恋愛イベント魔人、現る
この世界は、理不尽でできている。
いや、大袈裟な話じゃない。俺のクラスを見れば一発でわかる。
たとえば今朝のHR
担任が教卓の上に何かをドサリと置いて、俺たちに笑顔でこう言った。
「さあ、みんな! 今日から『恋愛強化月間』よ!」
……は?
冗談だと思った。夢か、もしくは、バグったソシャゲのイベント通知かと。
だが現実だった。
教室中から「うおおおおお!」「マジで!?」と歓声が上がり、空気が一瞬で甘ったるい色に染まる。
「まずはクラス内投票! 『理想の恋人ランキング』だって!」
「おいおい、こんなん俺に決まってんだろ〜」
「それ言った瞬間に落選だよ風間〜」
「ぐはっ!」
――ちなみにこのテンションの中心にいるのが、風間大我。
言わずと知れた、うちの学年最強の陽キャだ。スポーツ万能、顔よし、頭も悪くない。しかも性格は意外にフレンドリーときた。
その彼が、どうやらこの「恋愛強化月間」の仕掛け人らしい。
マジで何やってんだアイツ。
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「俺は……静かに暮らしたいだけなんだが……」
誰にも聞こえないよう、ぼそっと呟く。
だが空気は無情にも、俺を置き去りに盛り上がっていく。
やがて配られたアンケート用紙に、クラスメイトたちはキャッキャと名前を書き込んでいた。
『理想の恋人にしたい異性』ランキング。
つまり、人の人生を勝手にフラグ化する装置である。
俺は当然、無記名で提出しようとした――が。
「おーい真壁、誰に入れた?」
「は? いや……俺は……」
「ん〜? まさか白紙とか言わないよな?」
うるさい。なんなんだこのリア充圧力。民主主義の暴力か?
こうして俺は、存在を消して生きてきた陰キャ人生のなかで、ひときわ強烈な不穏の匂いを感じた。
そして昼休み、さらに謎の事件が起こる。
「なあ、見た? 真壁が理想の恋人ランキングで、なぜか五位に入ってたんだけど」
「え? 誰が入れたの?」
「てか……アリじゃね? ああいう静かな男子」
「ギャップ萌え? わかる」
「はぁ!?」
……なぜ。どうして。誰の仕業だ。
俺の意志とは無関係に、名前だけが一人歩きしていた。
風間がこっちを見て、ニヤリと笑う。
「陰キャ×文学少女って、なんか……エモくね?」
意味不明すぎて卒倒しかけた。
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その日の放課後。
俺は静かな場所を求めて、図書室へと逃げ込んだ。
ここだけは、恋愛とかリア充とかいう言葉から最も遠い聖域だと信じていた。
だが――
「……そこ、空いてますか?」
静かな声がした。
顔を上げると、目の前に一人の女子が立っていた。
黒髪ロングに薄い眼差し、長袖のカーディガン、胸には文芸部のバッジ。
――白川詩音。
クラスメイトだが、会話した記憶はほぼない。
周囲では、文芸部の無口姫とか呼ばれてるらしいが……なるほど確かに、そんな雰囲気だ。
「……どうぞ」
俺がそう返すと、彼女はふわりと隣の席に腰を下ろす。
しばらく、沈黙。
ページをめくる音だけが静かに響く。
……だが気配がおかしい。
彼女、読んでない。目線が、わずかに俺の方を伺っている。
そして意を決したように、ぽつりと呟いた。
「……あなたも、巻き込まれてしまったのね」
「……は?」
「『恋愛強化月間』という、茶番劇に」
思わず本を閉じた。
この言葉に、どれほどの救いを感じたことか。
「……もしかして、君も……嫌なのか。あれ」
彼女は小さくうなずいた。
「恋愛をイベントにして消費するなんて……そんなもの、本当の気持ちじゃない」
言葉に、刺さるものがあった。
「……わかる。俺も、フラグとか勝手に立てられるの、ほんと勘弁だわ」
ふと、詩音が目を細めた。
それはまるで、長く閉ざされていた本のページをめくるような、そんな微笑だった。
「あなたとは、話が合いそう」
そのとき、不意に彼女が差し出したのは――
一枚の紙。
『恋愛イベント撲滅委員会 設立趣意書(草案)』
手書きだった。妙に整った文字で、真面目に書かれていた。
「……これを一緒に、やらない?」
「非公認委員会ってこと?」
「もちろん。認められるわけないもの、こんな活動」
「だよな」
思わず笑った。彼女も、小さく笑った。
ああ、やばい。これは久しぶりに、会話した気がする。
「名前は……詩音、でいい?」
「うん。真壁くん……だよね?」
こうして俺たちは、非公認・反恋愛組織を設立した。
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その翌日、風間大我はこう宣言した。
「次のイベントは――『文化祭ペア肝試し』だ!」
クラスが沸く。
俺と詩音は、同時に目を合わせて、小さくため息をついた。
――やれやれ。
始まったばかりだ、この戦いは。




