第4章:組織(オルガネラ)検診
医局の扉を強引に押し開けた斎藤を、じっとりとした生温かい空気が迎えた。消毒液と薬品の匂いが混じった病院のそれとは違う、澱んだ匂い。
オウロ・ホールディングス本社ビル、34階、人事部フロア。
斎藤の視界は、今や万華鏡のように情報過多な世界に変貌していた。
(……ひどい)
フロア全体が、薄暗い霧の中に沈んでいるように見える。否、霧ではない。社員一人ひとりから発せられる生命光が、あまりにも弱いためだ。
キーボードを叩く音だけが、不気しく規則的に響いている。だが、その指先は「細胞」レベルで見れば、かろうじて動いているに過ぎない。エネルギー通貨であるATPを生み出すミトコンドリアが、まるで冬眠前の動物のように活動を停止させている。彼らは生きるために働いているのではない。死なないために、惰性でキーを叩いているだけだ。
「あ、斎藤さん! 大丈夫だったんですか? 無断欠勤なんて……」
声のした方に顔を向けると、そこだけが、まるでスポットライトを浴びたように鮮やかに輝いていた。
水上 恵那。新卒2年目の部下だ。
彼女の輪郭の内側は、光に満ちていた。細胞の一つひとつが弾けるように若々しく、まだ特定の役割に染まっていない。
(……**幹細胞**だ)
あらゆる臓器や組織に「分化」できる、可能性の塊。だが、その「分化」を促す周囲のシグナルが弱すぎる。彼女という素晴らしい素材が、この澱んだ環境(培養液)の中で、どう育つべきか迷っているのが、斎藤には痛いほど伝わってきた。
「問題ない。少し、寝過ごしただけだ」
斎藤は、いつもの無表情を顔に貼り付けた。この最大の「秘密」は、誰にも知られるわけにはいかない。
「それより、第一営業部のフロアマップを至急。最新の内線番号が入っているやつだ」
「え? 営業部ですか?」
「いいから、早くしろ」
恵那の「幹細胞」が、不審と反発でわずかに揺らぐのが見えた。だが、斎藤は構わなかった。彼は、自分の執務デスクに向かい、会社の「組織生体マップ」――彼にしか見えない、巨大な細胞の見取り図――を脳内に広げた。
34階の人事部は、全体的に機能不全。
30階の財務部は、ミトコンドリアは活発だが、**細胞膜(部署の境界)**を異常なまでに肥厚させ、他部署とのエネルギー(予算)のやり取りを拒絶している。
40階の役員フロア(核)は……黒い靄がかかったように、内部が窺えない。
そして、斎藤の視線は、ひと際おぞましい光景に釘付けになった。
36階。第一営業部。会社の「花形」と呼ばれるエリート部署。
そこが、マップ上で、真っ黒な「何か」に侵食されていた。




