影とは
銀の大地―死者に会える鏡を求めて―メタ記事第四回目。
影についてです。
わー、パチパチパチ。
今回は本編、メタというよりも私の解釈ですね。
影とはもう一つの魂であり、存在を色濃く写すものです。
魂の“光”が表の人格で、魂の“影”がその者の根源的な衝動・属性でしょうか?
影=悪ではない。
影=隠れている真実。
人が影を持ちながら扱い切れていないのは、すべて “魂の影部分の扱い” が未熟だから。
そして影は闇の中の闇です。
光の中で色濃くなりますが、(当たり前だけど)光には属しません。
なので光側にはないのです。
ただ光が濃くなるにつれて影もその濃さを増します。
やばいもう書くことがなくなった!
出せ!
捻り出せ!
なぜもう一つの魂であるかお話しましょうか。
影とは“存在”しなければ存在しないものです。
ややこしいな。
物質がある状態でしか存在しないものです。
それは魂の写しと言えるのではないでしょうか?
光が魂の側面であるのなら影もまたそうであるべきです。
ニコッ
でも最後にひとつだけ本編の話を。
影が揺れるときは、その人物の存在の層が一段深くなるときです。
たとえば心が揺れた瞬間や、魂の奥が呼び返されるような出来事。
影はそのとき必ず形を変えます。
……変わってなかったら、そのときは読み取る側の“魂の眼”が曇ってるだけです(作者のせいじゃない!)
(気づいた人はそっと胸にしまっておいてください。)
もう書くことがないよ。
というわけで今回は終わりです。
次回は見られることへの恐怖です。




