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見られることへの恐怖

銀の大地―死者に会える鏡を求めて―メタ記事第五回目。


見られることへの恐怖についてです。

わー、パチパチパチ。


今回も本編、メタというよりも私の解釈ですよ。


なにゆえ、人は見られることを怖がるのでしょうか?

それはきっと視線の魔力。


暴かれることです。


特に自己肯定感がボロボロの人間にとっては見られることほど怖いことはありません。

視線を通して人と繋がるというのは、とても恐ろしいことなのです。


経験者ゆえ語ります、ガクブル。


心の奥底、裏側に視線が入り込むのです。

目は口ほどにものを言いますから、どんなに寡黙な人でも言葉が出ちゃうんでしょうねぇ。


それは覗く側の人間も同じです。

見ることによって相手に見られるのです。


きっと見られる側はそれが一番怖いのですね。

相手が自分をどう思ってるか知ることほど怖いものはありませんから。


そして本編では、“見られる恐怖” はキャラクターによって形が違います。

特に、見られた瞬間に“内側の魔が反応する”存在にとっては視線はただの視線ではなく、“触れられること”と同じです。

 

だから揺らぎのない瞳は畏れと共に救いにもなるのです。

この畏れの部分はまたいつか機会があれば話します。

でももう、カクヨムとかnoteに載せてるエッセイ(最近は疲れすぎて荒れ気味、好き嫌いが激しくわかれる)で喋ったりしてます。ぷくく。


“見られる恐怖” を一番抱えている人物ほど、

本当は誰よりも見つけられたいと願っているのです。

(それが叶うかどうかは、本編でぜひ。)


ではでは、また会いましょう。


次回は英雄についてです。

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