追放勇者、初めての“救い”
王城を追われ、石畳が土道へと変わる頃には、太陽はすでに山の端へ沈みかけていた。
異世界に放り出された実感が、じわじわと身体を蝕む。
(……食う物も寝る場所もない。どうする)
けれど、その“絶望”よりもずっと気になっていたことがある。
――城に満ちていた、説明できないほど濃い“恐怖”。
(勇者を呼んだくせに、あいつら……何かに怯えていた)
ただの臆病ではない。
世界規模の危機、その中心にあるような黒い渦。
それが胸に引っかかり続けていた。
そうして歩き続けて二時間ほど。
森の入口に差しかかったところで、碧斗の視界に小さな光が揺らめいた。
松明だ。
(……人がいる)
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◆1.エルド村──世界の片隅で
森を抜けると、小さな村が広がっていた。
木造の家々は年季が入り、井戸の周りには子どもたちの靴跡が散らばっている。
温かな灯りが窓からこぼれ、風に混じってパンの香りが漂っていた。
「すみません……ここは?」
碧斗の声に振り向いたのは、白髪混じりの中年男だった。
壮年の農夫。腕は太いが、目は優しい。
「おお? 旅の人か。ここはエルドの村だよ。王都の外れの、小さなな」
「泊まれる場所……ありますか?」
男はちらりと碧斗の装いを見て、首を傾げる。
「旅装でもねぇし、装備もない……あんた、訳ありだな?」
胸の奥で、男の“感情の色”が揺れた。
濁りのない、暖かな茶色。
憐れみ、そして少しの警戒。
(ああ……俺、ボロボロに見えるんだろうな)
苦笑するしかなかった。
「……少し巻き込まれただけです。身を休める場所があれば」
「事情は聞かねぇよ。困ったときはお互い様だ。うちは空き部屋がある。来い」
その言葉に、碧斗は胸が熱くなった。
ここにきてようやく、誰かが自分を“排除”しない世界があった。
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◆2.能力の初覚醒──消えた子ども
村で休ませてもらった翌朝。
外が騒がしいことに気づき、碧斗は戸を開けた。
「リ、リナがいないんだよ!」
「魔物に攫われたんじゃねえか!?」
村人が怯え、悲鳴が飛び交っている。
その中心には、昨日の農夫と、泣きじゃくる母親がいた。
「待ってくれ! 落ち着け、まずは探すんだ!」
碧斗には──
母親の“感情の波”が強すぎて、めまいがしたほどだった。
濃い灰色の絶望。
刺すような赤の焦燥。
冷たい紫の恐怖。
(このままじゃ……この母親は壊れてしまう)
自然と、碧斗の身体が動いた。
母親の肩に手を置き、静かに声をかける。
「大丈夫。まだ手遅れじゃない。俺に、できることがある」
その瞬間だった。
胸の奥で、鈴のような音が鳴った。
視界が一瞬、光に包まれる。
――共感の波を“整える”感覚。
(これ……俺の能力が……動いてる!?)
母親の感情の色が、濁った紫から柔らかな青へと変わっていく。
呼吸が整い、瞳がまっすぐ碧斗を捉えた。
「……お願い……助けて……!」
村人たちの視線が集まり、ざわつきが広がる。
「あの母ちゃん、急に落ち着いた……?」
「さっきまで絶叫してたのに……」
(俺、いま……“感情増幅”を逆に使ったんだ)
無意識でも発動したのは、
それだけ目の前の感情が強すぎたからだろう。
◆3.森へ──追放勇者を狙う影
村人と手分けして森へ入ることになったが、
碧斗は不思議な感覚に気づいていた。
森の奥へ進むほど、胸の奥で黒い靄が熱を帯びる。
(……何かが“呼んでる”。
リナだけじゃない。俺も……狙われてる?)
冷たい気配。
視界にチラつく、深い紅と漆黒の混ざった“殺意”。
碧斗は喉を鳴らした。
「……まずい。これは……魔物の感情だ」
次の瞬間。
森影から、獣のような唸り声が響いた。
「グオオオオオォォ!」
姿を現したのは、狼ほどの体躯に鱗をまとった魔物。
ただの獣とは違う。目が完全に“怒りと飢え”に染まっている。
「お前……俺のこと、狙って……!」
魔物は低く身を沈めると、その背に──
小さな少女がぐったりと抱えられていた。
「リナ!」
碧斗は叫んだ。
だが魔物の“感情の渦”が、碧斗の胸を締めつける。
黒い炎のような怒り、幼い少女の恐怖、それらが混ざり合った最悪の気配。
(落ち着け……落ち着け……!
俺にできることは、ひとつだけだ)
碧斗は深く息を吸い、掌を胸にあてた。
共感増幅者が持つ、危険な側面。
“相手の感情の一部を取り込む”──感情吸収。
使えば精神に負担がかかる。
だが、今はそんなこと言っていられない。
「……間違っててもいい。俺は……助けるために動く」
碧斗が足を踏み出した瞬間、
黒い魔物と、胸の奥の“何か”が、確かに共鳴した。




