(番外編)静寂の中の初恋シミュレーション
< 白川詩音サイド >
――図書室は、今日も静かだ。
いや、いつも以上に静かだった。
それは、私の隣に座っている彼が、
まるで、空気そのもののように存在を消しているから。
真壁悠。
クラスメイトで、同じ委員会(非公認)に所属している男子。
恋愛イベント撲滅委員会。……なんて名前の、変な共犯関係。
でも、私はたぶん――
今、この空気のような彼に、心を掴まれている。
「……小説、また書いてるの?」
ふいに話しかけられて、私はビクリと肩を揺らす。
「べ、別に。……資料読んでるだけよ」
嘘だった。
今、私のノートに並んでいるのは、陰キャ男子に恋する文学少女の物語の草案。
しかも、モデルは完全に彼だ。
(だって……仕方ないじゃない)
彼の言葉はどこまでも冷静で、感情が表に出にくくて。
それなのに、ふとしたときに優しい声を出す。
誰よりも静かで、誰よりも他人を遠ざけてるくせに――
誰よりも、誰かの心に踏み込むのが上手い。
「……詩音?」
「あ、ごめん。ちょっと、考えごとを……」
彼はじっと私を見つめる。
たぶん、観察してるんだ。いつもそうやって、空気の流れを読んでる。
それが心地悪くないのが不思議だった。
「最近、よく話すようになったよな。俺たち」
「……そうね。昔は、言葉すら交わしてなかった」
「委員会とか言いながら、ただの愚痴り場だけど」
「でも、嫌いじゃないわ。そういう場所」
「……俺も」
ぽつりと、彼が言う。
それだけなのに、心臓が跳ねる。
この人は、ずるい。無自覚に人を揺らす。
私はそっと、ノートを閉じる。
草案のタイトルは――『空気に恋をした』。
彼が見たら、絶対バレる。
だから、このタイトルは、今はまだ秘密。
でも、きっといつか。
私はこの想いを、文字じゃなくて、言葉で届けるんだろう。
「……ねえ、真壁くん」
「ん?」
「もし、私が本当に誰かに恋をしてたとしたら……どうする?」
「え、急に?」
「例えばよ。委員会の相棒が、実はずっと密かに――って」
冗談めかして言ったつもりだった。
でも彼は、なぜか真剣に考え込んで、こう返した。
「そいつが詩音を困らせない相手なら、応援する。
……ただ、そいつが俺だったら、たぶん逃げる」
私は一瞬、息を飲んだ。
「……どうして?」
「怖いんだよ。人の好意って」
彼は、遠くを見るような目をしていた。
「期待されると、それを壊すのが怖くなるから」
私は何も言えなかった。
だけど、強く思った。
――なら私が、壊れない好意をあげる。
期待じゃなくて、選択肢をあげる。
たぶん、私が彼にできる恋は。
押し付けないことから始まる。
図書室に、静かすぎる沈黙が流れる。
だけどそれは、居心地のいい静けさだった。
そして私はまた、ペンを取る。
新しい物語のタイトルを書いた。
『好きになる準備ができたら、読んでください』
彼に読ませる気は、まだない。
だけど、いつかきっと――




