悲しき過去が……俺を強くする!
「……くそ、ここまで、か……!」
男――ジンは、膝をついていた。
眼前にそびえ立つのは、街を蹂躙し、すべてを焼き尽くさんとする魔王軍の幹部。圧倒的な暴力の前に、ジンの大剣はひび割れ、体は満身創痍だった。
「終わりだ、人間。お前の命も、その薄汚い抗いも、すべてここで潰える」
幹部が漆黒の魔力を爪に宿し、ジンの心臓を貫こうと振り下ろす。
死を覚悟したその瞬間。
ジンの脳裏に、全く知らない「誰か」の記憶が、濁流のように流れ込んできた。
---
【回想:名もなき村の少年・ルカ】
それは、どこか遠くの果ての村。
『お母さん、起きてよ……置いていかないで……!』
冷たくなった母親の体を揺らす、小さな少年。村は飢饉に襲われ、少年は自分の配給をすべて病床の母に分け与えていた。だが、その祈りは届かない。少年はただ一人、世界の不条理に泣き崩れた――。
---
「が、あぁぁぁぁぁッッ!!」
ジンは絶叫した。
胸を締め付ける圧倒的な絶望。他人の、それも会ったこともない誰かの『悲しき過去』。
しかし、その哀しみがジンの魂にペーストされた瞬間、彼の体内から爆発的なオーラが噴き出した。
ドォン!!!
「なっ、何だと!?」
放たれた魔王軍幹部の攻撃が、ジンの周囲に展開された謎の障壁によって完全に弾き飛ばされる。
ジンの瞳からは、ボロボロと大粒の涙がこぼれ落ちていた。鼻水も止まらない。しかし、その体から溢れる魔力は、先ほどまでの比ではなかった。
「……悲しい。なんて悲しいんだルカ君……! お母さんのためにあんなに頑張ったのに、世界はなんて残酷なんだ……!!」
大号泣しながら、ジンはひび割れた大剣を構え直す。
この男――ジンは、【他人の悲劇を燃料に換える】という、あまりにも業の深い固有スキルを持っていた。
「お前たちの存在が、世界にさらなる悲劇を生む! 許さん、絶対に許さんぞ!!」
涙で視界を曇らせながら、ジンが地を蹴る。
その速度は音速を超えていた。
「速い――ぶ、無茶な!? そのボロボロの体のどこにそんな力が!」
「ルカ君の悲哀アタックッ!!」
大泣きしながら放たれた一撃は、幹部の堅牢な鎧を容易く粉砕し、その巨体を壁へと叩きつけた。
---
だが、魔王軍の幹部もさるもの。執念で立ち上がり、隠し持っていた禁忌の魔道具を発動させる。
「おのれ……ならばこれを見ろ! 我が真の姿、そして我が一族の――」
「待て、お前」
ジンは涙を拭い、急に真剣な顔で幹部を指さした。
「お前、今『我が一族の』って言ったな。まさか……お前にもあるのか? 『悲しき過去』が」
「……は? いや、我が一族は代々、魔界の過酷な環境で、同胞たちと殺し合いを生き抜いてきた。親は子を捨て、子は親を喰らい、私はただ、誰かに認められたくて……」
「やっぱりあるんじゃないか!!」
幹部が思わず語り始めてしまった瞬間、世界の法則が発動する。
戦場は一瞬にして、セピア色の空間へと変貌した。
---
【回想:魔王軍幹部・ガルタスの幼少期】
『薄汚い半魔め、お前のような出来損ないに居場所などない』
父親に泥の中に蹴り落とされる、幼き日のガルタス。彼はただ、父親の笑顔が見たかった。強くなれば、認めてもらえると信じていた。だが、どれだけ手柄を立てても、父が彼を見る目は常にゴミを見るような冷たさだった――。
---
「う、うわああああああああん!!! お前も辛かったんだなガルタスーーーッ!!!」
回想が明けた瞬間、ジンの号泣レベルはマックスに達した。
涙と鼻水で顔はぐしゃぐしゃだが、その背後には、神々しいまでの黄金のオーラが、もはや巨大な魔人の形を成して出現している。
「な、なんだこのプレッシャーは!? 身体が動かん、私の悲劇がお前に力を与えているというのか!?」
「認められたかっただけなのに……! なのに、こんな間違った方法しか選べなかったなんて……! ああ、世界はどこまで残酷なんだ!!」
ジンが静かに大剣を振り上げる。
そのブレードには、ルカの絶望(青)と、ガルタスの哀愁(赤)が混ざり合い、紫電となって激しく迸っている。
「ガルタス、お前の悲しみは俺が引き受けた。もう、誰も憎まなくていい……!」
「待て、私は魔族だぞ! 同情するなァーーーッ!!」
「『涙の連鎖』ーーーーッ!!!」
凄まじい一閃が奔り、閃光が戦場を包み込む。
魔王軍幹部ガルタスは、ジンの圧倒的な戦闘力(と、あまりにも重すぎる共感の涙)の前に、塵ひとつ残さず消滅したのだった。
---
嵐が去った後。
ジンは戦場に一人ぽつんと立っていた。
「……強くなるのはいいんだけどさ」
彼は自分の手を見つめる。
他人の回想が入るたびに、ステータスが乗算で跳ね上がる最強の能力。
だが、この能力の最大の弱点は――強くなるたびに、心がめちゃくちゃに凹むことだった。
「今回の魔王軍の遠征……魔王の『悲しき過去』とか絶対にエグいじゃん……。俺、最後までメンタル保つかな……」
ジンは、次の戦いで流すであろう涙に備えて、懐から新しいハンカチを取り出すのだった。




