白檀の煙が満ちる大神殿の広間で、大司祭の雷のような怒号が轟いた。
「不浄である! 神前において、なんたる穢らわしき振る舞いか!」
大理石の床に平伏させられているのは、平民の生まれながら稀代の治癒魔法を宿し、奇跡の「聖女」として王宮に召し上げられた少女・ミーナだった。
彼女の眼前には、床に散らばった聖なる供物のマンゴーと米。
そして、彼女の婚約者であった第一王子ラジェシュが、これ見よがしに眉をひそめてミーナを見下ろしていた。
「ミーナ。そなたの治癒の力は見事であった。だが、神の神像に供物を捧げるその神聖なる儀式において……あろうことか『左手』を使うとはな」
ここは伝統と信仰を重んじる神聖王国。
右手は神聖にして清浄なる手。神に祈り、食事を口に運ぶための手。
対して左手は、排泄の後の不浄を清めるための手――すなわち、神前で使ってはならぬ『不浄の手』と固く定められていた。
「申し訳ございません……。ですが、神像の台座の左側が崩れかけておりましたので、支えようと咄嗟に左手が……」
「言い訳は見苦しい!」
大司祭が床を杖で叩く。
「左手で供物に触れ、あまつさえ神像に触れるなど、主神ヴィシュヴァへの冒涜! 神の怒りに触れれば、我が国に旱魃が訪れるぞ!」
ミーナの隣には、以前からラジェシュ王子の側妃の座を狙っていた貴族令嬢プリヤが、艶やかな絹のサリーの袖で口元を隠し、嘲笑を浮かべていた。
「殿下、わたくしは幼き頃より厳格な作法を叩き込まれております。いくら魔力があろうと、そのような卑しい育ちの娘に聖女の座は務まりませんわ」
ラジェシュ王子は満足げに頷き、冷酷に宣告した。
「ミーナ。そなたを聖女の座から解任し、国外追放とする。我が国に不浄をまき散らす左利きなど、一歩たりとも留め置くことはならん!」
神殿騎士たちに両脇を抱えられ、門前へと引きずり出されるミーナ。
神殿の階段から突き落とされ、砂埃にまみれながら、彼女は小さくため息をついた。
「……完璧な人間なんて、どこにもいないのにねえ」
ミーナは生まれつき左利きだった。
この国で左利きがいかに肩身の狭い思いをするか、痛いほど知っていたからこそ、普段は必死に右手を使い、血のにじむような努力で清浄の作法を守ってきたのだ。
けれど、咄嗟に出る反射の「左手」を一度見られただけで、これまで国中を巡って民の疫病を治してきたすべての功績は「穢れ」の一言で塗りつぶされた。
「ま、いっか。肩の荷が下りたわ」
ミーナは立ち上がり、砂を払った。
彼女が向かったのは、国境の北にそびえる険しい山脈の向こう――隣国『ガルダ帝国』だった。
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さて、聖女を追放して「不浄を払った」と神殿で祝杯をあげていたアムリタ王国だったが、わずか一ヶ月で地獄絵図と化した。
神殿の奥深くに安置されていた守護神器『千手神像』。
千本の腕であらゆる方角からの災厄を払うとされるその巨大な黄金像の結界が、突如として激しく軋み、ひび割れ始めたのだ。
国内の魔力バランスが崩れ、疫病が蔓延し、王都の井戸水が枯れ始めた。
「ど、どういうことだプリヤ! 新しき聖女であるそなたが祈りを捧げているのではないのか!?」
取り乱すラジェシュ王子に、プリヤは真っ青な顔で首を横に振った。
「む、無理ですわ殿下! あの神像、右側の腕の魔力回路を満たすのは簡単ですけれど、左側の五百本の腕に魔力を流すには、左手で印を結ばねばならないのです! あんな不浄なこと、わたくしにはできません!」
そこへ、古文書を抱えた老学者たちが青ざめて駆け込んできた。
「で、殿下! 大変な事実が判明いたしました! 千手神像の真の教えが見つかりました!」
「なんだと!? 早く申せ!」
「『神は右の清浄をもって光を育み、左の手をもって闇を祓い、穢れを呑み込む。右と左、両の手が揃いて初めて、世界は調和する』……と!」
神話の時代、神々は右手だけで世界を作ったわけではなかった。
どんな人間にも右手と左手があるように、完璧な光だけの神など存在しない。汚れ仕事を一手に引き受け、毒を抑え込む「左手」の力があってこそ、世界は成り立っていたのだ。
歴代の聖女たちが短命だったのは、右手だけで祈り、左側の神力を制御できずに破滅していたからだった。
両利きのように左手を使いこなし、千手神像の左右すべての腕に完璧に魔力を循環させていたのは、歴史上ミーナただ一人だったのだ。
「そ、そんな馬鹿な……! では、ミーナを呼び戻せ! 今すぐだ!」
「それが……ミーナ様はすでに、ガルダ帝国の『筆頭宮廷医術師』として迎え入れられたとのことです!」
ガルダ帝国は、合理的で実力主義の軍事大国だった。
「右手だの左手だの、使える手を使って何が悪い! むしろ両手で同時に二人の傷病者を治癒できるなど、神業ではないか!」と、皇帝自らがミーナを大絶賛。
彼女は国賓級の厚待遇で迎えられ、ふかふかのベッドと極上の肉料理に囲まれて、両手を使って器用にナイフとフォークを操り、優雅な生活を送っていた。
一方、アムリタ王国。
「頼む、ミーナ! 戻ってきてくれ! 左手を使う無礼は不問にする! 頼むから神像を直してくれ!」
国境まで這いつくばってやってきたラジェシュ王子と大司祭は、ガルダ帝国の頑丈な城壁の下で涙を流して懇願した。後ろには、右手しか使えず魔力暴走を起こして髪がチリチリに焦げたプリヤの姿もある。
城壁の上から、豪奢な毛皮を羽織ったミーナが、串焼きの肉を左手に持ってひょっこりと顔を出した。
「えー? でも大司祭様、『左手は不浄の手』なんでしょう? そんな穢らわしい手で触ったら、神聖な国が汚れちゃいますよ」
「そ、それは形式上のことで……! 完璧な作法など、人間には土台無理な話だったのだ!」
「あら、『完璧な聖女』をお望みだったのはそちらじゃないですか」
ミーナは串焼きを美味しそうに頬張ると、呆れたように笑った。
「右手で綺麗な理想を語るのは勝手ですけどね。泥をかき分けたり、誰かの痛みを抱きとめるには、もう片方の手が必要なんですよ。完璧じゃない生身の人間の痛みがわからない神殿なら、その千手神像も腕をへし折って、一本腕にでも改造したらどうですか?」
「そんな無茶なァァァッ!」
絶叫する王子たちを見下ろしながら、ミーナはガルダ帝国のイケメン騎士団長から手渡された冷たい果実水を、堂々と**左手**で受け取った。
「さ、戻りましょ。こっちの国には、私の両手をちゃんと『両方とも役に立つ手だ』って褒めてくれる人がたくさんいるから」
背後で崩壊の音を立てる旧態依然とした王国に、ミーナは二度と振り返ることなく、軽やかに背を向けたのだった。




