たった一人私が手に入れれなかった物
美の女神を元に作りました。
私は愛の女神だった。
愛されることも、愛させることも、私には容易かった。
ひとたび私が心を向ければ、花はより深く咲き、宝石はより強く輝く。人の心であればなおさらだ。
私が「愛しい」と思った瞬間、その者の心はほどけ、やがて私へと差し出される。抗う者はいなかった。いや、抗えなかったのだ。だから私は、それを愛と呼んでいた。
すべては、私のものになるのだから。
ある時代、ある土地で、ひとりの少年に出会った。
風のよく通る丘の上だった。彼は何をするでもなく、ただ空を見上げていた。手には何も持たず、誰かを待つ様子もない。それでも、その姿は満ちているように見えた。
私は興味を持った。近づいても、彼は気づかない。
声をかけて、ようやく振り向いた。
その瞳には、欲がなかった。
「あなたは、誰?」
そう尋ねる声も、どこか穏やかで、恐れがない。
神である私を前にしても、跪こうともしなかった。
面白い、と思った。だから私は、彼を愛した。
いつものように。ただ、少しだけ強く。
けれど。何も、起こらなかった。
彼の瞳は変わらない。私を見ても、熱を帯びない。
心が傾く気配すらない。私は初めて、戸惑った。
何度も試した。優しい言葉をかけ、笑みを向け、時には奇跡すら見せた。それでも少年は、ただ静かに受け取り、そして手放した。
「きれいだね」
花を見て言うように、彼は私を見てそう言った。
「でも、僕のものにはならない」
その言葉は、刃のようだった。
私が愛したものは、すべて私のものになる。
それが、この世界の理だった。なのに、彼だけが違った。
ある日、私は問いかけた。
「なぜ、私を望まないの?」
少年は少し考えてから、こう言った。
「あなたは、全部持っていくから」
その意味が、すぐには分からなかった。
「僕が好きになるなら、それは僕のものでもあってほしい。
でもあなたに渡したら、きっと全部あなたのものになる」彼は笑った。責めるでもなく、ただ事実を述べるように。
「それは、ちょっと寂しい」
その瞬間、胸の奥が軋んだ。
私は初めて気づいた。
これまで手に入れてきたものは、すべて「奪った」ものだったのだと。相手の心を、形を、意味を、すべて。
愛しているつもりで、何も残してこなかったのだと。
それでも、私はやめなかった。やめられなかった。
彼を、どうしても欲しかったから。
けれど、結末は変わらない。少年は老いた。
穏やかに、静かに。最後まで誰のものにもならずに。
その最期の時、私はそばにいた。
彼は私に気づき、かすかに笑った。
「きれいだね」
最初と同じ言葉だった。
「でも、やっぱり僕のままでいたい」
そのまま、彼は目を閉じた。私は、何もできなかった。
奪うことも、留めることも。ただ、見送ることしか。
それから、どれほどの時が流れただろう。
私は今も、愛の女神だ。
愛したものは、すべて私のものになる。
けれど。あの少年だけは、違う。
手に入らなかったはずなのに、
なぜか、ずっとここにある。
消えずに残っている。
それはきっと、奪わなかったからだ。
これは、昔の話。
私が初めて、
愛を手に入れなかったことで、
愛を知ったときの話。
奪うと愛は別物




