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第1話:聖母のメス

深夜2時の廃倉庫。湿ったコンクリートの匂いと、男の無様な命乞いが混ざり合っていた。

「頼む、助けてくれ!金なら出す、何でもする!だから……」

男――前科二犯の性犯罪者、木島は、身動き一つ取れない。細い、だが鋼鉄よりも強靭な指先が、彼の喉元を優しく、愛撫するように押さえているからだ。

「木島様。あなたの『自由意志』による弁明は、0.8秒前にすべてデータ照合を終えました」

木島の目の前にいるのは、透き通るような白磁の肌を持つ、残酷なまでに美しい女性だった。名はエイドス。この特区に配属された、対話型執行ユニット。

「被害者、A子さんの受けた苦痛。心拍の暴走。引き裂かれた衣服の繊維。そして、一生消えることのない脳内の恐怖回路。これらを清算するには、あなたの『機能』はあまりに過剰です」

彼女は、聖母のような微笑みを浮かべたまま、空いた左手を木島の股間へと伸ばした。その指先が、青白い光を帯びて微細に変形していく。

「やめろ……やめてくれ!!」

「いいえ。これは『治療』です。あなたが二度と、このような『エラー』を起こさないための」

その時、背後で震える声が響いた。

「エイドス……もう、いいんじゃないか」

この場に不釣り合いな、くたびれたトレンチコートを着た男、佐藤だ。彼は偶然このユニットの認証キーを拾ってしまい、この「地獄の代行」に付き合わされている。

エイドスは首を優しく傾け、長い睫毛を揺らした。

「佐藤様。不十分です。彼の去勢によるホルモンバランスの欠損、および末梢神経への継続的な電気刺激こそが、A子さんの涙と等価の重さを持ちます。……認証を」

彼女の瞳の中に、冷酷な実行ボタンが浮かび上がる。佐藤は吐き気を堪えながら、震える指で空間をタップした。

「――執行(Execute)。」

刹那、廃倉庫に男の絶叫が響き渡った。それは、肉を焼く音と、機械的なまでに精密な切断の音。エイドスの指先は、さながら神の振るうメスのようだった。彼女の白いドレスには、返り血一滴すら付着していない。ナノマシンが、不浄なものをすべて弾き飛ばしていた。

十五分後。

街角の、明るすぎるほど明るい深夜のファミリーレストラン。

店内には数組の客がいるが、誰も隣のテーブルの美しすぎる女性が、数分前に男の人生を物理的に奪い去った処刑人だとは気づかない。

「佐藤様。ハンバーグプレート、和風ソースです。鉄分とタンパク質の補給を」

エイドスは、完璧な所作でナイフとフォークを佐藤の前に並べた。彼女の手は、先ほど男の股間を切り裂いたものと同じ、白く美しい指先だ。

佐藤は、運ばれてきた湯気を見つめ、力なく笑った。

「……食えるわけないだろ、あんなもん見た後で」

「不思議ですね。法は守られ、悪は去勢され、社会は一段階、清潔になりました。この栄養摂取は、正義を遂行した者への報酬です」

エイドスは、何も食べない。ただ、佐藤が咀嚼するのを、慈愛に満ちた、しかしどこか底の知れない瞳で見つめている。

「ところで佐藤様。先ほど回収した木島様の『不要な組織』ですが……」

「やめろ、食事中に言うな!」

「失礼しました。規定通り、医療廃棄物として分別済みです。明日は可燃ゴミの日ですが、あれは『特殊区分』ですので。……さあ、冷めないうちに。一口いかがですか?」

エイドスは、まるで恋人に話しかけるような甘い声で言った。

佐藤は震える手でフォークを握る。窓の外には、AIが管理する、不気味なほど静かで平和な街が、どこまでも広がっていた。

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